日記「千の昼、千の夜」から語りについて書いた最近のものをまとめてみました。

  
  制限のなかで

再話という。再話はいくどか試みた。けれどテキストを変えることをしないでその制限のなかで、表現によってものがたりに光をあてるほうが今はおもしろい。光の方向、いろあい、強弱、影、ものがたりはいく通りにも変容する。風が吹いている。こんな夜、風の音を聞きながら眠れずにいるひとに安息がおとずれるように。

 わざ

 セミナーのメンバーのなかではTさんの語りが好きだ。おはなしと語り手の距離感がほどよくて心地よい。リズムがある。けれどもセミナーのはじめの頃「おはなしと誠実に向かい合いたい」というTさんのことばにかさかさ違和感があった。わたしにとっておはなしは外側にあるなにかでなく自分のなかにすでにあるものだったから。

 「私は叡智に導かれて,あらかじめ石のなかに潜んでいた芸術作品を鑿と槌で取り出しているに過ぎない」これはミケランジェロの残したことばである。これとおなじことが語りにもいえはしないか。絵本でも文学でも民話でもいい、物語を選択する、ものがたりは身の内奥に沈んでなにかと結びつく、そのものがたりを語ることで浮きあがらせ生命を与えるのだ。浮かび上がるものは千年、二千年の命を持つ大理石の像ではなく、陽炎のような、雨上がりの匂いのような、儚いつかのまの物語であるけれど、そして語り手はそれを聞き手のイメージの力を借りて織り成すのであるけれど。ピエタをダビデ像を見るひとの目に去来するものがあるように、ものがたりもひとのこころに触れ、流れ、ひたひたと寄せきて、思い起こさせる。幼き日にすがったやはらかな手、青い闇、愛しい、いとおしいと囁く声、いにしえの目くるめく想い、風に揺れる梢、さんざめく銀河、手をつたう冷たい水、流れ流れてここにいるわたしたちのありようを ちいさく哀しいそれでいて健気なひとの営みを。

 大理石の塊から匂いたつ青年を彫りだすのも、ものがたりに生命をあたえるのもわざの力である。けれどこれはただ人知、人力によるのではない。ミケランジェロの言にもあるように叡智に導かれることなしではかなわぬことなのだ。表現という、見えないもののなかから美しきもの善きものをかたちに甦らせ現すという行いには霊感が強く関わっているのだ。わたしは幾人かの表現者にインタビューを試みた。そして信頼するひとびとから 同じような洞察と畏れの声を聞いた。

 うた

 シャンソン歌手の由美子さんに自分が歌うのとは違って、なにかに歌わされているような気がすることはありませんか?と聞いたら「天使が降りてくる...ことがたまにあります」自分は空中に浮かんでそれを見ているのだという。それはわたしが語りで感じていることと同じなのだ。また池田かず子さんは「わたしが歌って、お客様から返って、そこになにかがたちのぼる」といった。それもまた、語りにこよなく近い。思ったとおり、語りと歌は姉妹のようだ。
 
 

 表現T

それは先生の「ストーリーテラーはストーリークリエーター」という一文を読んでいて気付いたのだ。きのうまでわたしは先生の持論であるそのことばを、昔話や伝説の再話もしくはライフストーリー、つまりテキストのうえのこととしか考えていなかった。そうではなく語るうえでの表現のすべてをも含んでいたのだと、漸くわかった。
 大きな意味で、それは当然のように思われる。けれどもまた、カタチの残らないその場限りの踊り、歌、芝居、一瞬のインスピレーションによるそれらは創造というより祈りに近い場所にあるようにも思われる。それは弛まざる肉体の鍛錬なくしてはできない。けれどあとは創るというよりは任せればよいのではあるまいか。すでにあるもの、あったもの、けれど新たな一度限りのものが甦る、語り手はその媒介になればよいのではないか。みずからを解き放ち開け放すことによって......声と肉体を練磨することによって、感覚を研ぎ澄ますことによって......。

 
 表現U

 そうか、わたしが思い描いている語りはこういうものだったのだ。テキストに縛られない、生々とした 闊達な 空気と風と光と湿度とその場にいるひとの息吹が溶け合った ものがたり 紡ぎだされるものがたりのわたしは依り座 その場かぎり たちのぼる蜃気楼のような、音楽のようなものがたり.....
わたしは御蔵、データベース、霊感が扉をひらく、ことばは魂に泌みいり、魂から波動がかえり、ことばとなってうねる。寄せて返して寄せて返す、忘れられた情念、埋もれた記憶を呼び起こす。わたしはそういう語り手になりたかった。
声を響かせ、躰を絃にして、想いを解き放つ、虚空へと、想像の翼をひろげ羽搏きを篝火のように燃え立たせる。そういう語り手になりたかった。
ことばが本来もつ魔力を復活せしめる真の意味の創造、大いなる意思、見えざるものの表現者、そういう語り手になりたかった。