サラサーテ2021年12月 Vol.103

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ
どんな楽譜を使う?

桐山 建志

 「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の楽譜は、数多くの出版社からさまざまな版が出版されている。輸入楽譜専門店「アカデミア・ミュージック」のサイトで検索すると20種類以上ヒットする。この他に国内版も複数あるので30種類近くの版が現存するわけだ。またIMSLPや研究者のサイトには、おそらく絶版になっているであろう楽譜も数種類あげられている。これらは大きく分類すると、オリジナルに比較的忠実なもの、奏法などが色々と書き加えられているもの、そしてハイブリッドとでも言おうかその両方を併記したものに分けられるが、それにしてもなぜこれほど多数の版が存在するのだろうか。

 バッハの作品はバッハの死後、忘れ去られていた。それが1829年メンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》復活演奏をきっかけに見直されることになった。しかし当時は、バロック時代の楽譜は不完全なもので演奏には使えない、実際に演奏するためには指使いや強弱記号をはじめ、さまざまなものを書き加えなければならないと考えられていた。無伴奏曲に至っては、足りない和声音を補うためにピアノ伴奏を付けるということも行われていた。メンデルスゾーンの《マタイ受難曲》も、オーケストレーションの変更に留まらず大幅に変えられている部分もある。つまり、その時代に合うように編曲するということが普通に行われていたのである。従って演奏法を書き加えたものや編曲した版を出版することは、当たり前のことだったのである。

 しかし、バッハは演奏法を記譜したわけではなく、音楽の輪郭を書いただけであった。強弱や表情、リズムやテンポの歪みや歌い回し等は全て演奏者に任されていた(もちろん和声法や音型学、当時の常識に従った範囲でのである。つまり、どうやっても良いというか、正解は山ほどあるわけで、それだけさまざまな版が出版されうるのである。

 

それぞれの版の特徴

 バッハの無伴奏曲は、練習曲とみられていたこともあった。そのことが伺えるのがSalabertサラベール社のCapetカペー版。各楽章ごとに練習方法なども記されている。但しフランス語のみ。Schottショット)社のSzeryngシェリング)版も序文で演奏法について述べられており、校訂報告もしっかりしているのが良い。こちらは独英仏の三カ国語。全音楽譜出版社からは浦川宜也版と豊田耕児版の二種類がでており、共に巻末に奏法註解が日本語で詳しく書いてある。特に豊田版はエネスコの奏法などにも触れられており、興味深い。日本楽譜出版社の五十君守康版は原典版とは対極的な、バッハが書いたものとは全然違う譜づらだが、「初めて弾く人のために」というサブタイトルが付いており参考になるかもしれない。Petersペータース)社のCarl Fleschフレッシュ)版やIMCインターナショナル)社のJoahim&Moserヨアヒム&モーザー)版などは譜めくりが多くなるのが難点だが、上段が奏法などを書き加えたもの、下段がオリジナルの二段譜になっており比較しやすい。一方、Henleヘンレ)社は原典版と書き込みありのSchneiderhanシュナイダーハン)版が、二冊セットになっている。またIMC社のGalamianガラミアン)版は自筆譜のファクシミリが付いているのが嬉しい。校訂報告を読むより自筆譜を見れば一目瞭然。なお自筆ファクシミリは、Hausswaldによる詳しい後書き(ドイツ語)が付いた縮刷版がInselインゼル)社から出ていて三千円程度で手に入る。

 

バッハの書き間違い?

 実は、バッハといえども書き間違いと思われる箇所があり(当時の筆写譜はいずれも自筆を忠実に写している)、その解釈も校訂者によって分かれることがある。まず有名なソナタ第1番ト短調の臨時記号。バッハは調号をドリア旋法の名残でフラット一つで記譜している(古い出版譜にはフラット二つのものもある)が、esであるべき箇所に何カ所か臨時記号♭が書かれていない。例えばAdagioの3小節3拍目。Bärenreiter社の新バッハ全集(NBA等の原典版も含めほとんどの版では注釈無しで♭が補われている(最近のHenle等では括弧付になっているようだ)。「あのバッハが、清書を初めてたった3小節目でそんなミスをするわけが無い」と主張する人もいる。確かにナチュラルであれば3小節頭から4小節頭にかけて低音にf−e−es−dの半音階が完成する。私もリサイタルで試してみたことがあるが、その半音階を意識して演奏すればあり得なくは無い。しかし、そういう意図ならナチュラルを書くだろうし、5度下の並行箇所16小節ではasなので、esでほぼ間違いないだろう。

 ソナタ第2番のフーガ。183小節後半は自筆譜ではe''−g'−gis'−d''だが、私の知る限り全音の2種とSzeryng版以外は全てe''−a'−gis'−d''になっている(2020年以降のBärenreiterはg'に直されている。同じ出版番号でも断り無く修正されていることもあるので注意が必要)。これは恐らく、179〜185小節は2拍目の中二つの音が2度下降になっており、それに揃えて1843年Davidダーフィット)版が修正したものを踏襲したのではないだろうか。しかしこの部分はどの小節も付点四分音符、八分音符、という単位で和声進行しており、2拍目前半は1拍目と同じ和音と考えれば自筆が正しいといえる。

 もう一カ所、ソナタ第2番のGraveの5小節後半。当時の付点の記譜は適当で、【譜例A】のように記譜された場合、BまたはCのようにも解釈することができ もう一カ所、ソナタ第2番のGraveの5小節後半。当時の付点の記る。従って3拍目は版によって両方の記譜がある。しかし4拍目はバッハのミス、拍数が合わないのである【譜例@】。現在手に入る版は【譜例A】のようになっているものが多い(さらにe''の十六分音符に付点がついた版もある)が、h'音がその後の音と同じ32分音符というのはバッハの意図と違う気がする。Capet版と19世紀のいくつかの版は【譜例うB】のように記譜されているが、これもバッハの意図とは違いそう。私はバッハが書きたかったのは【譜例C】ではないかと考える。これをCのよに解釈すると【譜例D】になる。さてバッハの真意は?

 

音型などから表現法を読み取る

 ここで、バッハの記譜から読み取れる表現法をいくつか紹介しておこう。

 まずはパルティータ第2番のAllemanda。9小節後半から小節を跨いだ4拍のスラー、10小節後半は2拍のスラー。これはおそらくcresc.という意図だろう。従って、もし4拍のスラーを2拍ずつ弓を返すとしたら、10小節後半のスラーは1拍ずつ弓を返した方が良いだろう。

 パルティータ第3番のGavotte en Rondeauの終わりの方、86小節から一小節半のスラー、次いで88小節から二小節の長いスラーがかかっている。逆に90〜91小節はスラーは短く、取りにくい音が並ぶ。更にgis-mollという非常に鳴りにくい調性。従ってこの付近はテンションは高いが音量はdecresc.の方向で、テンポ的には長いスラーの部分は流れを良くして、90小節からはpoco rit.が良いだろう。

 ソナタ第1番のAdagioで、7小節頭は16分音符だが並行箇所20小節は付点16分音符になっている。前半は6小節から8小節まで続くバス下降ラインの途中なのでd'音に乗りすぎないで先に続くように。逆に20小節はバスの下降ラインの終点なのでg音を良く鳴らして2拍頭まででしっかり終止し、あとはコーダという扱いにする。

 もう一カ所、ソナタ第1番のフーガ。58,59小節の前半に四重音が続けて書かれているが、これは豊かな響きが欲しかったのではなく、時間を使って欲しいPesanteのような意味合いであろう。その証拠にバッハ自身によるオルガン編曲では、この部分の和音は三音しかなく、ペダルに16分音符の音型が書かれているのである。一流作曲家の場合、時間がかかることが書いてあったら時間をかけて欲しい、という意味に受け取って良い。

 またテンポ設定についても、例えばソナタ第1番のフーガは、NBAより前の版はすべて4/4拍子だが、バッハが書いたのは2/2拍子のAllegro。第2番のフーガとテーマの長さや音価は全く同じだが、拍子の違いやAllegroという表記、それに音型(順次進行か跳躍か)なども考慮すると、第2番と比べてかなり速いテンポ設定を(第2番の方を遅い設定に)するべきである。なおCarl Fischer社のAuerアウアー)版はAllegroがModeratoに変えられており、他の曲もテンポ用語が加えられたり4/4の曲を括弧付きながら16/16や8/8と表記するなど、バッハのテンポ感がゆがめられている一方で、当時の演奏法が偲ばれる。

 

重音の弾き方を容易にする

 ところで、いくつかの版(Szeryng版、豊田版など)では、低音や内声部に旋律がある箇所(ソナタ第1番のフーガ52小節、82〜84小節、シャコンヌの8〜14小節など)で、重音を上から下に弾くように、または折り返して弾くように指示されている。しかし慣れない弾き方で難しい上に、前者はバスが鳴る前にソプラノが鳴るという、いわば五重塔を建てるのに五階から作り始めるようなナンセンスなものであるし、後者は低音を二度発音することになってしまう。実際は全ての声部が美しく書かれているし、バロック音楽は常に低音の上に成り立っているものなので、バスをしっかり鳴らして、旋律線(に見える声部)だけを特別視すること無く、普通に下から上に奏すれば良いのではないだろうか。pizz.で奏するとしたらどうなるのかをイメージしてみれば良い。

 また、バッハの記譜した音価は、それだけ音を延ばすという意味で無いのは明白(20世紀の珍発明品『バッハ弓』をもってしても、シャコンヌの142小節2拍目や第3番フーガの186〜200小節などは不可能)なので、例えばシャコンヌの冒頭、下二声の二分音符も付点四分音符と八分音符に直してある版もあるが、八分音符は短音で構わないのではないか。また、例えばソナタ第3番のフーガ8〜9小節のような箇所も、響き(余韻)を止めさえしなければ延ばしている必要はないと考えると、演奏は容易になる。

 

どのような演奏を目指したら良いか

 さて以上のことを踏まえて、我々は今、バッハをどのように演奏したら良いのだろうか。和声法や対位法、当時の演奏習慣などを勉強した上で、それぞれが自分でやりたいように表情を付けて・・・それが理想かもしれないが、なかなかそうはいかないだろう。演奏法を書き加えられた版を参考にすることも出来るが、その時には、なぜこの指使いなのか、このボウイングはどんな表情を欲しているのか、ということまで考えてみて欲しい。また、ピリオド楽器(バロック弓、裸ガット弦)向けの奏法が書き込まれた譜面は少ないので、モダン楽器で演奏する場合もピリオド奏法を意識する場合は、なるべく低いポジションを使うこと、1拍目や表拍がダウン、アウフタクトや裏拍がアップという基本を忘れないこと、そしてバッハの書いたスラーになるべく忠実に、弓を返しすぎないこと、を推奨する。

 そしていかなる場合も『誰か』のやり方を鵜呑みにしないこと。手の大きさや指の長さなどは一人一人違う上に、得意なこと不得意なことも人それぞれ。自分にとって最適なやり方はその人にしかわからない。楽譜の序文等も含めた文献、それに音源など様々な情報も参考にしながら、自分に適した弾き方を見つけていって欲しい。

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