J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのための作品集Vol.1

はじめに

 この全5巻のシリーズは、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)の作品として今日に伝えられる《ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ》全6曲、《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》全6曲と、そのチェンバロまたはリュートのための編曲版、および《ヴァイオリンと通奏低音のためのソナ夕》全2曲をひとっの大きなまとまりの中でとらえてみるべく計画された(これらの作品はどれも正確な作曲時期を特定することができないが、様々な状況証拠からどれも1720午からそう遠くはない時期に作曲されたものと現在では考えられている)。

 バッハ自身、生涯にわたってヴァイオリンとチェンバロを巧みに弾いていたことが知られている。中でもバッハの30代にはこのふたつの楽器が創作活動の中で重要な位置を占めるようになる。バッハが32歳から38歳まで務めたケーテン宮廷では教会音楽作曲の職務から離れ、宮延内の楽しみとして室内楽を中心とした音楽活動を行っていたことがその主たる要因であろう。現代において、このふたつの楽器はそれぞれ、“弦楽器”“鍵盤楽器”として、発音原理のまるで違うカテゴリーに属するものとして認識される傾向がつよい。しかしバッハの作品群においては、例えばヴァイオリン協奏曲とチェンバロ協奏曲の関係をみてもわかるように、それらが不思議と近い関係にある。一体何が、異なったこのふたつの楽器を、そうさせているのだろうか。

無伴奏ヴァイオリン曲とリュート音楽の書法

 まず、1720年の日付を持つ美しい自筆の浄書譜が残されている無伴奏作品(トラック4〜7)を見てみよう。メロディー楽器としてアンサンブルに参加したり、あるいはアンサンブルをリードしたりする楽器としての、ヴァイオリンのもっとも自然なイメージから考えると、とてもヴァイオリンらしくない音楽であるかのような印象を受ける。それは、本来ほかの楽器に属するはずのバス音や内声音までをもひとりでうけもったり、複数の声部からなるポリフォニーをひとりで演奏したりすることの尋常でなさから来るのであろう。よく見てみると、足鍵盤まで使えるオルガンのための楽曲などとはちがって、バッハはすべての声部を常に縦に並列させるのをやめて、主題の入りやいくつかの核になる音のみによってその声部の存在を暗示する方法を用いている。結果として、狭い音域を強いられるヴァイオリンでのポリフォニーがとても風通しのよいものとなっているばかりでなく、声部数の増減がそのまま音楽的な緊張・弛緩と結びついて、非常にドラマティックな音楽となっているのである。

 しかしそもそもこのアイディアは、すでにリュート音楽ではごくぶつうに用いられているものであった。リュートも左手でつくり出せる音の限界からポリフォニーには制約があり、このような暗示的ポリフォニーを用いる伝統があったのだ。これはフーガなどの純ポリフォニー楽章にとどまらず、たとえば典型的なリュートのプレリュードは、一つの和音が奏でられ、その中から一つ(あるいはそれ以上)の声部が抜け出して旋律を奏でるとまたそれが次の和音の中に消えていくというものであるが、ここには奏法の制約の結果ということを越えて、垂直方向(和音)と水平方向(旋律)のえもいわれぬ微妙なバランスが自然と生み出されている。

スティルリュテとバッハ

 このリュート音楽の書き方はバロック時代のチェンバロ音楽にも大きな影響を与えている。そもそもチェンバロはリュートの響きを残しつつ、その奏法上の制約を克服しようと鍵盤をつけたものとすらいわれているが、特に17世紀のフランスやバッハの頃のドイツでは、スティル・リュテと呼ばれるリュート音楽のスタイルを模した書法がチェンバロ音楽の代表的な書法のひとつとなっていた。このスティル・リュテの代表的な書法は、和音をたくみに分割して音を積み重ねていくものであることから、スティル・ブリゼ(分割様式)と呼ばれることもある。たとえばバッハのチェンバロのためのアルマンドの多くは、声部数が一定せず、またどの音がどの声部に属しているのかがあいまいなテクスチェアを持つ典型的なスティル・リュテ(ブリゼ)で書かれている。

 そもそも、リュートの響きは、ひとりで奏でる楽器の響きのひとつの理想としてひとつ前の時代に君臨していたものであった。バッハの生きた時代は、ドレスデンの名リュート奏者ヴァイスなどの例外はあるものの、リュートの歴史から見ると全盛期は過ぎていたといえよう。そういった中でバッハにはリュート・パートが存在する声楽作品があり、またリュート・ソロのための作品として伝えられている曲もいくつか存在するなど、バッハは同時代の作曲家に比べてリュートと関わりを多く持っていると言えるだろう。さらに、遺産目録から、バッハが高価なリュートを所持していたことも分かっている。しかしその一方で、バッハのリュート・ソロ曲の中にはいくっかの点で本当はリュートのための曲ではなく何らかの鍵盤楽器のためのものなのではと疑問視されるものも含まれているという。また、バッハはリュートの響きを模したチェンバロを作るべく、ラウテン・クラヴィーア(リュート・チェンバロ)というガット弦を張ったチェンバロを作らせたとも言われている。これらのことはすべて、演奏する楽器としてのリュートはもはや盛りを過ぎて演奏する人が少なくなっていたとしても、リュートの響きのイメージはなんとかチェンバロなどの有弦鍵盤楽器に移し換えて残したいというバッハの思いを示しているのではないだろうか。理想としてのリュートの響きが象徴しているものとは、端的に言えば「減衰する弦の響き」にほかならない。一本一本かき鳴らされては減衰していく弦の響きのみを材料として、それを手品のように束ねて美しい響きを織りだしていくのがスティル・リュテの本質である。こうして見るとバッハの無伴奏ヴァイオリン曲に用いられている書法とチェンバロのスティル・リュテは、まったく同種のイディオムであるとすら言えるのである。それを証拠立てるかのように、美しいメッサ・ディ・ヴォーチェをかけたくなるような音の長いのばし(例えば《オブリガート・チェンパロ付きソナ夕の第1番》の冒頭)や長いトリルなど、ヴァイオリンの得意イディオムでありながら、反リュート的な音型がバッハの無伴奏ヴァイオリン曲では、ほとんど見あたらない。

ヴァイオリンと有弦鍵盤楽器のあいだにろるもの

 バッハの弟子の一人アグリーコラによれば、バッハ白身がしばしばこの無伴奏曲をクラヴィコードで弾き、その際必要と思われるだけの和音を加えたという。バッハの作品においてクラヴィコードとチェンバロがほぼ完全にレパートリーを共有していることを考えると、クラヴィコードの部分をチェンバロなど他の有弦鍵盤楽器と読み換えても問題がないと思われる。いずれにしても、バッハにとっては、無伴奏ヴァイオリン曲における音楽的思考は、全く無理なくクラヴィコードやチェンバロなどの有弦鍵盤楽器に移し換えることができたのである。それを可能にしているのは他でもなく、無伴奏ヴァイオリン作品とチェンバロなどの有弦鍵盤楽器がともにリュートの響きを理想としていた、という点なのではないだろうか。

戻る