Kに........
 むかし、遠い遠い北の果てに小さな王国があった。王国の主、カイアス王は自分の治めるこの国が小さく貧しく、誇るに足るものがないことを恥ずかしく思っていた。ある朝、カイアス王は城のバルコニーから少しばかりの森や畑とどこまでもつづく平原を眺めていた。晩秋の黄ばんだ風景はいつもにましてわびしく見えた。振り返って王は后に云った。「わたしの国には山がない。天にとどくような高い山がほしいものだ」 つぎの日王は軍勢をひきいて東の国に攻め寄せ滅ぼしてしまった。こうして王は山を手にいれた。

 また、ある朝カイアス王は云った。「わたしの国にはみずうみがない。青く澄んだみずうみがほしいものだ」 つぎの日王は西の国に攻め寄せ滅ぼしてしまった。こうして王はみずうみを手にいれた。しばらくのあいだカイアス王はしあわせだった。ところがある日、この辺境の地にも隊商がやってきた。商人たちはくちぐちにカイアス王の耳もとにささやいた。

「王さま、平原を越えてどこまでもゆきますと、熱く燃える砂漠がございます。そして砂の国にはまこと王さまにふさわしい風よりも早く奔る漆黒の駿馬がいるのでございます。また人の心をとろかす没薬や12人の娘たちが一生かかって織り上げるこの世の栄華をすべて織り込んだみごとな絨毯があるのでございますよ」

「砂の国のもっと先には中つ国がございます。王さま、幾百もの黄金づくりの寺院の尖塔が空にそびえ、寺にまつられた仏像の額には、それ一つぶで国をひとつ買うことができる鳩のたまごほどもあるルビーやエメラルドが耀いているのでございます。そうして蓮の池のまわりをそぞろ歩く娘たちは天女と見まごう美しさなのでございます。」

「中つ国をどこまでもまいりますと、王さまのみずうみを何千と集めたよりもっと大きい海というものがあるのでございますよ。熱い風にふかれながら寄せてはかえす波の音に身をまかせておりますと、どのような哀しみもほどけてしまいます。そして海はそのふところに月の光でできた真珠や血のように紅い珊瑚を隠しているのでございますよ」

 カイアス王は隊商が去ってから、商人が置いていった青いガラス玉を手にして口もきかず物思いにふけっていたが、七日目の朝、国中にふれを出し男たちを集め戦の仕度をととのえて旅立った。后は三人の王子とともににっこり笑って見送った。

 王は戦上手でこどものように疲れを知らず、王の軍勢は勇敢であったので行く先々の国々はカイアス王のまえにひれ伏した。王は風よりも速く奔る駿馬や心をとろかす没薬や12人のおとめが一生かかって織り上げた見事な絨毯を手に入れた。道中何百人もの兵士が戦や病や砂漠の熱に廃れたが、王はそんなことには頓着しなかった。城に凱旋すると后はにっこり微笑って王を出迎えた。しかし一番上の王子がろばに変わっていた。

 カイアス王は一の王子と戦に出るのを楽しみにしていたので、たいそうがっかりした。そこで国中の呪い師を呼び集めたが王子は人間の姿に戻らなかった。しかたなく王は城のなかに黄金つくりの厩を建て、そこにろばになった王子をつないだ。

 しばらくのあいだ、カイアス王はこころしずかに暮らした。しかし二年たつと矢も盾もたまらなくなって、三年目の春を待ちかね王は遠征に旅立った。平原を越え砂漠を越えて王の軍勢は進んだ。向かうところ敵はなく、王はそれひとつで国がひとつ買えるようなエメラルドやルビーを奪い、天女とみまがう異国の女を連れてかえった。后はにっこり微笑って迎えた。しかし二番目の王子が小鳥に変わっていた。

 カイアス王は二の王子と戦に出るのを楽しみにしていたので、たいそうがっかりして、国中の呪い師を呼び集めたが王子が人間の姿に戻ることはなかった。しかたなく王は黄金と破璃で鳥かごをつくり、そこに鳥になった王子を入れた。

 こうしてまた二年の月日が経ち、カイアス王は平原の雪が溶けるのを待ちかねたように軍勢を率いて遠征に旅立った。残った末の王子は早春の花々をつんで母君を慰めようと城の外に出た。ところが行けども行けどもだれにも出会わず、小さなつぼみひとつ見あたらない。疲れて道ばたの石に腰をおろした王子は奇妙なことに気がついた。草原や森からうっすらと灰色の煙がたちのぼり、一部は空を暗く染め一部は城を取り巻いているのである。

 「あれはなんだろう」王子のうしろから不思議な声がした。「あれは耕されない大地の悲しみ、夫や恋人を失った女たちの悲しみ、息子を失った親たちの悲しみが瘴気となってのぼってゆくのだよ」 振り向くと木のように痩せた男が夕闇のように青いマントを身にまとい竪琴を背に立っていた。 「あなたはどなたですか」 「わたしはゼノーだ。ついておいで。」 王子はゼノーのあとに従った。なぜかそうせずにはおれなかったのである。

 やがて小さな村につくとゼノーは広場で竪琴を奏で、歌をうたった。するとひと気のない広場にまず幼いこどもたちが、つづいて女たちや年寄りが姿をあらわした。ひとびとはゼノーの語るものがたりに涙し、陽気な歌に手拍子を合わせた。そのとき王子は村や森を覆っていたあの灰色の煙がいつのまにか消えていることに気がついた。

 それから三日のあいだ、王子とゼノーは村々を回り一緒に過ごした。ゼノーは村で歌をうたうほかはほとんど口をきかなかった。ふたりの寝る場所は森の洞穴であったり、親切な村人が貸してくれた厩であった。木の実しか口にしない日もあったが、王子はこれほど安らかで満たされた日々を送ったことがないような気がした。四日目の朝、小鳥のさえずりで目覚めるととなりに寝ているはずのゼノーの姿はなく、枕もとにはきちんとたたまれた青いマントと竪琴が置かれていた。このとき末の王子は王の息子として自分がなにをしなくてはならないか気付いたのである。王子は青いマントを身にまとい竪琴を肩にかけ歩き出した。国中の村をまわりひとびとに歌を、音楽を、ものがたりを届けるために。

 カイアス王は南の果ての海辺の国にたどりついた。そして海の向こうの珍しい宝やしゃべる鳥や金銀の細工を奪った。帰途は辛酸をきわめ何百人もの兵を失い凱旋したのは、国を出てちょうど一年半ののち、その年最初の雪が疲れきった軍勢の上にちらちら舞い降りた。王は城に着いたが、にっこり微笑って出迎えてくれる后の姿はなかった。王は階段を駆け上り寝室の扉をあけた。しかし大きな天蓋のベッドで妃は冷たくなっていたのである。王は妃をかき抱きぽろぽろと大粒のなみだを流して、こどものように泣いた。王の懐から、妃のためにもってきた、月の光をとじこめた真珠や血のような珊瑚がカラカラと大理石の床に飛び散った。

 そのとき、王の肩にそっと手を置くものがいた。それは青いマントをまといすっかりたくましくなった末の王子だった。王子はカイアス王をやさしくバルコニーにいざなった。「父上、これがあなたの王国なのです」うすく新雪をかむった平原は銀色に耀いていた。「そうだ、これがわたしの王国だった」 カイアス王は涙に曇った目で父祖から受け継いだしろがねの大地を見た。王は泣きながら一の王子の厩に行きろばを抱きしめた。王の涙がろばにかかると皮がとけて王子が姿をあらわした。次に王は二の王子の鳥小屋に行き、鳥かごごと抱きしめた。王のなみだが小鳥の翼にかかると二の王子がすがたをあらわした。

 カイアス王はそれから二度といくさをしなかった。三人の王子と力をあわせ、まつりごとに精を出した。遠征した時、彼の国で見てきたさまざまなことを、それが民のためになるのなら王は渾身の力をこめて実現した。この国は北方の黄金の地と称されるゆたかな国となった。民は国王を敬愛し秋の収穫祭ともなればその年の最も芳醇なワインがカイアス王に捧げられるのだった。

 ときおりまつりごとに疲れたカイアス王の耳に、寄せては返す波の音が忍び入り血潮を騒がせることがある。そんな時王は、バルコニーに立ってどこまでも続く畑と草原を見はるかす。すると、くにたみのひとりひとりの笑顔が浮かび上がってカイアス王は微笑みながら、また机に戻ってゆくのだった。


                       平成14年12月23日