レコード芸術 2009年9月号 新譜月評

濱田滋郎●

推薦 その奏楽がつねに心の傍らに生まれ、そのまままっすぐ当方の胸に入ってくるという実感を与えることにおいて、小倉貴久子はじつに貴重なピアニストである。ここでも彼女はフォルテピアノを弾き、また歌の伴奏をつとめ、あるいは室内楽に興じながら、伎倆と歌ごころとをつぶさに味わわせてくれる。重要なもの、珍奇なものを含む浜松市楽器博物館の肝煎り、その「コレクション・シリーズ」の一環として作られた1枚で、使用のフォルテピアノは“伝グラーフ"(1819〜20頃)。特集されているメンデルスゾーンの楽曲にとっても、まずは打ってつけの楽器である。これによって《ロンド・カプリチオーソ》ホ長調および〈春の歌〉〈ヴェネツィアの舟歌〉(嬰へ短調のそれ)が奏でられたあと、おもむろに畑儀文のテノールが登場、フォルテピアノを伴奏に、〈歌の翼に〉以下6篇の歌曲を披露する。ふさわしい声と唱法で、これもこよないひととき。そのあとは再びフォルテピアノ独奏により、曲は《厳格な変奏曲》ニ短調。ここに聴く正統性は、花のように、果物のように瑞々しい「本物の香り」にほかならない。結びはヴァイオリンの桐山建志、チェロの花崎薫が加わっての《ピアノ三重奏曲》第1番。この演奏についても、まったく同じことが言えよう。当ディスクは先に記したところと同時に「メンデルスゾーン生誕200周年」を記念しての録音でもあるが、たとえそうは銘打たれなくとも、後世に残ってゆくだけの値打がある。

那須田務●

推薦 浜松の楽器博物館の所蔵楽器を使ったコレクション・シリーズの一つ。メインは1819〜20年頃(?)に製作された「伝グラーフ」。80鍵、もちろん「跳ね上げ式」(ウィーン式)アクションだ。ロマンティックな作品に持ち味を発揮する小倉貴久子を中心に、彼女と共演の多いピリオド楽器に強みを発揮する音楽家が参加している。ピアノの名曲に歌曲に室内楽も入ってお得な一枚である。《ロンド・カプリチオーソ》の主部は小倉らしい奔放な魅カに満ちた秀演。この鬱蒼と生い茂った森を連想させる色彩感はモダンのピアノでは決して得られない、ロマンティック・ピアノの特徴であろう。〈ヴェネツィアの舟歌〉もしっとりと歌われる。リートはフォルテピアノと幾多の経験を持つテノールの畑儀文。〈歌の翼に〉や〈月〉などでブリリアントかつ親密な歌唱を聴かせている。フォルテピアノとの共演にふさわしい繊細で柔軟性に富んだ表現が快い。小倉の確かな技巧と音楽性に裏打ちされると同時に、熱いパッションに彩られた《厳格な変奏曲》も聴きどころだ。ピアノ三重奏曲第1番はヴァイオリンの桐山建志とチェロの花崎薫を共演者に迎える。ピリオド楽器同士の音量や音色のバランスや融合はまさに理想的といえるほどで、息の合ったアンサンブルと時代様式に適った解釈とともに、真に音楽的な対話を実現している。

峰尾昌男●
[録音評]2008年5、10月、アクトシティ浜松音楽工房ホールでの録音。フォルテピアノを中心にした企画の録音であるが、ソロ、歌曲、室内楽でそれぞれ適切なバランスに各楽器を持ってきている。ただし歌曲においては、フォルテピアノは現代のピアノほど主張が強くないので、声をほんの少し抑えてもらったほうが、よりニュアンスが伝わりやすかったかなとも感じた。〈90〉

戻る