レコード芸術 2004年7月号 新譜月評

高橋昭●

  このところ意欲的な活動を続けている桐山建志が小倉貴久子と組んでメンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ全曲を録音した。ここでも彼らは単に現行の出版譜を演奏するのではなく、メンデルスゾーンの自筆譜までさかのぽって検証し、出版譜の校訂者による改編に加えて、作曲家自身による明らかな誤りまで訂正して演奏している。特に作曲家が途中で放棄したへ長調ソナタの改訂版(1839)は世界でも初めての録音であろう。
 ヘ長調ソナタ(1820)では桐山の美しい音が調性と結びついて、のびやかな情感を生み出している。また第2楽章の変奏曲では音色と表情を細かく変化させて繊細な感情を表現している。彼も小倉もリズムのアクセントが通切なので演奏全体が生き生きしており、特に第3楽章では充実した気カが演奏に説得カをもたらしている。
 へ短調ソナタも好演。特にロマン的な感情が豊かに起伏する第3楽章で桐山は見事な対応を示している。
 ヘ長調ソナタ(1838年のオリジナル版)では、桐山も小倉も気カの充実した演奏を聴かせるが、感情の起伏は自然で音楽の性格に合致している。同じソナタの1839年改訂版も好演。
 なお小倉は1795年のヴァルター・モデルのコピーと、1845年のシュトライヒャーのフォルテピアノを使い分けている。作曲年代を考慮してのことと思われるが、両者の音色と響きの相違がわかって興味深い。

平野昭●

 ヴァイオリンの桐山建志が今回はフォルテピアノの小倉貴久子と組んでメンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ全3曲を収録した。しかも、作品番号を持たない後期の「へ長調ソナタ」の1838年初稿の世界初録音と、このソナタの1839年改訂稿第1楽章のフラグメントの世界初演。メンデルスゾーン研究者の星野宏美氏の解説によれぱ、桐山と小倉はべルリン国立図書館やオックスフォードのボドリー図書舘に所蔵されているメンデルスゾーンの自筆譜や筆写パート譜まで丹念に調査して、また後期のへ長調ソナタでは一般に使われている出版譜(メニューイン校訂)にはメニューインの編曲とも言えるよつな主観的補筆があることまで確認し、可能な限りメンデルスゾーンの1838年段階での自筆諮莞成時の初稿をも再現しているという。その際、初稿に見られる明らかに不自然な箇所をわずかに手を加えて演奏しでいるという。このような意味からしても今回の桐山=小倉の録音は意義深い。しかし、前述したようなこととは無関係にこの演奏は大変にすばらしい。1820年というから、作曲者が11歳になるかならないかのころのヘ長調ソナタの音楽作品としての、完成度の高さとは言わないまでも、少しも稚拙なところのない愛らしく、生き生きとしたヴァイオリン・ソナタの表情も十分に楽しめる。唯一作品番号の付いた1823年作曲の作品4ヘ短調ソナタの、深刻な表情を湛えて無伴奏のアダージョで始まる第1楽章の静謐さのなかにも熱いものを感じさせる表現。そして、しばしばヴァイオリンとピアノの独奏による楽句が織り込まれた独特な構成など、この作品の魅カを十分に表現している。また、ピアノの独奏ではじまる第2楽章の開始2音を聴くだけで第1楽章主題との関連を感じさせる曲の構成をこの演奏はしっかりと認識している。こうした静謐な先行楽章2つのあとに終楽章アレグロ・アジタートが情熱的に高揚する。
 この楽章でピアノ声部の高音城にあるトリルがフォルテピアノならではの不思議な音色と響きを醸しているのも、私には魅力的だし興味深い。そして、大戦後になるまで出版されずに手稿譜のまま残されていた後期のへ長調ソナタ(メンデルスゾーンが3曲をすべて「へ音」を主音とする調で作曲しているのも興味深いが)の初期稿が撥刺として精彩に富んだ表惰で演奏されている。そして、フラグメントとは言え、その第1楽章の1839年改訂稿がかなり違った表情をもっているのを確認できることが嬉しいし興味探い。ただ、この改訂は音楽的な要求からメンデルスゾーン自身が行なったものではあろうが、初期稿の何の疑問や一点の曇りもなく前進する自然な高揚感も捨てがたい魅カをもっているのを確認できる。桐山と小倉のアンサンブルも大変に見事だ。

三井啓●
[録音評]2003年8月、山梨県、牧丘町民文化ホールで録音。倍音成分が豊かにのってつやっぽく、明るいヴァイオリンが中央に輪郭のはっきりした音像を結び、そのやや右寄りにフォルテピアノが、音色が地味であるため輪郭のややはっきりしない音像を広げる。華やかなヴァイオリンに対してフォルテピアノのレンジ感の狭い、ややにぷい音色との妙なる対象は、このCDならではの大きな聴きどころだ。〈90〜93〉

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