31.
「・・しかし、そんなことが・・・。」
ジェイドのつぶやきに全員が顔を向けたが、その意図が理解できる者はそこには誰もいなかった。
ジェイドがつぶやいたっきり、首を振るとそれに関しては黙ってしまったからだ。
だが、ジェイドがこうなると口を利かないことをある程度知っている一同と違い、アッシュはあからさまに不機嫌そうに眉を顰めた。
「なんだ?死霊使い。」
もっとまわったような言い方が、アッシュには理解し難い。だから、その口調には不快がにじみ出ていて、一瞬ガイなどは、アッシュがジェイドに掴みかかるのかと心配になったくらいだった。
「思っている事があるのなら、はっきり言え。」
「・・・確かにありますが・・・それに関しては、もう少し後にしましょう。」
そしてそこでジェイドは、別に勿体つけている訳ではありませんよ、と言った。
「・・・本来、これは貴方と彼の問題です。なのに、貴方たちは・・・こう言ってはなんですが、特別な体質をしている。被験者とレプリカであるという以上に貴重なそれは、研究者にとっては魅力的でもある。・・貴方には十分に心当たりがあると思いますが。」
表情を変えないように努力しているのか、もとからむすっとしている顔ではあったが、アッシュは眉を動かすこともなく、ああ、と短く肯定した。
「だからこそ、私は憶測であれやこれやと言いたくないんですよ。幸いにも貴方は、貴方がた自身の為に検査に協力してくれるという。ならば、その結果がすべて出て・・・そこで初めて、貴方がたに直接話をするのが筋だ。私は、きちんとこの手順を踏みたいと思います。」
かつて、ルーク自身のことなのに、彼には告げず・・・結果、信用を失ったという過去がジェイドにはあり、それは、いい気になっていた自分への手痛いしっぺ返しだったと思う。
個人のアイディンティティに関わることは、とてもデリケートな問題なのだと理解して以来、ジェイドも本人の意見を尊重するということを学んでいる。
自分が本人にわからない事を理解できるからと言って、他人の人格を軽視するべきではない。
アッシュは、そうか、と頷いたが・・・その心情は複雑であることは確かなようだった。
ジェイド自身は信用しても良いが、彼が研究者であることは変わりなく・・・アッシュは研究者という人種を信用していない。
その矛盾をどうやって納得したら良いかわからない。
その顔にはそう書いてあるかのようだった。
敵対している訳ではないが、ふたりの間に溝のようなものがあるのは第三者の誰もが感じ取るところで、しかしだからといって歩み寄るように進言する気にもならず、一同の間に沈黙が下りる。
しかし、このままじっと時間をつぶしていても始まらないと、ガイが口を開こうとした時だった。
ぐー
と派手で呑気な音が、静かだった部屋に響き渡った。
思わず一同は、その方向を見やる。
羞恥心が目覚めていないのか、人前で大きく腹の虫を鳴らしたにも関わらず、朱赤の彼は一同の視線になぞ気づかず、しきりに自分の腹の上を撫でている。どうしてそこから音が鳴ったのか、不思議だという風だ。
その姿に思わず笑みをこぼし、ガイがアッシュの隣に腰かけている朱赤の彼に話しかけた。
「ずっと寝てたから、腹が減っただろう?メイドに言って、おやつを用意させるよ。」
自分は話さなくても、彼は言葉を理解している。
『おやつ』と聞いて、朱赤の彼の目が、遠目でもそうとわかるほど、丸く輝いた。
ほどなくしてメイドが現れると、あれほどアッシュに執着していたというのに、あっさりと部屋を出ていく。
場を和ませる存在が部屋を離れたことで、一同は、さてという風に表情を引き締め、さきほどからの議論を再開させた。
「話をアムラジェに戻しますが。」
ジェイドは、視線をきっちりとアッシュに合わせ、完全な現状の把握を目指して、質問を再開した。
「貴方の記憶に登場したアムラジェは、確かに『逃げよう』と言ったのですね?」
「ああ。」
「『逃げる』ねぇ・・・。」
うーんというようにガイが顎のあたりをさすり、眉を寄せる。
「それだけ聞くと、物騒なことが連想されるんだが・・・。例の教団に現れたルークから逃げようって時に言われたのか?」
図らずも斬り合いになったのだ。その傍で見ていたアムラジェがアッシュに・・・ハレルヤに・・逃げようと促したのなら筋が通っている。
しかしアッシュは、それは違うと首を振った。
「・・細部が曖昧模糊とした記憶なんだ。ハレルヤとして過ごしていた時期の記憶はすでに全て戻っている。」
「ということは・・・ハレルヤとして教団にいた時分よりも前の話なのですね?」
「・・たぶん、な。」
断言を避けた口調ながらも、アッシュは確信をしている様子だ。
それならば、とジェイドも考える。
「・・それならば、アムラジェが逃げようと言ったというその記憶は、貴方が"ローレライ"として第3施設にいた時のもの、ということになりますが。」
「あれ?でも・・・"ローレライ"がアッシュってことで落ち着くんですか?そもそもそこも議論になっていたと思うんですけど?」
アニスが記憶を遡っているように、少しだけ寄り目になりながら確認すると、ジェイドは検査の結果待ちということになるでしょうが、と付け加えた後、
「けれど十中八九、アッシュが"ローレライ"で間違いはないでしょう。彼は第3施設の記憶がおぼろげながらもある訳ですし。」
正確に言うならば、"アッシュ"の見たものを通信で見ていたのは"ルーク"なのだが、その辺りは拘る必要がない話だ。
今の"アッシュ"が、ふたり分の記憶を持っている以上、それはアッシュの記憶で間違いない。
「まぁ確かに。他に"ローレライ"と呼ばれるに相応しい存在が・・・しかも、アッシュとルークと見た目が同じな、新しいレプリカがいると考えるよりも自然だよな。」
アッシュにはっきりとした記憶がない以上、完全にその可能性を否定するのは危険ではあるのだが、結局のところは・・・状況を鑑みて、それが妥当な結論だろう。
アニスもそれには異論はないようで、素直に飲み込んだようだった。
「それにしても・・・『逃げよう』・・か。」
ガイが、うん、と頷きながら、
「アムラジェは"ローレライ"に同情的だった、という事だよな。少なくとも"ローレライ"がおかれていた状況を良くは思っていなかった・・・。」
そう言って、アッシュの表情を伺う。
はっきりと記憶が戻っていないからなのか、その手の扱いに慣れているからなのかはわからないが、アッシュは別段怒りを表すこともなく冷静だ。
だが、もしも第3施設で良い待遇を受けていたのなら、アムラジェは『逃げよう』という言葉を使わなかっただろう。
それまで黙っていたティアが、右手で頬杖をつくような仕草をしながら、口を開いた。
「その件なのだけど・・・そこにアムラジェがでてくるのは・・・変じゃないかしら?」
その表情は、これ以上ないくらいに困惑を表している。
「"ローレライ"は、それまで第3施設にいた訳でしょう?施設長のリグロは確か、アムラジェを知っていた風ではなかった筈だわ。」
「なのに、アムラジェがいきなり登場して、"ローレライ"を連れて逃げたってことになるよな・・・。」
「アムラジェがどこでどうやって第3施設に現れたのか、そしてどこでどうやって"ローレライ"の事を知ったのか。謎ですわね。」
確かになぁ、と納得できない顔のガイに、同意を示したナタリアまで唸ってみせた。
「そもそも・・・アムラジェって、本当に第3施設にいなかったのかな?」
「おや。もしそうだったのなら、話はとてもシンプルなものになるんですがね。」
アニスの疑問に、まるでちゃちゃを入れるようにジェイドが言った。
その言い方が気にいらないのか、アニスがぷぅ、と膨れる。
「わかってますよ!それだと楽だって、言いたいんでしょう!」
アムラジェが第3施設に元々いて・・・リグロがそれに気がついてなかったり、わざと黙っていただけならば、第3施設が嫌で逃げ出したアムラジェが、ついでに同じような境遇の"ローレライ"を連れて行った。それでカタがつく。
事はそんなに簡単なものではなさそうなのは、アニスも百も承知なので、ちょっと言ってみただけだったのだ。
「たとえば・・・アムラジェがローラ博士のレプリカだとして・・・そして、被験者とレプリカという関係をお互いに認識していたとして。被験者であるローラ博士から"ローレライ"を第3施設から連れ出すように依頼された、というのはどうだろう?」
「・・・悪くはないですが、疑問が多々残りますね。」
ガイが捻りだした答えに、ジェイドは否定を返した。
「ローラ博士とアムラジェがどうやってお互いを知ったのかという点を棚上げにしたとしても・・・わざわざアムラジェに依頼などしなくても、自分で"ローレライ"を連れ出せば良い。」
「自分では行けない理由があった、とか?」
「・・・それならば、アムラジェが連れ出した後に接触する筈でしょう。しかし、現実にはローラ博士はアッシュの前に姿を現さなかった。」
アニスの思いつきを即座に否定して、ジェイドはゆるゆると首を振った。
「・・そもそも、ここも妙な話なのですが。第3施設で"ローレライ"にもっとも関わっていたのは、ローラ博士の筈だ。なのに、彼女は忽然と姿を消し・・・以来、二度と"ローレライ"の・・・"ハレルヤ"でも良いですが、前に現れていません。元より"ローレライ"は彼女の研究テーマだったのですから、生きているなら"ハレルヤ"の周辺で姿を見せても良さそうなものです。けれど・・・その形跡は一切ない。」
暗に死という不吉な影を落としながら、ジェイドはしれっとそんな事を言う。
そして、ふと思いついたというように視線を、アッシュへと向けた。
「アッシュ。貴方はローラ博士と思しき女性について、思い出せることはありますか?」
「・・いや?」
アッシュは、深く考えるそぶりも見せず、即答した。
「俺はほとんど第3施設の事は覚えがない。・・・今は、の話だが。」
「今は記憶にないが、ふいに思い出すこともありえる、と?」
「まぁな。さっきのアムラジェの例もある。突然、脳裏に記憶が蘇ってこないとも限らん。」
「・・・もし、なにか思い出したら教えてくれると、約束して貰っても?」
ジェイドがなにを疑っているのか、念を押すかのように依頼をすると、アッシュも機嫌よくとはいかない表情で、
「・・・ああ。そうしよう。」
と答えた。
「それにしてもローラ博士も謎だらけの人ですわね。」
ナタリアが、それまでにわかっていることをまとめようというように、1本づつ右手の指を折りながら、確認していった。
「第3施設で"ローレライ"創造計画の中心人物であった人で、リグロの義妹。ドロシーの母親。そして・・・ある日、突然第3施設から姿を消した・・・。」
「アムラジェとの関係も謎。」
アニスが言った。
「・・・ドロシーの母親だってことで、たぶんアムラジェにも似ているんじゃないかって思うんだけど・・・でも顔は一切わからない。そして消息も要として知れない。」
「せめて、アムラジェがローラ博士のレプリカであることが証明されれば、なにかもっと・・・目標を絞れる気がするんですが。」
ふたりの関係性が一切わからない以上、自分たちも今度どのようにして動けば良いのか、悩みどころだ。
仮説のまま走っても構わないが、それが真実からとんでもなく離れていってしまうという結果をもたらさないとも限らない。
そうだな、と相槌を打ったあと、ガイはこれは慎重な案だが、という風に切り出した。
「・・・この際、アムラジェのことは一旦置いておいて、我々はローラ博士に標準を合わせても良いかもしれないな。」
それに対して、満足そうにジェイドは頷いた。
「悪くないですね。確かに、このままアムラジェに拘っていては進捗しない気がします。彼女の行方はカンタビレが追っている事ですしね。」
「俺たちまでアムラジェを追う必要性はないよな。」
「ええ。」
アムラジェ捜索は、そもそも彼らの責務ではないことを強調するかのようにジェイドは続ける。
「確かにローラ博士は、ルークには直接関係ないかもしれませんが・・・"ローレライ"には間違いなく関わっている。そして、その"ローレライ"がアッシュである可能性が高い以上・・・我々にも無関係ではけっしてない。膠着している状態から脱出する為のアプローチとして、着眼点は悪くないとおもいますよ。」
「けれど、ローラ博士を探るにしたって、どこから手をつけたら良い訳?」
アニスは、その案には賛成しかねると言うような不満げな顔で言った。
「そもそもローラ博士の事を知る人間って・・・リグロかドロシーか・・・。あとは第3施設の研究者だけでしょ?どいつもこいつも行方不明で証言を得ようにもできないじゃん?」
「あのおかみさんはどうでしょう?」
「もしかしたら何か知っている可能性もありますが・・・。彼女は研究者ではなく、単に雑用を頼まれていただけのようですからね。ローラ博士に会った事があるのかどうか。」
うーん・・・と一同は唸った。
「これは長期戦になるかもだな。グランコクマに拠点を置いて、しばらくは策を練るしかないか・・・。」
ガイが、諦めと覚悟をない交ぜにした結論を口にした時、トントン、とドアをノックする音がする。
誰が来たのかと扉を振り返った一同の前に、ひょっこりと特徴のある髪色が現れて、朱赤の彼が戻ってきたことを告げた。
「お。おかえり。」
ガイが微笑みを浮かべて迎えると、朱赤の彼は返答こそしなかったものの、ガイに対する警戒心は抱いていないようだった。
ガイの柔らかい笑みに、にっこりと笑顔で返し、しかしガイの傍には帰らなかった。まっすぐにアッシュに突進していく。
アッシュはすでにそれを察知していたようで、ひらりと立ち上がると、朱赤の彼と自分の間に椅子という壁をつくって、抱き着き攻撃からは身を守った。
ガイは朱赤の彼の不満げな顔を、目を細めて眺めた後、扉付近で佇んでいるメイドを振り返った。
「悪かったな。」
笑みを浮かべておやつの礼を言うと、メイドは、はっとガイを見た。
「い・・・いえ・・・。」
「?」
その仕草に一瞬不自然なものを感じたが、メイドはすぐに澄ましたいつもの笑みを浮かべる。
「では、私はこれで。」
「ああ、うん。下がって良いよ。」
メイドはガイに頭を下げた後、一瞬、朱赤の彼を見て、目が合うと、またね、というようにひらひらと手を振った。朱赤の彼も、ひらひらと手を振りかえす。
誰にでも懐くルークの本質を、その中に見たような気がして、ガイは安堵を覚えた。
だが数日後、彼らのグランコクマ滞在は思いがけない事情で破たんした。
「え?なんだって?」
ガイは、ジェイドの報告を受けて、その内容を聞き返した。
「もう一度言ってくれないか?」
「ですから・・・。これ以上のグランコクマ滞在は叶わないと思ってください。」
ジェイドの様子はいつもの悪い冗談を言っている風でもない。いつになく深刻な表情をして、その赤い瞳には余裕はない。
これは本気だと思ったガイの横で、納得できないとばかりに、アニスが叫んだ。
「なんでですかー?大佐!この子がなにか悪いことでもしたんですか!?」
原因は、朱赤の彼にあるとだけ告げられたので、アニスはアッシュの傍らの彼を指さす。
本人は自分の事が話題に上っているとわかっているのか、怯えたような顔で、アッシュの腕にすがりつき、全員の顔を伺い見ていた。
「彼が悪い訳ではない、と思いますが・・・。」
ジェイドが言って朱赤の彼を見ると、まるで食われると思っているかのように、アッシュの影に隠れる。
「たぶん、そうと意識してない上での行動でしょうしね。しかし・・・それであるが故に、誰彼かまわずという点が問題なのです。」
ジェイドは言い、溜息まじりに眼鏡を直した。
「私はグランコクマ、と言いましたが・・・そうですね。どこかに長期で留まることはできない。きっと、そうなるでしょうね。」
「だから、それはなんでなんだ?」
苛立ちを含んだ声でガイが問いただすと、ジェイドは視線を一旦、床に下げる。
もったいぶっている訳ではなく、どういうことなのか、ジェイド自身も理解しきれていないという事のようだとその様子を見て、つきあいの長いガイは気がついた。
「どうも・・・初めは、メイドにだったらしいのです。」
「・・・あのおやつを頼んだ時に、か?」
「ええ・・・。」
朱赤の彼は、だいぶ周囲の人間にも慣れてきたとはいえ、四六時中アッシュの傍を離れたがらない。
ガイの記憶にある限り、彼らの目の届かない場所に長い間離れたのは、その一度きりだ。
ジェイドは発した言葉は、溜息まじりだった。
「その時に、彼は・・・いきなり預言を詠んだそうです。」
一同は目を丸くする。
「預言?」
「ええ。」
ジェイドはその赤い目で、朱赤の彼を見ているものとばかり思っていたのだが、違っていた。
その目は傍らに立つ、アッシュに向けられていたものだった。
ジェイドの視線を受け、それだけで事の真相が分かったというように、アッシュは言った。
「・・・不吉な預言だったんだな?」
「ええ。かつて"ハレルヤ"が詠んだような。もっとも、私は"ハレルヤ"の預言を一度も聞いたことはありませんが。・・・当たったそうですよ。」
「!」
「ええ・・!?それって・・・!」
大きく反応したのは、ティアとアニスで、彼女たちは息を飲んだきり、硬直している。
ガイは朱赤の彼を見る。
彼のあどけない表情からは悪意の類は一切感じられない。
だから・・・きっと本人にも悪いことをしている自覚など微塵もないのだ。
しかし・・・"ハレルヤ"の預言が及ぼした影響について、"ハレルヤ"に責任がないと誰も言わなかったように・・・このままでは、きっと彼の上にも同じ反応が降ってくることになる。
長くはいられない。それはそういう事だ。
朱赤の彼に悪意がないからこそ、彼は彼が見えてしまうものを、無邪気に、誰彼かまわず告げてしまう可能性があるのだ。
「でも・・・どうして?それはハレルヤ様の特技だった筈では・・・。」
ハレルヤがアッシュである以上、不吉な預言を詠めるとすれば、それはアッシュの筈だ。
ティアの疑問はもっともなものだったが、
「もともと、ルークにもその素質があって、記憶を失ったことで開花したのかもしれませんが。」
ジェイドは、今の状態では何もわかりません、という風に一度首を振っただけだった。
「それで・・・あのピオニー陛下はなんて?」
ナタリアの質問にジェイドは、説明しなくても良く分かるでしょうに、と皮肉気に笑う。
「あの人はなんでも面白がりますからねぇ・・・。個人的には興味深いと思っているようですよ?」
けれど、と言葉が続く。
「・・・小さくとも、災いの種になるかもしれない事を、そのまま捨て置くこともできない、と言ったところでしょうかね。」
気に入った者に対して、温情の深い皇帝ではあるが、いきなり未知の・・・厄介ごとが齎されたと知ったら、悠長に笑ってばかりもいられないだろう。
事は彼の居住である宮殿内で起こったことで、しかも、預言を詠むことはすでに、禁じられて久しい。
「皇帝に害が及ぶとも思えんが・・・事情は納得した。」
難しい顔で黙り込んでしまった一同の中で、アッシュだけは、それを大事とは思っていないようだった。
「場所を移動するくらい造作もない。・・・世話になったと礼を言っておいてくれ。」
などと、さっさと今後の予定を決めてしまおうとする。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。」
今すぐにでも出て行ってしまいそうなアッシュの様子に、慌てたのはガイだ。
「?礼は直接伝えた方が良いか?」
そんなことを気にする皇帝とも思えんが、と言われ、そうじゃなくってだな!とガイはずれている会話を軌道修正した。
「いきなり移動ったって、どこに行くんだよ?」
「・・・ベルケンドが望ましいでしょうね。」
そういわれるのを待っていましたといわんばかりのタイミングで、ジェイドが口を挟む。
「ベルケンド、ですの?」
「どうして?」
「・・彼らの検査をする、と言ったでしょうに。」
しっかり忘れている様子のナタリアとアニスに、ジェイドは少し呆れたような顔をした。
「これまでの・・・ふたりの身体の上に起こった様々な変化は、とても一言では説明できない。・・・これまでのこともですが、これからのこともです。健康状態も含めて、検査は早い方が良い。」
「それでベルケンドか。」
「あそこなら、最新の設備が揃っている。医師も音素の研究者もいますから、いろいろと安心です。」
「確かに・・・。」
「でもでも!」
不服そうな顔でアニスが言った。
「ベルケンド行くのは良いですけど、その後、どうするんですか?ずっと研究所に閉じ籠っていたら、アムラジェの事とか調べることもできませんよぅ。」
「ええ。だから、とりあえずはベルケンドへ行って・・・その後のことはお任せします。」
なんだその言い方とひっかかって、ガイがジェイドの言葉を反芻した。
「任せる?」
「ええ・・・。ベルケンドへ行って・・・結果が出たら、私は別行動します。グランコクマにいますから、報告は鳩でください。」
「ええ!?ちょっと、大佐!?別行動って、私たちとですか?」
驚く一同を代弁するように、アニスが悲鳴をあげた。
「なんで、いきなり!?」
戦闘能力の不安はないが、パーティの頭脳と言えるジェイドが抜けてしまうということは、別の意味での不安を抱く。
アニスの動揺はもっともな話なのだが、当のジェイド本人は、なんとも思っていないようだった。
「私の代わりに、アッシュが入りますから問題はないでしょう。」
「いや、そういう意味じゃなく。」
アッシュといい、ジェイドといい、ひとりで全てを完結してしまう人間と話すと禅問答みたいになると、ガイは少し頭が痛くなる。
「どうして別行動になるんだ?そこを説明してくれ。」
問いただすと、ジェイドは少し考えてから、
「・・・調べてみたいことがあるのです。」
と言った。
「調べるって・・・俺たちと一緒にいたらできない調べものか?」
「いいえ?」
それに対してはまったく違う、とジェイドは首を振った。
「調べもの、という意味ではなく。彼らの検査結果を、細かく分析する必要性を感じるのです。」
「アッシュたちの体調に関してってことか?」
「ええ。なにしろ・・・文字通り色々な疑問がありすぎる。彼らふたりの間でなにが起こっているのか。それを、後回しにするのは得策ではありません。ほっておけば不安材料が増えるようなものです。」
「それは、ベルケンドで調べられないのですか?」
ナタリアの疑問はもっともな話で、ベルケンドは大勢のの研究者が籍をおく機関だ。あらゆる検査機器も集まっている。分析をするならばベルケンドですれば良い。なのに、わざわざグランコクマに戻る必要があるのだろうか。
それには、ジェイドも嫌な顔を隠しもしなかった。
「・・不本意ながらディストの意見も必要となりそうなのですよ。鼻たれをひっぱってベルケンドへ行ければ良いのですが、アレは現在拘束されている身ですからねぇ。これから出立という時に申し出て、牢から出す許可が下りる訳もない。」
だからこそ、ベルケンドでの結果を持って、グランコクマに戻ってくる必要があると言われ、結局、全員が沈黙をもってそれを承諾することとなった。
ルークとアッシュの事は全員の問題でもある。
こちらの心配を優先させたいと言われたら、それは後にしろとは言えない。
不満気なアニスの尖った唇を見ていたら、ふわりと風がたって、ガイはそちらを向いた。
これで話は終わったと察したアッシュは、早々に発つ支度をし始めている。
布袋に入っているグミや薬草を確かめている彼の後ろ姿を見ていて、あれ?とガイは気がついた。
先日まで、散々、一同と行動を共にするのを嫌がっていたのに・・・。
いつのまにか、アッシュは、彼らと一緒に行くことになっている。そして、それを本人も気がついていない。
先ほどもグランコクマにいられなくなった原因は、朱赤の彼だったのに、では移動しようと自ら発言していた。
いつのまにか絆されている・・と判断して良いのかはわからないが、喜ばしい傾向と言っても良いだろう。
・・・もっとも、臍を曲げられたら面倒なので、そんな事は口にはしないのだが。
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