29.
ベルケンドへはアルビオールで飛んで・・・そこから、一旦アルビオールとはお別れになることになっていた。
先日の第3施設での爆発に巻き込まれた事を心配し、ノエルがシェリダンで本格的な点検をしたいと言い出したからだ。
今や、ベルケンドとシェリダンは橋で繋がっているので、用事が済んだあと、こちらからアルビオールを迎えに行くことになっている。
その打ち合わせをしていた時、傍で聞いていたアッシュが「こいつも連れて行け」と言った。
こいつ、とはシェリダンから遥々グランコクマまで連れてこられたスターのことだ。
ん、と一同が見下ろすと、丸い耳をぽやぽや動かし、自分も話に加わろうと首を傾ける。
可愛らしいその姿に笑みを漏らし・・・面倒が大変だと思っているのだったら、ティアがいるから大丈夫だろう?とガイは言おうと思ったが、違った。
「・・・こいつのこと、やけにギンジが可愛がっていやがったからな。」
いなくなったと、大騒ぎしていることだろう。
そう言った時のアッシュは、全員に背を向けていたのだが・・・設えてある大きな鏡に写ったアッシュの口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
意外だな、と思うと同時に、アッシュはギンジに対して好意的なのだと気がついて、快く承諾した。・・・ティアは心底残念そうだったが。
そのスターをシェリダンに向かうノエルに預け、一同はベルケンドの研究所を訪ねる。
予め訪問する旨を知らせられたら良いのだが・・・急なことでそれも適わない。
彼らの姿を見るなり、いつもいきなり来る奴等だ、とスピノザに言われ、そんな言い訳をして笑った。
「ところで、以前キムラスカから問い合わせが来ていたと思うのですが・・・。」
「おお。不審な科学者が来なかったか、という話じゃな?」
「ええ。・・・実際に目撃したのは貴方だそうですね。」
そうなんじゃ、とスピノザは答えた。
「以前・・・データが盗まれた形跡があると話しただろう?」
「ええ。」
それは、かつてここで実験を受けさせられていたアッシュのものだ。
第3施設の科学者の誰かが"ローレライ創造"を目的に、同位体であるアッシュの実験データを盗んだのではないか、と推察している。
「まぁ、それが果たして誰だったのか、今更追求しても仕方がないものだとは思っているが・・・今後も同じ事があってはならん。それで研究所内でもデータに関する管理方法が見直されることになったのだが・・・。」
「そこに、のこのことリグロ氏が現れたので、目立ったのですね?」
「まぁ、そういう事だ。」
研究者というものは、自分の携わった研究に誇りを持っている。
故に『研究を盗む』といった行為に対する嫌悪感は強い。たとえそれが・・・過去に行われた忌むべき実験結果だったとしてもだ。
研究所の人間は初め、見慣れぬ顔のリグロ氏に警戒心を抱いたらしい。
そこでスピノザが呼び止めると、彼は身元の証明に「ウィザードの施設の施設長」だと話した。
「だが、ほれ。第3施設が吹っ飛んだという話は、お前さんたちから聞いておったから・・・。」
「ああ・・・。そうでしたね。」
ドロシーの検査で訪れた時、その事も合わせて説明したことが、逆に彼らの味方をした、ということだ。
まさか第3施設の施設長ではあるまいな?と問いただすと、見るからにリグロは動揺し、目を離した隙にどこかへ逃亡したのだ、という。
「逃亡って・・・。」
「まるで犯人扱いだな・・。」
リグロが研究を盗みに来たと決まった訳でもあるまいし、と一同が苦笑すると、スピノザは、ふん!と鼻で笑って、
「自分の施設を吹っ飛ばしたヤツなぞ、犯罪者で間違いないわい!」
と酷い事を言う。
厳密に言えば吹き飛ばしたのはリグロではないだろうし、せいぜい監督不行き届きあたりなのだが・・・面倒なので、訂正するのもバカバカしく一同は苦笑するに止めた。
「それで・・・リグロ氏は結局、なにも持たずだったのですか?」
「そうじゃ!」
ヤツめに研究を盗まれるようなヘマはしとらん!と胸を張ってスピノザが言うので、気を利かせたアニスが「おじいちゃん、さすがー!」と感心してみせたのだが、逆に「おじいちゃんとはなんじゃ!」と怒られるという一幕があったのだが、それはさておき。
「しかし・・・わからんの。」
とスピノザは首を傾げる。
「なにがです?」
「どうも研究を盗みにきたとばかり思っておったのだが・・・。冷静に考えるとそうと決めつけるのもどうかとな。」
「まぁ・・決めつけているのは、貴方でしょうに。」
と呆れ顔でナタリアに指摘されると、スピノザは決まり悪そうに頭を掻いた。
「そうなんじゃが・・・。他の連中が言うには、ヤツはどうもワシを訪ねてきたっぽいんじゃな。」
「え?スピノザをかい?」
「ああ・・・。来客記録もきちんとあっての。そこにワシへの面会を申し出ていたようじゃ・・・。なのに、ワシに会う前に研究所内をフラフラとしておるから、怪しまれることになったんじゃ。」
早合点して決めつけたのはこちらなので、どっちもどっちという印象だが・・・それは別にして、確かにリグロの行動は怪しい。
研究者としての・・・たとえば研究結果に対する意見を聞きたいなど・・・用件でスピノザを訪ねてきたのなら、大人しくスピノザが対応に出てくるまで待っているべきだ。なぜ、それも待たずに研究所内に入り込んだりしたのか。
「・・なんか、焦ってるって感じだよな・・・。」
「そうですね。時間を惜しんでいるという印象も受けますが、もしくは・・・。」
「秘密裏になにか調べようとしたかったとも思える!」
「確かにそうですわね・・・。」
印象はともかくとして、この場で結果を得られるものではないので、勝手な推測に違いないのだが・・・それでも一同の判定では、リグロのこの行動は黒だ。
なにか必ず・・・王宮内に押し入ったことと関連しているに違いない。
ふむ、とジェイドは頷いた。
「貴方を名指しで面会を申し出たということは、リグロは初めはきちんと協力を申し出ようとしていたのかも・・・しれませんね。」
「スピノザに協力をか?」
「そう・・・。考えられるのはやはり、レプリカの事でしょう。」
スピノザは創世記時代の音機関の研究者として名を馳せているが、同時にレプリカ研究にも携わっている。レプリカの構築を考え出したのは確かにジェイドだが、そもそもアッシュの・・・つまりはルークの誕生は、その後を引き継いだともいうべき、彼の研究なくしてはありえなかった。
ディストから盗んだ研究の内容と合わせると、リグロはレプリカの研究に関して、スピノザに教えを乞いに来たものと考えるべきだ。
「それなのに、スピノザが現れるわずかな間も待ってられなかった?」
どうしてそうも焦る必要があるのだろう、と悩む一同を見ていて思い出したらしく、「おお!そうじゃった!」とスピノザが言った。
「そういえば・・・ヤツがこの研究所を訪問してきた時・・・初めに対応したのはシュウ医師だったらしいのじゃが・・・。なにか関係があるのかの?」
「シュウ医師、ですか?」
「ああ。来客記録があると言っただろ?ワシへの面会を申し出た時に名前を確認させて貰って・・・。シュウ医師はどうも、あんたらが連れてきたレプリカの女の子の身内だと思ったらしい。」
「そう言えば、言い忘れてたな・・・。」
そこにきて一同は、リグロが実際にドロシーの身内であることを、スピノザに説明していないと気がついた。
スピノザは別段、やはりそうなのか、と言っただけだったが、気になるのはその時のシュウ医師とリグロとのやり取りだった。
シュウ医師はリグロに質問する際、ジェイドたちの名前を挙げたというのだ。
「バルフォア博士の連れてきたレプリカの女の子の身内か、とそう聞いたらしい。」
「・・・そうか!」
ガイが蒼い目を瞬かせて、言った。
「それで、スピノザとシュウ医師が俺たちと繋がっていることを知ったんだな!」
「うん、そうだね!それで間違いないよ!」
それには、アニスも同意したのだが。
「・・けれど、それがどうしたと言うのです?」
と首を傾げるのはナタリアだった。
「わたくしたちとスピノザたちが知り合いだったからと言って・・・リグロには逃げ出すような不都合があった、ということでしょうか?」
そもそも、マルクトの軍施設に押し入る前までは、別段リグロ氏は要注意人物でもなんでもなかった筈だ。
少なくとも、こちらの印象はそうだ。
確かに第3施設の責任者だったが、問題視されている"ローレライ創造計画"には、リグロは関わってないという認識だったのだが・・・。
「こちらの認識なんぞ知らずに、勝手に俺たちが自分を犯人扱いしていると思っていたかもしれないぜ?」
「けど・・・それならドロシーを引き取る時、私たちと穏やかにお別れしたのは変だよぅ。」
「その後、疑心暗鬼になったのかもしれませんわね。」
「もしくは・・・"ローレライ創造計画"に本当は関わっていた、のか・・・。」
え?というように全員がジェイドの顔を見た。
「あの時は、自分は関係ないと取り繕っていたものの、それは本当は嘘で、リグロこそが首謀者だった・・・。だから私たちには二度と接触したくなかった・・・とか?」
語尾が曖昧なのは、ジェイド自身、あまりその説を信じてないからだろう。
リグロは"ローレライ創造計画"を無謀な研究だと断じていた。それに対してはジェイドも同意見だ。リグロはとても理論的で・・・魅力的な題材だからと安易に"ローレライ創造計画"に飛びつくような人物には見えなかった。
そのリグロが本当は首謀者・・・。
全員がそれを考えてみたのだが、どうしてもそのイメージが・・・無謀な研究に暴走するような・・・リグロの上に思い描けなかった。
「・・・とはいえ、マルクトの軍事施設に譜術兵器を持って押し入ってくるような人間にも見えませんでしたから、私の勘も当てにはなりませんが。」
とジェイドが発言して、その結論は保留になった。
さして目ぼしい情報も得られず、一同は溜息まじりに研究所を見回す。
そこには大勢の人が働いていたが・・・彼らがなにを目的としどのような結果を出しているのかは目視することは到底できない。
改めて科学者は科学者にしか理解できない世界で生きているのだ、と彼らが考えに至っていると、早々に諦めていた(飽きていたともいう)アニスが、あれ?という声をあげた。それはなにかを発見した時の声に違いなかったから、全員がそちらを向く。
「・・ノエル?」
「えー?どうしたの?」
研究室の入口には胸になにかを抱えてノエルがいて、皆に気がつくと合図の手を振った。
その姿に一同は首を傾げる。
ノエルとは数時間前にベルケンドの街の外で別れたばかりだ。
「どうしました?シェリダンで落ち合う予定では?」
本来ならこの後ジェイドたちが、シェリダンに向かう筈だったのに、アルビオールの整備になにか手違いでも生じたのだろうか。
そう思いながらの質問だったのだが、ノエルは、アルビオールの整備は順調に進んでいるという。
「その間に・・・皆さんのお耳に入れておいた方が良いかもしれない、と思って。」
思い立ち、ノエルは馬車に乗ってシェリダンからベルケントまで渡ってきたのだという。
「なんだい?急ぎの用か?」
「急ぎと言って良いのかどうか・・・。」
すみません、と謝らなくても良いのに、ノエルは謝った。
つい飛び出してきてしまったという感じの彼女に、全員が顔を見合わせる。
「あの・・・スターの事なんですけど。」
「スター?」
「ええ・・・。兄が・・・。」
ギンジは、ノエルがアルビオールで降り立つと、再会の挨拶そっちのけでスターに飛びついてきたのだという。
「誘拐されたのに戻って良かった!と大騒ぎで・・・。」
彼はアッシュの心配した通り、スターがいなくなったと大騒ぎしていたそうだ。
連れ戻されたチーグルを膝に抱き、ぎゅうぎゅうに抱きしめ(スターは、きゅーきゅー!助けを求めて鳴いた)涙も流さんばかりだったという。
そして、落ち着いてから彼が語ったには・・・。
「スターなんですけど・・・。なんでも、数日前から研究所の裏の宿に泊まっていた姉妹に連れ去られたっていうんです。」
「姉妹?」
全員の声が見事にハモった。
ノエルは頷き、
「ええ・・・。こんな譜業しかない街になんの用で滞在していたのかは謎なんですけど・・・。ただ、兄の悪い癖と言いますか、勝手にその姉妹をスケッチしてたらしいんですよ。やたらとその姉妹の・・・妹さんの方がスターを可愛がってて、しょっちゅう遊びに来てたらしくって、その隙に。」
「スケッチ?」
「まぁ、ギンジは絵を嗜みますの?」
ギンジの趣味に関しては初耳だったので、全員が目を丸くすると、ノエルははっと気づいたようで、皆さん知らなかったんですよね、と少し頬を赤く染めた。
「ええ・・・。兄の趣味のひとつなんです。アルビオールで出かけた先で、待ち時間の暇つぶしに始めたらしいんですけど・・・。」
それは良いんですけど!と気を取り直したように顔をあげ、ノエルは胸に抱えていたスケッチブックを皆に向かって差し出した。
「これ!その姉妹なんですけど、見てください!!」
受け取ったスケッチブックをぱらり、とめくり・・・ジェイドの眉が顰められる。
スケッチよりもその表情を先に見た一同は、なにがあるのかと身を乗り出して、紙の上を覗き込んだ。
「これは、ドロシー!?」
ナタリアが驚きの声をあげる。
「・・・いえ、よく似た子、ですわね・・・。」
「確かに本人かどうかはわからないが・・・そっくりだ。」
幼い少女の絵に宿る面影に知った顔を見て愕然とするナタリアとガイだったが、それよりも衝撃を受けたと言わんばかりのアニスの叫び声が響いた。
「その子の事よりも、こっちだよ!!!」
アニスの指先は、姉と思しき人物の顔に注がれていた。
「これって、これって!!」
自分の考えを確認するようにジェイドを振り返り、全員に確認するように言った。
「アムラジェ、だよね!?」
ジェイドたちがベルケンドに発ってからも、朱赤の彼に変化は見られなかった。
一度も目を開けず、昏々と眠り続けている。
もしかしたら・・・このまま一生?
彼の寝顔を見ていると湧き上がってくる不安を掻き消すように、ティアが首を緩く振ると、ベッドから距離のあるスツールに腰かけ、眺めるでもなしに庭の大瀑布に顔を向けているアッシュの姿が目に入る。
ガイが困っていたように、ティアもアッシュに対してどう接したら良いのかわからなかった。
ティアがそれまで接していたアッシュは、礼儀正しく、ルークのことを思いやっていて、とても好印象の人物だったからだ。
だが今、一緒に取り残されている彼は無愛想で、朱赤の彼には目もくれず、容体を気にかけようともしない。
つい先日まで「アッシュ」と呼んで親しく感じていた人物は見る影もない。
それを仕方がないと思っていても、心の中では折り合いがつかず、それを表に出すまいとするとティアは知らず知らずに無表情になってしまう。
これが冷たいと、かつてルークに言われた由縁なのだが・・・本人はそれには気がつかない。しかし、ここには愛想良くしなければならない人間がいないのも確かだった。
コンコン、とノックの音が部屋に響き、は!とティアが扉を振り返る。
どうぞの声とほぼ同時に、失礼しますと入ってきたのは城のメイドで、カタカタと音を鳴らしてワゴンを部屋に運び入れる。
その上には、茶器が乗っていて、ピオニー陛下が手配してくれたものと知れる。
3人のメイドの中からひとりがすっと歩み出て、朱赤の彼に近づいていった。
『あ・・・。もうそんな時間?』
とティアは、メイドの動きを追った。
ずっと眠り続けている彼に、ビタミンの注射を数時間ごとに打つようにと、出発前にジェイドが手配をしてくれたのだ。
この注射も今回で3回目になるのだが・・・メイドの動きを見守っていたティアの視界の中に、窓辺にいた筈のアッシュの姿が入った。
いつの間に移動したのか、アッシュはベッドから微妙に離れた位置に立ち、メイドを見ている。
初めはそんなに気にしなかったティアだったが、その時ふと気がついた。
アッシュが立っているのは、メイドの死角になる位置で、しかもそこからはメイドの手元はよく見える。そして、とっさに動いてもメイドをすぐに抑え付けられる場所だ。手元は剣にかけられてこそいないが、いざとなれば目にも留まらぬ速さで抜刀するのだろう。
ティアは、ぱちぱちと瞬きをした。目に見えない鱗を落とすような仕草だったが、別に目にゴミが入ったという訳でもない。
メイドは、朱赤の彼に注射をし終えるとすぐに退出していった。
それによって、彼が目覚めることも、いきなり顔色が良くなったりすることもないが、眠り続けている彼にとっては命を繋げるのに必要なものに違いがない。
ティアは複雑な思いで、メイドの去った扉を見て・・・振り返ると、すでにアッシュは窓辺に戻っていた。
テーブルにセッティングされた茶器からは、淡い湯気が立ち、マルクト王家の紋章の入った白いお皿の上には、一口サイズに切られたチーズとトマトや、卵、ピーナッツバターのサンドイッチが、盛り付けられている。
「アッシュ。」
ティアが呼ぶと、アッシュは警戒している様子もなしに振り向いた。
「・・・折角だし、お茶にしましょう。・・特にすることもないのだし。」
お茶にしない?と誘えばどう返事が返ってくるか予想がつかない。
少し強引な言い方をすれば、抵抗するほどの事もないと思うのか、意外にもアッシュは・・・返事こそしなかったが・・・普通にテーブルに寄ってきた。
なんだか変な感じだわ、とティアは思った。
まるで気位が高い野良猫の機嫌を取っているような気分だった。
「貴方は・・具合はどうなの?」
卵の具を確かめてからサンドイッチを取り、口元に運ぶまでの間に話しかけると、アッシュは少しだけ目を見開いたが、
「別に・・・。」
それでも普通に答えてきた。
「悪いとは思わない。大丈夫だ。」
「そう?」
なら良かった・・・と言った後が続かず、少しの間沈黙する。
「・・良くねぇのは、気分の方だな。」
すると今度は、アッシュの方から続きを口にする。ぎこちないまでも会話は成立するようだ。
「・・・色々な記憶がごちゃまぜになっているという感じがする・・・。上手く、それらを整理できてない。イラつくったらねぇ。」
「そう・・・記憶が・・・。」
それはどういう感覚なのだろう、とティアは考えてみたが・・・うまく想像できない。
そういえばと気になり、アッシュの顔を見ると察したのか、
「なんだ?」
と質問を促してくれる。
「・・・ルークの記憶がある、と言ったでしょう?」
「・・・ああ。」
「それって・・・ルークがそれまで体験してきた中で、どう思っていたか分かる訳でしょう?」
ルークとアッシュは・・・両極端だったと皆が思っている。
だとしたら性格にも多少の影響が出てきそうなものだ。
実際、ティアは今のアッシュに過去の彼とは異なる印象を持っていた。それは神託の盾騎士団の軍服を着ていないからかもしれなかったし、いつもあげていた前髪を下ろしているからかもしれなかったが、2年前とはだいぶ雰囲気も違う。明るいというのではないか・・・少しだけ纏っている雰囲気からとげとげしさや、暗さが抜けている気がするのだ。
だが、アッシュの答えは意外だった。
「いや。」
「え?」
「あいつがどう思って行動してたかまでは共有してない。俺が持っているのはあくまで"記憶"であって、"感情"は含まれない。だから、なにを考えていたのかはわからねぇんだ。」
「それって・・・。」
「なんて説明したら一番分かり易いのかが分からんが・・・。要するに"記憶"と"魂"は別物だってことだ。」
"感情"は"魂"に付随する、とアッシュは言った。
以前・・・ジェイドが言った事をティアは思い出す。
その人をその人足らしめるものは・・・"記憶"があるか"魂" があるか、だと。
そのどちらもなければ、それはその人ではない。イオンとフローリアンが同じ被験者のレプリカの体を持っていても、別人であるように。
だとしたら・・・。
目の前で"アッシュ"という人格で、"ルーク"の記憶を持っている彼は・・・一体誰なのだろう?
"記憶"があるか"魂" があるかだとしたら、そのふたつが分離してしまった場合、どちらを持っている方がその人としての資格を持つのか。
"記憶"か。"魂" が有利なのか。
自分の考えの中に入っていこうとしているティアを引き留めるように、アッシュが言った。
「お前は・・・どうしてこの件に関わっている?」
「え?」
ふいの質問だったこともあったが、その意味がわからず、ティアは聞き返す。
「お前は、この先どうするつもりなのか、と聞いている。」
「どうするって・・・。」
どうするもなにも、今の状態は全てが謎だらけで、中途半端だと思っているティアにとって、アッシュの質問の意図は計りかねた。
だが、アッシュは違うだろ、と言い捨てた。
「お前と・・・アニスとは、"鮮血のアッシュ"と"ハレルヤ"の・・・結局一緒だが・・捜索が任務だったろう。アムラジェを追うのはカンタビレの仕事だ。だったら、ここにこうして俺がいる以上、お前たちの任務は終了している筈だが?」
「それは・・・。」
俺には理解できん、とアッシュは言った。
「お前たちはどうしてそうムキになって、アムラジェを追うんだ?」
「ムキになんて・・・なってないと思うけど・・・。」
そうかな、とアッシュはティアの言葉を取り合わない。
「ムキが嫌なら情熱とでもいえば良いのか?」
それも前向きな情熱でもないがな、というアッシュの言葉は道理が通っていて、途端にティアは、自分たちが命令違反の類を犯しているのかもしれないと気がついた。
たしかに・・・教団から任されたのは"ハレルヤ"を殺したかもしれない"鮮血のアッシュ"の捜索だった筈だ。二者が同一人物だとわかった以上、ティアたちの任務は完了している。それなのに、ティアの中でこの件が未だに終わっていないのは・・・。
「アムラジェの事が気にかかる・・・いえ、ピオニー皇帝から第3施設の調査の依頼を・・・。」
「難しいヤツだな。」
アッシュが溜息をついて、ティアは言いかけていた言葉を飲み込んだ。
「え?誰が?」
「お前だ。」
アッシュは、ピーナッツバターのサンドイッチを口の中に放り込み(どうでも良いが彼はさっきからピーナッツバターばかりを食べている)面倒くさそうにティアを見た。
「もっと冷静な女かと思ったがそうでもねぇ。俺も人の事は言えた義理じゃねぇが・・・感情に流されやすい。そんなんじゃカンタビレにしてやられるぞ。」
「じ・・上司だもの、やられるとか、勝ち負けの問題でもないと思うわ・・。」
そこでティアは、あれ?と違うことが気になった。
「アッシュ。貴方、カンタビレ様を知ってるの?」
「・・・いや?」
微妙な間を持ってアッシュが答えるので、首を傾げると・・・。
「直接会った事はないな。・・・だが、特務師団時代に、任務でニアミスをした事がある。あの時は苦汁をなめさせられた・・・。」
もっともそれはカンタビレも同じだったのだろう。
ジェイドたちに依頼をする前の事だ。ハレルヤ失踪事件にアッシュが関わっているとアニスの証言を聞いた直後、カンタビレが漏らしたことがある。『鮮血が関わっているなら事は簡単には済まないだろう』と。それは、ある種の褒め言葉にも聞こえると、苦々しげな表情を浮かべるカンタビレの顔を見つめていた。
「そうね・・・。」
ティアは考えた。
「カンタビレ様ならあるいは・・・アムラジェの居場所を掴んでいてもおかしくないわね。でも・・・それこそ勝負の問題じゃないと思うの。私は・・・。」
ルークのことが、と言いかけた言葉をティアは飲み込んだ。
目の前のアッシュがいきなり、頭を抱えるようにしてうずくまったからだ。
「アッシュ!?」
どうしたの?と立ち上がったティアの目の前を、パチパチッとなにかが光った。
それは、第七音素が光る時にも似ていて、え?とそちらに注意を向けていると・・・。
「そうだ・・・。あの女・・・。」
とくぐもったアッシュの声が聞こえてきた。
「あの女?」
カンタビレのことか?と思ってティアがアッシュに聞き返すが、それに対してアッシュは答えない。
彼のつぶやきは彼の内面に向かっているようで、唸り声にも似た言葉が、アッシュの屈んだ腹の下辺りから上ってきた。
「一緒に・・・逃げよう・・・と・・・。」
「え?」
いきなりの内容にティアが面食らいながら、アッシュの傍に屈みこんだ。
「アッシュ、どこか痛いの?待って、譜歌を・・・。」
するとアッシュは、制止するようにティアの腕を掴み、首を振った。
「一緒に逃げよう・・と言った。」
「誰が?」
「あの女だ。一緒に逃げよう、自分が間違っていた、と・・・。どこでだったか、思い出せないが・・・。」
「あの女って・・・。」
「お前たちが・・・俺が、アムラジェ、と呼んでいる女だ。」
『一緒に逃げましょう。私は、間違っていました。
今頃気がついても遅いけれど、やっぱり間違っていました。
この広い世界なら、どこかに必ずありますよ。
被験者もレプリカも関係なく皆が幸せになれる、そんな理想郷が、どこかにきっと。
そこまで逃げましょう。必ず探し当てましょう。
・・・ないなら、一緒につくりましょう。・・・だから。』
『ここから・・・一緒に逃げましょう。』
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