レコード芸術2019年8月号

 桐山建志は1999年のブルージュ国際古楽コンクールのソロ部門に優勝して世界的に注目されたが、その後はモダン、バロック双方のヴァイオリンで活発な演奏および教育活動を行なってきた。録音も積極的でコジマ録音から数多くCDをリリース。とりわけ、ドイツ系のロマン派近代やバッハの解釈に定評がある。そんなバロックとモダンの名手に、バッハをはじめとする無伴奏ヴァイオリンの魅力を語っていただいた。

 --- ここ10年くらいでしょぅか、無伴奏ヴァィオリンのリサイタルが盛んに行なわれるようになりました。桐山さんもよくなさっていますね。

桐山 ええ。僕の場合、たいていコンサートの前半をピリオド楽器でバロック、後半はモダン楽器で近代ですね。一度に両方の楽器が聴けるから皆さん喜ばれます。無伴奏の醍醐味はやはり全部一人で思うようにやれるところでしょう。うまくいっても失敗しても全部自分の責任。
 もちろん室内楽は相手のいる面白味もあるし、「1 + 1 = 3」になることもありますが、無伴奏ならではの良さはある。ただヴァイオリンが一つなのでハーモニーの音を全部弾けるわけではありません。でも、たとえばバッハの《無伴奏》は想像上で鳴らしている音があり、しかもそれが何の音か限定しない書き方をしている。そんなところが魅力なのだと思います。

バロック'.ヴァイオリンとの出会い

 --- 桐山さんは東京藝術大学と大学院で学ばれて、ドイツのフランクフルト音大に留学されていますが、当時はモダン・ヴァイオリンだったそうですね。その頃バッハの《無伴奏》というとどんな演奏がお好きでした?

桐山 シゲティ、グリュミオー、オイストラフ……。かなり力強い演奏が好きでした。バロック・ヴァイオリンは学生の頃にヒロ・クロサキを聴きにいって、ああこういう世界があるのかと。でも僕はA = 442Hzの絶対音感があるので、自分にはできないと思っていた。
 ところが小林道夫先生からお仕事をいただきましてね。「古いスクウェア・.ピアノを使いたいのだけれど、ピッチを415より上げられない。移調して弾くから簡単な曲にしてほしい」と言われました。僕が半音下げればいいだけなのに申し訳ない。「こっちが下げます」といってピッチを下げて練習し、苦労して何とか弾けるるようにしました。
 その時にブラームスも一緒に弾いたのですが、半音下げただけなのにバランスのとり方が全然違う。弦の張力だけで表現がこれほど変わる。じゃあバロックの弓ならどうなるのだろうと弓Tを注文しました。その次にモダンの楽器に裸のガット弦を張った。ところが仕事はモダンなので、その度に弦を張り替えるのが面倒になり、バロックの楽器を買いました。でもあくまで本業はモダン。バロックは、バッハをモダンで弾くうえで知っておいたほうがいいという程度でした。
 留学していた頃にフランクフルトの夏期講習会でバロック・ヴァイオリンのアンネ・レーリヒのレッスンを受けました。そうしたら音大の古楽科主任でリコーダーのミハエル・.シユナィダーから彼のピリオド・オーケストラ「ラ・ス夕ジオーネ・フランクフルト」で一緒に弾いてほしいと頼まれた。ですからバロックは誰かに教わるというよりは、ス夕ジオーネで一緒に弾く中でいろいろ学んだのです。

バッハの《無伴奏》 モダンとバロックの表現の違い

 --- モダンとバロックで解釈や表現が異なりますね。バッハはどうでしょう。

桐山 バロックの楽器と出会った後も、長い間バッハはどう弾いていいか分かりませんでした。日本ではバッハは完全にオルガンのイメージで捉えていたんです。長い音=をきちんと最後まで均等に伸ばす。
 フランクフルトでは元バンベルク交響楽団のコンサートマスターの先生にモダンを習っていました。その先生:は外見だけバロックという特注の弓で弾いていたのですが、それでもレッスンを受けるうちに何となく分かってきた。弓先が細いので普通に弾くと音が均等にならない。自然に減衰する。楽器本体もバスバー(表板の裏側にある補強材)や魂柱が短くて細いので、楽器内部が豊かに響き、音を切ってからの余韻を楽しむことができます。

 --- 無伴奏作品はすべての音を書かないマイナスの音楽だから、響きの余白がある方がいいというわけですね。

桐山 そうです。その後バッハの録音に取り組んだときに、パッハの《無伴奏》のイメージはリュートなのだと分かりました。複数の声部を全部きっちり弾かなくても、音が減衰して余韻が残っていればそれでいいと。

 --- ポジションはどうですか。

桐山 裸のガット弦のハイ.ポジションはいい音がしないんですよ。バロックの考え方では、開放弦が一番いい音なんです。20世紀に入って全部の音にヴィブラートを掛けるようになると、開放弦を使わなくなる。モダンでは何を弾いてもサード・ポジションという人が多いですね。でもやっぱりヴァィオリンの基本はファースト.ポジションなんですよ。それが分かってからはモダンでもそれを多用するようになりました。
 あとはボウイング。付点音符が続くときは、バロックは弓が軽いので全部戻す。付点音符をダウンで、短い音をアップで、が普通です。モダンは「ダウン、ダウン」「アップ、アップ」と繋げて弾くことが多い。バロックの弓はダウンでないと重音はほとんど無理。モダンの弓は均質に圧力が掛かるのでアップでも大丈夫ですが。モダンは弓の先を使う人が多いですが、バロックは基本的に弓の元の方ですね。

 --- 《無伴奏》はバッハの自筆譜が残っています。現代の印刷譜よりも声部の横の動きが分かりやすいですし、スラーの書き方も微妙なニュアンスを伝えていますね。

桐山 ええ、僕も自筆譜を見ながら演奏しています(と言って筆者の持参した自筆譜のファクシミリ版を眺める)。こういう曲線がいいじゃないですか。音楽って直線じゃないですよ。直線的な表現ってありえない。自然界に直:線は存在しません。こんな風にうねっているところがいい。こうした手書きの楽譜からバッハが求めていた表情が見える。

 --- 舞曲楽章の性格はどうでしょう。

桐山 基本的には実際のダンスが感じられるといいですが、バッハのパルティータの全ての楽曲が本来の舞曲のテンポで演奏できるかというと、そうではない。ドゥーブルなんて絶対無理無押です。
 ヤ―ブ・シュレーダーが「普通のバロック弓よりもさらに10センチくらい短い弓があり、バッハはそれで弾いていた」と述べています。通説ではダンス教師が使っていたポシエット・ヴァイオリン用ですね。僕もその短い弓で<シャコンヌ>を本来の舞曲に近い速さで弾いたことがありますが、すごくせわしない音楽になる。いずれにしても、舞曲のスタイルを踏襲しているけれど、踊るための音楽でないのは明らかですね。ただステップが感じられるためには、オルガンのような演奏ではダメですが。
 でもね、パッハに限っていえば、バロックのスタイルで弾かなければいけないと僕は思っていないんです。どんなやり方でも良い演奏はできると思う。今でもモダンの録音を聴きますよ。天満敦子さんや前橋汀子さん、和波孝よしさん。そういうバッハも結構好きなんです。天満先生は高校の時に習っていたのですが、何年か前にCDを買って聴いたら、まるでメヌエットじやないし、ものすごく違和感を覚えたんです。が、繰り返し聴いているうちに「これがいいんだよ!」って思えてくる。バロックではないけど、バッハの世界を伝えるエネルギーがある。前橋さんの《無伴奏》のコンサートも聴きましたが良かったです。こういうスタイルもありでしょうと。テレマンなどではその良さを伝えるのは無理だと思いますが。ただ今の自分には、そういうスタイルの演奏はできないですけれど。

シューマンの伴奏付きバッハの《無伴奏》

 --- フォルテピアノの小倉貴久子さんと、シューマンの伴奏付きでバッハの《無伴奏》を録音されたそうですね。

桐山 そうなんです。学生時代に、メンデルスゾーンとシューマンがバッハの《無伴奏》にピアノ伴奏を付けた楽譜があることを知り、いつか弾いてみたいと思っていました。10年くらい前のコンサートで、小倉さんとメンデルスゾーンの伴奏付き《{シャコンヌ》を演奏しました。その後、シューマンがバッハの《無伴奏》全部に伴奏を付けた楽譜を手に入れました。CDも出ていて聴いてみたけ
れど、全然面白くない。モダンの演奏でしたが、これではピアノ伴奏が付いている意味がない。そういうヴァイオリンの弾き方だったんです。
 自分で録音するならその意味が感じられる演奏にしたい。ピアノも小倉さんのシュトライヒャー。2週間前に録音したのですが(当取材は6月下旬)、その最中に今回のインタヴューのオファーをいただいた。なんてタイムリーなんだろうと(笑)。小倉さんからも、ロマン派らしさを出すにはどうするか、などいろんなアイデアをいただいて。
 去年、シューマン版のバッハ《無伴奏》で2回演奏会をしましたが、特に東京公演は自分なりにいい演奏ができたと思えました。シューマンの褊曲は面白いです。ここでこういう和音を付けるのか、フレージングも通常の締めくくりを通り越してもう一小節先まで行くとか。思いもよらないバッハの表現法。でも場所によっては共感できるところもあって、大学でレッスンをしていても、シューマンの伴奏の音が聴こえてきたり。《無伴奏》の新しい楽しみ方が得られました。

全ての無伴奏ヴァイオリン曲の中心にはバッハの《無伴奏》があります。

バッハ以外の無伴奏作品

 --- バッハ以外にどんな曲を弾かれますか。

桐山 バッハ以前ならビーバーの《パッサカリア》、テレマンの《ファンタジア》、ピゼンデル。ヴェストホフの《組曲》も重要ですね。
 ヴェストホフは難しいですよ。こんな重音があり得るのかっていうくらい。1700年以前に出版された曲ですし、バッハも若い頃にヴェストホフと会ったかもしれないと言われていますから、自ら作曲する時には参考にしたはずです。このような曲の集大成として、バッハが《無伴奏》を作曲した。その後、しばらく忘れ去られた時期があり、19世紀前半にシューマンらが伴奏を付けてやっぱり晴らしいと。バッハ再発見ですね。
 でも残念ながら19世紀には、パガニーニやエックレス (注:エルンストと言ったのですが、間違えられてしまいました) などヴアィオリニストが名人芸をひけらかすような作品を書いたくらい。20世紀以後、様々な作曲家がバッハの《無伴奏》の真価に目覚め、刺激を受けていろんな曲を作った。全ての無伴奏ヴァイオリン曲の中心にはバッハの《無伴奏》があります。
 自分のリサイタルではヒンデミットの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ作品31-1とイザイは必ず入れます。ヒンデミットの無伴奏ヴィオラ・ソナタ作品11-5の終楽章はパッサカリアですが、バッハの《シャコンヌ》を手本にしている。バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナ夕第1楽章はテンポ・ディ・チャコーナ。でもメトロノームで4分音符が50。バルトークの時代の人はバッハの《シャコンヌ》をそのテンポで演奏していたのではないでしょうか。

 --- なるほど面白いですね。今日はありがとうございました。

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