ビフォア・ミッドナイト [映画] Before Midnight
「ビフォア」シリーズの3作目である。1995年の1作目「恋人までの距離(ディスタンス)」[原題:Before Sunrise]で、イーサン・ホーク演じるアメリカ人のジェシーとジュリー・デルピー演じるフランス人のセリーヌはヨーロッパを走る列車の中で出会い、ウィーンで降りて夜明けまでふたりで街を歩き回った。2004年の第2作「ビフォア・サンセット」[原題:Before Sunset]では、ふたりが9年ぶりにパリで再会し、ジェシーが帰国のために空港に戻るまでに残されたわずかな時間を一緒に過ごした。そして2013年のこの第3作では、そのまた9年後、夫婦になっているふたりが子供達と一緒にギリシャを訪れて、午後を過ごしている。いずれも半日かそれに満たないような時間の、ほとんどふたりの会話が主体の映画で、何か事件が起きるわけでもない。ところがその会話が自然でウイットに富み、またそれぞれの考え方のずれと心が揺れ動くさまが見え隠れして面白く、ふたりの会話を聞きながら一緒に時間を過ごしている気持ちで映画に引き込まれてしまう。そして9年ごとに撮られたことで、23歳、32歳、41歳とふたりが重ねていく歳がそのまま映画に反映され、3本の映画が人生のひとこまずつを切り取った形になっている。まさにそれぞれが、映画を観ているものの人生と、同時進行で続いている彼らの人生のそのときどきの一部なのだ。
3作目まで観ると、映画のあちこちで示唆されるのは、人が生きるということは一瞬の連続だということだ。あるいは映画に描かれるような一瞬と、ただ時間が過ぎて行くだけの一瞬の違いはあるのかも知れない。また確かに振り返ってみれば、あのときに違う決断をしていれば今の人生は違っていたということもあるかも知れない。でもこの3作にしても、人生の最重要な一瞬というわけでもなく、連続している時間のなかのトピックの一部に過ぎない。だから一瞬一瞬を大切にしろとか、言っているわけでもない。ただ時は流れ、それぞれの人生が過ぎるというだけのことだ。あの頃自分にはこんなことがあった、あのふたりは今どうしているだろう、そんな気持ちでずっとそばに置いておきたい、そんな3本の映画である。
(2015.6.2)
にぎやかな未来 [本] Nigiyakana Mirai
1968年のある日、JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口近くの書店でこの本に出会ったときから、筒井康隆のファンになってしまった。この本はショート・ショート集で、おもわず笑ってしまうドタバタや、ほのぼのとしたファンタジイ、ひねりのきいたSFが、長尾みのるのコミカルで味わいのあるイラストとともにぎっしり詰まっている。筒井康隆30代初めの作品である。それ以降、筒井康隆のバラエティに富んだ世界とその変遷を楽しんできた。
小説やその漫画、テレビ、舞台などへの作品展開(役者志望だった本人も登場)はもちろん、JAZZの世界では山下洋輔がLP「家」・「筒井康隆文明」(筒井康隆はナレーション等で参加)を出すなど、交流活動も興味深かった。テレビで有名になる前にタモリを知ったのも、ハナモゲラ語や全日本冷し中華愛好会と並んで、筒井康隆と山下洋輔らとの交流関係からである。
著作の方はSFから実験的な作品に進み、前衛文学、純文学にまで位置づけは広がっていく。主人公が気を失っている間は白紙が何ページか続く作品、使用できる文字が1章ごとに1字ずつ減っていく作品など、驚かされる作品も多い。これらの試みについては、今年2月に出版された「創作の極意と掟」で詳しくご本人が解説している。思えば、12代編集長を務めた雑誌「面白半分」の1977年9月号で、タモリの原稿が締め切りに間に合わなかったからといって4ページ分を白紙で出したのも、この種の試みの一つだったのかもしれない。常に虚構の世界を虚構として描くことにこだわり続けている作家だと思う。それらを読んでいると、逆に言葉で表されるものは芸術作品にしろルールにしろ単なる表現に過ぎず、現実はただそこにあるだけのものだと分かってくる。
そんなわけで、筒井作品から学んだことは、「人間は宇宙の塵である」ということと、「人間は本来、なにをしてもいい」ということである。自分の価値観に基づいて、あとは判断すればいい。
ちなみに筒井作品のいろいろな意味で代表作と思っているのは、最初の短編集「東海道戦争」所収の「しゃっくり」である(単行本1965年刊。1973年刊の文庫本で読んだ)。後年、アメリカ映画「恋はデジャ・ブ」(1993年)を観た時、これはまさに「しゃっくり」ではないか、と思った。
(2014.12.3)
マイ・フェイヴァリット・シングス [音楽] My Favorite Things
ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の中の一曲、「私のお気に入り」は、JR東海のCM『そうだ 京都、行こう。』にも使われ、なじみが深い。ジャズの世界ではこの曲は、ジョン・コルトレーンの定番曲となっていて、和訳せずに「マイ・フェイヴァリット・シングス」と呼ばれる。
コルトレーンは1960年にそれまで所属していたマイルス・デイヴィスのバンドを離れて、バンド・リーダーとしてレコーディングを行い、この曲をタイトルとするアルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』をリリースした。それ以降、この曲はコルトレーンの曲、ソプラノ・サックスの曲として、『サウンド・オブ・ミュージック』を離れて一人歩きを始める。コルトレーンはアルバムのリリース後、演奏スタイルがフリー・ジャズへと変わっても晩年まで、コンサートでこの曲を演奏し続けたのだ。私のiPodには、その演奏の24バージョンが納まっていて(異なるアルバムでの同録音の重複は1組だけ)、タイトル・アルバムの1960年の演奏以外はすべてライヴ録音である。ちなみに24バージョンは、最短の11秒の演奏(ライヴ演奏の途中の一部だけ)ひとつを除くと、13分8秒から最長57分21秒(1966年7月の東京でのライヴ)まで、だいたいが17分から23分の演奏である。
この曲だけを聴いても、コルトレーンの音楽の変遷をたどることができる。マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、ジミー・ギャリソンを擁する黄金カルテットの演奏では、耳慣れたオリジナル・レコーディングのフレーズをもとに、さまざまなバリエーションを楽しめる。これにエリック・ドルフィーのフルートが加わると、味付けが少し変わって、より自由な展開になる。そしてファラオ・サンダースやアリス・コルトレーン、ラシッド・アリなどを伴った1966年以降の演奏になると、リズムも変わり、耳慣れたフレーズが聴き取れるのはほんの一部であとは各メンバーが頂点を目指してフリーで突っ走るスタイルとなって、聴く方もスリリングな緊張感を味わうようになる。
今年発売された1966年11月のテンプル大学でのライヴ・アルバム『オファリング』でも、「マイ・フェイヴァリット・シングス」を聴くことができる。前述の『ライヴ・イン・ジャパン』と、亡くなる3ヶ月前、1967年4月の『オラトゥンジ・コンサート:ザ・ラスト・ライヴ・レコーディング』に挟まれて、それらでの演奏と並ぶ迫力に満ちたライヴである。
(2014.8.29)
ある日どこかで [映画] Somewhere in Time
初めて観た時、観終わってすぐに、もう一度観たくなった。最初のパーティーのシーンでひとりの老婦人が主人公に歩み寄り、ひとつの言葉と懐中時計を残して立ち去る。その時、主人公を見つめる彼女がどんな想いでいたか、映画を観終わって初めて分かるのだ。
ストーリー、俳優、背景、音楽が一体となって、淡い、時空を超えた物語を綴っていく。主人公が心惹かれる古い写真で投げかけられている女優の微笑みの意味、過去と現在の両方を見守っている人物、悲劇に終わるきっかけとなるほんの小さなものなど、映画としての面白さを増す仕掛けも散りばめられている。
特に一度観たら忘れられなくなってしまうのが、ジョン・バリーによる音楽だ。テーマ曲には、この映画のすべてが凝縮されていると言える。その緩やかなメロディを聴くだけで、映画のシーンが次々と浮かんでくる。1980年に公開された映画の音声はモノラルだった。CDでは1998年の再録音盤なら、オリジナルのサントラ盤よりも良い音で、ストーリーに沿ったより多くの曲を味わうことができる。
また物語の仕掛けのひとつともなっているラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲 第18変奏」も、物語に融け込んで、強く心に残る。この曲は原曲の全変奏を聴いた時も、それまでのダイナミックな、あるいは重々しい変奏から一転して、曇り空に明るい晴れ間が覗いたような爽やかな印象を残す。映画の中での幸福感を感じるのにふさわしい曲だ。
ところでジョン・バリーの作品には「ある日どこかで」のほかにも「ハノーバー・ストリート/哀愁の街かど」や「愛と哀しみの果て」などの美しい曲が多いが、ジョン・バリーと言えば、007シリーズの作曲家でもある。そんなジョン・バリーの曲の中で、一番好きなのは実は「さらばベルリンの灯」である。非情な世界に生きるスパイの孤独感が、しみじみと伝わってくる。映画は1966年の作で、原作はアダム・ホールのクィラー・シリーズ第一作、「不死鳥(フェニックス)を倒せ」だ。70年代から80年代にかけてクィラー・シリーズを愛読し、ジョン・バリーの曲も気に入っていたが、映画を観ることができたのは、ずっと後のことだった。この映画自体は、特に印象に残っていない。
(2014.8.17)
サンバ [音楽] Samba
サンバの4分の2拍子のリズムは陽気だけれど、メロディは切なく懐かしい。
ポルトガル語にはSaudade(サウダーヂ)という言葉がある。無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情、追い求めても叶わない憧れといったニュアンスが混ざった言葉で、ほかの言語には訳すのが難しいのだが、サンバを聴くとそれを感じられる。Saudadeはボサノヴァの重要な要素と言われるけれど、洗練されたボサノヴァよりも、奴隷労働者の歴史を背景とし、生活に根ざした庶民の音楽、サンバのほうがSaudadeにふさわしい気がする。
そんな感じは、クララ・ヌネス、ネルソン・カヴァキーニョ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、ギリェルミ・ジ・ブリートといった人たちの歌を聴くと味わえる。またフンド・ジ・キンタルのようなグループや、カルナヴァルでエスコーラ・ジ・サンバ(サンバ・コミュニティ)によって歌われるサンバを聴くと、皆の歌声が一体となって、古くからの仲間と一緒に夕暮れ時を迎えたような、懐かしい気持ちになる(言い表すのが難しいのだ)。
ブラジルの人たちは一緒に歌うのが好きだ。コンサートでは気に入った曲になると、バラードでも皆で声を合わせて歌いだす。サンバの歌手のお葬式でも合唱が始まる。今年のサッカーW杯では試合前のブラジル国歌斉唱で、規定の90秒で演奏が終わったあとも選手が、観客が、そしてエスコート・キッズまでが大きく口を開けてア・カペラで歌い続け、スタジアム中が一体になっていた。
そんなブラジルの人たちのサンバを、暑い夏こそ一緒に楽しみたい。
(2014.7.16)
宇宙のファンタジー [音楽] Fantasy
世界で一番好きな曲は何か?と聴かれたら、この曲を挙げる。アース・ウインド&ファイアー(EW&F)の、1977年のアルバム「太陽神 (All 'n All)」に収録されていた。
EW&Fのファンになったのは1975年のアルバム、LP2枚組の「灼熱の狂宴 (Gratitude)」からで、このライブ・アルバムでは観客が一体となった熱狂ぶりがすごかった。次いで1976年の「魂 (Spirit)」、そして「太陽神」へと続く。
もともと聴いていて身体が動いてしまうような曲が好きで、EW&Fの曲と言えばリズムの洪水が魅力なのだが、A面の2曲目、「Fantasy」が流れると邦題どおりに想いが時空を超えて宇宙に、明日に拡がり、心まで動かされてしまった。その頃はまだ素直だったからかもしれないが、それから何年も聴き続けて心に刻み込まれてしまっているので、もうこれから先、自分にとって世界で一番の座は揺るがないだろう。
1979年の3月に、日本武道館でのEW&Fの公演を聴きに行った。パンフレットの表紙はアルバム「太陽神」のアートワークと同じ、ピラミッド、神殿と宇宙というコンセプトによる長岡秀星氏のイラストに、ステージ上のメンバーの写真があしらわれたものである。そして伝説にもなっているトリッキーなステージショウを見せてくれた。ステージ上のピラミッドの内部にメンバー全員がひとりずつ入って行き、そのピラミッドが空中に吊り上げられると爆発音とともに形が崩れてメンバーは消滅、と思いきや、ステージ上に別の衣装で全員が既に戻っていたというものである。
EW&Fはその後、人気のピークを向かえたあとの活動の不振と一時停止、リーダーのモーリス・ホワイトが病に冒されるなどの問題もかかえるが、今でも活動は継続しており、2013年には前作から8年ぶりに原点回帰をテーマとしたアルバム「フォーエヴァー(Now, Then & Forever)」をリリースした。そして「Fantasy」は「September」などのほかのヒット曲と並び、今でもEW&Fのライブでは必ず演奏されている。
(2014.6.8)
ブルー・トレイン [音楽] Blue Train
1967年の秋から、JAZZを聴き始めた。きっかけがあったので覚えている。高校の文化祭で、有志が集まって教室を借り、ジャズとフォーク・ソングのレコード・コンサートを開いた。私が担当したのはステージに掲げるビラだったが、終わってから使ったLPレコードを何枚か借りて家で聴いた。その1枚が、ジョン・コルトレーンの「ブルー・トレイン」だった。最初から本格的な名盤を聴いたわけだが、コルトレーンの初期のものだったことも良かったのだろう、メンバーのそれぞれがソロを展開し、絡まっていくというJAZZの楽しさを、初心者でも味わうことができた。私にとって、「ブルー・トレイン」はJAZZの世界の旅へと最初に乗った列車である。
1967年の7月にコルトレーンが亡くなっていたことを知ったのは、そのあとのことだ。だからそれからは、既に録音済みの彼の演奏を、行きつ戻りつ、遍歴していくことになる。彼の演奏は、ハード・バップからモード・ジャズ、フリー・ジャズへとスタイルを変えながら、テナー・サックスあるいはソプラノ・サックスで激しく音をほとばしらせながらも、常に自分に向き合い、高みを求めて静かに考え詰めているように思える。それに聴く者の心も引き動かされるのだろう。聴き続けるうちに、いつしか年の差は逆転してしまった。それでもまだ、彼が道を追求していくのを、こちらは追いかける身だ。
もう一方のJAZZの巨星、帝王マイルス・デイビスについては、聴き始めた頃はあの達観したようなミュートの演奏が、しっくりこなかった。しかし同時に生き、時代とともに常に変化する彼の演奏をオン・タイムで聴くうちに、周りのミュージシャンと同じように自分も変革を促されているかのように感じるようになった。幸いなことに、1987年と1988年の2回、よみうりランド・オープンシアターEASTで、マイルスの生の演奏に接することができた。トランペットを下に向けて地面に魂を吹き込むかのように演奏する姿と、他のメンバーが演奏しているときにはそれを鼓舞する様子が印象的だった。この頃のライブ演奏は、アルバム「Live Around The World」で聴くことができる。1986年にアルバム「TUTU」を出したあとで、マイケル・ジャクソンの「Human Nature」やシンディ・ローパーの「Time after Time」も採り入れ、もうJAZZというジャンルを超えた「マイルスの音楽」になっていた。そんなマイルスも1991年に亡くなってしまったので、結果的に最晩年の姿を見守ったことになる。
そんなわけでグラスリッツェンでは、同じ1926年生まれのこのふたりの敬愛するJAZZミュージシャンの横顔を刻ませてもらった。
(2014.6.8改)
桐島、部活やめるってよ [映画] Kirishima, Bukatsu Yamerutteyo
部活がメインの高校時代を送った自分にとって、この映画はその頃の自分とも重なる、大事にしたい映画だ。
あれから45年以上もたっているのに、登場する高校生たちの気持ちを想像できる。昔も今も、高校生活はあまり変わっていないのだろうか。そう思って原作も読んだら、原作では学内ヒエラルキーが主題となっていた。映画でもそれらしいセリフがある。しかし自分には、映画では「上」の人間と「下」の人間ということよりも、部活にかける思いが生徒の立場を分けているように思えた。
実はこれは、映画の作り方に依っているようだ。映画は、視点を変えて同じシーンが繰り返されるスタイルになっている。しかしどの視点であっても、原作と違って誰かの心のうちが語られることがない。登場人物の本当の心の動きは、表面的な会話と投げかける視線から、観る者が想像するしかないのだ。だからこの映画には、分からないとか、退屈だという感想も多い。自分では泣けるシーンが、他の人にとっては笑いを誘うシーンということもあるようだ。ヒエラルキーも、自分があまり感じていないだけかもしれない。
それにこの映画は、高校を舞台にしているがもっと普遍的な世界で成り立つ話だと言う人もいる。それでも、弱くても苦しくても自分で決めたんだからやるんだ、という高校生活を送ってきた身には、これはまさしく青春映画である。ひとりひとりの発する言葉と視線の奥にどんな思いが込められているか、注意深く考えながら繰り返し観ると、ますます登場人物たちがいとおしく見えてくる。
(2014.5.21)
ブレードランナー [映画] Blade Runner
フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作とするこの映画には、5つのバージョンがある。1982年のオリジナル劇場版とインターナショナル劇場版(完全版)、1992年公開のディレクターズカット(最終版)、2007年公開のファイナル・カット、それに1982年に公開前に観客の反応を見るために上映されたワークプリントである。
何が違うかというと、ポイントはふたつある。ひとつは主人公のモノローグ。オリジナル劇場版と完全版に採用され、一人称で語られるハードボイルドそのものの雰囲気をロードショーの劇場で楽しんだが、説明は余計だという理由で最終版とファイナル・カットでは削除されてしまった。もうひとつは、主人公がレプリカント(アンドロイド)であることを仄めかすためのシーンが、最終版以降に挿入されたことだ。
どちらも監督の意向に反して、自分が好むのはオリジナル劇場版と完全版の方である。
ディックの作品の主人公はいずれも、自分という存在は何なのか、自分の記憶は、意思は、本当に自分のものなのか、誰かが造った世界に自分は生きているのではないか、という疑問を抱えている。したがってディックの信奉者としてはこの映画でも、主人公は人間であり、自分の存在意識の揺らぎを一人称の視点で見ていることこそ、意味があると思うのだ。
初めて映画館で見てから40年近く経ってもこだわり続け、関係する本を読み、レーザーディスク(2バージョン)、DVD(5バージョン全部)、ブルーレイ(5バージョン全部)、4K ULTRA HD(1バージョン)と出るたびに買ってしまう、それが自分にとっての「ブレードランナー」なのである。
(2020.5.3改)
ウエスト・サイド物語 [映画] West Side Story
初めて見たのは45年以上前になる。吉祥寺のオデヲン座で「サウンド・オブ・ミュージック」、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」との3本立てだった。ミュージカル映画は初めてだったので、不良っぽい若者たちがニューヨークの路上で急にバレエのように踊りだしたときには驚いた。『ママが泣いてる』のセリフにジーンとし、「クインテット」でそれぞれの思いが交差して盛り上がるのに心躍らせ、「クール」の歌と踊りに圧倒された。
この映画で、ナタリー・ウッドのファンになった。「グレート・レース」でさらに心をひかれたが、後年、残念ながら映画の撮影中に亡くなってしまった。
「ウエスト・サイド物語」はバーンスタインの作曲によるもので、自らオーケストラを指揮し、超一流のオペラ歌手たちが独唱を担当したCDが存在する。演奏は素晴らしい。しかし歌はというと、歌唱としては一流なのだろうが、気持ちが少しも伝わってこず、感動できない。ミュージカルの味わいは違うところにあるのだろう。
映画はその後も何度も見ているが、いつまでも色褪せない。まだ若かった頃の感動が蘇ってくる。私にとって、「ウエスト・サイド物語」は生涯のベスト・ムービーである。
(2014.4.27)
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