88 他愛のない喧嘩

「出かけるって、どこに?」

かかってきた電話。
その聞き覚えのある声は、どこか嬉しげな、いつもと違う雰囲気に包まれていた。

「どこでもいいでしょ!出かけるって言ったら出かけるのっ!!」

勢いで全てをまとめようとする、それが彼女の癖でもある。
どうにもならない議論ならば、自分が都合のいいようにまとめてしまう。
自分だけが都合がいい、というわけではないにしろ、その強引さは、いつも青年の心を悩ませていた。

「まぁ、僕も明日は暇だからいいけど・・・何か買いたいものがあるのか?」

「べ、別にないけど・・・」

「だったら、何でわざわざ」

青年の鈍さは、相変わらず変わっていなかった。
そんな青年の性格も、少女の心を悩ませている。
つまり、どっちもどっちということで、お互いがお互いの欠点なり性格を危惧している。

「だ、だから・・・もういいってば!私はフェイトと出かけたいの!!」

「いやだから、勝手に納得されても困るって」

「フェイトのバカ!!明日絶対遅れないでよね!遅れたら、お昼おごらせるから!!」

ブツッ

相当勢いよく、ボタンを押したらしい。
携帯の電話で、よくもそこまで勢いよく通話を切れるものだと、半ば諦めの青年。

はぁ、と小さくため息をつき、フェイトと呼ばれた青年はソファーにどっと腰を下ろす。
電話一本でここまで疲れるのは、多分知り合いの中では彼女だけだろう。

「ソフィアのやつ、喜んだり怒ったり、忙しいな・・・」

なにがそんなに楽しいんだろう、と1人疑問にふける。
答えは導き出せなかった。彼の鈍さは、一体どこまで奥深く根付いているのだろうか。




地球は、いたって平和を保っていた。
あれほどの、地球どころか宇宙そのもの、世界そのものを崩壊しかねない戦いがあったにも関わらず、今はこんなにも、まるで平和という言葉をそのまま象徴したかのような姿をしている。
人々の心に刻まれた傷も、徐々に癒えていこうとしている。

「僕の力も、もう必要なくなって・・・消えていこうとしてるんだ」

何かが、フェイトの体の中からなくなっていく感覚があった。
世界を救うために開発された力、紋章遺伝子。
その力も、今の世界では不要な産物。消え行く運命にある。

(この力があることによって、他の人とは違うという視線を受ける。父さん達は、それを気にして・・・)

いつしか終わる戦い、それと同時に消え行く力。
フェイトの父、ロキシも、その戦いの終焉と共に、不要になった力を抹消するという選択をした。
生涯、フェイトやソフィア、同じく紋章遺伝子操作を受けたマリア=トレイターが生きていく中で、
それがどんな弊害をもたらすのか、実際のところ全く闇に包まれているという部分がある。
何もかもが、元に戻っていく中で、フェイトたちも、元に戻るべきだった。

「今さら考えたところで、しょうがないよな。そんなことよりも、明日に備えて寝ておかないと」

時計を見れば、すでに23時を回っていた。
待ち合わせは10時。寝過ごすことはなさそうだが、万が一ということも有りうる。
しかも、ソフィアとの待ち合わせに遅れたとなれば、どんな仕打ちがくるかもわからない。

「別に、昼食くらい、もともとおごってやるつもりだったけど」

フェイトにとっては、ソフィアは妹的存在。
その枠から、上にも下にも、抜けることはなかった。
兄としての威厳などという格好の良いものではないが、それでも体裁を気にすれば、
食事程度で割り勘などというセコイ考え方もどうかと思える。

「まぁ、久しぶりに出かけるんだし、何か買ってやるのもいいかな」

考えながら、電灯を消した。
眠れば、また朝が来る。そうすれば、また新しい1日が始まる。
平和で、穏やかな、何もかもが静かで、快い1日が。





「おそーい!!」

待ち合わせ場所に着くなり、飛んできた言葉がそれだった。
ソフィアは待ち合わせ場所で、腰に手を当ててフェイトを睨みつけている。

「遅いって、お前・・・」

時計を見る。9時50分。電波時計だから、狂う余地がない。

「一体、いつから待ってたんだよ」

「えっと、今から20分前くらいかな?」

9時50分の20分前、つまり、9時30分。
10時の待ち合わせに、30分も早く見積もりをしていたらしい。

「お前なぁ・・・いくらなんでも、30分前に来ておいて、10分前に来た僕に遅い、はないだろ?」

「だって、私より遅かったのは事実でしょ」

得意げに、さも自分が正しいかのように話すソフィア。
フェイトは結局のところ、自分が折れるしかないと悟り、ため息を1つ。

「わかったよ・・・遅れてゴメン、これでいい?」

「うん、いいよ!それじゃ、いこっか〜」

こんな風に、すぐさま表情を変えるソフィアを見て、フェイトは思う。

(こいつ、前世は絶対猫だな)





どうやら、フェイトの予想は強ち間違っていないのかもしれない。
このあたりで一番大きなショッピングセンターに立ち寄って、ソフィアの新しい服などを
見ているとき、ちょっとでも目を逸らすようなことがあれば、涙目になりながら、

「フェイトは、私のことなんか、どうでもいいっていうんだ〜・・・」

と、泣き落としで攻めてくる。
そこでフェイトが一言謝るものなら、さっきの物憂げな表情はどこへやら、一変して
笑顔へと変化する。まさに、変幻自在の表情を持った百面相。

結局、散々見て回った結果、買った服は2着のみだった。
どこか春らしさを感じさせる、水色を基調にしたワンピースと、
いつ来るともわからない夏に控えて、やや露出度の高いピンクのタンクトップ。
どちらも、決して高いものではない。ソフィアの小遣い程度で買えてしまうようなもの。
それでも、ソフィアは相当上機嫌だった。どんなブランド物を買ってもらうよりも。

「フェイトに選んだものだもん、嬉しいに決まってるよ〜」

と、フェイトの腕にしがみ付いては笑顔をこぼす。

「おい、あんまりくっつくなよ、歩きづらいだろ」

「あ〜、フェイトったら照れてるんだ〜」

「ち、違・・・なに言い出すんだよお前」

いいじゃない、と満面の笑みで、ソフィアはフェイトの腕を、更に強く自分の方へと引き寄せた。
それからしばらくの間は、その体勢のまま歩き続けたが、結局どちらも周りの視線が気にあるということにいい加減気づき、ある程度距離をとって歩くようになっていた。





「ちょっと、そこの喫茶店でも入らないか?」

歩きつかれた、そしてただ単純にのどを潤したかったという理由で、
フェイトはソフィアを、すぐ近くの喫茶店へと促した。

日は既に沈みかけ、あたりは朱に染まり始めている。
町を歩く人の数も徐々に減り始め、1日の終焉は、刻一刻と迫ろうとしている。

「こんな時間に女の子を誘って、どうするつもり〜?」

「ただの喫茶店で何言ってるんだ、ほら、いくぞ」

前かがみになりながら表情を伺おうとするソフィアを、フェイトはその腕を掴んで半ば強引に喫茶店へと引き入れた。嫌がるようなそぶりを見せつつも、ソフィアの表情は明るかった。





「さてと、ソフィア、何のむ?」

「え〜っと・・・」

メニューをじっと見ながら、ソフィアはかなり真剣に考え込んでいる。
そんなに飲み物で悩むなよ、と、フェイトもその視線の先にあるものを見つめた。

「お前、まさかそれ頼む気じゃないだろうな・・・?」

フェイトの表情は、何か現実味のないものを見たように凍り付いていた。
メニューの一覧に、一際大きく映し出されている写真。

『これであなたたちも結ばれる!新商品、デラックスツインサワー』

通常の10倍は入りそうなほどの大きさを持つ、巨大なワイングラスのような容器。
その中に、かなり派手さを誇張するように彩られたフルーツの数々。
そして極めつけは、その巨大なグラスに差し込まれた、2つのストロー。

「う〜ん、どうしようかな、値段も少し高いみたいだし・・・」

悩みどころはそこじゃないだろ、とつい突っ込みを入れたくなるのさえもはばかられた。
本気で頼むつもりだったのかと考えるだけで、フェイトの気が削がれて行く。
時間的に、ちょうど軽食を兼ねて入店する客が多い時間帯である。
今周りを見るだけでも、あいている席はちらほらと見えるだけで、ほとんどが埋まっている状態。
そんな状況下で、この恥ずかしさを象徴したようなドリンクを頼むというのか。

「お前何考えてるんだよ、もう少し状況を考えろよな」

「状況?私とフェイトが、これを飲む。間違ってないでしょ?」

確かにそうだ。前向きな姿勢は全くよろしい。
と、どこかで感心している自分がいるのを振り払い、フェイトは続ける。

「そういう問題じゃない。恥ずかしいにもほどがあるだろ」

「いいじゃない、誰も見てないよ。どうせ飲むのは私達だし」

だんだんと、2人の表情から笑顔が消えていく。
いつしか、その言い争いはお互いの気持ちを逆なでするものへと変わっていき―――。

「いい加減にしろよ!お前何考えてるんだよ!僕の気持ちも少しは考えてくれ!!」

「何よ!フェイトこそ、私の気持ちわかってなんかいないくせに、偉そうなこと言わないでよね!!」

テーブルを強く叩き、相手の顔を睨みつける。
今回は、どちらも引こうとはしなかった。どれだけ周りの客の目を集めようと、
今回ばかりは、何故かお互い、引くわけにはいかなかった。

「あぁわからないよ、お前の気持ちなんか、わかるはずもないだろ!そんなに僕を困らせて、何が楽しいんだよ!!」

「どうしてわかってくれないの!?フェイトのことこんなに好きなのに、大好きなのに・・・なんでわかってくれないのよ!!」

「わかるわけないだろ!!お前が僕のことが好きだなん・・・え?」

ふと、気づく。ソフィアの言葉に含まれていた単語。


―――フェイトのことこんなに好きなのに、大好きなのに・・・―――


「フェイトの、バカ・・・」

「あ、おい!!」

ソフィアはフェイトに背を向けて、そのまま走り出す。
喫茶店の入り口を抜け、そのまま太陽の沈んだ、闇深まる町へと溶け込んでいく。

フェイトは、何も注文をしていなかったことを逆に幸と思い、そのまま夜の街へと駆け出そうとした。

「きゃあっ!!」

ろくに前も見ずに走っていたため、水の入ったグラスをもったウエイトレスに正面から激突した。
が、そんなことにかまってはいられない。一瞥し、すみませんと言い残し、そのまま駆け出した。

どうしようもない焦燥感。
今までに感じたこともない感情。それが、一体どこから湧き上がってくるものなのか。
何気ない、他愛のない喧嘩のはずだったのに、どこで何が狂ってしまったのか。


―――フェイトのことこんなに好きなのに―――


「くそっ!!」

どうして、今まで気づいてやれなかったのか。
それらしい言動はいくつもあった。だが、それを自分は、どんな目でみていたのだろう。
うっとうしいとか、面倒だとか、そんな視線を送っていたのかもしれない。
他人の目ばかりを気にして、ソフィアのことを、ちっとも気にかけていなかったのかもしれない。

どれだけ、傷つけたことだろう。
どれだけ、泣かせたことだろう。

今さら悔いても、もう時間を戻すことなど出来ない。
今は、とにかくソフィアを追いかけることしか出来ない。
追いかけて、追いついて、それで何を言おう?
そんなことは決まっている。今の自分の気持ちを、ありのままにぶつければいい。





「ここにいたんだな・・・」

ソフィアの行きそうな場所は全て調べつくした。
が、町の中をどれだけ探そうと、その姿を見つけることは出来なかった。
残された最後の可能性、希望は薄いが、それでもそのわずかな可能性にかけたかった。

たどり着いたのは、なんの飾り気もない小さな公園。
子供用の滑り台、ブランコ、砂場などがあるだけ、あとは小さな電灯が1つ。
その電灯の下、1つだけ用意されたベンチの上に、ソフィアは小さくうずくまっていた。
律儀に靴を脱ぎ、両膝を立ててベンチに乗せ、その膝に自分の顔を埋めている。

「ソフィア・・・」

近寄って、声をかける。が、反応はない。
そっと、肩に手を触れる。小さな肩が、震えていた。

「泣いて、るのか?」

それでも、返事はなかった。

ソフィアが、喫茶店を飛び出してから、30分以上の時間が経過していた。
その間、ずっとソフィアは、こうしてベンチの上にうずくまったまま、泣き続けていたのか。
どうやら、泣きつかれて眠ってしまったようだ。ただでさえ、1日中歩き回ったのだから、疲れも出ているのだろう。

「フェイト・・・好きだよ、フェイト・・・」

寝言だろうか、何度もその言葉を繰り返す。
フェイトは、照れくささなんかよりも、申し訳なさと罪悪感に覆われていた。

「ゴメンな、ソフィア。ずっと、お前を独りにして。気づいてやれなくて、ゴメンな」

フェイトは、ソフィアを起こすことのないよう、ゆっくりとその身体を持ち上げた。
そして、ソフィアの両腕を上手く自分の肩から首に絡ませ、彼女の両足に自分の腕を絡め持ち上げた。

「どんなに謝っても、謝りきれないよ」

眠る姫君に、なんども謝罪の言葉をかける。
それが行き届いているのかどうかはわからない。それでも、口にしたい。

「僕も、好きだよ、ソフィア。ずっと、一緒だ。もう離れないから」

空を見上げた。満天の星空。何もかもを吸い込んでしまうような、深淵の闇に浮かぶ煌き。





明日は、晴れそうだ。そうしたら、またソフィアと出かけよう。
今度は、ちゃんとしたデートになるように。
今日みたいに、喧嘩別れなんかしないように、お互いのことを、もっとわかりあおう。
今まで見てきたソフィアではなく、これから見えてくるソフィアを、もっと大事にしていこう。