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北海道の画壇を代表する作家の一人である木田金次郎は、明治26年私たちの街岩内に漁師の倅として生まれた。 明治43年秋、郷里岩内の家業を手伝うため東京の京北中学を中退して帰道したものの絵画への情熱を押さえることが出来ずにいた金次郎はある日、東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)の英語講師をしていた有島武郎が中心となって絵の好きな学生が集まり活動していた「黒百合会」の第三回展に出向いた。 「まるで、生きた海のように碧色をして拡がった海の向こうに、やや緑がかった空に黄色く黄昏れてゆく風景」と後に回想する有島の作品に強く惹きつけられた金次郎は、その数日後ありったけの自分の絵を抱えて有島家を訪ねた。 木田金次郎と有島武郎の交流はここに始まる。 「その地に居られて、その地の人と自然とを、忠実に熱心にお眺めなさるがいい」 敬慕の師、有島武郎のこの言葉を固く胸中に守り続け、そして名作『生れ出ずる悩み』のモデルという宿命を背負いながら、郷土を愛し、自然をこよなく愛していった木田金次郎。 後に木田は云う・・・「これほどにも私を、郷土と、郷土を描く仕事に結びつけたもの、それは云うまでもなく有島武郎とのめぐり会いだった。『生れ出ずる悩み』に描かれたとおりの有島氏との交流が、当時の私に、世に隠れたひたむきな画家として生きる道を決めさせたのだった」と。 |
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