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大友茂光

お知らせ 私は今年で65歳になりました。地域で暮らしてから30年以上になります。一人暮らしをしています。私の場合、手足の自由がきかないので、毎日誰かに来てもらっています。前は地区介の介護者がたくさんいたので、毎日介護してもらっていましたが、この頃はめっきり少なくなり、月に数回泊まりや外出、口述筆記といったところで来ています。それでは生活できないので、ヘルパーに毎日来てもらっています。
 主な介護は食事の介護、着替えから外出の介助、トイレ、泊まりの介護といったところです。他にもたくさん細々とありますが、口では説明しにくいので、実際に私のところに来て見てください。
 私の趣味ですが、iPadやパソコンを使ってネットでゲームをしたりすることです。散歩することも好きです。特に家電ショップや中古屋を回って面白いものを見つけるのが好きです。前は写真を撮っていましたが、なかなか撮るのが難しいので、やめています。
 最後に、ヘルパーだけではできないところがあるので、学生などの介護者にぜひ私の介護に来てもらいたいと願っています。そして、散歩やネットを一緒に楽しみましょう。

写真日記(大友blog)

大山喜美

イメージイラスト 「介護を受けることによって私が出来ることが増えます」

 私は仙台市東隣の多賀城市で、一人で暮らしており、ユニット式の電動車椅子を使用しています。地域生活の始まりは、養護学校を卒業して親元に戻ったことです。
 自らの意志で地域で暮らすことを選択しました。しかし地域は障害者が暮らしやすいようにできておらず、様々な障害物に満ちています。階段、坂道、傾いた道路、等。
 現在私は一人暮らしです。起床や着替え、調理などは、介護派遣事業所から来るヘルパーさんが手伝ってくれますが、地域での暮らしはそれだけで完結しません。ヘルパーさんには、時間数や内容の制約があり、出来ませんことも多いのです。地区介護者会議の介護には、お互いの合意さえあれば、制約はないのです。正にヘルパーさんとの違いはそこにあると思います。私は「障害者」が当たり前に地域の中で存在し、差別をなくすための様々な活動を主に仙台市でやっています。
 介護は、会議に出席する為の外出、食料の買い出しや、銀行関係の用事など、主に家の外でのものが多いです。段差を乗り越えたり、電車の乗降、ドアの開け閉めなどは、一人では出来ないので「外出」の時は介護者が必要です。
どうぞよろしくお願いします


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北村英雄

お知らせ 自分は口と両手に障害を持つ身ながら、管理ばかりの施設生活を嫌がり、この地域で自立生活を介護者と共にしていきたいと考えます。今は学生の介護者も少なくなり、ヘルパー制度を活用して生活をしています。すでに一人暮らしです。強制されずに、自らの意思で動きたいのです。住んでいるのは、仙台南部の太白区長町というところです。

 自分の手と口の代わりをしてくれる介護者を探しています。特に、外出するときや衣服の着脱するときに介護が必要になります。例えば、買い物をするときや乗り物に乗るときに、ポケットからお金を出すこと。それから、ときどき外出先で食事することがあります。そんなときに介護が必要になります。介護をするときには、こちらから合図(指示)しますのでそれに従ってください。
 自己表現は、口と手が自由に利かないので、足で地面に描く方法(足文字)とボディランゲージを使用しています。自分の足文字を介護者に読んでもらうことで、会話が成立しています。当初はなかなか分かりづらいと思いますが、めげないで読んでほしいと思います。あと、頻繁に口からよだれが出ますので、外出のときはポケットから布巾を取って口に当ててもらうことがあります。その時に、よだれを汚いものと決めつけないでください。
 自分と共に外に出ると、周りから異様な視線で見てくることもあります。見られないモノでも見るような視線を感じます。そんな時に、こちらは人身御供になり萎縮してしまいますが、「ゾンビではない」ということを伝えていきたいと思います。その一方に見せつけ効果ということもあり、どしどしと街(社会)に出ていきたいのです。それで意識的に社会に対して、「障害者」の存在を訴えていきたいと思っています。


興味のある方はこちら→自分史


自己紹介動画アップしました!
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 挨拶
 
 足文字

 着替え
佐藤康夫

イメージイラスト 自己紹介
佐藤康夫 平凡すぎるこの名前に私自身まだ納得はしていないが、長年使っているのでいまは便利上これで行ってます。
わたしの障害名(障害者手帳)は「筋萎縮症による四肢機能損傷」です。分かり易く言うと全身の筋(力)肉が無くなっていく病気で進行性です。進行性というのが厄介で年齢と共に機能が低下します。
それでも地域での生活を始めたころは衣服の着脱、トイレ、ベットから車いすへの移乗など出来ていたので独り暮らしも可能でした。しかし歳月を重ね運動機能も低下し現在は生活の殆どを介護者とヘルパーさんにお願いして地域生活を続けています。
 地域生活を始めた時に感じた自分だけの空間、自分の名義の電話を設置した時の一人前になったような人としての存在感を感じたこと、介護者をはじめとする沢山の人との出会いを忘れずに、現実、介護者が少なく、ヘルパーも受け入れ皿が満杯と生活は厳しくなる一方で、日々の生活もぎりぎりですが、これからもこれまでのようないろいろな「であい」を感じながら地域生活を続けていくことが、何もない、何も持っていないわたしの目標なのです。

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