84、傷痕




「うわあぁぁぁ!!!」

叫ばずにはいられなかった。
荒い息を整えつつ、そこが自分たちの宿泊しているホテルだと気づく。
激しく乱れたベッド。先ほど自分が叫んだ拍子にこうなってしまったのだろう。

「はぁ、はぁ・・・また、あの夢か・・・」

今までに何度この悪夢を見せられ続けたのだろうか。
決して消えることのない傷痕。いつまでも、心を蝕み続けている。





ほんの少しでも、心が休まるようにと、彼女が考えてくれた旅行。
いつも彼女は、自分のことを第一に考えていてくれる。
しかし、そんな彼女がいるにも関らず、いつまでも自分の心の傷は癒えない。
いつまでも過去を引きずる自分が情けないとは思っていても。
それはどうしても、「引きずるべき」過去のようにも思えてくる。
決して忘れてはいけない過去の刻印。自らの罪の象徴。

失ったものの大きさは、失って初めてその大きさに気づくものだという。
確かに、こんなにも、失った人のことを想うとは、考えてもみなかった。
失ってから気づいたところで遅すぎる。

「風に当たるか・・・少し、気分が悪いし」

嫌な汗をかいてしまった。こういうときは、少しでも風に当たるほうがいい。
首を少し横に振ると、青年は自分の蒼髪をクシャっとむしるようにかきあげた。
そして、あまり物音を立てぬよう、そっと寝室から出て行った。





「涼しいな・・・」

夏が終わりかけていることもあり、夜風は思った以上に冷たかった。
だが、それがむしろ青年のあらぶる心を静めるにはちょうどよかった。
この冷たい夜風が、すべてを洗い流してくれればどれだけ楽だろうか。

「ダメだ、こんな甘えは許されちゃいけない」

過去を、何か媒介を用いて払拭するなど、自分への甘えに他ならない。
この罪は、絶対に忘れてはならない。刻み込まれた刻印は、永遠。

結局、この旅行に来たからといって、何が変わるわけでもない。
気休め程度に、彼女と会話しているときだけは、ほんの一瞬それを忘れていられる。
だが、連日続く悪夢が消えることなどなく。
いつものとおり、こうして夜な夜な外に出ては、過去の傷をえぐり返す。

義務感からか、責任感からか。
こうして罪に縛り付けられていること自体、何の解決になるわけでもない。
そうすることで、罪が少しでも軽くなるというなら、それでかまわない。
が、決してそんなことはない。罪は、犯された時点でその重さが決められる。
後の反省だとか、後悔だとか、そういったもので軽減されるものではない。
それがわかっていながら、なぜここまで、背負い続けているのか。

もはや彼自身でもわからなくなっていた。
しかし、こうまで連日悪夢としてよみがえるあの光景は、忘れたくとも忘れられない。
痛いほどに、心を鞭で打たれるかのように、彼を苦しめていく。

(あのとき、僕が引き止めていれば、こんなことには・・・)

結果論だけを考えることは無意味。だが、結果として生まれている以上、それを考えずにはいられない。
自分も、あのとき彼女を行かせたことに後悔はなかった。それが彼女が決めた道なのだから。
だが、もしも、もしもあのとき、一言でも声をかけられたなら。
「もしも」という仮定、現実に反する仮定をどれほどの間考え続けたことだろう。
たった、たった一言を言えなかった。簡単な一言を。





「私には、まだやらなければならないことがあるのよ」

すべてが終わった。そう思い、みなが歓喜に浮かれているころ。
彼は、彼女からそんな言葉を聞かされたのだった。

「そうなのかい?てっきりこのままクオークは解散するものだと思ってたけど・・・」

「クオークは一応解散という形を取るわ。でも、私の個人的な問題としてやり残したことがあるの」

そういって、長い蒼髪を少し邪魔げに払いながら、彼女は再びデスクに向かう。
ディプロ艦内。彼女が長年使い続けてきた部屋。いつもきれいに片付いている。
彼は何度か、ここで彼女と話す機会があった。個人的な話ももちろんある。

「マリア、それは、僕に手伝えるようなことなのかな?そうなら、是非僕も―――」

「気持ちだけ受け取っておくわ。フェイト、あなたには色々助けてもらった。でも、今回は、私が1人で行く必要があるのよ」

拒絶、というわけではないだろう。あくまで、彼女が1人ですべきことであるというだけ。
それでも、彼―フェイトは、どこか気持ちが晴れなかった。

旅をしている間に知り合った、自分と同じ力を持つ少女、マリア。
自分の力の正体を聞かされ、その力を生み出したのが自分の両親だと知った。
マリアは、自らの力を呪っていると言う。が、フェイトはそれを前向きに捉えていた。
自分にこの力があるなら、この力を使えるのも自分だけ、世界を救うのも、自分。
そうして、彼は、仲間とともに、自らの役割をきちんと遂行した。

いつでも、マリアがそばにいた。
いつしか、フェイトは彼女に惹かれていた。
いつでも、視界には彼女がいた。

すでに、気持ちは一つだった。自分は、彼女が好きだ、と。
だが、それを言葉にするのが怖かった。この自然な関係が崩れてしまうのが、恐ろしかった。

「そうか・・・それじゃ、僕は地球に残ることにするよ。あ、あのさ・・・」

「なに?」

口ごもるフェイトを、マリアは怪訝そうに見つめる。
わかっている、ここで言うことが出来なければ、チャンスはないと。

「い、いや、なんでもない。それじゃ、また」

しかし、言えなかった。勇気のない自分を呪う。
そのまま、そそくさとマリアに背を向け、部屋を出て行ってしまった。
部屋を出てからも、自分の頭の中で、自分に向けて罵声を浴びせ続けた。

次の日、マリアは旅立った。
はるかなる空の海へ。

それから、数日も経たないうちに、ある連絡がフェイトの家に届く。



―――ディプロ、第7星雲にて、信号停止。乗組員消息を絶つ―――





あの時、ただ一言、想いを告げることが出来たなら。
そして、地球にとどめさせることが出来たなら。そうでなくとも、共に行くことが出来たなら。
未来は、どのように変わっていたのかわからない。
たった一言が、大きな一つの命の有無へと変化してしまった。

(僕のせいだ・・・マリア、ごめん)

何度謝ったことだろう。それで気持ちが届くなら、いくらでも謝り続ける。
どうしても、最後に想いを伝えたかった。謝りたかった。



「フェイト、ここにいたんだ」

背後から、聞きなれた声がする。
振り返れば、パジャマ姿のまま屋上へと上ってきた幼馴染の姿。

「ソフィア、どうしたんだよ・・・そんな格好じゃ、風邪引くだろ」

フェイトはそういって、自分の着ていたガウンを幼馴染、ソフィアへとかけてやる。
ありがとう、と小さく微笑みながら、ソフィアは応える。

「目を覚ましたらフェイトがいないんだもん。心配しちゃった」

そうか、勝手に部屋を出てきてしまったのだ、自分は。
いらぬ心配をかけてしまったことを後悔しつつ、フェイトはソフィアに背を向ける。

「・・・あのこと、考えてたんでしょ」

背中越しに聞こえる、ソフィアのつぶやき。
問いかけとも確信ともつかない投げかけ。フェイトは答えない。

「フェイトの所為なんかじゃないよ、だって、事故だったんでしょ?それに、マリアさんはまだ―――」

「いいんだ、ソフィア」

ソフィアの言葉をさえぎるように、フェイトは言った。
でも、と言いかけたソフィアに、フェイトは振り返り、続ける。

「お前が僕を気遣ってくれているのはよくわかる。だけど、これは僕の問題なんだ」

「そんな、言い方って・・・」

「だってそうだろう?僕は、好きな人一人さえ守れない人間、ただそれだけのことじゃないか」

お前には、関係ない。そう付け加えて、再びフェイトはソフィアに背を向ける。
今は、1人でこの空を見上げていたい。この空のどこかに眠る、マリアの姿を見つめながら。

「・・・だったら、私は」

つぶやき、ソフィアはフェイトを背中越しに抱きしめる。
ソフィアのほうが身体が小さい分、しがみつくような形になってしまっているが。
それでも、彼女なりに精一杯、フェイトを力強く抱きしめた。

「私は、フェイトを守るよ。私は好きな人を守る。その気持ちがかなわなくてもいい。それでも私はフェイトを守りたい。希望を捨てないで欲しい。あきらめないで欲しい!」

「ソフィア・・・」

ごめん、とただ一言、背中越しにソフィアに告げる。
ソフィアが泣いているのはわかった。だからこそ、目を合わせることが出来なかった。
苦しんでいるのは、自分だけではなかった。
苦しんでいる自分をいつでも見守ってくれていたソフィア。その気持ちにも、気づくことが出来ずにいた。
その想いが、決してかなわないとわかっていても、いつでも自分のそばにいてくれた。
感謝とともに、申し訳なさが湧き上がってくる。
しばらくの間、フェイトは無言でソフィアに謝り続けた。



夜が明け、陽が煌びやかに昇る。
目を覚ましてしばらくもしないうちに、フェイトはおぼろげな視界を頼りに、ロビーへと下る。

ロビーには、朝食を求める人々が集まっている。
フェイトは朝食をとる気分にはなれなかった。
そもそも、何のためにロビーまで降りてきたのだろう。
理由はわからなかった。が、何故かそうしなければならない気がした。
何かが、自分を呼んでいる。そんな思いさえも感じたのだった。

ふと、ロビーに置かれた朝刊に目がつく。
いくつもの今朝のトピックが並ぶ。政治、経済、さまざまなジャンル。
そんな中、決して一面を飾っているわけでもない小さな記事に、フェイトは目を奪われた。
そして、次の瞬間、フェイトの頬を熱いものが伝った。



―――ディプロ乗組員、エリクール2号星にて全員の生存確認―――