6、きのう見た夢

「ねぇ、どうして何も言ってくれないの?」

「ねぇ、どうして私を置いていってしまうの?」

問いかけは空間に虚しく木霊する。
一体誰に話しかけているのか、彼女は目の前の虚空を追い続ける。
そこにある、そしてあるはずもない人影を見つめ。
彼女は問いかける。返るはずもない返答を求めて。




突然の電子音に刺激され、少女はその重いまぶたを開く。
部屋の電灯はついたままだ。どうやら、コンピュータの作業中に寝入ってしまったらしい。
デスクに突っ伏したまま眠っていた自分の表情がどんなものかと、恐る恐る手鏡をのぞく。
髪は、崩れていない。頬に、彼女の服の跡が残っていることもない。
ただ1つ、目元が赤く腫れ、一筋の何かが通った跡が残されている以外は、何一つ変わったことはない。

(泣いて、いたの・・・?)

かぶりを振る。
何か、嫌なものを思い出そうとする自分を戒めるように強く。
そして現実に引き戻すかのように、ただひたすらに鳴り響く電子音の発生源に目を向ける。
艦内の内線電話、それのボタンを押し、言葉を返す。

「・・・どうかしたの?」

やや不機嫌な声になってしまったのは、眠りから覚めたばかりという理由もある。
が、どこか拭い去れない嫌な感覚が、いまだ心の中に渦巻いていることが、一番の原因だった。

「あ、マリア、もうすぐ地球へと到着しますよ。準備の方をお願いします」

聞こえたのは女性の声。
落ち着き、そしてどこか気品のあるその声の主は、囁くようにマリアに言った。

「えぇ、わかったわ、ミラージュ・・・」

結局、1人になる時間をもらったにも関わらず、全ての作業を終えることは出来なかった。
クオークの解散、それはいつか訪れる、ある意味運命のようなものだったのかもしれない。
最早、銀河連邦組織が形を成さなくなった今、クオークの存在理由は皆無。
様々な宇宙の地域の復興に関与するという案も挙がってはいたのだが、それはもともとの
クオークの存在理由と反することであるし、何よりマリアがそれを認めなかった。
その理由は、ハッキリしたものはない。とにかく、彼女にとって、それはどこか不本意だった。

「マリア、どうかしましたか?」

唐突に内線から聞こえたミラージュの声に、やや狼狽した。
いつも、ミラージュにはこころの奥底を見られている気がする、と彼女は感じている。
ウソもごまかしも、全く通用しなかった。今まで、何度となく、見破られてきた。
面と向かって話しているときだけではなく、こうして通信システムを通した上でも、
ミラージュはその声の質や間の空き具合など、細かい部分からそれを察してしまう。

「あのね、ミラージュ・・・」

「あ、申し訳ありません、どうやら私にもやることが残っていたみたいです。この話は、次の機会に」

そして、内線は音もなく切れた。
また独り、取り残されたマリア。

「また、独りになってしまうの・・・?」

震えが、止まらなくなった。
頬を伝う雫にも気がつかないほどに、マリアの身体は震えていた。

独りになることの怖さ、悲しさを知っているマリアだからこそ。
今こうして、また孤独に苛まれる瞬間が訪れつつあるのを、黙って耐えることなど出来なかった。






「マリア、入るよ」

マリアは一言、どうぞとだけ言って、部屋の入り口へと向き直る。
立っているのは同じ蒼髪を持つ青年、フェイト=ラインゴッド。

「それで、話って、何?」

「そうね、色々話したいことはあるのだけれど・・・」

少し間を置いて、思いついたようにマリアは言った。

「昔話なんて、どうかしら」





「私が、12歳のときに両親・・・トレイター夫妻をなくしたのは、前にも話したわよね」

いつか、シランドで2人きりで話したこと。
マリアが養父母のトレイター夫妻と共に宇宙に旅立っていたとき、アールディオンの襲撃を受け、
戦闘に出た父は戦死、母も脱出ポットの不足により、宇宙で帰らぬ人となった。

「そして、クオークのクリフとミラージュに拾われ、育てられた」

脱出ポットで虚空を彷徨っていたマリアを救出したのが、クリフとミラージュ。
そして、そのまま成り行き上、マリアはクオークの一員として、6年間を過ごした。
マリアに与えられた、紋章遺伝子の能力が発動し、銀河連邦艦インビジブルを撃退した
ことが原因で、マリアはクオークのリーダーとなり、それを率いてきた。

「だけど、それでも私は、ずっと独りきりだった・・・」

「え、そんなことはないだろ。マリアには、沢山の仲間がいたじゃないか」

マリアの言葉の真意を読み取ることなく、その言葉どおりの意味でフェイトは問い返す。

「だったら、フェイト、あなたは耐えることが出来る?今まで両親だと思っていた人達は、実は本当の両親ではなくて、そして目の前で彼らを失い、さらには自分の中にある未知の能力さえも発動してしまった。誰も、この気持ちはわかってくれない。そんなことが、あなたには耐えられるの?」

「・・・・・・」

言葉を返すことが出来ずに、フェイトは黙り込む。
どちらかと言えば恵まれた環境で育てられた彼も、気づけば世界を賭けた戦いの場へと引きずり込まれていた。それが運命だと片付けてしまうのは容易だ。だが、それを受け入れることが出来たか否か。

だが、それ以上の苦痛を、マリアは味わってきた。
孤独という、最も恐れるべき要素を、幾度となく味わったマリア。
その辛さを、フェイトは理解することは出来なかった。
理解したような口を利いたところで、それはただの詭弁に過ぎない。

体験したものにしかわからない痛み。
マリアにしか、わからない痛み。

「ずっと独りだった。でも、自分のことを調べていくうちに、あなたの存在を知った。私はそのとき、初めて自分が独りじゃないっていうことに気がついたわ」

「でも、僕は君の痛みを、理解することは出来ないよ・・・君の理解者には、なれない・・・」

「そうかもしれないわね。あなたには、私を全て理解することは、出来ないかもしれないわ・・・」

諦めたような、どこか悲しげな口調。
いつのまにか、作り上げられていた見えない壁。侵入者を全てはじき返す、無敵のファイアウォール。
彼女は幾度となく、他者の干渉を拒んだ。
理解されたくない、理解されるはずもない、と、自分の心に言い聞かせて。

だが、彼女は孤独を何よりも恐れた。
幼き頃に味わった痛み、それが何度も、瘡蓋になることなく、じわじわと彼女の心を蝕み続ける。
本当は、わかって欲しかった。誰かに、自分のことを理解してもらいたかった。
だが、それを出来る人など誰もいない、と一方的に決め付けてしまう自分がいる。
そして、実際にそんな者がいるはずもない、と突きつけてくる現実が目の前にある。
深くなっていく傷跡、それを埋めることは、できるはずもなかった。

「理解して欲しい、なんていうつもりはないわ。だけど、私は・・・私は・・・」

「・・・マリア?」

強く握り締めた拳が、小刻みに震える。
それは怒りでも悲しみでもない。漠然とした恐怖。
見えないからこそ、恐ろしくなる。どこから来るかわからないから、おびえてしまう。

「夢を、見たのよ。また、私が独りになってしまう夢。みんな、私の元を去っていってしまう。
残された私は、ずっと誰かを呼び続けてる。帰ってくると信じて、返ってこない返答を期待してる」

俯く。こうすれば、涙は見えない。

「怖いのよ、不安なのよ・・・また独りになってしまうのが。誰も、いなくなってしまうのが!大好きな人が、私の目の前からいなくなってしまうのが!!」

走り出す。目の前の青年目掛けて。
そのまま、マリアはフェイトの身体へと飛び込んだ。
勢いはあったが、フェイトはそれを優しく抱きとめる。

「マリア・・・僕は、どうしても地球に戻らなければならない。地球の受けた被害は、相当大きいものだから、僕もその復興の手助けをしていこうと思うんだ。最後まで、やりきろうと思う」

「わかってる、わかってるわ。どうあがいても、私はまたあなたと離れ離れに―――」

「だから、君も一緒にくればいいよ」

えっ、とマリアは呟く。
見上げた先には、フェイトの明るい笑顔がある。

「もう、君を独りにはしないよ。僕でよかったら、傍にいるから・・・」

その言葉を、マリアはずっと待ち続けていたのかもしれない。
理解してくれる人はいなくても、ずっと傍にいてくれる人がいるなら。
傷口は、ふさがらないかもしれないが、これ以上傷を増やさなくてもいい。

「少しずつだけど、君の事をわかっていきたい。君にも、僕のことをわかってもらいたい」

抱きしめる腕に、力がこもる。
もう二度と、離さない。そんな想いを、言葉ではなく、形で示すかのように。

「ありがとう・・・もう、絶対に、独りにしないで・・・」

「わかってる。絶対に独りになんかしない。だから、マリアも、僕の元を離れないで・・・」




失うのが怖かった。
失うのが怖いなら、何も得なければいい。
何も得ないのなら、全てを拒めばいい。

でも、それは結局ただの理屈、詭弁の羅列にすぎない。
失うことも、独りでいることも、結局は、何かに怯えているだけ。

誰かと一緒にいること、誰かに抱きしめられること、誰かを抱きしめること。
そうして、自分の存在を確かめられる。

他者あっての自分。自分ひとりでは、自分にはなりえない。
大切な人が傍にいること、それが一番の、自分に与えられた意味。