J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのための作品集Vol.1

曲目解説

ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ第1番

バッハにとってロ短調とは特別な思い入れのある調だったのではないだろうか。ロ短調ミサ曲、フルートとチェンバロのためのソナタ、そしてマタイ受難曲の中のアルトの名アリア「憐れみたまえ」、チェンバロのためのフランス風序曲、管弦楽組曲第2番…といったように、中全音律やそれに手を加えた不等分律などの古い調律法では決して使いやすいとはいえない、独特の響きがするこの調を、バッハは重要な作品にしばしば用いている。バッハが30代に作曲したとされるこの第1番のソナタも、「深遠さ」とでもいうほかはない独特の雰囲気を持つ。これぞバッハという美しい和声に導かれながら、6度や3度の平行音型が重要な役割を果たすふたつの緩徐楽章(第1と第3楽章)、そして見事な対位法的動機処理による急速楽章と、どれも規模はそれほど大きくないが、優れた美しい楽章が連なっている。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番

この曲も、ロ短調で書かれた重要な作品のひとつである。1720年の自筆譜で伝えられることから、やはりバッハの30代前半までには成立した作品であることがわかっている。この、ヴァイオリン一挺で舞曲を弾く、というのは、フランスの舞踏教師がポシェットと呼ばれる小さなヴァイオリンを弾きながらダンスのレッスンをする伝統を思い起こさせる。バッハはリューネブルクに住んでいた10代の頃、フランス人の舞踏教師と接点があったことが知られているが、その彼もポシェットで舞曲を弾いていたのであろうか。4つの舞曲楽章にそれぞれ付けられた「ドゥーブル」とは、もともと旋律の音符を倍に増やして、より技巧的に盛り上げる変奏のことを指す。各舞曲の持つ充実した和声が、ドゥーブルでより伸びやかな身振りとなって高揚していくさまは見事である。

組曲ホ長調

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番を大譜表に直し、いくつかバス音を足した編曲版で、バッハの50代前半の自筆譜によって伝えられる。資料からは、のちの人の手で書き込まれた「クラヴサンのための組曲」などといった記述があるほかは、何の楽器のためのヴァージョンか特定することができないが、音域の問題などからリュ一トのための稿であるという説が現在のところ優勢である。ただし、大譜表の記譜であること等いくつかの要因を考え合わせると、リュートのためであるかどうかは別として、鍵盤楽器でも演奏されたことはほぼ問違いない。ほぼ原曲のままである箇所が多いために、編曲としては「手抜き」と決め付けられることが多いが、実際にはチェンバロやラウテンクラヴィーア、クラヴィコードなどの有弦鍵盤楽器が、実に美しく響くヴァージョンである。充実したプレリュードのあとに次々と登場する、フランス色の強い舞曲がどれもチャーミングである。

フーガ ト短調

ポリフォニックなテクスチャーを持つヴァイオリン・パートに通奏低音というユニークな編成を持つ。現在のバッハ学では主に様式上の理由から、この作品を偽作だとずる説が有力であるが、バッハにごく近い、すなわちいとこのJ.G.ヴァルターの筆写譜で伝えられ、ヴァルター自身の筆跡で「フーガ J.S.バッハによる」と書かれていることを考えると必すしも真作であるとする根拠も弱くないことがわかる。このヴァルターの筆写譜P801は1712年以降の成立とされ、もしこれが真作であるならば、ちょうど無伴奏ヴァイオリン作品やヴァイオリンとチェンバロのソナタを書く少し前のバッハが、ヴァイオリンによるポリフォニーを試行錯誤していた様子がわかって興味深い。主題の持つエネルギッシュな進行感や嬉遊部の和声の豊かさもさることながら、保続低音上でのダイナミックな盛りあがりが見事なクライマックスを形成する。

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