87 儚い季節



風。
風が、吹いた。

それはどこまでもそよいで。
ふわりふわりと、幾つもの季節を運んでくれる。

花咲き乱れる春。
日差しが眩しい夏。
切なさが漂う秋。
全てが白い冬。

通り過ぎて、また繰り返す。
廻りゆく時。





あたしは、ずっと待ってる
その季節を越えて、アンタに会える100年後へと…










「100年かぁ…」

アーチェは薄紅の髪を風に遊ばせ、天を仰いだ。
どこまでも広がる高い空は、秋。
少しだけ冷たくて、この風はやがて来る冬を運んでくる。


あれから、どれくらいたったのだろうか。
ともに戦った仲間たちと、好きになった人と別れてから…どれくらいたったのだろうか。

「…まだアイツは生まれてもいないのかな」

水色の髪の弓使い、チェスター。
彼のことを思い出しては、アーチェは悲しそうに微笑んだ。





別れのとき、交わした約束。
今でもはっきりと覚えている。

「100年後、必ず迎えに行く、だから忘れんなよ」

瞳を閉じれば、鮮明に蘇る。
真剣な眼差しを向けて、約束してくれた。
それがすごく嬉しかったのを覚えている。
そう、覚えている。





「…っ、でも、やっぱり寂しいよぉ」

自分の周りから、一人、また一人いなくなっていく。
それがとてつもなく苦しくて悲しかった。
アーチェは小さく嘆くと、歩き出す。

とある森へと…。





「…」

そこは、どれだけの時が経っても変わることなくアーチェを迎えてくれた。
凛と緑を誇っているのは、世界樹。
見上げるほどの、大樹。

アーチェは、その幹に触れた。
この樹にずっと見守られて生きてきたんだと、実感する一瞬。
そして、さまざまな思い出が蘇る。

母が出て行ったときのこと。
リアが死んだときのこと。
そして彼女に身体を貸したときのこと。
クレスたちに出逢ったこと。
時を越えたこと。
チェスターに出逢ったこと。
たくさん、たくさんの思い出。

いつの日も、季節は巡って。

「ここに来るとね…なんだかよくわからないけど、落ち着くんだ」

大樹の幹に身体を預けて、アーチェは呟く。
さっきまで波打ってた心も、穏やかになった。

どうしてかな?

「なんとなく、アイツがいてくれるような気がするんだ」

ほら、呼んでる。
そんな気がして仕方なかった。
ここにくれば、会えるような気がした。

会えるはずなんてない。
だけど、ここにはチェスターとの思い出が詰まっていて…。

「…バカみたい」

寂しくなって、いつもここに来るアーチェ。
それがすごく惨めに思えた。
解決することなんてひとつもなくて。

ただ、安心できる。
それだけの理由でここに来た。

「…」

涙が、頬を伝う。

『泣かないで』

「…!?」

突然降ってきた声に、アーチェは顔を上げる。
ここには、自分ひとりしかいないはずだ。
一体誰が…。

『泣かないで』

再び。
声がする方へとアーチェは目を向けた。
そこには…。

「…マーテル」

女神マーテル。
この世界樹の守り神。
マナ。

彼女は、神秘的な空気を纏い世界樹の一本の枝へと身を預けていた。

『せっかくの可愛い顔が台無しですわ』

ふんわりとマーテルは微笑んだ。
全てを癒してくれるような笑顔で。

「でもっ」

『ここに、あなたとあなたの好きな人との思い出が詰まってることくらい知っています』

マーテルは愛しそうに幹を撫でては、歌うように言葉を並べた。
緑の葉は、少しずつ色を変えていっている。
秋の装いへと。

「…」

『だから、ちゃんと守ってあげなくちゃって』

「マーテル…」

『私、間違ってないと思いますけど』

ふわり。
萌ゆる緑の髪を揺らし、マーテルはアーチェの元へと舞い降りる。
女神が、地へと降り立つのはこれが初めてかもしれない。

「それは、そうだけど…」

アーチェは少し圧倒されながらも、悲しみはまだこの胸にあった。

『だから、いっしょにこの樹を守ってほしいのです
 ここであなたの大切な人を、私と一緒に待ちながら…』

一人で待っているなんて、寂しいから。
少しでも、待っている間気がまぎれるのなら。
全てを知っている女神とともに、この樹を守りながら待つ。
それも悪くはない。

この樹は、世界にとって大切なものでもあり、アーチェにとっても大切なものだから。

「アイツを、待つ…」

ケンカは絶えることなかった。
だけど、それはそれで楽しかった。
本気で言い合って、本気で笑いあって。
同じ時を過ごしていた。
チェスターと。
それが嬉しかった。

その思い出があるからこそ、待てるはず。

「マーテル…うん、待つよ
 アイツとの約束もあるし…世界樹を守りながら」

100年。
もうどれくらい過ぎただろうか。
まだ、30年とちょっとくらい。

それでもあと70年ある。
でも、約束だから。

この季節が過ぎて、また巡り来る季節を越えて。
いつか会うその日まで。

『きっと、彼も喜ぶわ』

それだけを言い残すと、マーテルは消えた。
ほんの一瞬の出来事で、全てはこの風が運んできたような…。

儚く通り過ぎてゆくだけ。

「喜ぶ、かぁ…ありがとう」

世界樹に語りかけると、アーチェは真紅の瞳を細めた。
木漏れ日が優しく降り注ぐ、そこは世界の袂。

「チェスター…あたしは、ここにいるから」

いつか出逢うその日まで、待っている。
約束だから。
遠いその日を待ちわびて…。

その日まで、たくさんの季節とこの樹と過ごそう。
時は必ず巡り、運んでくれるはずだから。

未来を。
未来へと、届くように。





届くように。





ここで、世界を見守り続けるから。










Fin