My Essays


      日々感じたこと等を、なるべく「素直に」に文字にできればと思います。
     ドラマセラピーと直接関係のないようなものも(!?)、書くことがあるかもしれませんが、
     根底には「ドラマセラピスト・尾上明代」の視点を忘れずに、表現したいです(Hopefully!)

 1.二つの小さな命
 2.同じ心の痛みを共有するには・・・?
 3.心の平和
 4.突然の別れ
 5.「非日常の世界」と和食屋さん
 6.ありがた迷惑!? ―カマキリPart 2―
 7.花の「気」、人の「気」

2006年4月18日(火)
花の「気」、人の「気」

私がこの世で一番好きな花は、枝垂桜。「咲き乱れる」という表現が、これほど当てはまる花はない。その妖艶な花の「気」に惹かれ、憧れ続けている。いつかこの世を去るときは満開の枝垂桜の木の下がいいと思わせるほどの魅力に今年も何回か出会うことができた。
バトンタッチして、今を盛りと咲いているのは、八重桜。この花に妖艶さはないけれど、華やかな美人のような「気」を持っている。
花々には、それぞれの「気」が漂っているが、そこからは本当にさまざまな性格やメッセージが伝わってくる。先日、「彼」(愛車のこと!)に乗って仕事に行ったとき、道路の中央分離帯に大きくて濃い黄色のラッパ水仙が、集団でいた。ちょうど赤信号で彼女たちの横にしばらく止まっていたのだが、驚いた。その賑やかなおしゃべりに!「何十人」もいた彼女たちのほとんどが大きな声でおしゃべりしていたからだ。しかも他人(他花?)の言うことを聞いているものはなく、それぞれが、言いたいことを勝手にしゃべっていたのだ。私のように、止まっている車の運転手に話しかけているものもいたし、隣に咲いている花に何か一生懸命しゃべっているものもいた。その中で、一人ポツンと下を向いて黙っているものも、2,3人(?)いた。
そういえば数年前、九州に講演旅行に行ったときに列車の窓から見えた、うるさい菜の花が思い出される。あの時の、菜の花さんたちの数はすごかった。でも一人一人のおしゃべりという感じではなく、全体的に一体感があり、まとまってうるさかった。ねーねーねー、私たち、ナ・ノ・ハ・ナ・よー!!と。 「うるさい」ということで印象的な花々は、今回のラッパ水仙たちに会ったのが、二度目の経験である。カラーセラピーで黄色は、「コミュニケーション」を象徴する色だと聞いたことがあるのを今突然思い出したが、菜の花もラッパ水仙も黄色なのは、偶然だろうか?あのパワフルなコミュニケーション力はすばらしい。
それにしても、あのラッパ水仙たちの陽気さ、自分勝手さ、そして2,3人の暗さがとても興味深かった。

花の持つ「気」をどう感じようが、私の仕事と直接関係ないのだろうけれど、人の「気」を感じ取ることは、ドラマセラピーのセッションをする上で必須である。一般的な10人から20人くらいのグループは勿論のこと、私の場合、多人数(時には300人以上)に向けて行なうこともよくあるので、その場に行ったとたん、皆さんの「気」を感じ、今日の皆さんが、どこまでやって下さるか判断しなければならない。実際、その場に立っただけで、どんなアクティビティーができるかできないか、ほとんどわかってしまう。「ワッ、いろいろできそう、楽しみ!」とか「ワッ大変!心の扉、かなり厚そう。」という具合に。どんな場合も、その「気」に私の「気」を合わせて「その気!」になってもらう。 心を表現することは、ブロックが外れさえすれば、人は本来、楽しめるはずだ。(・・と思っていないとこの仕事はできない。)
枝垂桜は難しい部類に入るが、ラッパ水仙たちは、いとも簡単なグループだ。
あー彼女たちとセッションやってみたい!

2006年1月3日(火)
ありがた迷惑!?―カマキリPart 2―

先月、埼玉大学に講義に行ったとき、朝早くの冷たい地面に、カマキリ君(さん?)を発見した。10月のエッセイで、カマキリについて書いたが、そのせいだろうか、その後やたらとカマキリが目についてしまう、秋だった。しかし、12月の寒さにも負けず、キャンパスの路上にいたカマキリ君は、その地面と同じ、枯葉色の保護色をしており、危うく踏み潰すところであった。またもや助けたい一心で、枯葉を拾ってきて、ちょっとつついて、そこに乗り移るように促してみた。しかし、もう命の限界が近いのか反応がとても鈍い。何とか息はあるようだが、自力では移れないようだ。そこで介添えして、脇の安全な草むらの中にそっと置いてあげた。小さな親切をすることができた、と教室に向かって歩き始めたとき「ん?」という何かすっきりしない気分に襲われた。
自然の摂理で死に行くものを助けることは、それは良いことなのか。まだ暖かい季節に、若いカマキリを駐車場で助けたのとは、少し状況が違う。この季節、寒さの中で生きながらえるより、一瞬で踏まれてしまった方が、(もしそれが運命であれば)その方が良かったと、いえるかもしれない。あれは、私の自己満足ではなかっただろうか。
「相手が本当に必要としている助けをする。」これがセラピーでは重要なことだ。こちらの都合で、つまりセラピストの「助けたい」という欲望を満たすために、助けようとする行為は相手にとって「ありがた迷惑」なのだ。セラピストという仕事を選んだ人々は、他人の助けになることに喜びを見出す人々である。そのこと自体は、普通は良いことと言える。しかし、その助けたい気持ちが、いくら純粋なものであっても、相手が必要としているかどうか、あるいはどこまで必要としているかを見極めることが大切だ。
これは、セラピーを超えた、日常生活の中でも誰にでも考えて頂きたいことでもある。
他人の面倒を良くみたり、親切な人の中には、他人を助けることで自己満足したり、自己の存在価値を確かめようとしたり(もちろん、無意識で)してしまう人がいる。そうならないように、私は確かめながら行動しているつもりだが、
しかし、今回のカマキリの一件は、多少、疑わしい・・・。
でも!と思う。やはり路上のカマキリ、見ちゃった以上は、無視できないなー、と。
これが人間だったらどうだろうか。当然、危険を気づかずにいる人が路上にいれば、誰でも助けようとするだろう。死の可能性が刻々と迫っている病人がいれば、医者は助けようとするだろう。
しかし、人間的な尊厳をもって死を迎えたい
病人が、医者に、家族に呼吸器をはずしてほしい、と訴える場合は、どうだろうか。・・・カマキリ君のことを考えているうちに、少し話題が重たくなってしまった。今日ここで尊厳死のことを論じるつもりはなかったので、この辺で、締めくくりたい。
このお正月のすごい寒波で、カマキリ君たちはもうこの世にいないと思う。短い一生。
きっと精一杯生きたのではないかしら!?

2005年12月30日(金)
「非日常の世界」と和食屋さん

秋に仕事で京都を訪れたとき、たまたま行った素敵なお店。東山区にある、その名も「蜃気楼」という和食屋さんは、先斗町界隈ということもあって、舞妓さんの姿が行き交う別世界のようなところにあった。目の前で手際よくお料理を作ってくれた「松ちゃん」という板さんは私たちお客と話をしながら、なおかつ、よくあんなに手早く、しかもすべて一人で作るものだと感心する。どれも本当においしかったが、特に印象的なのは鯛茶漬け、そして湯葉揚げ。湯葉をそのまま油で素揚げしたものだが、大豆の味と香りが生きていて「これを食べるだけのために再び京都に来る」等という贅沢をしたい、と思わせるような一品だった。その松ちゃんが、東京にお薦めの和食屋さんがあるという。行かねば!という責任感!と食欲!に促され、先日やっと時間を作って行ってきた。代々木上原の「喜の字」。一階の入り口から地下に降りていくと、またまた別世界に入り込んだ。ぼこぼこという水の音もあいまって海の中のよう。ここでもカウンターにすわる。ここでお料理を作ってくれるのは「権ちゃん」。普段なかなか手に入らない材料を多く使った職人芸は、すべて絶品だった。特筆したいのは、確か金目鯛の煮付けに添えてあった幕坪蕪おろし。一見大根おろしかと思ったが、岩手県遠野産のこの蕪は本当に美味だった。また松山揚げという油揚げが入っている煮物や、トマトの糠づけ等など・・・。食事中お話をしてくれたのは、「俊ちゃん」というhandsome guy。本職は役者さんで、先日テレビの時代劇でも活躍していた。仕事として芝居で「演じる」人なので、お店での「俊ちゃん」は「素(す)」のままなのか、尋ねてみると、やはり「演じて」いるという。本来「素」の彼は口数が少ないらしく、お店でお客と話すときも、やはり仕事として一生懸命「話上手」を演じているようだった。

そういう意味では、俳優でない人たち誰でも、たいてい人生の中で、毎日の生活の中で「演じて」いるものだ。いろいろ社会生活をしている中での「役割」を(好むと好まざるとにかかわらず)引き受けて演じている。なかなか他人に「素」の自分を見せられない・・・。
では、「素」になる時はどんな時か。どこでか。誰といる時か。何をしている時か。よく「素」になるか、ほとんどいつも「演じている」か・・・。それが、心の健康とも関係しているように思う。勿論、それぞれの状況や個人の性向にもよるが、「素」―つまり良い悪いとか、こうであるべきというような基準はすべて関係なく、ただその人のあるがままでいる状態、「演技してない」状態―は誰にでも必要だと思う。「演技」がしんどい場合はなおさら・・・。
ドラマセラピーでの「演技」は、実は「素」になる練習にもなりうる。日常と全く違う人を演じてみる利点と同じように、日常で「演じている自分」の殻を脱いで、ここでだけなら「素」の自分になって本当の感情や本音を吐ける、という利点もある。時には自分自身が普段気づいていない意識下の「素」の自分を発見することもある。「素」になるために、ドラマという「非日常の世界」が役に立つこともあるのだ。

「喜の字」は、地下に降りていくと、そこに海のイメージの空間がある。下に降りていくことは、無意識の世界を象徴し、海はプリミティブな、そして忘れている本来の「意識」を連想させる。
「蜃気楼」にもどこか、別世界に迷い込んだイメージがあった。二つのお店は、実は人に教えたくないような(!?)お薦めの場所だ。
しかし、本当に存在していたのだろうか。また行って、夢でなかったことを確かめなくては。

2005年12月19日(月)
突然の別れ

つい先日、6年間慣れ親しみ、お世話になった「彼」との突然の別れが訪れた。きちんとした「さよなら」のことばも交わせないような、あわただしい別れだった。
思い起こせば、その前の
「彼」たちとも、一度としてきちんとした別れのあいさつを交わしていなかったような気がする・・・。
最初の「彼」は、私の人目惚れだった。不注意な私は随分「彼」を「傷つけて」しまった。赤が似合うその「彼」のことを好きになった私の友人がいて、彼女に「彼」を譲った。「彼」は彼女のもとに「走って行った。」
その次に出会った「彼」は別の友人が紹介してくれた。体も大きく、雰囲気も豪快で、私は思う存分「彼」に頼り、いろいろなところに連れて行ってもらった。その頃、テレビの仕事をしていたのだが、ロケ現場などにもよく「彼」と一緒に行ったものだ。しかし、私が「彼」を頼りすぎたせいもあったのだろうか、私のために頑張りすぎてしまったのだろうか、ある日突然「体調」をこわし、この世を去って行った。あの時も本当に突然の別れだった、と思い起こす。
次の「彼」は、随分と穏やかで、物静か、そしておしゃれな「彼」だった。私の家族が病気の時、「彼」はよく支えてくれたが、私は心身ともに疲れていて、「彼」を「傷つけ」てしまった。何年くらい共に過ごしたかは忘れたが、1998年の渡米前に別れた。アメリカの大学院で演劇を教え、そして学ぶために派遣されることが決まり、私はそのことで頭が一杯だった。約一年後の私の帰国を待っていてもらおうか悩んだが、まだ先のことがよくわからないので、結局渡米前にお別れをしたのだ。
そして帰国後、新しく出会った「彼」が、つい先日突然別れることになった「彼」である。
心の中で「彼」とのドラマをすることで、きちんと気持ちの整理をしたい。その前の「彼」たちの分までお別れを言いたい。
「長い間、ありがとう。いつもはお礼をいうどころか、お世話になっているという意識すらなかったことに気づいたわ。ごめんなさいね。いろいろ助けてくれたこと、感謝しています。」
「いやあ、気づいてくれて嬉しいよ。新潟とか、長野とか旅したよね。いろいろ楽しかったよ。君はいらいらしていることもよく(!?)あったけど、ボクと過ごしているうちにすぐ落ち着いたよね。ストレス解消できたでしょ?君にはハラハラさせられることも多かったし、「傷つけられる」こともあったけど、ボクは耐えていたんだ。」
「ごめんなさいね。まだまだできていない私を守ってくれて、ありがとう!」
「次に出会った人と残りの人生を過ごすつもりだ。」
「その人を大切に守ってあげてね。っていうか、大切にしてもらってね。幸せになってね・・・!」
「うん、幸せになるよ! 君もね!」
「今回は、私が突然新しい「彼」と出会ってしまったことが原因よね。新しい「彼」は、まだよくわからない部分もあるけど、少しずつわかりあって、うまくやって行けると思うから。」
「それ聞いて安心したよ。じゃあ、本当に元気で。」
「本当にありがとう。感謝の気持ちで一杯です。」
「6年前、ボクを選んでくれてありがとう。役に立てて良かった!」
Unfinished Business(未完の仕事)を心の中のドラマで終えることができた。これできちんと前に進むことができる!

* 勘の良い読者の方はもう、おわかりと思いますが、たとえ勘が良くてもおわかりでない方のために(蛇足ですが!)付け加えさせて頂きます。(笑)
ここに出てきた「彼」たちとは、歴代の私の愛車です。
いろいろなところへ連れて行ってくれ、楽しみを分かち合い、また寒い日の外出や夜遅くまでの仕事の時等、私を守ってくれる愛車は、私にとっては、やはりどう考えても「彼女」ではなく「彼」なのです!

あら、こんなところに別の「彼」が・・・!
2005年12月15日(木)
心の平和

日本人として一度は訪れたい、と願っていた広島に、仕事で伺う機会を頂き、今日、講演をした後に、原爆ドーム、平和公園の慰霊碑、平和記念資料館などに行くことができた。当初は、夜の授業をするのに間に合わせて東京に帰る予定だったが、飛行機でも、新幹線でも、間に合わないことがわかったので、「それならもう少し広島で時間を取ってから帰りたい」と、長い間の念願が実行できることになったのだった。広島の街からは「きれいな」印象を受けた。つらい歴史を乗り越えてきた場所だからだろうか、物理的な街並みがきれいと感じただけではなく、何か「浄化された“気”」に包まれているような感覚だった。
慰霊碑の前で佇んでも、展示された資料を見ても、被災され方々の苦しみを理解することは到底できないが平和が大切だということだけは、ますますはっきりし、それゆえに、「何故、こんなことが?」という悲しい疑問が心を重くした。
結局、やはり一人一人の人間の心の中が平和になること、なのだろうと思う。心の中の葛藤が一人、また一人と集まっていくと、大きなネガティブなエネルギーになってしまう。世界平和のために、大きなことは何もできない。しかし一人一人が自分の心を平和にする「努力」は、きっとできる。一人一人が幸せになったら、世界は平和になる。「人ははそれぞれ幸せになる義務がある」と私に言った知り合いがいたが、今日は、その人の言った意味が理解できた。物理的な障害、問題(例えば大きな病気とか、多額の負債とか・・・)があるときに心を平和に保つのは難しい。が、物理的な環境がいくら整っていても、心が平和でない人はたくさんいる。
「心の平和」を得るためには、少しでもストレスを解消するようにして、他の人間と良いコミュニケーションを持つことが役に立つ。ドラマセラピーもそのために貢献できる方法の一つだ。これは、こじつけでも手前味噌でも何でもなく、本当にそう思う。今の私自身の方向は、とりあえず「マル!」ということにしておこう・・・!

2005年10月18日(火)
同じ「心の痛み」を共有するには・・・?

あるところで子どもたちを対象に継続的にドラマセラピーを行なっている。その子どもたちの中には、親から、いろいろな形の「虐待」を受けた経験のある子どももいる。しばらく前、彼らと向き合っていて、私は自分に「引け目」を感じたことがあった。私はとても有難いことに、子ども時代に「虐待」を受けた経験がない。それどころか、とても幸せな子ども時代だった。客観的に、必ずしも幸せな状態でないこともあったはずだが、家族のおかげで、本当に満たされた日々を送ることができたと思う。それと比べて、私が経験したこともない、つらい思いをしながらも精一杯生きている彼らを見ていて、何てすばらしい勇気ある魂なんだろうという尊敬の念が湧き、自分に引け目を感じてしまったのだ。例えば、
「虐待の経験がない私が、この子たちに何ができるのだろうか。何かをしてあげたいと思うことは、私の驕りではないだろうか。」と・・・。
しかし、と思い直す! そもそも一人の人間が一生にすべての種類の痛み、苦しみを経験することは到底不可能だ。だから、つまり私たちは、それぞれ違う痛みや試練を「手分けして」経験しているのではないか。そして種類や内容が違っても「痛み」の部分は共通であるはずだ。そうであれば「痛みは共有できている」、ということを自分に言い聞かせて、謙虚にセラピーを行なうしかない。私にも、違う種類の「痛み」の経験はあるのだから。ただ、少しでも彼らの痛みをよりよく理解する必要は勿論、ある。そのために使えるとても有効な方法の一つが「Magic If」だと思う。 これは、あの、スタニスラフスキー(ロシアの俳優・演出家・トレーナー、1863−1938)システムの中にある技法の一つで、簡単に言えば、ある役を演じるとき「自分がこの状況に置かれたどうだろう?」と仮定して想像してみることである。ドラマセラピーのセッションでも勿論使えるが、私(ドラマセラピスト)が、その子どもたち(クライアント)の人生を理解するために使う、というのもとても有意義ではないだろうか!?
本当は、「想像」するだけより「その人になって演じて」しまったほうが、もっと直接、感情等が理解できる。しかし、子どもたちの前でやってみる、というわけには行かないから、別に機会を作って協力者(共演者)がいるときに、やってみるしかない。ただ「虐待される」体験はたとえドラマの中の演技でも、とてもヘビーなので、いつでも気軽にできる、という種類のものでもないが・・。
そんなことを考えていたら、最近、ある夜明けに、その子どもたちの「痛み」が、突然私のところに訪れた。ふっと目が覚め、その痛みが襲ってきたのだ。睡眠と覚醒の間の意識状態の時だったと思うが、夢を見ていたのではなかった。夜、眠りにつくとき、彼らのことをよく考えていたので、眠っている間に潜在意識の中でMagic If で想像していたのではないかと思う。(と、でも考えないことには、説明がつかない。)まるで途中のプロセスをすっ飛ばして答えがぽーん、と来た感覚だった。 ことばになりにくいので、表現するのがむずかしいけれど、とにかくそのとき、何故か子どもたちと全く同じ痛みを理解できた、気がした。
セラピストとして謙虚さは必要だが、「引け目」はもう、いらない。

2005年10月11日(火)
二つの小さな命
先日夜遅く、近くのスーパーで買い物をした後、駐車場に戻って自分の車のドアを開けようとしたとたん、車の屋根にバッタが一匹と、優に15センチはある大きなカマキリがいるのを見つけた。どこか、安全なところに帰してあげようと周りを見たが、足元はコンクリート、至近距離に草むららしきものもない。私の車が動けば、危険な道路に飛ばされてしまうだろうし、ここにおいていっても、他の車に早晩、轢かれてしまうだろう。助けてあげられる可能性は・・・?と考え、このまま、車の屋根に乗せたまま近くの公園へつれて行こうと決めた。ほんの2,3分のドライブである。短い間だったが、屋根の二匹を気にしながら、なるべく低速で走った。20キロ位なら振り落とすこともないだろうと思いながら、特に交差点を曲がるときは慎重に運転したが、後続の車に迷惑をかけても悪いので、30キロ近く出してしまった箇所があった。たぶん、「お客さん」は、落ちてしまっただろう。仕方ない。私も疲れているし、そこまでの責任は取れない。第一、彼らは飛べるのだから、道路に降りさえしなければ、もう少しは生き延びられる。とにかく公園に着いてすぐに車を止めた。車をおりて、その珍しいヒッチハイカーが、まだ屋根に乗っていたのを見たとき、私は、「やったー!」と心の中で飛び上がった。純粋に彼らのためにうれしかった。同時に感じていたのは、何か自分の大事な「運」を落とさずに済んだような、そんな感覚だった。そして次の瞬間、私の心はキューンとなった。カマキリ君は姿勢を最大限低くして、振り落とされないように、そのあまりにも細い足で屋根に踏ん張り、文字通り、しがみついていたのだった。彼の気持ち(?)を代弁すれば、「ひえー!助けてー!落とさないでー!」という感じだったと思うが、もっと正確に表せば、
「あまりの恐怖に真っ青(?)になって、声も出ない」状態と見て取れた。もう、とっくに車は止まっているのに、その体勢で固まっていたのだから、よほど怖かったに違いない。「もう大丈夫、リラックスしていいよ。」と、車の中にあった麦藁帽子で、やさしく触れると、魔法のように、彼のこわばりが解けた。帽子の中に入れて、そっと近くの草むらに帰してあげると、だらしのないところを私に見せてしまったことを挽回するかのように、急に気を取り直し、再びカマキリらしく、堂々とカマをかざして草の中を歩き始めた。思わず笑みがこぼれてしまった。そういえば、バッタ君は・・?と、車の屋根に目を向けると、そこには、同じように姿勢を低くしたまま、しがみついている、いや、張り付いている、といったほうがよいだろうか、さっきの半分の大きさに縮んだ彼が目に入った。時速30キロにも負けずにそこにいてくれたことがわかって、喜んだのもつかの間、こんなに小さくなって、ぺしゃんこになったまま動かない彼の姿には、ひょっとして死んでしまったのかと思わせるものがあった。カマキリ君よりずっと深刻な状態に見えた。ところが、そっと触れると、いきなり羽を大きく広げたと思う間もなく、復活して遠くの草むらに飛翔して行った。呆気にとられながらも、何か手柄を立てたような思いがして満足だった。そのご褒美として、ほっーと、あったかい気分をもらうことができた。
彼らは、何を教えてくれたのだろう。絶対絶命に思えるときも、投げ出さないで死にもの狂いでしがみついていれば、助かる可能性もある、ということ?それとも、苦しみは、もしかしてすでにもう終わっているのに、気づかないで、いつまでも、自分で苦しみ続けてしまっていることがある、ということ?
すでに止まっている車の屋根で、必死で踏ん張っている彼らの姿は、壮絶だった。健気でもあり、しかし滑稽でもあったような気がする。今度、機会があれば、あの時のカマキリ君とバッタ君を演じてみたい。客観的に見るだけでなく、自分自身で演じてみると、新しい発見があるのが、ドラマの良いところ。そして、その発見は人それぞれ違っていて良いのだ。
せっかく助かってくれた二つの命。だんだん涼しくなってきたけれど、この秋、できるだけ長生きしてほしい!

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