82 月明かり



陽も沈み、町の喧騒も静まり返る夜。
この日は、昼間から快晴といってもいいほどに天候が良かった。
その所為もあってか、今宵は満点の星空、それに、輝くイリス。

イリスは、別称「月」とも呼ばれる。
その由来を彼女は知ることはなかったのだが、別の星に住む仲間が、
彼らの星でも同じように月と呼ばれる存在があることを伝えたときには、正直驚いた。
まったく別の星とはいえ、どこかで考え方なども共有しているものがあるらしい。

それはともかくとして。

彼女、ネル=ゼルファーは、月明かりの中独り夜の街を歩く。
それは徘徊などという無計画なものでは決してない。
むしろその逆、彼女には、そうしなければならない、列記とした理由があった。

「今晩は、少し冷えるね・・・」

首に巻いたマフラーに、顎を少し埋めながら、ネルは独りごちた。
ネルの服装、すなわち、隠密の「闇」のコスチュームは、防寒としての機能は低い。
しかし、アーリグリフ領との距離を考えれば自ずとわかることではあるが、
決してこの地は温暖だとはいえない気候にある。
しかし、隠密という役割ゆえ、なるべく軽装でいなければならないのだ。

少しでも寒さを和らげようと、自分の身体を抱くようにして両腕をさする。
気休め程度かも知れない。しかし、やらないよりは少なくともましだった。

そうこうしているうちに、ネルは目的の場所にたどり着く。
そこには、ネルの身長と同じくらいはあろうと思われる、文字の刻まれた岩、それに、束ねられた花束。
ネルは、そこにそっと身をかがめると、俯き、瞳を閉じた。

(受け入れなければならない、だが・・・)

隠密である以上、非情でなければならない。
たとえ、仲間の命が失われてしまっても、感情に流されるようなことがあってはならない。
そうすることで、より多くの命が失われかねないから。

それが、彼女の受けてきた隠密としての教育だった。

しかし、そうは言ってもやはり彼女も、感情を完全に押し殺すことなどできはしない。
仲間の前では気丈に振舞っていても、やはり人並みの悲しみや怒りはある。
それを、決して表に出すことはない、それは彼女の強さであり、決意でもあった。

(今の私に出来ることは、このくらいなんだ・・・)

失った仲間達に対する無念は、決して晴れることがなかった。
いつまでも、心の奥底で、自分の力のなさを悔やんでいる。
しかし、後ろ向きになるばかりではいけないと、自分を叱咤し続けてきた。
そして、今自分に出来る事をする、それが彼女の今の信念なのだ。
今彼女に出来ること、それは失った仲間を忘れず、祈ること。そして、
仲間の無念を晴らすために、自分が戦い続けること、その二つといえるだろう。

「さて、そろそろ戻るとしようか・・・」

まぶたを持ち上げ、視界を取り戻す。
いつものように、お祈りは済ませた。きっと、この祈りは届くはず。
すっと腰を上げ、腰に手をあて、ため息を一つ。

「それで、何か用があるってのかい?殺気だってるみたいだけど」

背後に向けて、一声放つ。
それは独り言なんかではない。彼女は感じ取っていたのだ。
あからさまに、先ほどから彼女に向けられている殺気を。

「フン、さすがに鋭いじゃねえか。クソ虫も、伊達に隠密やっちゃいねえな」

「黙りな、初めから隠すつもりなんかなかったんだろ?いい加減、姿見せたらどうなんだい?」

ネルは振り返る。そして、月明かりをバックに、その姿を捉えた。
嫌というほど、その顔は何度も見てきた。そして、今も。
ネルの目の色が変わる。それは、普段彼女が見せるそれではなく、敵にだけ向けられる色。

敵は、最早隠れる意味をなくしたからだろうか、遮蔽物のない路地に佇んでいる。
不敵な笑みをこぼしながら、その右手には、抜き身の刀がしっかりと握られている。
クリムゾン・ブレイド。ネルも、その名前は良く知っている。
アーリグリフが誇る、国随一の名刀だとか。

「やる気満々ってことかい、用心して武器を持ってきておいて正解だったよ」

ネルは姿勢を低く取ると、腰に備えてあった短刀を引き抜く。
夜とはいえ、この街も完全に安全とはいえない。護身用に持ち歩いていた。
まさか、こんな形で役に立つとは思ってもいなかったが。

「どういうつもりだい?戦争は対面上終わった、アーリグリフとシーハーツは争う意味をなくした。
 あんたと私だって、今は仲間だ、認めたくはないけどね。それとも、あんたは私に私怨があるってのかい?」

「フン、黙れ。俺は俺のやりたいようにやるだけだ。国など最早関係ないんだよ」

ネルの目の前の敵、アルベル=ノックス。
もとはアーリグリフの漆黒の隊長として働いていたのだが、今はフェイトたちと行動を共にしている。
フェイトたちはすでに、アルベルを仲間として受け入れているようであるが、
もともとは敵国の隊の隊長、しかも何度も自分の隊の隠密に対し、屈辱的な行為をしてきたアルベルを、
そう簡単に仲間として受け入れることは出来ず、初めは険悪な雰囲気を漂わせていた。

しかし、ここ最近になってようやく、両者の間のいがみ合いは薄れたといえる。
ようやく和解の兆しが見えてきた、ちょうどそんな状況の中で、今こうして対峙しているのである。

「俺には俺なりの考えがある、ただそれだけだ」

言って、アルベルはネルの目の前から消えた。
しかし、物理的に消えたわけではない。暗闇に乗じて、自分の脚力を生かし瞬時に
ネルの死角へと移動したのである。

「くっ・・・!」

ネルは風を読んだ。アルベルの移動によって、ほんのわずかに生じた風の動きを。
暗闇では、いくら隠密のネルとはいえど、俊足を誇るアルベルを完全に捉えられない。
普段は補助的な役割としてしか使用しない風読み、今ばかりは、最大の効果を生む。

(右か、左か・・・)

刹那、ネルの右半身に触れる空気がほんのわずかにぶれた。
それを感じ取ったネルは即座に左へと跳躍。
同時に、今まで自分がいた場所には、くっきりとアルベルの一閃が浮かび上がる。

「やるな・・・」

「私とてむざむざ殺されたりはしないさっ!!」

逆に、今度はネルから攻撃を仕掛けに行く。
抜き身の短刀を、アルベルに向けて投げ放つ。
もちろん、短刀には施術を施してあるから、必ず手元に戻ってくる。

アルベルは2つの短刀を、左手の鉄甲で軽々と弾き飛ばす。
ネルも当然わかっていた、あの程度の投剣術では、アルベルに傷はつけられない。
本来の目的は、別にある。

(今だ・・・!!)

一瞬だけ生まれたアルベルの隙を、ネルは決して見逃さなかった。
地をけり、一気にアルベルとの距離を詰め、肉弾戦に持ち込む。
近距離では、決してネルに分があるとはいえない。
肉体的な差はもちろん、アルベルの攻撃手段を考えれば、刀と鉄甲、明らかに近距離用だ。
だが、視界の悪さを考慮すれば、遠距離からの奇襲に比べれば確実な策といえる。

ネルはアルベルとの距離を十分に縮めたのち、すぐさま肘鉄を繰り出す。
それがアルベルの身体に触れるか触れないか、というところで、不意にその気配が消える。

(な、ばかな・・・今まで、目の前にいたのに・・・!!)

「後ろだ、阿呆」

声に反応する間も無く、ネルの背中に強烈な衝撃が走る。
そのままネルは吹き飛ばされ、最寄の木に激突。さらに鈍痛がびりびりと身体を駆け巡る。

「隙だらけの貴様を斬るなんてことは容易いんだよ。俺が本気で斬る気だったら、死んでいたところだな」

「くっ・・・みねうちか、あんたが敵に容赦するなんて、どういう風の吹き回しだい?」

立ち上がりざまに、ネルはアルベルに問う。
同時に右腕に鈍痛が走る。とっさに抑えるが、どうやら骨には異常はないらしい。

「あんた、私を殺す気なんだろう?だったら、なぜ本気でかかってこない!?」

みねうちをされたことで気づいた、というわけではない。
アルベルの本気、それはネル自身も、どれだけ恐ろしいものかをよく把握している。
しかも、背後に回りこんでおいて、声を出して少なからず自分の位置を知らせるなど、ありえない話だ。

「フン、いつまでもお仲間ごっこして楽しんでいる貴様を斬る、そんなことで俺が本気を出すと思ったか?」

「・・・どういう意味だい?」

アルベルの言葉は挑発だ、そうわかりきっているのに。

「甘いんだよ。貴様それでも隠密か?いつまでも、死んだ連中のことをぐだぐだ悩んでんじゃねえ。
 気にいらねえ、そんな甘ちゃんに、俺が牙を剥かれるっていうのが、納得いかねえな」

「なんだって・・・!?私が何を考えていようと、あんたには関係ないだろう!?」

「貴様が何を考えているかなんか知ったことじゃねえ。だがな、
 そんな中途半端な気持ちで俺にたてつこうなんてのが甘いっつってんだ。
 今の貴様を、俺が斬る、本気を出すまでもねえな」

「くっ・・・言わせておけばっ!!」

庇っていた右腕のことも忘れ、ネルは短刀を構えてアルベルに突撃する。
しかし、怒りでわれを失っているネルの攻撃をかわすことなど、アルベルには容易かった。
そして、ネルはすでに虚空と化した空間に向けて短刀を振るうだけ。
同時に、ネルに二度目となる強力なみねうちが叩き込まれる。

攻撃を受けたのは、先ほど負傷した右腕。
あまりの痛みに、ネルは苦悶に呻き、その場に膝をついた。
そして、うずくまるネルの眼前に、アルベルの刀が突きつけられる。

「・・・終わりか?」

その言葉に、ネルは下方からアルベルを睨み返す。

「どうした、貴様の力はこんなものか?」

突きつけられた刀は、ぴくりとも動かない。
ネルは、身動きを完全に封じされたまま、そして何も言葉を返せないまま、
ただアルベルの言葉を聞き入れるだけだった。

「無様なものだな、俺は少なくとも、貴様を評価していたが。この程度だったとはな」

「なんだって・・・?」

ようやく言葉を返したネルだったが、アルベルの真意が読み取れずに表情を濁した。

「非情なる隠密、感情を捨てた兵が、どれだけの力を持つのか俺は知っている。だが、今の貴様は、人間の死を受け入れきれず、
 ただ苦悩しているだけだ。迷い、そして自らを乱す。貴様の迷いの剣など、恐るるに足らんな」

「ふざけるなっ!!あんたに、あんたに何がわかるっていうんだい!!
 仲間を失って、それでも非情でいろだって・・・?普通の人間には、そんなことできやしないよ、
 そう、普通の人間にはね。あんたが普通じゃないだけだろう!!」

「・・・・・・」

「私は、とにかく早く戦争が終わることだけを願った。でも、そのためには、より多くの犠牲が必要になるんだ。
 割り切ろうとしても、出来るものか・・・私は、仲間の命を奪った連中を許さない、戦争を許さない、だけど
 同時に、自分自身だって許せないんだ!!仲間を守ることが出来なかった、自分自身がっ!!」

叫んでいた、無意識に。
八つ当たりなのかもしれない。相手が誰でもよかった。
ただ、自分ひとりの胸のうちに秘めておくには、重すぎることで。

「あんたには、わからないだろうね―――」

「何を根拠に、そんなこと言ってやがる、阿呆が」

言って、アルベルは刀を鞘に収める。

「俺たちは確かに、常に戦場で戦い続けてきた。そして、どんだけの連中を斬ってきたかもわからねえ。
 だが、同時に俺たちの仲間も、どんだけ死んだかなんてわかるはずもねえ。それを、貴様は俺が全く
 感傷することもなく、軽々と受け流しているように見えるらしいが・・・」

アルベルは、ネルに背を向ける。
それは、ネルにもはっきりと読み取れるほどの、戦意の喪失。

「俺は仲間の死は絶対に忘れねえ。だが、それに縛られてちゃ、自分の力を落とすだけだ。
 だからこそ、俺は仲間の死を無駄にしないよう、戦い続ける。仇討ちとかそんな理由じゃねえ。
 死んだ連中の分も、俺が生きる、そして戦う」

「それじゃ、あんた・・・まさか・・・」

「勘違いするな、今の『俺たち』にとって、貴様がぐだぐだ悩んで迷って、
 全体の戦力が低下することなんざご法度なんだよ。
 あとは貴様自身で考えることだ、俺はこれ以上口出しはしねえ」

アルベルは、そのままネルの前から姿を消した。

勘違いするな、とアルベルが言っていたが、ネルはアルベルの真意をようやく読み取った。
アルベルは、戦うことで、直接刃を交えることで、ネルの迷いにネル自身が気づくよう促したのだ。
力の差はあるとはいえ、決して今回のように完敗することはない。
すなわち、ネルの心の迷いが、ネルの力を大きく縛り付けていたのだ。

戦争によって、ネルは多くの仲間を失った。
それは、運命と言えるほどにあっけない死でもあり、また隊長であるネルも、責任を感じていた。
こんなにも簡単に、多くの命が失われてしまう。
隠密として非情になろうとしても、決してなりきれない部分があった。

ネル自身も、気づいていなかったわけではない。
自分の刀に、迷いがあることくらい、戦っていればわかる。
だが、どうしても、それを振り払うことが出来ないでいた。

(まさか、あんたに励まされるなんてね・・・)

予想もしていなかった。
単に、アルベルは自分の命を狙うために、夜になって仕掛けてきたのだと、そう思い込んでいた。

しかし、現実は全く逆で。
そもそも、ネルの命を狙う理由が、アルベルには存在しなかった。
個人的な恨みがあるのはむしろネルのほうで、しかしそれも、だんだんと緩和されつつある。
完全に認めたわけではないにしろ・・・。

(あんたの、言うとおりだね)

死んだ仲間を、忘れずにいるということ。
その行為自体は、なんら問題はない。
だが、それをいつまでも引きずっているのでは、仲間にも迷惑がかかる。
それを、アルベルが諭してくれた。同じ立場の人間として。





―――次の日





アリアスの空は今日も晴天だった。
澄み渡る空に、雲ひとつない。

「さて、みんな準備は出来た?出発しようか」

フェイトの一声で、皆そろって歩み始めた。
そんな中で、アルベルとネルだけは、まだその場にたたずんでいた。

「迷いは、払えたみたいだな」

一瞥し、ネルに向けてつぶやく。

「昨日は、すまなかったね。一応、礼は言っておくよ、でも」

「何だ」

「あんたを、完全に認めたわけじゃないから、その点勘違いしないでほしいね」

「・・・フン」

鼻をならし、アルベルはネルと視線をはずす。

「おーい、二人とも、何やってるんだー」

遠くから、フェイトの呼ぶ声が聞こえる。
今行く、と一声叫び、ネルはメンバーのもとへ駆け出した。
そのあとを、あくまでゆっくりと、歩いてアルベルが続く。

こうして、ほんのわずかではあったが、パーティー内の一つのわだかまりが、消えつつあった。





The End...