レコード芸術 2004年3月号 新譜月評

高橋昭●

 若手の古楽器奏者によるバッハのヴァイオリンとチェンパロのための作品集で、様式の異なる作品が4曲収められている。

 桐山はバロック・ヴァイオリンの機能を十分に生かしており、それは特にアーティキュレーションの処理に強く感じられ、また旋律から豊かなニュアンスを引き出している。ヴァイオリンと通奏低音のためのト長調ソナタの第4楽章で彼は生き生きと演奏しながら、一本調子にはならない。ただヴァイオリンとチェンバロのためのハ短調ソナタでは演奏にもったりした感じが付きまとう。

 ヴァイオリン・ソロのためのハ長調ソナタではモダン楽器の演奏のような緊張感は求められないが、ひとつひとつの音の響きがこまかく変化し、それが絡みあって声部進行に厚みと存在感をもたらしている。それが特に印象的なのは第2楽章のフーガで、ポリフォニックな書法が生き生きと表現されている。いささか重い感じは残るものの、これはこれでよしとすべきであろう。

 このディスクで興味深いのはヴァイオリン・ソロのためのイ短調ソナタがチェンバロ(クラヴィコード)用の編曲(BWV964)で収録されていることで、バッハが極限にまで簡素化した声部が肉付けされて豊かなファンタジーを呼ぴ起こす。氏名不詳の編曲者は当然、バッハの意図を想像しながら作業を進めたであろうし、原曲とは性格が異なってくるのは当然としても、名曲であることに変わりはない。

 平野昭●

 推薦 バロック・ヴァイオリンの桐山建志とチェンバロの大塚直哉によるバッハのヴァイオリン・ソナタ集はこれが第2弾だ。ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ、ト長調BWV1021とヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ第4番、ハ短調BWV1017の2曲の二重奏作品と、前回と同じように桐山と大塚の独奏曲が1曲ずつ収められており、バランスのとれた趣味のよいカップリングだ。両者の特徴は何よりも響きの明澄性とテクスチュア彫琢の精緻さにあり、また、18世紀の様式観と音楽表現語法に関する知的理解度の探さにある。もちろんそれらを最高に美しい形で精彩に満ちた音楽として仕立て上げる技量の確かさがあるのは言うまでもない。例えば、一般にチェンバロではデュナーミクの表現はほとんど期待されないと思われているが、大塚が演奏するチェンバロ・ソナタ、ニ短調BWV964(原曲は無伴奏ヴァイオリン・ソナタBWV1003)に聞かれるようにテンポとテクスチュアから必然的に現れるアゴーギクと相まって音楽表情には結果的にデュナーミクも現れてくる。レジスターの使い分けによる音量コントラストだけではなく、純粋な音楽表情としての強弱を感じることができる。桐山のヴァイオリンとのデュオではさらに一層はっきりとした音楽的デュナーミクが聴かれる。今回は収録された4曲ともに緩急楽章が交互に配置された4楽章構成のソナタ・ダ・キエサ様式の作品ばかりであり、この様式の特徴である各楽章の書法的特性をていねいに浮を彫りにし、第2楽章のフーガ、終楽章のフーガ的な軽快さ、第1、第3楽章の和声的響きの充実など、単にテンポ上のコントラストだけではなく、性格的対照性まで見事に表現している。特に今回の収録では《ハ短調ソナタ》第1楽章ラルゴの情感溢れる音楽表情からは若い演奏家ふたりのバッハ音楽ヘの探い理解と共感さえ聞こえてくるようだ。《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》第3番ハ長調の緩徐楽章がこれほど深い表情をたたえて響き、急速楽章が發刺かつ凛とした表情で時空間にすぱらしく壮麗な音の建造物を築き上げてゆくのを見るときの爽快さは、音楽を聴く喜びそのものである。これからの桐山と大塚によるバッハ作品への期待がますます大きくなった。

神崎一雄●

[録音評] 2002年7月と2003年9月の3回の収録での構成。ヴァイオリンは明快でいわゆる切れのよいイメージ。演秦に近い収録イメージだが、チェンバロは伴奏でもソロでもアタックと響きとがよく均衡した収録になっている。しかし全体を通してのサウンドの感触にブレはなく、牧丘町民文化ホールという収録場所と録音スタッフが同じであることもあって、ひとつのアルパムとしてのまとまりはよい。

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