J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのための作品集Vol.3

ヴァイオリニストからみたバッハの横顔
桐山建志 Interview

●モダン・ヴァイオリンだけではなく、バロック・ヴァイオリンも弾くようになったきっかけは、何ですか。

桐山 古楽器の演奏は、学生時代から聴いていましたが、その頃は「僕にはバロック・ヴァイオリンは弾けないな」と思っていました。

●えっ?それは何故ですか。

桐山 僕には絶対音感があったので、バロック時代のピッチが、どうしても半音低く感じてしまう。なんだか、気持ちが悪くて。ところが、ある時クラヴィコードとのアンサンブルをやることになって、「それじゃあ」ということで、半年かけて練習したんです。

●絶対音感をもっている人にとって、ピッチを変えるということは、そんなにきついことなんでしょうか。

桐山 ええ、慣れるまで大変でした。その曲を、まずモダンピッチで練習して指使いを憶え、次に半音下げて調弦して、同じ指使いで練習する、ということの繰り返しです。それでも、どうしても指が半音上がってきちゃうんですよ。本番を迎えるまでの半年間で、何とかその時の曲目だけは弾けるようになりました。少しバロックピッチに慣れてきたら、今度は、モダンピッチで調号の多い曲を聴くと半音ずれて感じてしまったりとか、逆のことも起こってきたんです。どちらのピッチでも大丈夫になるまでには、やはり何年かかかりましたね。今では、モダンでもバロックでも、大体自分の耳で合わせられます。複数の絶対音感が出来たというか。その楽器を持った瞬間に、切り替えることが出来るようになりました。

●はあ〜(驚嘆)!で、半年かけて練習した、その時がバロック・ヴァイオリンとの出合いなんですか。

桐山 その時は、モダン・ヴァイオリンでピッチを半音下げただけでしたが、弦の張力が緩くなっただけで、楽器の響き方、音色など随分いろいろなことが変わってくることが分かり、チェンバロなどと、合わせやすくなったと思いました。そこから、「バロックの弓にしてみたらどうか」、その次に「ガット弦にしてみたらどうか」と。ところが、仕事はモダンの楽器でしていたので、弦を毎日張り替える訳にもいかず、「それならいっそのこと、バロックの楽器も」と、買ってしまったのです。ただ、以前からバッハの曲は大好きでモダン・ヴァイオリンでもよく弾いていましたから、バロックの世界へ来たのは、やはりバッハへの想いが大きいからでしようか。と言っても、バロック・ヴァイオリンを手にして、最初は、バッハの曲はなかなか弾けなかったんです。他の作曲家だったらなんとか弾けそうだったんですが、やはりバッハは難しい、と思いました。

●バロックとモダンの楽器的な違いが大きいのですか。

桐山 楽器の違いはそんなに大きなものではありません。簡単に言えば、バロック時代の楽器の音量を上げる方向で、弦のテンションを上げても大丈夫なように手を加えられたのがモダンの楽器です。弓も、楽器のテンション
に対応するように、張りが強く、少し長く、重く、そして毛の量が多くなったわけです。文字通り弓なりになっていた弓が、反り返ったのですから、弓の変化の方が大きいですね。

●それじゃあ、弓での奏法の違いというのは。

桐山 自分では、奏法の違いはあまり意識していませんが、バロックの弓の方が軽いので、「速く弾ける」「素早く戻すことが出来る」ということはあります。それと、野球に譬えると、金属バットと木のバットの違いと似たようなことがある。木のバットというのは、バットの芯に当たらないとボールがあまり飛びませんよね。同じように、バロックの弓と弦は、良い音の出るポイントが、モダンよりも狭いんです。そこを外すと、途端に楽器が鳴らなくなる。そんな感じがしています。

●左手の運指はどうですか。

桐山 モダンでは楽器を顎に挟んでいますから大丈夫なんですが、バロック・ヴァイオリンは肩に置いているだけなので、下行音型などでモダンの弾き方と同じにしてしまうと、手と一緒にバイオリンが体から離れてしまう(笑)。だから親指をそのポジションに残したまま、他の指を先に動かすというテ夕ニックも必要になってきます。そして、旋律のどこでポジションを移動するかというタイミングを考慮する必要も出てきます。

●音色の違いははどうですか。

桐山 モダンでは、音量を追求したので、バロックの柔らかく温かな音色を多少犠牲にしていますが、華やかな音質と音量を持っています。ただ、余韻は、顎で挟んでいないバロックの方が豊かだと思います。顎で挟むと、どうしても楽器自体の響きを止めてしまいますから。それと、楽器のテンションが高くなると、弾き手のテンションも高くなりますね。現代曲をモダンの楽器で弾くときは、僕自身、そういうモダンの音色が合うと思って弾いています。

●では、バッハの作品を弾く場合、モダン楽器の場合とバロック楽器での場合では、演奏が違ってくるのでしようか。

桐山 僕の場合は、バロック・ヴァイオリンを手にする以前までの演奏と、バロック・ヴァイオリンでの演奏、そしてバロック・ヴァイオリンを知ってからのモダン・ヴァイオリンでの演奏、と三段階あります。学生の頃は、バッハに対して「オルガンの作曲家」というイメージが強くて「シャコンヌ」を弾く場合でもオルガンの音が念頭にありました。オルガンというのは、鍵盤を押している間ず〜っと音が続いていますから、ヴァイオリンでもそれに準じた音の出し方をしていました。ところが、バロック・ヴァイオリンでは、そういう均一なロング・トーンというのは、かなり無理がある。弦も弓もテンションが弱いですし、弓の先が軽く弱くて、初めから終わりまで同じ太さの音をず〜っと出しているのは不自然です。バロックの弓では自然に、均一じゃなくて文字通り「いびつ」な音になる。それがバロックの自然な形じゃないかということを、楽器が教えてくれたんです。バッハが知っていたのはモダン・ヴァイオリンではありませんから、バッハは均一なロング・トーンをヴァイオリンに求めてはいなかったかも知れない。それと、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲のなかには、たとえば全音符で書いてあっても、別の声部で八分音符で旋律が動いていたりして、その全音符を最後まできっちり延ばすというのが不可能な箇所が、実は山ほどある。その場合どうするかというと、実際は延ばしていないのだけれど、あたかもその音が続いているかのように聴かせる、そういう風に演奏するんです。[Vol.2の大塚直哉インタヴュー・P.5参照] 僕がそういう考えに辿り着いてそういう弾き方をしていたら、大塚君がすごく共感してくれました。彼に言われてみると、「実際に音は続いていないけれど、音の余韻でも音楽をつくる」というのは、確かにリュート的かも知れないと思います。だから、今ではモダン・ヴァイオリンでバッハの曲を弾く場合でも、僕が以前に弾いていたように弾くことはないです。曲のイメージが変わってしまったので、バロック・ヴァイオリンと同じように余韻をうまく生かすようにして演奏します。面白いことに、バッハの無伴奏ソナタ1番のフーガでは、こまめに休符が書かれています。バッハはそれをオルガン用に編曲もしているのですが、それにも休符が多用されている。簡単に音がのばせるのに。ということは、オルガンでヴァイオリン的な表現をしようとしていたのかもしれない。そう考えてくると「バッハ=オルガンの作曲家」ではなく、「楽器の壁を超えた音楽家」ではないか、と思えてきます。

(次回Vol.4では、対談:桐山建志×大塚直哉をおおくりします)

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