凄まじい内面への集中、迫真のバロック

神倉 健  

 ドイツの名門古楽オケ〈ラ・スタジョーネ〉のメンバーで,昨年のブルージュ古楽コンクールでは,日本人として史上3人目の第1位に輝いた俊英が,このほど受賞記念リサイタルを行った。評者は,松本と東京で行われた同一曲目による二回の公演を聴くことができた。プログラムには,先のコンクールの課題曲を含むドイツものを中心とする,比較的マニアックな曲目が並ぶ。ドイツで修業し活躍しているこの奏者にとって,こうした作品は馴染み深いものなのだろう。

 彼の演奏の背後には,対象となる作品の構造や語法に関する冷静で知的な洞察があり,それが引き締まった密度の濃い表現へと結晶化され,聴衆へ強靭なメッセージとして発せられる。冒頭を飾ったヘンデル晩年の傑作「ニ長調ソナタ」では,低音との間で奏される対位法的な掛け合いに行き届いた配慮を見せ,また動物の鳴き声などを模したユニークなビーバーの「描写的ソナタ」では,ラテン系奏者のやるような感覚的諧謔と一線を画した,音楽の自然な流れを損なうことのない節度ある弾きぶりが,それを裏づけている。幸い今回は共演者にも恵まれ,とりわけチェロの諸岡範澄とは,作品を新たな視点から捉え直し,未知なる魅力を引き出そうとする音楽への指向性が極めて近く,互いに意を同じくするもの同士の共鳴が,演奏の充実度をいっそう高めていたようだ。そのメリットは,唯一チェロのソロが登場するテレマンのトリオ・ソナタで,よく活かされていた。

 だが何といっても当夜の白眉は,最後に演奏されたコンクール課題曲,バッハの「無伴奏ソナタ3番」とヴィターリの「シャコンヌ」に尽きるだろう。秘められた熱いパトスと凄まじいまでの内面への集中力,それらを音化する卓越した技巧が融合し,高楊感に満ちた迫真の演奏が展開されたのだ。中でも,バッハの第2楽章における緻密な構築力,ヴィターリで聴かせた情念の多様さと凝縮された緊張感は,とりわけ印象に残る。この種の表現は,これまで日本の古楽奏者には聴かれなかったものではなかろうか。終演後,東京公演では,臨時席まで埋めつくした満員の客席から惜しみない喝采が送られたが,残念ながら松本は,会場が広すぎて精いっぱい弾き込んだ割に,聴衆への伝わり方がいまひとつだったようだ。しかし,いずれにしても来たるべき世紀を担う中心人物の一人として,これから目の離せない存在となることは間違いないだろう。

     4月1日 松本音楽文化ホール

     4月3日 ルーテル東京教会  

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