研究セミナーに求めるもの

第二期研究セミナーも早いもので三年目をむかえようとしている。そこでわたしたちセミナー生がセミナーで何をまなびたいと望んだか振り返ってみたい。2年前の6月、私の語り・三年間の目標8項目の課題を各自考えに考えて作成した。それをまとめてみることにする。セミナー生24名×8 計192項目であるが、そのうちわけは類似するものをまとめても34項目という多岐にわたる。そこでそれらを5つの大項目に分類してみた。






















     


















































 

 

1   研  究
資料研究14、再話10、物語の選択6、物語の発掘6、創作3、方言3、採話1.その他
2   交流・伝達
聞き手との交流13、物語の伝達・メッセージ8、聞き手への愛情5、アイコンタクト4、参加型の語り2、その他
3   表  現
声の表現21、身体表現11,表情6、間5、リズム5表現4、演出33導入2、アドリブ2 メリハリ2声量2ことば2アクセント1、語り口(自然体の、内容にあう)2発声1、締め1音楽性1、抑揚1その他
4   自分に求める
開放6、自分の語り口5、自分らしさ2、創造性2心のコントロール2自分を高める、品性、個性、客観性 各1その他
5   その他
英語による表現3話を聞く2実践2練習1語りこみ1、娯楽性1、語りを広める1語りのなかの歌1、基本1、安定1、聞き手の開放度1、その他

#なお小項目については創作・再話などのようにだぶっているものはどちらにも計上した
表1三年間の目標
項  目 研 究 心の交流 表 現 自分に求める そ の 他
内   訳 46 38 65 26 17 192
   感   想


集計した結果を見てすこし驚いた。2年前セミナーをスタートした時点で、すでに自分の語りを高めるために必要なことは「自分を成長させること」だと気づいているひとがいたのである。当時、わたしはそのことにまだまったく気づいてはいなかった。その方はすでにセミナーをやめられたが、できることなら語りについてはなしたかった。わたしもいつしか語りを高める究極のものは人間性を磨くことだという結論に達したからである。

 また表現についてもこれほど多くの方々が課題にし心をくだいていることを知って、感慨深いものがあった。研究セミナーがはじまった当時、わたしは語りをはじめて一年のひよこで、語りになぜ強く惹かれるのだろう?ここでその秘密を教えてくれるのだろうかと不安と希望でしめつけられそうになりながら代々木青少年センターの長い階段を昇り、重いドアをあけたのだ。はじめは生意気にも、想いだけがあればいい技術は二の次三の次 と思っていた。
 
 ところが今、わたしは声を鍛錬するため声楽の勉強をしている。芝居をして学んだこともたくさんあった。声にはキャパシティーがあるていど無くては表現の幅がせばまるような気がする.......声の調子を途中でかえたり、緩急、序破急、リズム、歌、それらのことはものがたりのなかに生きていれば自然に自由自在に変わりうる。けれどわざがあればイメージをもっと豊かに美しくそして恐ろしくも伝えられる。このごろははただことばを変える再話より、すでにあるテキストをできるだけかたちをこわさずに、表現によって新しい光をあてるほうがずっとおもしろかった。表現によりものがたりは劇的に変容する。これもカタチは違うが再話といい得るのではないかと思う。

 セミナーの目的は多様な現代の語り手を育てることにあり、そのためのこころとわざを磨く場であろうと思う。セミナー生のいき方も大別して、ものがたりを自分の内なるものとして語っているか、物語に向き合ってかたっているかのふたつにわけられるように感じた。語りは畢竟その人となりが出るのであるから行き着くところは同じかもしれないが。

 正直のところ構造分析や再話の講義の反復は苦痛であったけれど、苦痛であったそのことにヒントがあるような気もする。私自身は民話を語りたいと思わないからである。砂糖菓子のように口当たりのいい再話はからだが受け付けなかった。いつかこころとわざを磨いたのちに、血がたぎるような原初の神話や伝説を語ることができたら。それも標準語で語れたらと思う。

 個人的には、わたしはセミナーでもっと表現のわざを磨きたかった。そして、わたしたちがなぜ語るのか、語りは癒しになりうるのか、ほんとうに語り手の、聞き手の魂を生き生きと甦らすことができるのか、そのためにどのように語ればいいのか、熱く語りあいたかった。ものがたりを伝えるのが一番の目的ではない。もっとたいせつなものがある。

 セミナーでは講義のそとにも自分が考えなくてはならない種がたくさん落ちていた。ここでしか会えないひととの出会いがあった。こういう学びの場はそうそうはないだろう。あと一年、仲間たちとどこまでいけるだろう。語りをはじめてちょうど三年、ずいぶんとぼとぼ歩いてきたものだなぁと思う。わたしたちがこどもたちの魂に響く、疲れたひとを癒すことができるような語りをするために、いったいなにを学べばよいのだろう。

 

2003.4.15