レコード芸術 2002年12月号 新譜月評

オーケストラ・シンポシオンは1995年に結成されたピリオド楽器の楽団である。指揮の諸岡範澄が音楽監督もつとめている。もっともこのディスクの「1780年代のト短調交響曲集:コジェルフ&モーツァルト」というタイトルは、二曲だけの収録内容から考えて、いささか誇大とも言えるだろう。しかしチェコ出身でウィーンで活躍したコジェルフの作品はめずらしく、それとモーツァルトの曲の対比も輿味深い。コジェルフの第三楽章には、おそらくは一年後のモーツァルトに先行する箇所があるのもおもしろい。

 演奏はビリオド楽器の長所と弱点の両方が示されている。すなわち、くせのない解釈だが、アーティキュレーションには作曲当時の姿をほうふっさせる一面がある。とはいえコジェルフでは、弦の響きにさらなる清澄さを求めたい。第一楽葦では表現的にいっそうの推進力があってよいと思う。またフィナーレの第三楽葦では、弦のアンサンブルのいちだんと精緻なまとまりが必要だろう。

 モーツァルトはクラリネットなしの第一版を用いている。ここではコジェルフよりも弦の普色がみがかれている。演奏は第一楽章ではテンポがやや遅めで、それだけに旋律を濃密に歌わせている。第二楽章も確実なリズム処理を示しながら、表惰の各所に細かな配慮を感じさせる。第三楽章の足どりの軽やかな主部とのぴやかなトリオの対比も妥当と言える。終楽章もやや押さえた速度と明確なリズムで演奏されているが、そこに絡みあった糸をほぐすように、ていねいな表情が生まれていることを評価したい。

 このあと《魔笛》のパミーナのアリアが一曲収められているが、なぜ、これが追加されたのか、よくわからない。曲目としての統一感や必然性に乏しい。しかも発声や感情表現に疑問が残る歌唱である。 〈小石〉

 オーケストラ・シンポシオンは1995年に結成された古楽器オーケストラで、収録された三曲はすべてト短調作品である。

 モーツァルトと同時代のコジェルフの交響曲は、フィナーレの激しい曲想と演奏に惹かれたが、全体としてはさほどの内容は感じられなかった。

 やはりモーツァルトはすばらしい。演奏も意外性に富んでいる。第一楽章は古楽器オーケストラとしては珍しい遅いテンポと引きずるようなリズムで運ぼれる。テーマには漸強弱もつけられているが、おどろくのはホルンの強奏で、特に最初のフォルテ(16小節)では頭の二分音符をすべてオクターヴ上げ、当時の前衛作品としての特質を強調、テンポもこのフォルテの楽句だけ速くする。弦の音質もオン・マイクのせいか生々しく、第二主題直前の異常に長い間といい、ロマンティックな時代に逆戻りしたような雄弁な表情が多い。その最たる例がコーダ(285小節)で、なんとこの弱音パッセージ全体、弦を各パート、ソロに変え、しかもテンポを落としてムード的に奏するのだ。異論は大いにあろうが、その意欲を買いたいと思う。

 第二楽章は一転あわて気味のスピード、しかし、やたらに間が多く、だんだんとしつこくなってしまう。展開部冒頭の管のリズムは攻撃的だ。

 メヌエツトも速く、リズミックである。音色は土くさいくらい生々しく、トリオではテンポが落ち、こくのあるホルンが印象的だ。フィナーレはものすごく遅く、いろいろな仕掛けを楽しめる。17〜8小節の内声をレガートの対旋律にしたり、展開部で・とYのスタッカートを強調して描き分けたり、レガートを主体としてエスプレッシーヴォに語りかけたり、再現の前にテンポの大きな動きを見せたり!

 〈パミーナのアリア〉(ト短調)を歌う松堂久美恵は、ヴィブラートの多いのがやや気になるとはいえ、哀しみの色にあふれきった声と表情が感動的であり、音楽の美しさが最大限に発揮されている。透明感のあるのがなによりもよい。この曲のみ推薦だ。 〈宇野〉

[録音評]ごくオーソドックスに収録されたという印象で、どこにも難はないがチャーム・ポイントも見つけ難い。おそらく収録に用いられたホールの音響特性によるものと思われる。企画の特異性がセールス・ポイントのアルバムとすれば、必要条件は十分に満たされている。なかでは、オベラ・アリアの声の滑らかさ、艶やかさがよい。ニ〇○ニ年二月和光市文化センター。 〈87〜90〉相澤

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