町内会

♪芽が出てふくらんで♪

かたつむりの会

「かたつむりの会」は我が町内会

 

名前の由来

公団住宅が山を開発し、グループ分譲が2か所ありました。そこへグループで入居したのが「かたつむりの会」でした。それ以前にマイホームを持ちたいと考えていた知り合いの方に入会の声を掛けて頂き、我が家もよせてもらいました。職場関係の宿舎住まいだったのでいずれ出なければという宿命だったのでよい機会でした。会の名前はつまり家探しのグループだったので「かたつむりの会」と名づけたそうです。グループ分譲は2か所で公団の都合で15軒分揃えてくれとのこと。急きょ、また知り合いに声を掛け揃えて成立。そしてもう1か所は三沢ホームの業者がグループの形式で18軒分揃えて入居。「かたつむり」に合わせて「あじさいグループ」になりました。

2つのグループは決定的に違いがありました。それがその後悩みの種になっているのですが・・・。

目指していた事

もともとは木幡にある「あじろぎ横丁」というコーポラティブハウスをモデルにしていました。でも中々話がうまく進まず解散寸前だったので、メンバーが抜けたり、入れ替わったりしていました。町内のメンバーを先に募り、日頃の生活の中で町内の交流を大事にし、子育ても一緒にできたらという趣旨が含まれていて、そのためにそういう時に使う共有地を持ちみんなで管理するということにもなっていました。

「あじろぎ」は真ん中に共有地をとり周りに家を配置してありました。でも公団では既に家の区割りは出来ていて、全体で500戸の開発の中の一部で山の端の方にこの場所をとり、共有地も端に持って行き宇治市所有の山とフェンス境になっています。

その共有地で季節行事を会として楽しみ、交流しているというのが我が町内会です。今入居してから約24,5年が経ち状況もいろいろ変わってきています。どこも同居ではないのですが孫たちも参加する頃となりました。

自分たちの子どもが小さい頃は夏のキャンプもあり、泊まりがけで出かけたりということもありました。また垣根の木を抜いて段差には階段をつけ裏表の行き来がしやすいようにもしてあります。

共有地の悩み

始めは共有地を一緒に持つかたつむりグループとあじさいグループとで交流のため、一緒にお餅つきなどをやっていました。悩みの種はその後あじさいの方には、だんだん参加してもらえなくなったことです。せめて作ったお餅だけでもと配っていた時期もありましたが、相手に負担になるならとそれも止め、かたつむりだけの行事になってしまいました。何しろ業者(三沢ホーム)が形だけグループにしたのと目的を明確に持っていたグループとではその趣旨が共通になってはいなかったのです。でも共有地の管理だけは公団の始めの設定で法的にも15+18の33軒の管理になっていて固定資産税などがかかってくることになっています。いらないという人たちとの間で気持ちの差ができてしまいました。こうなると公団の設定が悪かったことになるし、2つのグループの差を考えた時に条件をそのまま受け入れたことが、まずかったというのが今の教訓ですが、何度もあることでなし、当時はこういう問題点に気が付きませんでした。

ここの住宅にはもう一つ教訓があります。500戸で汚水処理場があったのですが、宇治市の設備が整った時点で各家庭と下水の設備が直接繋がった時にはその処理場がいらなくなるという事でその事後処理に困っています。管理組合を作って管理していたのですが、土地が500戸の共有名義になっていてその土地の処理に困っていることです。聞く所によると同じように山を開発した700戸の明星町は業者の名義で管理組合が管理していて後始末が面倒にはならなかったとか。今税金対策で市民農園用の土地として宇治市に提供していますが、いつまで続けられるか?管理組合では無償で宇治市に寄付することを決定して手続きを進めていますが、500軒分の手続きがなかなか済まないので、交代でやる役員さんが困っておられます。始めに後々困らない方法の先見の明がなかったという事ですが、難しいものです。

みんなで良い解決法を

そこで我が町内会の共有地は現に使っているのですから、いらない人たちがすぐ何とかしてくれといわれても、一緒によい解決法をさぐっていくしかありません。そして、当初の共有地の役割の趣旨は大事にしてもらいたいものです。土地の全部は使っていないので、よい分割方法があればよいのですが・・・。

また近年のいろんな災害を考えた時に、助け合える条件を大事にしていきたいものです。近所のつながりを大事にして、また倉庫の道具や経験で炊き出しなどのノウハウなども大事にしていけたらいいのですが・・・。

 

 

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