これは語り手たち第二期研究セミナーの最後の宿題です。
1 自分の立てた8つの目標の達成度について
2 セミナーの三年間を振り返って自分のこととセミナー・スタッフのあり方について

八つの目標(ダイヤグラム)の達成度

                         森  洋子

1.心に響くものがたりの発掘         80/100

   神話・伝説・世話物・近代の小説などから。

     時代の証言者として、実話を構成する。

     自分の内に在るものがたりをカタチにする。

2        聞き手への想い・語る情熱。      数値化不能

3        心を開く。               80/100

4        場を掴む。               90/100

5        ことばの選択・ことばの力を引き出す。  90/100

6        声を磨く 発声・緩急・メリハリ・変化。 80/100

7        導入・締めの工夫。           80/100

8        聞き手とともに、ものがたりを生きる。   95/100


1について、学校や図書館またおとなのためのおはなし会でまだ語られていない清新なおはなしを発掘したかった。聞く立場のとき、何度も聞いたものがたりは正直のところ聞きたくなかったからだ。それだからよく知られているおはなしにも新たな視点と光を投げかけたかった。子ども、大人の別なく聞き手にどきどきわくわくしてもらいたかった。そのような動機から 小説、ものがたり、再話された民話のなかから 芦刈 松谷みよ子の月の夜晒し、つつじの娘などの再話を試みた。ケルトの伝説から「わたしのディアドラ」 タヒチの民話から「魔法のオレンジの木」を再話した。谷川俊太郎の「ほうすけのひよこ」アンデルセンの絵のない絵本については、テキストに忠実に、表現による再話を試みた。そして科学絵本といってよいかわからないが、水からの伝言も反響がたいへん高かった。時代の証言者として「わたしがちいさかったときに」---− 原爆が落とされた広島の子どもたちの作文を語った。

自分のうちなる物語、ライフストーリーは現在七編あるが、そのうち実際語られたのは「おさだおばちゃん」「父の思い出」「クリスマス」創作した童話のなかから語られたのはカイアス王、白いロビン、カーロ・カルーソーの話に留まった。生まれ出でたおはなしをもっと語りたかったけれど発掘という点では努力が報われたと思う。

6について発声と緩急・メリハリをいっしょに括ってしまったのは無知のなせることであった。語りのなかで発声はとても重要であるが、もっとも短時間で変えうるところでもある。胸式の発声から腹式呼吸にかえるのは適切なトレーニングでめざましい効果を上げうるのだ。そしてそれは説得力という点で語り手に大きな力となる。

緩急・メリハリ・変化はむしろ4の場を掴む、8の聞き手とともにものがたりを生きるという項目に密接な関わりがあった。外側から演出を加えるとかえってものがたりの勢いや興趣を削ぐことがあるように思う。語り手がものがたりと一体になっているとき、間やメリハリ、緩急は自在に自然に備わるのである。

そして4の場を掴むは3のこころを開くとつながる。語り手がこころを開かなければ聞き手は開きようがない。聞き手のまえにいるとき語り手は単なるものがたりの提供者ではない。第一に聞き手への想いがなければならない。子どもたちに語るとき、溢れでるだいすきだよという気持ちなくしては語れない。高齢者にかたるとき、ひとりひとりの人生の重みに敬意を持たずには語れない。同年輩のひとびとに語るとき、同じ時代を生きてきた共感なくしては語れない。それらがあってはじめて語り手は聞き手に感覚を伸ばすことができる。

聞き手のなかのなにかを感知する。このとき語り手は場を掴む。そこにものがたりの世界が息づく力場が生まれるのだ。語り手は本来共感する者であり、他者の痛み、他者の哀しみ、他者の喜び、他者の中の不在を常人よりは強く感知するものなのではあるまいか。

5のことばの選択、ことばの力を引き出すについて、(とくに選択については)テキストをととのえる時点のことと当初は考えていた。けれども語っているうちに不思議な体験をした。テキストを書いたときに全く考えもつかないフレーズやことばが勝手に迸ることがある。たとえば「わたしのディアドラ」でノイシュの台詞のいくつか 「安ずることはない。ともに生き、ともに戦ってきた我らウシュナの三兄弟、死ぬ時ももろともに….」などは考えたこともテキストにもなく、語っていたわたし自身が驚いていた。語りは 本来 テキストを覚えるものでなく、幾度も聞くことによって血肉になっているものがたりが また記憶のそこに埋没しているものがたりが、語り手の口をとおしてよみがえる即興性のものであり、場の空気によって変幻するものなのではないか。

  最後に7の導入と〆の工夫、これはなかば技術上のものである。第一声はとても重要である。第一声で聞き手をものがたりの場に引き込むのだ。この場合、すぐにものがたりにはいらず、トークによって身近なことから引き込む方法もある。〆は次第に速度を落とす。聞き手をものがたりに残したままあとずさりして退場する感じである。しかし、余韻にひたっている時間がないときもあるので(たとえば、すぐに授業が始まる朝で、心を強く揺さぶる話をしたときなど)そういうときは目覚めさせる工夫が必要である。そういう時は短い詩を読むことがある。

 

なぜ、語るか(三年間を振り返って)

 

 三年間のセミナーは疑問の連続であった。セミナーの第一回目が「なぜ、語るか、語りとはなにか」であったのはまさに時宜にかなっていた。「なぜ、語るか」という語り手ひとりひとりの自分自身への問いかけ、そしてその答が語り手の「語り」の質をよくも悪くも既定してしまう。それは当然のことであるのだけれど。また、実際に語り手自身が自らを欺き、本来の語る動機を覆い隠している場合もあるのだけれど。

 

 「なぜ 語るか」 三年間のあいだ 問いかけてきたわたしの今の答は三年前とさほど違ってはいない。語ることの重みは生きること同等ではないが、語ることは生きることに重なっていた。生を補完するものであったといってもいい。最終的には収斂されるのだが、人生にはとりあえずふたつ目的があると思っている。 ひとつは自分という個をまっとうすることであり、もうひとつは全のなかの個である自分をまっとうすることである。
     おとなのためのおはなし会で、わたしはたいてい恋のものがたりを語る。なぜなら恋情を語ったあと、わたしはすこし癒され、すこし楽になるから。そういうとき、実はそんなに聞き手のことは考えてはいない。楽しんでもらおうとも思ってはいない。聞いてくださる方のほとんどは女性でほとんどは恋を知る方であろうから、そのかたがたの魂に届けようとは思うが究極は自分のために語っている。うちなるものに衝き動かされ語っていくうちに、いつか 風に晒され、雨に洗われた木片のように白くなって朽ちてゆけるような気がする。
     子どもたちに語るとき、わたしは子どもたちの魂に痕跡を残せたら...と希う。みずみずしい子どもの魂に、美しいもの、大切なもの、楽しさ 生きることは意味があるということをカケラでいいから残せたら本望である。早朝の小学校でおはなし会のあと、魂のこもった、まっすぐな、それでいて夢見るような瞳でみつめられることがある。そのゆえにわたしは語り続ける。50の坂を越えてなにがしか あとからくるひとたちへ伝えるべきよすがを持つということはなんとしあわせなことだろう。

 

 次の疑問は「語りは癒しとなりうるか」であった。講師は「癒しとは0にすることであり、それ以上のものではない」と言われたが、わたしは語りを癒しとなりうるし、再生につながると思っている。まず語り手にとって語ることは癒しとなる。ものがたりの選択をとおして、より鮮明にはライフストーリー、創作をとおして語り手は自分の命題、トラウマをとりあげることがままある。
  それはわたしのように恋であったり、親子の別れであったり、変身の類話であったりする。話はとぶが中島敦が中国の伝説から息子が父親に復讐するというパターンを好んで小説化したのは示唆的である。知らず知らず ひとは、自分の受けた傷を修復しようと必死の努力をするものなのだ。よりよく生きるためにまったき己となるためにひたむきに……
   では、なぜ 語り手は語ることによって癒されるのだろう。語ることによって、時と場所、シチュエーションは違っていても、ふたたび めくるめく想い、暗い絶望、喪失、澄み通った悲しみ、愛慕の念を追体験することができる。かって かなわなかった夢、届かなかった想いをカタチを代えて届けることができるのだ。そして、そこに頷いてくれるひとがいる、耳を傾け 悲しみ、喜びをともにしてくれるひとたちがいる。
   ライフストーリーであれものがたりであれ、その語りが「生(なま)」でなく語り手のなかで昇華されているとき、それは聞き手にとっても癒しとなるのではないかと思う。聞き手も語り手とともにものがたりを生きる。そして、語り手はダイヤグラムのところで述べたように共感し感知し聞き手に問いかけ、聞き手からたちのぼるなにかをひきよせ得る。そして聞き手の魂にとても必要ななにかを響かせることがある。ときにおはなしが終ったあと、安寧や洗い流されたような浄らかな気が会場に充ちるのはそのような作用が起きたのではないだろうか。そして癒され傷口の痛みが軽くなったとき、ひとは思いを新たにして、一歩を踏み出すことができよう、ひとの痛みに思いを馳せる余裕も生まれよう。

 

 三つ目の疑問は「わざによっても語りは深くなるか」であった。民話や伝説でなく作者がいるとき、テキストを大幅に変えることははばかられる。テキストに変更を加える再話だけでなく、表現によってものがたりに新たな光を投げかけるという再話もあるのではないかと感じたのだ。それはイエスでもありノーでもあった。表現によってものがたりはたしかに変容する。
    芸は型から入る。語りであれ、芝居であれ、歌であれ卓越したワザと眼を持つ先達の、ほんのちょっとした指摘で眼の覚めるような効果を生むことがある。ほうすけ、芦刈、絵のない絵本はテキストを動かせないだけでなく、ステージ上で語る必要が生じたために表現に苦慮した。語りはちいさな場所こそが似つかわしく、ステージの上の語りはまったく別個のものなので、一緒には論じられない。が、表現を考えるにはまたとない機会でもある。
    ほうすけは、また語りに歌をとりいれた最初のものがたりである。最初、歌はほんのつけたしであったが、指摘によって高らかにうたうようになってものがたりは大きくかわった。また、ちいさなしぐさひとつで観客の目をひきつけうることも知った。
     しかし本来 表現とは表に表れる、現れるものなのだ。年を経て名前さえ判読できない丸みを帯びた墓石をなでさすり、会津の峠で、雲が流れる空をあおぎ、風に吹かれ歌ってようやくほうすけのものがたりが生きてきた。こころのなかでものがたりがいのちを持ってはじめて、ほんとうに表現が変わるのである。

 

 そして最後の疑問は「誰の代弁者として語るか」である。セミナーの授業において、講師からこの質問がなされたとき、「自分を代弁する」という答えがあり、その時わたしは疑問に思ったのだが、今はそういうこともあると感じる。物語に秘めた己を投影し、語ることはよくあることであろう。
     だが、語り手は誰を代弁するかと問われれば、それを第一義の答えとは思わない。私自身は語り手として、語れないものたちの代わりに語りたい。滅びた者、力足らず敗れ去った者、静かになにも言わず息をひきとった幼いものたちの代わりに、これからは語りたい。見えざるもの、形なきもの、ことばなきものの代わりに語りたい。
     そして、そのうえに 天意に添う語りをしたいと願っている。神さまが実在するや否やはそれぞれ個々の判断ではあるが、わたしは大いなる意思があると信じたい。美しきものや良きもの、無償の愛を語ることは天の代わりに語ることになるのではなかろうか。

 

もうすぐ研究セミナーは修了する。セミナーを了えたとき、わたしは新しい、そして古の眼には見えないしるしを引き継ぐ語り手として、歩き出したいと願っている。

櫻井先生、片岡先生 スタッフのみなさま、ほんとうにありがとうございました。

 

 

                     

                          
                                 平成
16124日 改稿