レコード芸術 2001年7月号 新譜月評

 推薦 すぐれた鍵盤楽器奏者武久源造さんが、チェンバロと編曲を受けもって「コンヴェルスム・ムジクム」による「アンサンブルの領域/バロックの華」を作っておられる。とくに今回の第一巻は“ローマからウィーンへ"と記されている。今後同じような趣向のCDがいくつか発表されることになるのであろう。

 曲目はヨハン・パッヘルベル(一六五三〜一七○六)の有名曲《二長調の三声カノン》を前後に配して、アレッサンドロ・ストラデッラ(一六四四〜八二)の《イ短調シンフォニア》、ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(一六四四〜一七○四)による、これまた有名な《戦争》《教会に行く農民》《独奏ヴァイオリンと通奏低音のための描写ソナタ》などが収められている。ビーバーの《戦争》では戦いの前夜したたか酒に酔いしれた兵士たちがそれぞれお国自慢の歌をてんでばらばらにうたい出し、《教会に行く農民ではニ組の農民の家族が聖歌をうたいつつ教会に歩んでゆき、最後のソナタでは鴬やカッコウや蛙や鶏や猫などの鳴き声が聞こえてくる。まさにビーバー特有の冗談音楽集である。

 このような合奏曲を武久さんたちは誠実に着実に聴かせてくれる。曲目表を一覧して、根っから実直で真面目人間の武久さんがビーバー一流の冗談、それも野暮ったくてあか抜けない駄ジャレをどこまで生かすのかと、なかば期待しつつなかば危倶しつつ聴いたが、結果はどうしてどうして、たいへんなものである。「撃て」の叫び声やら悲鳴やら、動物の鳴き声の即興的擬音効果やら、ナべやカマをたたいての農民の踊りまで、演奏している当人たちがおたがいに笑いかわしながら存分に楽しみ、しかもイヤ味にならずに聴かせる。歌舞伎の世界での言い方をすると、武久さんはビーバーの世界でもニンであったということである。もちろんそれには、ヴァイオリンの桐山建志さんやチェロの諸岡範澄さんをはじめとする「コンヴェルスム・ムジクム」の面々の好演奏が前提である。武久さんご自身執筆の解説も十分読みがいがあり、とくに「序」の部分は演奏の本質にかんする必読の名文。

皆川

 推薦 「鍵盤音楽の領域」シリーズで数々の興味深いCDを出してきた武久源造が、バロック・ヴァイオリンの桐山建志、チェロの諸岡範澄などと語らって立ち上げたアンサンブルがコンヴェルスム・ムジクムで、その音楽造りをうかがわせるのが、このCDである。武久のパーソナリティは、たぶんよく知られているが、今回のCDには、桐山や諸岡のことばも載っていて、この若いサークルに共通するのは、ただお行儀のよい古楽スタイルの再現復興ではなく、今の瞬間の対話を通じて常に新しいなにかを作りだす創造の喜びであることがわかってくる。

 事実その通りの音楽である。「バロックの華-ローマからウィーンへ」という副題がついてはいるが、要するにビーバーの三曲の標題曲《戦争》《描写ソナタ》《教会へ行く農民》を軸にして、パッヘルベルの《三声のカノン》、ストラデッラの《シンフォニア》、シュメルツァーの《ソナタ》でそれを囲んだものだ。

 ひとりひとりの奏者が、西欧的なものと対峙し、それを同化したうえで、創造的自発的に自分の言葉で語って行く。楽譜を譜面ずらとしてひいて行くより、楽譜を形として浮かび上がらせた根っこにあるものをつかんで、互いの対話の中で即興的な受け答えも交えなが音楽造りをしようというのだから、たいへんうまく行く場合もあれば、それほどでもない場合もある。だが、指揮者の前でおとなしく弓をかまえ、鍵盤に手をおいたのでは、決してこんなにイキイキとは演奏できないし、面白くもならない。まさに、「アンサンブルの領域」の名の通りである。正直のところ、ビーバーの《戦争》の第二楽章では、明日の戦闘を控えた傭兵たちが、めいめい勝手に故郷の歌を歌って不協和音の洪水になるところで、楽譜の記述の範囲を超えた即興が見られるが、ここのところでは超えるなら超えるで、やはり故郷の歌の民謡風の味を保ってほしいと思ったし、《教会へ行く農民》の最初の鐘のひびきでは、もう少し教会の鐘らしい響きの鐘は見つからなかったのかと思ったりした。だが、聴きながらそういうストレートな反応ができるのも、演奏そのものがまさにライヴだからである。人によっては、悪ふざけが過ぎるという人もいるかもしれない。だが、これから先の活動に大いに期待して推薦とする。

服部

[録音評] 一部を除きいくらか近めの距離感で、個々の楽器の定位を明確に捉えており、対位法の声部がある程度視覚化されて聴ける面白さがある。ここに収められたようなレパートリーでは効果的な収録法のひとつ。トーンはシャープでメリハリ感があり、楽器の特徴、個性などがよく伝わる。モダン感覚のバロックという雰囲気の音。ニ〇〇〇年八月東京、三鷹市芸術文化センター、ほか。

〈90〉相澤

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