「どうしてアッシュの血まで採るんだよ!?ジェイド!」

 非難めいた声が聞こえて、全員が振り向くと居間の扉の前にルークが立っていた。
 ガイが目を丸くして、お前寝てたんじゃないのか?と聞くと、昼飯食べに来た、と言う。
 
「・・・念の為、では納得しないようですね、その顔じゃ。」
「当たり前だろ!」
 具合が悪いのは俺なんだから、とルークが噛みつくように言うと、ジェイドはため息をついた。
 その間に入るようにして、アッシュがルークの前に出る。
「ルーク、良いから。」
「良くない!いきなり血を採らせてくれって言われて、アッシュだって断れば良いんだ!俺の具合が悪いのと、アッシュは関係ないだろっ!」
 きっとルークに睨みつけられ、ジェイドは嘆息する。
 アッシュの事となるとヒステリックになるのは、相変わらずだ。
「おいおい、ルーク。」
「落ち着いて、ルーク。体に障るわ。」
「でもよ・・・。」
「ルーク、俺はなんとも思わない。」
「そうだよー。とにかくルーク、落ち着いて・・・。」
「ルーク。」
 子供をなだめすかす声の中から、刺すような声が飛んできて、ジェイドのそういう声に反射的に怯える癖のあるルークは、う、と体を竦ませた。
「な、なんだよ、ジェイド。怒ってるのは俺のほうなんだからな・・・。」
 しかし、ジェイドはそんな事を気にしていたのではなかった。
 ルークの左肩に手を伸ばし、長い髪をはらって、首筋を露わにする。

「・・・この痣は、一体どうしたのですか?」

 

 

 

 


25.

 

 

 

 


「困りますね。ルークになにかあったら、すぐに知らせるように、とあれほど言ってあったでしょう。」

 ジェイドに怒られたのはガイで、そのガイは、彼はまったく悪くないというのに、反射的に、すまない、と謝っている。
 ルークはというと、ついさっき見つかったばかりの痣がそんなに重要なのか?と訝しげで、アッシュは不安そうな表情を見せている。
 その視線は、ルークの首筋に注がれていて、この中でもっとも心配そうにしているには、アッシュといえそうだ。

「なー。これって・・・そんなに大変なことなのか?」
 ほとんど痛くないんだけど、と不満そうにするルークにジェイドは向き直り、
「・・・よく見せてください。」
 と近寄って行く。
 その隙に、ジェイドの睨みから解放されたガイの横にアッシュが並び、ぽん、と肘辺りを軽く叩いた。
 慰められていることに気がついて、ガイはアッシュに微笑み返す。
 その向こうではルークが、落ち着きなく、なー?なー?とジェイドに問いかけていた。

「・・・痛くない、ですか・・・。」
 難しい表情でルークの言葉を反芻した後、ジェイドは、
「・・・では、とりあえずいったん帰りますよ。」
 とルークから離れる。
 まるでなかった事にでもしそうな態度に、ルークばかりか全員が不満顔になり、ちょっと待ってくださいよぅ!とアニスが叫んだ。
「別に帰るのは良いですけど!その前に、ルークの痣についてなにか意見ないんですか!?大佐!」
 ジェイドが秘密主義なのはいつものことなのだが、事がルークの症状に関することだと思うと、どうしても黙っていられない。アニスの目はそう訴えていて、なぜなら過去、ルークにとって重要な秘密を、彼らは最後まで隠していたからだ。ルークの乖離は誰にとっても重大なことだったというのに。
 その時のやるせなさを思い出して、アニスの目には、うっすらと悔し涙が浮かんでくる。
 すると、援護射撃はあちらこちらからあがった。
「そうですわ!ルークが心配なのは皆、同じなのです。せめて、なにか一言くらいつけ加えていただいても・・・。」
「なにも分からないならそれで良いですから、そう言ってください・・・!」
 女性群に、やいのやいのと責められ、ジェイドは嘆息する。
 そして、あまりはっきりしないうちは話したくないのですがね、と気乗りしない口調で告げた後、ちらり、とアッシュを見た。
「・・・ルークの痣は・・・別に病気ではない、と思います。」
 すると明らかに、ほっとしたような表情を浮かべる女性陣。
「あ、違うんだ。良かった。」
「なら、どこかにぶつけただけなのかしら・・・?」
「いいえ、違います。」
 ティアの言葉を、はっきりとジェイドは否定する。
「ルークの傷には、消えかかっていますが、はっきりと歯形がついています。誰かが首筋に噛みついて、血でも啜ったように、です。」

 その言葉に全員が固まったが、当の本人のルークだけは、怪訝そうに首を傾げただけだった。
「えー?俺、誰かに噛みつかれた記憶なんてないぜ?寝ている間にされたにしたって、ずっとアッシュと一緒だったんだから、誰か入ってきたらアッシュが気がつかない筈ない・・・・。」
 そして、そこで言葉は切れる。
「・・・・・っ!?」
 驚愕してアッシュを見れば、すでに全員がアッシュを囲むようにして、彼を見つめている。
 アッシュは、戸惑うように全員を見回し、それから、ルークに視線を戻した。
「・・・・・俺・・?」

 

 

 

 


「・・・前から気になっていたことがあるのです。アッシュの血を採取したのは、それを確かめる為でした。」

 場所を移して、ジェイドの執務室。
 話はガルディオス邸でもできたが、ここには以前ルークから採取したデータがある。そして、簡単な試験機器も。
 
 アッシュの血の入った試験管をなにかの音機関に入れ、ジェイドはさて、と一同を振り返った。
 するとルークが一番初めに目に入り、彼は不満そうな顔を隠しもせずにジェイドを睨んでいる。他の連中もそこまで表情を露わにはしないが、似たりよったりの顔だ。
 アッシュはいない。
 彼は・・・音素の流れを完全に遮蔽できる特別室で、要するに隔離されている状態だった。


 ジェイドは初め、ルークを隔離しようと思っていた。
 原因はアッシュであると断定するには早いと思っていたし、彼自身なにが起こっているのかわからないというのに、ひとりで隔離されたりしたら、精神的に追い詰められてしまう可能性があると思っていたからだ。
 しかし、ルークを交え、全員がそれがベストだろうと渋々ながらも納得したというのに、アッシュがそれを受け入れなかった。
 もしも俺が原因なら、と彼は言った。
「・・・俺が原因ならば、ルークが隔離されるのはおかしい。」
「いえ。貴方が原因と特定された訳ではありません。それをはっきりさせる為にも、結果が出るまでは、ルークとの接触を避けて欲しいだけなのです。」
「だから、俺がルークに近づかなければ良いのだろう?なにも、ルークが不自由をすることはない。俺が隔離されるのが道理だ。ましてや、ルークは今、人の手を必要とするほど衰弱している。」
「アッシュ・・・。」
 ルークは、アッシュの口から自分を心配してくれる言葉が出たことに感激を覚えたようだったが、それはそれとして別の話だった。
 つまりは、今度はそれに納得できないルークが、ごちゃごちゃを言い出したのだが・・・。
 なんと、それを黙らせたのは、殺気さえ感じさせるほどのアッシュの一睨みだった。
 こんなところで過去を髣髴とさせるとはな、とそれを見ていたガイは、あははと乾いた笑いをこぼした。


 机に戻り、ふうと軽くため息をついたジェイドに、ティアの言葉がかかる。
「ところで大佐。気になる事とは一体なんなのですか?」
「・・・それは、」
「話してくれるって約束だろっ!ジェイド!」
 少しだけ言いよどんだ気配を敏感にルークは、感じとった。
 今度からは、憶測の段階でも良いからルークが知りたいと思ったなら答えてくれる、そう約束したのではなかったのか。
 ルークの声色に、微妙な非難が混じっているのに気がついて、ジェイドは、そうですねぇ、と相槌を打って溜息をついた。
「・・・気になること、というのは・・・貴方がたの関係性、についてというべきですかね。」
「関係性?」
 きょとん、とした表情でルークはジェイドを見る。
「関係って・・・なんで?俺はアッシュのレプリカで、アッシュは俺の被験者、だろう?」
 何を今更、というルークに、果たしてそうでしょうかね、とジェイドは言った。
「それは・・・2年前の貴方がたの関係だ。今は、そう言い切って良いものか、どうか。」
「って、どういう意味だよ。」
「・・・関係性でなければ・・性質、といって良いですかね?」
 ジェイドは少しだけ口調をゆっくりにして、ルークの反応を見るようにして言った。
「・・そもそも、貴方がたが被験者とレプリカという関係であったのは、2年前までの話だ。だが、今はルーク、貴方はローレライの力によって、本来設定されていた筈の自然の原理を淘汰してしまっている。・・それで、今も2年前と同じだとは、たぶん言えないでしょう。」
「・・・それは、」
 言葉につまったルークの後ろで、一同も顔を見合わせている。
 元よりルークが2年前、死ぬ運命にあったのは皆も承知している。それが帰還を果たしたのは・・・いきなり奇跡が起こったのではなく、ローレライの力が作用して、死にゆくルークを押しとどめたのだ。
「それに、大爆発の問題もある。」
「大爆発。」
 ジェイド以外では理解できない、ふたつの同じ音素が起こす現象を持ち出され、ルークは首を傾げる。
「ええ。・・・2年前、乖離が始まっていたルークの体を再構築したのは、譜歌の力だというのは間違いないでしょう。しかし、それなら・・・あの時すでに起こりかけていた大爆発は、ふたりの間のどこで停止しているのか。もう起こらないのか。起こらないとすれば、アッシュとルークはコンタミネーション現象を起こさない体に・・・完全同位体ではなく、どこかが違う、別々の組織と音素を持つ被験者とレプリカになっている筈です。・・・しかし、未だに貴方がたのフォンスロットは開いている。それをどう解釈すれば良いのか。」
「つまりは・・・。」
 ガイが、眉を顰めながら言う。
「・・・未だに、ルークとアッシュの大爆発が起こる可能性がある、そういう意味か?」
「そうですねぇ・・・。」
 ジェイドははっきりとしない受け答えをしながら、首をゆるく振った。
「はっきり言うと、なんとも言えない、というのが答えです。・・・だからこそ、ふたりの血中音素の濃度を測らせて貰っています。もっとも、精密検査でもいない限りは、はっきりと解らないかもしれませんが。いえ・・・もしかしたら、精密検査をしたところで、明確な答えはでないかもしれない。」
 大爆発というのは、とジェイドは続けた。
「大爆発というのは、未知の現象でもあるのです。論理的には、起こりうる筈ですが・・・実際に、起こった例はスターとレプリカの間でのみだ。ただ。」
 そこで、ジェイドはちらりと時計を見て、言葉を切ったまま立ち上がった。
 そして計測機器の前に行き、紙にプリントされて吐き出された数字の羅列を目で追う。
 ただ、の後の言葉を、全員が黙ったまましばらく待った。
 やがてジェイドは、ふぅ、というように溜息をついて、やはりでしたか、と独り言のように言葉をこぼした。

「話の続きですが。」
 データを手に持ったまま、ジェイドが顔をあげる。
「今の段階でルークとアッシュの間に再び大爆発が起こるとすれば・・・今度、音素を吸収されるのは・・・被験者に音素を食われてしまうのは、"アッシュ"の方である可能性が高い。」

「・・・っ!!?」
「えぇ!?」
「被験者の方がレプリカの音素を上書きして完成するのが"大爆発"。そうじゃなかったのか?」
 納得いかない顔のガイの言葉に、少し違うのです、とジェイドは言った。
「・・・"大爆発"は、完全なるふたつの音素保有者の間で起こりますが、どちらが上書きする方、上書きされる方になるかは音素の優位性によって決まる。普通は被験者の持つ音素の方がレプリカよりも優位であることから、レプリカが上書きされる訳ですが・・・今の貴方がたには、それは適応しません。ふたりの音素の優位制を測ったところ、優位にあるのはルーク、貴方の方なのです。アッシュの保有している音素は、貴方のものよりも脆弱だ。」
 つまりは、と続ける。
「・・・今回の、この事件もそれが原因です。"アッシュ"は自分でも知らないうちに、"ルーク"から自分の不足している分の音素を補おうとしたのですよ。」
 首筋は、動脈と一緒に音素が大量に流れていますからね、と言うジェイドの声は静かで、事実のみを語っているからか、聞きようによっては冷たく感じられた。

 ルークはしばらく無言だった。
 アッシュではなく自分が生きていたことを認められずに、自分をアッシュだと言い張っていた彼を思い出すとその胸中は計り知れない。
 誰もがそう思うからこそ、慰めすら、口をついて出てこない。
 そんな中、ルークは頑なに床を睨んでいたが、やがて、ふるりと首を振ると、ジェイド、と顔を上げた。
「・・・なんです?」
「アッシュに会って良いか?」
「・・・部屋の中に入って、彼に触れたりしないと約束できるなら。・・・突然、おふたりの間に変化が現れるとは思いませんが、念の為に過度の接触はさけるべきです。」
「・・・わかってる。」
 答えるルークの瞳に強い光が見て取れて、ジェイドはため息をつきながら、頷いた。
 それを合図にして、ルークは部屋を出ていく。

 

 

 後に残った一同は思わず、文字通りに頭を抱えた。
「・・・冗談じゃないぜ?まったく・・・。」
 嘆くような口調のガイのつぶやきに、
「・・・"冗談ではない"には、まったく同意見ですが。」
 ジェイドが答える。
「・・・今、目の前にある事実は変えようがありません。現在、目に見えないなにかは確実に起こりつつある。その原因はどこにあるのか、そしてどこに向かう現象なのか。それが分からない限り・・・手の打ちようがない。」
「・・・けれど、それは分かったからと言って、手の打ちようのあるものなのですか?」
 冷静なジェイドの言葉に、不安を露わにしたのはナタリアだった。
「たとえば"大爆発"のような自然の理ともいうべき現象には・・・それを止める術はない、と大佐自身がおっしゃってましたわ。」
 どんなに人の知恵をもってしても、生き物の死を回避できないように、どうしても止めることができないものもある。
 そういうナタリアに、そうですね、と答えた後、
「・・・しかし、なんらしかの手を講じることによって、たとえば進行を遅らせるなどはできるかもしれない。」
 病気に対して医学があるように、とジェイドは言った。

 それに対して、それぞれが思うことは別だったとしても、全員がいったん、口を噤んだ。
 お茶を飲みましょうという雰囲気でもなかったから、それぞれがあさっての方向を向き、自分の考えを纏めるようにして黙っている。

「"アッシュ"と"ルーク"の音素の優位性が、今は逆、か・・・。」
 ガイが、つぶやき程度の声を漏らす。あるいは自分に向けられたものかもしれなかったが、次にはジェイドに向かってはっきりと質問をした。
「なぁ。それって、あのふたりの髪の色が反対なのも関係あるのか?」
「・・そうですねぇ。」
 かつて、被験者のアッシュの髪色が真紅なのに対し、レプリカのルークの髪色が朱赤だったことを音素の劣化だと指摘した通り、それがふたりの音素の優位性が表しているのだとしたら、確かにそうなのだが・・・。
「論理的には正しい筈なのに、そうだと決めつけるのに抵抗を感じます。もっとなにか・・・違う要素があるのでは、と疑いたくなる。」
「あれ、大佐にしては超慎重〜?」
「慎重、ですか?」
 しかも、超がつく程ですか、とジェイドは苦笑したが、
「・・慎重にもなりますよ。これほど第七音素の起こす現象が理解しがたいものだとは。・・・あのふたりに関わると、私は自分の無能さを思い知らされる。」
「うわっ!そのうえ、超貴重な控え目発言!」
 ルークみたい!とアニスに言われ、いえ冗談でもなんでもなく、とジェイドは答えた。
「・・・実際、彼らは私の想定してきた全てのものを凌駕してきた。私の想定してきたものという事は、全世界の音素研究者の想定してものである筈です。・・・ですから、」
「一転、今度は自信家発言!!」
「人を貶めて、自分を褒めているともとれる発言だな。」
 アニスとガイがつっこむので、ジェイドはそこで言いかけた言葉(ですから・・・第3施設の研究者たちが"ローレライ創造"にとりつかれた気持ちもわからないでもない。)を飲み込み、事実ですからね〜、と笑った。

 そして、その笑いをひっこめ、それに、と続ける。
「気になっていることは、他にもある。ルークのことを疑っているのではないのですが・・・我々と一緒にいる彼を"アッシュ"だと主張しているのはルークだけなのです。」
「え?」
「どういうことですの?大佐。わたくしたちだって、彼を"アッシュ"だと思ってますわよ?」
「いえ。それは、そもそも・・・ルークがそう言い出したから、というのが正しい。」
 訝しげなナタリアに、ジェイドは良いですか?と念を押すように言った。
「ルークの発言をないものとして、考えてください。」
 そうして、一同を見回す。
「もしも、ルークが・・・私たちの前に先に現れていなかったなら、私は彼を"アッシュ"だとは思わない。」
「では、誰だと?」
「彼こそが、"ルーク"だ、とそう思うと思いますよ。」

「えー!?でもでも、大佐!!」
 不満そうに割り込んだのは、彼女自身、最初に教団で目撃したのがルークだと思っていた、アニスだ。
「初め、自分をアッシュだと思い込んでいたルークを、ルークだって認めさせたのは大佐じゃないですかぁ!今更、そんなぁ・・・。」
「だから初めに、ルークが先に私たちの前に現れなかったなら、と言ったではないですか。」
 今、自分たちが"ルーク"として会話している彼は、間違いなくルークである筈だ。
 だが・・・もうひとりはどうなのだろう。
 彼が必ずしも"アッシュ"であると・・・そう断言しているのは、ルークだけだ。


 本当に彼は、"アッシュ"なのか?
 どうにもジェイドには・・・ルークがふたりいるような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 
 


 


 ジェイドはなにもアッシュを拘束するつもりだった訳ではなかったから、どこにいるかは誰でも知らされていた。

 ルークは、軍事施設の一角にある研究所に、重い足取りで向かっていた。
 薄暗い階段を一歩一歩下りていくと、そこには、ルークにしかわからない気配を感じる。
 同じ音素を持つ者は引き合う、という。
 分かれている間違いを正そうというように。ひとつになろうとするように。

 
 扉を開けると、そこで見張りの番をしていた兵士が、ルークの顔を見て慌てたが、ジェイドの許可を得ていることを告げると、気を利かせたのか部屋を出ていく。
 その扉が閉まるのを確認し・・・ルークは奥にもう一つある扉を開けた。


「・・・ルーク?」
「アッシュ・・・。」

 中はほとんどなにもない空間だった。
 真っ白ともいえるその場所には、あまり快適そうではないベッドと、テーブルと椅子が一脚ずつ置かれ、アッシュが自ら所望したのであろう本が数冊、その上に重ねられている。
 そして、室内に踏み込んだルークと、突然のルークの訪問に驚いているアッシュに間にあるのは、分厚いガラスだった。
 音素の動きを封じる為、障壁を施されたガラスがその部屋を覆っている。

 『隔離』とジェイドが言った部屋の様子を眺め、ルークは思わず自分の胸元を掴む。
 アッシュを守る為と言われたが・・・これでは、拘束された罪人と変わらない。

「どうした?俺と接触するのは・・・。」
「大丈夫、ジェイドの許可は取ってあるから。」
 見張りの兵士に言ったのと同じことを告げると、アッシュは目を見開き、そうなのか・・・?と戸惑いがちにルークを見る。
 なにか状況に変化があったと思ったのかもしれない。アッシュは敏い。記憶がなくても、それは変わらない。

 記憶がない彼を見て、アッシュが死んだままと同じだ、などと感想を持ったのは、つい今朝のことだった。
 その時間が、すでに遠い。
 ほんの短時間の間に、ルークはアッシュに触れることができなくなってしまった。
 もしかしたら・・・これからも、ずっと。

「ごめんな、アッシュ。」
 ガラスのこつん、と額をつけ、ルークが謝罪を口にする。
 アッシュの顔を見つめながらは、到底言えなかった。
 ルークはアッシュに様々な罪を抱いていたが、それは全て過去のものの筈だった。
 いつか、許されることがあるかもしれない、と思っていたのに、それはすでに淡い希望だ。


 もしも、コンタミネーション現象が進行したら。
 今度、大爆発が起きる時、ルークはアッシュを・・・殺してしまうのだ。
 記憶だけでなく、アッシュのすべてを乗っ取って。

「またか・・・。」
 泣くこともできず、凍ったかのように冷たく固まったルークの耳に、軽くため息が聞こえた。
「どうして、俺のわからないことで謝るんだ、ルーク。」

 その声に電撃で撃たれたかのように、ルークは顔をあげた。
 ガラス越しに、ルークを心配して見ているアッシュの瞳は薄い翠をしていて、それはまるっきり、かつて鏡で見ていた自分のものと同じ色だった。
 しかし、その瞳を光らせているものは同じではなく、それは過去の自分とも過去のアッシュとも確実に違う。

 アッシュはいつも、ルークに対して苛立っていた。
 なにかひとつでも気に入らなければ罵倒し、そしてルークのことで気に入っていることなど、ひとつもない筈だった。
 ・・・ならばこれは誰なのか。
 けれど、どうしてもルークにしか感じられない、濃厚で甘く、自分を引き寄せる気配は、アッシュのものでしかないのだ。

 大事なのは、過去を持つかどうかではない。
 その底に、アッシュの魂が眠っているか、どうか。

 ・・・本当に大事なのは、それだけだ。


 
 ルークはアッシュから目を逸らさず、まるで磁石に吸い寄せられるかのように、ガラスに顔を近づけた。
 ふぅ、とガラスに息がかかり、白く曇る。
 その向こう側にいるアッシュは、首を傾げ・・・そして、ルークに倣うように、そっと自分も顔を寄せてきた。
 ルークがガラスについた手のひらに、アッシュの手のひらが重なる。
 ぴったり、とひとつに戻そうというように。

 アッシュの顔がすぐ近くにあるのに、曇って見えないことを惜しいと思いながら・・・唇を冷たいガラスに押し付けた時、目を閉じる瞬間に、アッシュの朱いまつげが同じように閉じられるが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 もしかしたらもしかするとバビロン最初で最後のラブシーンかもしれん。

 次回から劇的展開の予定。


 

(’11 12.03)