レコード芸術2008年6月号

今の社会に新たな命を吹き込みたい

 ヴァイオリニストの桐山建志氏に、お話をうかがった。場所は「音楽之友社」の会議室。仕事に向かう途上というのに、氏は急ぐことなく、我々の質問に一つ一つ、丁寧に応じてくれた。以下のインタヴューはその時のものである。

バロック・ピッチに慣れるまで1年ほど

 「ピリオド楽器」を演奏されるようになったきっかけは、どのようなものだったのでしよう。

桐山 実は普通の人と、ちょっと違うのです。私は絶対音感があるので、バロック・ピッチというものに耳が慣れなくて、自分にはできないと思っていました。それがある時、小林道夫先生からお仕事をいただきまして、ピッチが415だったんです[注記:モダン楽器では440ヘルツが標準とされている]。先生が半音移調してくださるとおっしゃるんですが、それでは申し訳ないと思い、「私が下がります」と言いました。1年ぐらいかかりましたかね。そのプログラムだけを練習して。だんだんそのピッチでも弾けるようになると、弦のテンションが下がる分、バランスのとりやすさが全然違っていたんです。モダンの弦でも、ちよっと下げたら音色が変わったんですよ。それならバロックの弓を使ったらどうなるんだろう、ガット弦を使ったらどうなるんだろう、と思うようになりまして……。

オーセンティックにこだわりはありません

 では、演奏活動を始めてから、次第に実験するようになっていったんですね。最初から、音楽学的に「オーセンティック」なものを演奏しようという意識があったのかと思ったのですが、そうでもなかったということなのでしようか。

桐山 最初は(そういう意識は)なかったですね。自分はモダン弾きだと思っていたので、モダンでバッハを演奏するときに、バロックの楽器から何か学べることはないだろうかというスタンスでした。そのうち〈古楽〉コンクールで優勝してしまい、そうも言っていられなくって。バロックもちゃんと演奏していかなきゃいけないと考えるようになりました。

 突然というよりは、少しずつの変化だったんですね。

桐山 いろんなことに興味があるんです。こうやったらどうなるんだろうと。世間で言う「オーセンティック」にこだわりはありません。それを言ったら、当時の演奏会場でやっているわけではないし、客が馬車で来ているわけでもない。もし可能だったとしても、それを再現することにどれだけの意味があるのだろうと思います。昔はどういう約束事、どういうスタイルがあったのかを知ることは、大事ですが、それをそのまま復元するのではなく、今現在の社会に新たな命を吹き込むようなかたちにしたいのです。「古楽」って字が悪いですよね。音楽は古いものではなく、絶えず新しく生み出されているものだと思います。そうじゃなけれぱ、意味がないでしよう。

 つまり、今日の聴衆のために演奏をしなければならないということですね。ところで、昔の約束事といっても、資料には限りがありますね。演奏家の立場からすると、最終的に分からない事柄は、すごく多いと私は思うのですが、桐山さんは、ご自分の演奏について、どういうときに「この方向でいい」と思われるのでしよう。

桐山 (少し考えてから)一つには、お客さんの反応ですね。一人でも自分の演奏を聴いてくれて、よかったと思ってくれれば、それは自分が演奏した価値があるということです。あとは、言葉が悪いけれども、自己満足と言うか、自分の達成感。それと、演奏している時にその曲がすごい、すばらしいと感じられるということでしようか。

 そうすると結局のところ、学問的な「オーセンティシティ」というよりは、ピリオド楽器を使っている人でも、そうでない人でも、演奏家なら誰しも持っているような判断基準が決め手になるわけですね。

桐山 そういうことです。自分にとってはモダンかピリオドかというのは、そんなに大きな問題ではありません。それを使って、どういう音楽をするか、どういう表現をするのかということの方が大事だと思っています。

モダンでもバロックでもどっちでもいい

 楽譜に書かれていないような演奏の伝承については、どうお考えなのでしょう。例えば初期SP録音の演奏はお聴きになりますか。

桐山 (バロックの演奏習慣と)全くの別物とは思っていません。古い録音を聴いてみると、例えばヴィブラートが少ない。その頃までこうだったのか、と分かります。ただ、その時代とバロックでは、まだ200年もの時間の開きがあります。あとは自分の想像力で埋め合わせていくしかありません。

 20年ほど前、ホグウッドやピノックが出てきた頃は、「記憶喪失」がもてはやされていたように思います。「古楽演奏」と言えぱ、「モダン」といかに違う演奏をするか、ということばかり注目されて……。

桐山 今彼らの演奏を聴くと、まさにそこが耳につくのです。考えたあげく、結果的に違う演奏になったというのではなく、違いばかりが強調されているんですよね。(カール・)リヒターのように、バッハの様式からするとこれはどうかというところはあっても、すごいと思える演奏は、モダンな演奏にもあるじゃないですか。そういうものの方が音楽にとって大事ではないかと思うのです。

 かつては対抗的な音楽文化だった古楽演奏においても、今では違うことが求められるようになった、ということなのかもしれませんね。桐山さんは、これから先、古楽演奏はどうなっていくとお考えですか。

桐山 願望を言わせてもらうと、「バロック・ヴァイオリン」から「バロック」という文字が消えてくれればと思っています。楽器は「モダン」でも、「バロック」でも、どっちでもいい。そんなことより、どんな演奏をするかを聴こう。そんな空気が出来ていけばと思うのです。もちろん、楽器についていろいろと知っていることは重要ですが、クラシック音楽の世界ってせまいじゃないですか(笑)。それをわざわざ二つに分けなくてもいいんじゃないか、って気がするんです。

 なるほど、分かりました。本日はどうもありがとうございました。

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