13th アニバーサリー

 
 文化の日は美術館へ行こう!
 

 11月3日(土)文化の日 は木田金次郎美術館、 13 回目の開館記念日です。
  みなさまに感謝の気持ちを込めて、2つの内容でお贈りいたします。

 

観 覧 料 無 料

 特別展示『橋浦泰雄−旅への導き』の終了前日です。お見逃しなく !
 特別展図録や会期中のみ販売の橋浦泰雄関連書籍は、この機会にぜひお求めください。
 そのほか、屋上展望回廊からは秋を迎える岩内の風景が楽しめます。岩内山の紅葉を眺め、港からの汐風に吹かれてみませんか。
  また、ティーラウンジ「クルー」のホットコーヒー (1 杯/ \300.) は“岩内海洋深層水”を使用しています。おすすめですよ♪

文化の日

ワークショップ

「 KIDABI'S ART CHAMP」 キダビ'ズ アート チャンプ
                 右脳のエクササイズ!
  木田金次郎の作品鑑賞を楽しくすすめるツールを用意しています。作品鑑賞のチャンピオンになれるかも?鑑賞アドバイザーの「モリー」から出されるミッション ( 問題 ) を達成すると、 1 つの答えが導かれます。

※開館時間内自由参加
(M.K)


特別展示

 
 木田金次郎の交流圏 「 橋 浦 泰 雄 − 旅 へ の 導 き 」 展
 

7月4(水)〜11月4日(日)

 


 これまでとはひと味違う特別展示が、7月4日から開催されています。
 木田金次郎と、民俗学者橋浦泰雄との交流によって展開された、日本の絵画史上・民俗学史上非常に重要な位置を占めると言っても過言ではない、意欲的な展覧会です。

 橋浦泰雄は、日本民俗学の生みの親ともされる柳田國男に師事し、現在の民俗学に大きな影響を与えました。しかし橋浦を民俗学に導いたのが、他でもない、木田金次郎の漁師時代の体験だったのです。
 木田と橋浦の交流は、北海道全域を覆うほどの広さをみせました。全道各地での画業はもとより、建築家・田上義也が北海道で制作することを決意したのも彼らの影響でした。

  詳細は先月号の「どんざ丸」で紹介していますが、この北海道の片隅・岩内という地で、中央に影響を及ぼすほどの文化芸術が花開いていたことを、かいま見る展示です。
  岩内の文化レベルの高さを実感する展示です!どうぞお越し下さい!

 
  O.R
 
 


夏休み特別ツアー
 

 『 し り べ し ミ ュ ー ジ ア ム ロ ー ド の 旅 』

 
2007年8月10日
 


 『それぞれの趣 (おもむき)』展を各館学芸員の展示解説付きで巡るバスツアー!岩内第一中学校の美術部員16名と顧問の小川先生、町内の小学生2名でいざミュージアムロードの旅へ。参加者のみなさんは、各館ともに真剣な表情で解説を聞き、鑑賞していました。
 大人になってから美術館へ足を運ぶ動機付けとして『小さい頃に美術館へ行った経験』が重要だという話を何かの本で読みました。ヘロヘロになりながら 4館を巡った参加者のみなさんの胸に、この日の出来事が刻まれるよう願っています。絵を鑑賞するのも体力勝負ですね。参加者のみなさま、そしてお忙しい中丁寧な解説をして下さった各館学芸員の皆様、ありがとうございました。

■ 参加者 小中学生 18 名 ( 岩内第一中学校小川先生引率 )

 

M.K

 
〜なごやかな時がながれた〜
 

♪ 生 誕 祭 ミ ュ ー ジ ア ム コ ン サ ー ト ♪

 

 ミュージアムコンサートが7月13日(金)に展示室2で開催されました。
  「生誕祭」といえばおなじみのメンバー、チェロ/竹本利郎氏・チェンバロ/明楽みゆき氏・オーボエ/岩崎弘昌氏による、バロック楽曲や親しみのある曲目で演奏されました。
  皆さま岩内がお好きで、毎年殆どボランティアでいらしていただいてます。
  クラシックが大好きで、毎年ミュージアムコンサートに尽力していた、前美術振興協会会長の山田さんへ追悼の気持ちも込めて、「アヴェ・マリア」「アメージング・グレース」なども演奏されました。
  O.R
 

橋浦康雄の魅力ある人間性が浮彫りに
 
生 誕 祭 記 念 講 演   鶴 見 太 郎 氏
   
 

 7月15日、「橋浦康雄の眼−故郷遍歴−」と題して早大準教授鶴見太郎氏の記念講演があり、木田と親交を結んだ橋浦の卓越した組織者としての有能性を豊富な事例をもとに詳述し興味深かった。
  以下その要約である。  

 

 橋浦は 1888 年、鳥取県岩本で指折りの大地主の家に生まれた。父親は進んだ考えの持主で橋浦も自由な雰囲気の中で少年期を送ったようだ。小学校卒業後に文芸サークルに加入し郷里の年中行事の復元等に意欲を示した。
  1912 年上京、社会主義運動に参加し 1920 年以降は弟の季雄を介し有島の知己を得る。当時有島は作家として名声がありまた資産家でもあったが逆にそれを負担に感じていたせいか、故郷の人達と絶えず連絡を取り合う橋浦の誠実な人柄に好感を抱く。木田に対する有島の態度でもそれは伺える。故郷で画業一筋に生きる木田の姿に有島は橋浦同様の人としてのまともさを見出したに違いない。
  1925 年、札幌在住の兄小谷義雄家を手伝うため渡道、その滞在期間に兄を通して知り合った木田から聞いた下北半島尻屋の原始共産制集落の調査に行く。
  1930 年、民俗学を本格的に究めるため第一人者の柳田國男に師事するが、やがて民俗学関係者の組織化に乗り出す。全国民俗学者・郷土史研究家の集会開催を契機に民間伝承の会設立に尽力、 1935 年 8 月に発足する。彼の組織者としてすぐれた業績は既存の各地方基盤に手をつけず調査研究等も各地方の独自性を尊重したので結果的に活動はいっそう充実したことだ。
  更に機関紙「民間伝承」編集長としての仕事がすごい。各地方の事例報告を細部にわたって丹念に点検、編集発信の作業を通し全国会員間の情報交換に勤めたのである。彼の並々ならぬ努力のためか戦時中にも拘らず会員数が加速度的に増加したと言われる。
  橋浦が生涯貫いて大事にしたことが三つある。
1 . 故郷の家族、知人、友人との回路を切らなかった。
2 . 信頼おける人とは長期に付き合った。その人の思想とかでなく人としてのまともさで判断した。例えば柳田は保守的思想の持主だが橋浦は人として信頼おき、柳田もまた共産主義運動歴や逮捕歴がある橋浦だが人としてのまともさを見出す。だからオルガナイザーとして卓越した資質がある彼に困難な組織化を託している。聞き取り調査でも対象の本人だけでなく子、孫に至るまで交流を続けている。
3 . 交流圏の広がりだが、第一の故郷は出身地の鳥取、第二の故郷は絵日記等から北海道の積丹特に盟友木田が住む岩内周辺、第三の故郷は五島列島の福江と考えられる。なお第二、第三は手紙からの推定だが特に愛着を持っていたようである。

  O.Y
 


〜 花 階 段 だ よ り 〜

  みなさんで美術館を花々で明るくしませんか?只今ひとくち 1500円 にて花階段協賛のご参加をお願いしております。お一人様何口でも OK!美術館受付にてお待ちしております。



(←2005年の花階段:ティーラウンジよりのながめ) 



 
「ワークショップ」報告記事は公式ホームページに移行いたしました。