レコード芸術 2003年5月号 新譜月評

わが国の古楽界で活躍する若手奏者による録音で、一定のコンセプトが曲目の底にあり、バッハの6つの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》が、一部を除いて6つのチェンバロ助奏つきのヴァイオリン・ソナタと調性的に長短調として補いあい、あるいは同じ調で書かれていることに焦点をあてている。このディスクで言えば無伴奏ソナタ第1番ト短調BWV1001とチェンバロ助奏付きソナタ第6番ト長調BWV1019がそれに該当する。その他にはヴァイオリンと通奏低音のためのホ短調ソナタBWV1023と、《無伴奏ヴァイオリンのためのバルティータ》第2番BWV1004の〈シャコンヌ〉のチェンバロ用の編曲が収められている。なお、ト長調ソナタは現在3つのヴァージョンが知られており、それらのすべてを聴くことができる(これは初めての試みではないが・・・)。

 桐山はバロック・ヴァイオリンの機能を生かして演奏しており、それは音色にもフレージングにも反映されている。したがって、情熱の高揚にも、落ち着いた情感への沈潜にも十分対応している。ただもう少し表現を磨き上げる余地はあるだろう。

 大塚のチェンバロは桐山をサポートする点で問題はなく、むしろオブリガート・チェンバロの存在感を今ひとつ強調したほうがよかったかもしれない。〈シャコンヌ〉もト長調ソナタのソロ楽章アレグロも好演。 〈高橋〉

 推薦 《ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ》ホ短調BWV1023の開始楽章を聴くだけでも桐山建志のヴァイオリン、大塚直哉のチェンバロの演奏表現に耳を引き付けられる。チェンバロの短いアルペッジョの後にまさに即興風趣をもった独奏ヴァイオリンのファンタジーが展開される。絶妙なアゴーギクとデュナーミクがほどよく取り入れられ、トッカータ風の序奏が早くも音楽感興を最高に高める。そして二重奏になってからも桐山のヴァイオリンのもつ自由な表情は崩されることがない。このあたりの大塚との呼吸の一致は実に見事だ。そして、イン・テンポで撥刺とした表情をつくるアッレマンダとジグの颯爽とした表情など、大変に趣味のよい演奏を展開している。2曲目に収録された《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ》第1番ト短調BWV1001では桐山建志の洗練されたテクニックと豊かな音楽性に加えて、バッハ音楽の様式を見事に彫琢している。一丁のヴァイオリンが織り成すポリフォニー、とりわけ第2楽章フーガのテクスチュアの弾き分けは二重奏、三重奏にもそれ以上のアンサンブルにも間こえてくる。どの声部の表情にも豊かなニュアンスが付けられ、全声部にわたって桐山の全霊が行き渡っている。そして、ハーモニーとしての響きも豊かで、音楽をスケール大きく描き上げている。このパッショナートなト短調とは好対照の明るく穏やかで平和を満喫するような《ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ》第6番ト長調BWV1019が美しい。今回は第1稿BWV1019aから第3、第4楽章も収録されており、最終的な第3稿による全5楽章とを比較する楽しみまで提供してくれる。とくに同じ楽想を使いながらまったくちがった表情の音楽となっている第4楽章アダージョの両稿の比較などは楽譜を見なくても楽しめる。また、第3楽章ではヴァイオリン・ターチェトで大塚のオブリガート・チェンバロのソロがすぱらしいのだが、さらに大塚は無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ中の有名な〈シャコンヌ〉をみずからチェンパロ独奏に編曲して大変にスケールの大きな音楽として表現している。シャコンヌが低音主題上の変奏曲であることをしっかりと聴き取れ、また、そのパスの上に展開される変奏の変幻自在で多彩多様な表情が見事に描き出されている。桐山と大塚の洗練された高度な演奏技術と豊かな感性と知性によってバッハ音楽の普遍的な美しさが表現されている。 〈平野〉
[録音評]2002年7月、山梨県、牧丘町民文化ホールで録音。中央にほぽ適度な距離感をおいて定位するヴァイオリンは、電気的付加を思わせるほど豊かな響きのもやもやのため、音像の輪郭はやや聴きとりにくい。しかし、その響きをともなって音色がつやっぽく、なめらかでやわらかく、響きに人工臭を感じながらもそのこころよさに引き込まれてしまう。チェンバロはよく粒立ち、透明。 〈90〜93〉三井

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