京都洛東
06.11.29

訪れたところ

哲学の道 左京区南北に走る1.8kの道
 銀閣寺   京都市左京区銀閣寺町2        
 法然院  京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町
光明寺  京都市左京区黒谷町12     


真如堂より白川通りを越え哲学の道に入る。 
雰囲気が一変し、昔は此方で京大生が思索にふけったのであろう。

有名な桜並木の葉は、すっかり散っていたが、疎水沿いの敷石の道は
地蔵や洒落たカフェ、古き懐かしさを感じさせる店やがほどよい所にあって飽きさせない。

その行き着く先は銀閣寺(慈照寺)の参道に繋ながって行く。


疎水沿いの哲学の道に憩う中学生。  修学旅行なのかな?



銀閣寺

銀閣寺は俗称で正しくは慈照寺と呼び1482年に足利義政の山荘として建立され、彼の死後

慈照寺として今日までに至った。  ここで義政を中心に禅宗文化を基につくられた

東山文化が近世的な日本人の文化を形づくって行ったのであろう。


賑わいを見せる銀閣寺参道

清水寺の参道よりは少し狭いが道の 両側に小さい店屋が軒を連ね
独特の雰囲気。 真如堂で出合った外国人連れと又出会った。





生け垣のアプローチを行くと白砂の向月台が見えた。





向月台の背後に銀閣(観音殿)、 屋根には金の鳳凰が銀閣を護る。





二階は花窓を持った禅様式で、一階は書院風に造られ、簡素な侘びの佇まい。








桧皮葺の屋根は「東求堂」現存する日本最古の書院造り。 (国宝)
北面東側にある四畳半が草庵茶室の源流となり、東山文化を育んでいった。




枯山水庭園



波紋を表現した銀沙灘と富士山の様な向月台



月待山の頂上より見る銀閣寺庭園と今出川の街屋根が見える。

背景となる月待山の庭と紅葉が素晴らしく、
在りし時代を風靡した足利義政の山荘だけのことはある。

月待山の頂上まで小道を登ると、銀閣寺全体が眺められ、
義政も此方に登り、同じ様に見ていたかと思うと感慨もひとしおである。



盆栽を思わす楓








法然院

此方には道すがら寄ってみた。

鎌倉時代に法然上人が弟子を連れて此方で修行を行った所で、その後
智恩院の萬無和尚が念仏道場として伽藍を整えたといわれる。



法然院への階段



珍しい萱葺きの三門

山門を潜ると参道があり、両側には大きな矩形の白砂壇があり、文字が書かれている。
こちらを通ることにより身が清められるといわれている。


参道



方丈庭



宝塔




黒谷光明寺


法然院よりの帰えり新撰組で有名な黒谷光明寺に寄る。

こちらは法然上人が1175年初めて比叡山を下り、道場を開いた地で、浄土宗四大本山の一つ、

近年では会津藩京都守護職松平容保が本陣を置いた所で新撰組の発祥の場所でもある。


入口左に京都守護職本陣の新しい札があり、寺も商売熱心?




三門

この門は新しく幕末の1860年建てられた。

こちらで近藤勇と土方歳三が初めて京都守護職・松平容保公に拝謁した。

NHK大河TVの撮影は、この三門から撮影が始った。 秋のご開帳で三門に上がって

見ると、二本の太い欅の柱がむき出し造りが新しい。 二人のお爺さんがいて説明をしてくれた。




三門天井には蟠龍図が描かれていた。 狩野派・中殿暁園の作
縁起と火災予防の意味もあり描かれたと言う。



中央には宝冠の釈迦三尊像、左右に普賢と文殊の両菩薩が護っている。




取り巻きは16羅漢像の列



三門上より見る三重塔

東山を背景にした三重塔の元には幕末、鳥羽伏見の戦いで亡くなった人々の墓がある。



本堂・阿弥陀堂

本堂は1612年に豊臣秀頼により再建されたもので、手前の松は熊谷直実が
一の谷の合戦で平敦盛の首を取った際の鎧を洗い松に掛けたと伝えられている

謡曲の”敦盛”では少年敦盛を手にかけ、その霊を弔う為、法師となって、その亡霊と出会う。




銀杏散り そ知らぬ顔の 阿弥陀仏


この度の京都散策は寒くもなく暑くもない京都の晩秋を楽しむことが出来た。

四季を楽しめる国に生まれ、喜びを感じられる一日であった。


NEKT  おわり  MENU