未知のものとの遭遇は、いつでも命がけになる。
アッシュの場合、それは不運にも知っているものによく似た顔をしてやってきた。
山の中腹にあるセフィロトに用事があったのだが、そこまではアルビオールでは着陸することができず、麓の見晴らしの良い場所でギンジに降ろして貰い、アッシュは同行していた漆黒の翼とともに、目的地へと向かっていた。
なにがきっかけだったかは覚えていない。
ただ、薬草が生えていて、それを見つけたヨークが欲しがったのだ。
漆黒の翼は、アジトに大勢の孤児を匿っている身で、隠れて住ませている以上、よほどの重症でもない限り、医者に診せることは叶わない。それ故に、アジトには大量の薬草が常に保管してあり、薬はいくらあってもありがたいという状態であった。
それは、非常に苦いが、煎じて飲めば風邪などには覿面に効く。そのうえ、免責力も高めるということで、一同は一度、歩みを止めて薬草を煎じ、流行風邪の予防の為に飲むことにしたのだが・・・。
しかし、その正体は、山の人間でも間違えるほど、薬草に良く似た毒草だったのだ。
そして・・・初めにそれを読み込んだのは、アッシュだった。
「アッシュ!アッシュ、そうなのか!?目が見えないのかよ!?」
焦ってルークが呼ぶと、アッシュはなんともいえない声で唸り、両手の中に顔を埋める。
それで、間違いないと確信したルークは、そんな・・・と言葉を失う。
「医者は?医者は、なんて?」
「・・・・・うるせぇよ・・。」
「まさか、医者に診せてないのか!?なんで!?」
「うるせぇって言ってんだろうが!応急処置は済ませてるから、大丈夫なんだよ!」
「応急処置ってなんだよ、それ!」
アッシュが、口にした薬を吐き出したおかげで、漆黒の翼は異変に気がついた。
毒を飲むのを免れた彼らは、アッシュの為に山の麓の村まで急いで医者を呼びに言ったが、あいにくと医者はおらず、代わりにそこには、様々な毒草に詳しい呪い師がいた。
それで、彼らはその草には、視界を奪う毒があるのだ、と聞かされる。
そして、解毒剤を預かってアッシュの元へと戻ってきた。
その解毒剤を飲み続ければ、一週間もすれば毒は抜けるということだった。
「だ・・・だからって、医者に診せないなんて・・・。」
「うるせぇよ。」
ルークは黙った。
視界を奪われるなど、剣士にとっては命取りだ。医者に行かないなぞ蛮行以外のなにものでもないのに、アッシュはそれを拒否する。
アッシュが医者に行きたがらない理由を知らないルークは、アッシュはプライドが高いからな、と勝手な解釈をした。
怪我を恥だと思う者や、無闇に自分の体に触られたがらない貴族は大勢いる。
気高いアッシュも、そのひとりなのだろうと思った。
一瞬の間の後、ルークは、自分が呼ばれた理由もそれだったのか、と察した。
視界を失った今、アッシュは誰かの援助がなくては暮らせない。
呪い師の言うことが本当ならば、一週間。
その間、プライドの高いアッシュが、あまり親しくない人間の世話になることを拒むのも分かる。
知り合いには、自分の今の姿を、晒したくないと思う気持ちも。
だから、自分だったのだろう。
自分をどう思おうが、一向に構わない相手。
元々利用する立場にある、己のレプリカ。
「・・・・・。」
複雑な気持ちが、ルークの心に飛来する。
頼って貰えて嬉しいと思う反面、やるせなさも拭えない。
「アッシュ。どうしても医者は嫌なのか?」
「・・・・・。」
「わかったよ。じゃあ、もう言わない。・・・俺は、おまえの目が元に戻るまで、ここに一緒にいて、アッシュの手助けすれば良いんだな?」
アッシュが大きく息を飲んだ。
くそっと舌打ちし、がりがりと音がでるほど、頭皮に爪を立てて掻き毟った。
「なんで、てめぇなんだ!虫唾が走る!」
アッシュの怒鳴り声は、悲痛に満ちていた。
その声はルークにではなく、こんな状況に陥った自分自身への呪詛を放っていた。
「てめぇになんか・・・頼るくらいなら、俺は・・・!俺は・・っ!」
「・・・うん。わかるよ・・・。」
くそっ、くそっと何度も繰り返して、悪態をつくアッシュの肩は、空気すらも巻き込んで鎧を纏ったアルマジロのように固く締まり、周囲のなにもかもを拒絶していた。
ルークには、それが悲しく映った。
高い矜持を持つが故、アッシュは自分自身に傷つけられているのだ。
「わかる、けど。今はお願いだから、言う事を聞いて?」
ルークがアッシュの肩をぎゅっと抱きしめると、アッシュの体はぴくりと動いたが・・・もうルークを突き飛ばそうとはしなかった。
キュイ、と小さな音をたて、ルークは窓を開けた。
途端、むっとするほどの緑の匂いが、部屋になだれ込んでくる。
少しだけ冷たい風が、ルークの前髪を揺らし、木々の間から零れる光が暖かく地面を揺らす様が、美しい。
どうやって見つけたのか(聞いてもアッシュは答えなかった)知らないが、この家は美しいなとルークは思う。
周囲は静かで、時折、鳥の美しい歌声が聞こえる以外はなにもなかったが、濃い生き物の気配を感じる。
動物のものなのか、木々のものなのかはわからないが、それがこんな森の中にいながらも、虚しさを感じさせない効果があった。
こほん、と小さな咳が聞こえて、ルークは窓辺で振り返った。
アッシュは、横になっていたベッドから起き上がって、今は足を床に下ろしている。
さきほどまで眠っていたと思うが、本当はどうだかわからない。アッシュは寝息まで静かで、近くまでいかないと、それすらも判断しにくかった。
アッシュの目は、完全に視界が戻るまでの間、包帯を巻くことにした。
見えないまぶたは、意識しないといつのまにか開けてしまうらしく、それでは目が傷つきやすい。
視界が戻った時に、眼球に傷がついていたのでは洒落にならないという配慮から、まぶたを閉じさせ、上からそれを縛りつけることで保護をするのが目的だった。
「アッシュ?」
ルークは、振り返ってアッシュの傍に寄った。
「水でも飲むか?」
「いや、いい。」
アッシュの返答は、そっけないうえに早い。
ルークは少し傷つきながら、
「あ、窓。寒かったか?」
と窓を閉めようと、後ろを向いた。
数歩歩いて、ガラスに手を伸ばしたその時、ガタン!という物音に振り返った。
「アッシュ!?」
アッシュはベッドから転げ落ち、床に手と膝をついていた。
ルークは慌てて走り寄る。
「なにやってんだよ?危ねぇ・・・。」
「・・・水、を・・。」
「水?」
なんだ、やっぱりいるんだ?と思いながらルークは、テーブルの上の水差しを取ろうと立ち上がりかけた。
それを察したらしいアッシュから、制止の声がかかる。
「・・・いい。自分で取る・・・。」
「アッシュ?」
「余計な、ことするな・・・。」
「・・・・・。」
目が見えなくても、アッシュはアッシュだった。
たった1日で、ルークはその事を嫌というほど思い知った。
当初、この先どうなるのだろうとか、がんばってアッシュの役に立とう!と不安と意気込みとをない交ぜにしていたルークだったが、アッシュは、あまりにも手のかからない人だった。
高すぎる矜持は、彼を病人のままでさせてはおかなかったのだろう。
アッシュは、できることは全て自分でやりたがり、ルークが必要以上に手伝うのを嫌がった。
たとえ、壁を伝っても移動はひとりで行い、着替えなども自分で全てこなした。
ただ、剣を振るうなどはもちろん無理だ。
それでも、アッシュは決して抜刀もしない代わりに、剣をそこらへんに放置したりはしなかった。眠る時はかならず抱え、時々鞘のうえから撫でていることもある。
それは、なにかを惜しんでいる仕草に見えて、アッシュにとっては、剣を持てないということが一番の屈辱なのかもしれないと、その姿を見たルークは切なく思った。
アッシュは初め、ルークの作ったものを口にしようとはしなかった。
俺ってそんなに信用ない?と、自分の料理ベタを棚にあげ、むっとしたものだったが、いくらなんでも自分が料理をすることは叶わない現実を受け入れたのか、徐々にアッシュは、ルークの料理でも口に入れるようになった。
とはいえ、アッシュの食は細かった。
今まで一緒に行動をすることはなかったから、アッシュが元々どの程度の量を食べるのかはわからない。
しかし、同じ成長期の男子であったし、ルークが少量の食事で満足しないことを考えれば、アッシュも当然、その位は食べるものだろうと考えると、原因は体調(精神的なものを含めて)か、ルークの作ったものが口にあわないか、のどちらかであることは明らかだった。
その日、ルークは朝市で仕入れた材料を鍋にいれ、スープをこしらえていた。
それはアニス直伝で、ルークでも手軽に作れて失敗が少ない。
食の細くなってしまったアッシュにどうやって食べさせようと、悩んだ末に選んだメニューだった。
漆黒の翼につれてこられた時は、なにがなんだか分からない場所だと思っていたが意外にも近くに街があり、そこでは毎朝、新鮮な野菜などが並ぶ市場が開催されている。
ルークは、生前はまるまると太っていたと思われる良質の鶏肉を買い求めてきた。
鶏肉を必要な分だけ切って貰い、小銭で代金を支払っていると隣の店に並んでいる緑の野菜が気になった。ルークはピーマンが嫌いだが、アッシュは平気そうなので栄養の為にとそれも買い、ついでに真っ赤に熟れたトマトと、たまねぎ、そして少し辛めの味付けにする為のタカのツメも買ってきていた。
焦げ付かないようにかき混ぜていると、くつくつと煮立っていたトマト味のスープは、ほどよくとろみがつき、甘い良い香りた立ち上ってくるまでになった。ルークは鍋にタカのツメを折って入れ、一煮立ちさせると火から降ろし、床に毛布を広げて包んだ。こうすると熱が逃げず、長時間煮込んだものと同じ効果が得られる。長い間、火の前に立っていなくても済む裏技の調理法だ。(これもアニスに教わった)
そして、ふぅと息をついた時、外から鳥の声が聞こえてきて、ルークは鍋から離れ、立ち上がって窓の傍に寄っていく。
その鳥は、毎日同じ時間にやってくる。
その正確さに、もしかしたら、過去に人に飼われていたものなのかもしれない、と思う。
いつも同じ時間になると、窓から見える枝に止まり、綺麗な鳴き声で歌を奏でる。
ルークはその鳥の声が好きになった。
透明で、しかし誰にも靡かない頑固なまでの気高さを滲ませるその声にあわせ、ルークは知らず知らず、幼い頃に歌ってもらった子守唄を口ずさむ。
時には、よく聞くティアの譜歌を真似て歌ったりもしたが、この子守唄が一番鳥の声にあっているような気がした。
ルークが歌うと、鳥も歌う。
あちらは、きまぐれなのかもしれないが、まるで鳥と対話しているかのようで、ルークには神聖で貴重な時間になっていた。
いつもいつも、不機嫌そうなアッシュと一緒にいると、息が詰まるのも確かだ。たまには、こんな息抜きも必要だなどと、気分良く歌っていると・・・。
「・・・・っ!!」
ガタン!ともガン!つかない大きな音が、部屋の中からした。
同時にあがった声に、ルークは一瞬で我に返る。
それは間違いなく悲鳴を押し殺した声だった。
驚いて振り返った、ルークが見たのは。
「・・・あっ・・!」
ひっくり返っているのは、スープの鍋だった。
そして、アッシュの姿。
アッシュは床で、左側を庇うようにうずくまっていた。その顔は苦痛でゆがめられている。
さきほどまで煮立っていたスープを浴びたのだと理解した瞬間、ルークの目の前が、ショックで真っ暗になる。
「ア・・・アッシュ!!」
アッシュ、アッシュ、アッシュ!と夢中でルークは叫んだ。
俺がこんなところに、スープの鍋を置いたから。
アッシュが目が見えないのをわかっていたのに、なんて馬鹿なんだ!
どんなに後悔して、自分を叱咤しても始まらない。
ルークは慌てて、水でタオルを冷やし、アッシュの左腕と左足を冷やそうとした。
しかし、そんなことでは間にあわず、
「アッシュ!捕まってくれ!」
強引にアッシュの右側から肩をねじ込んで、体を持ち上げた。
その反動なのか、アッシュが歯を食いしばって、うめき声を押し殺したのが分かった。
ルークはアッシュを抱えたまま、水が張ってある風呂場へと移動する。
そして、服のままアッシュの体を風呂桶に沈めると、薬草を取りに表に出た。
どくん、どくんとルークの胸が早鐘を打つ。
アッシュは、ルークを怒鳴らなかった。
いつもなら、瞬時に罵ってくるのに、それもしない。
それは、それだけ受けた傷の痛みに気を取られていた為ではないのか?
どうしよう?どうしよう?とルークは、それ以外の言葉を失ってしまったかのように、繰り返していた。
ルークが、薬草を使ってアッシュのやけどに、応急処置を施していた時、運の良いことに漆黒の翼が様子を見に訪れた。
ざっとことの次第を説明し、医者か治癒術師を呼んできてくれと頼み込むと、漆黒の翼は即座に対応してくれた。
近くの街から医者が呼ばれてやってきた頃、アッシュは気を失っていた。
ルークが、ぐったりと重くなってしまったアッシュをなんとか風呂場から移動させ、服を着替えさせ終わると同時に、ことんと意識を手放したのだ。
医者は、ベッドに寝かされていたアッシュの容態を診ると、すぐ冷やしたので痕にはなりませんよ、と言った。
ほっとしたのもつかの間、しかししばらくは痛むでしょうねと言ってやけどの薬をくれる。
ついでに、目のほうも診てもらったのだが・・・アッシュが飲んでしまった毒がどのような種類のものかわからないから、判断ができないと言う。ただ、錠剤の解毒剤をくれた。
医者を送り出し、その背が森の中に消えて、さらにいくばくかの時間がたった頃、ルークは手の中にあるふたつの薬袋を見て・・・そのままそこに立ち尽くした。まるで凍り付いてしまったかのように。
足が震えて、動けなかった。
しばらくすると、今度は立っていられなくなってきて、その場にぺたんと座り込んでしまう。
全ての力という力が、気力とともに、下へ下へと落ちていくような感覚。
ルークは目の前が暗くなる思いだった。
自分はアッシュの目が戻るまでの間、彼を守る為に呼ばれたはずだ。
それなのに、自分が傷つけてしまった・・・。
情けなくて悔しくって、ルークは唇を噛み締める。
こんなことなら、最初から俺では役に立たないと、アッシュに断れば良かった。
漆黒の翼にでも、ギンジにでも頼もうと思えば、いくらでもお願いできたのに。
俺はいつだってそうだ。
焦りばかりが先行して、役に立とうとすればするほど・・・周囲を窮地に追い込む。
「ごめん・・・アッシュ・・・。」
ルークがつぶやく言葉には、返事がない。
馬鹿でも、屑でも、役立たずでも良い。
罵ってくれて構わない。
アッシュの声を聞きたい、とルークは思った。
夜になると、アッシュは熱を出した。
やけどのショックと、昼間に冷やす為とはいえ、水風呂に入れられたのだ。
食事をロクに取っておらず、免疫力が下がっているアッシュの体を、病魔は的確に攻撃した。
は、は、と忙しなく浅い呼吸を繰り返すアッシュの横で、ルークは額のタオルを変えたり、やけどをした左腕を冷やしたりしていた。
アッシュの体には、目の部分に加えてさらに包帯が増えていた。
まるで重症患者のような痛々しいその姿に、ルークの胸は掻き毟りたくなるほどに痛んだ。
だが、そんなものは自分勝手な感情だ。
ルークは、アッシュが寝ているベッドの端に、ことんと頭を乗せてうつぶせる。
頭はがんがんと痛み、つんと鼻も痛んだが、それによって喉元からせり上がってくる苦いものを飲み込んだルークは、こんなもの自己陶酔の一種じゃねぇか、と自分自身に嫌悪した。
アッシュは、もっと苦しんでいる。
俺には、泣く権利なんかないんだ・・・。
ぜいぜいと苦しそうな呼吸のリズムが少し乱れ、ルークがその事に気がついて顔をあげた。
「・・・アッシュ?」
アッシュが意識を戻したのか、ゆるゆると右手を上の伸ばしている。なにかを探るようなその仕草に、ルークは夢中で話しかけていた。
「なんだ?なにか、欲しいものとか?」
「水・・・。」
「水だな?ちょっと待ってろ!」
アッシュからは、返事はない。
ルークはそれで、また気を失ってしまったのかと不安になった。
しかし、コップに水を入れ枕元に戻ってくると、アッシュは右手を挙げ、ぱたんと自分の額の上に落とした。なにかの合図のようなそれにほっとしながら、ルークは声をかける。
「アッシュ、水。」
「ん。」
アッシュが首を少しだけあげ、右手で探すような仕草をみせたので、ルークはアッシュの背を手を回し、起き上がらせながらコップを握らせてやる。
よほど水分を欲していたのか、アッシュはそれをゴクゴクと飲み干すと、そのまま後ろへぱったりと倒れた。
そして、また先ほどと同じ、ぜいぜいとした荒い呼吸音を繰り返す。
ルークは居た堪れない気分のまま、アッシュの痛々しい姿を見下ろした。
俺が代わりをできたらとか、もっとしっかりしていたらなどは、どんなに思っていたところで、償いにならない。
ルークはその場に項垂れたまま座り込んでいたが、そうだアッシュが目を覚ましている今のうちに、薬も飲ませなければと思い出した。
ルークはいったん、アッシュの枕元から離れる為に立ち上がろうとした。
呪い師に貰ったという薬草と、医者から貰った解毒剤と、どっちを飲ませたら良いんだろうと悩みながら、腰を浮かせたその時、ぱっと手首を捕まれた。
「アッシュ?」
他になにか用だろうか、とルークはアッシュの口元に耳を寄せる。
はっ、はっとアッシュの呼吸はさきほどよりも更に忙しなく、また熱が高くなったのかもしれないとルークは焦った。
「・・・・じゃ・・ねぇ・・・。」
「え?」
ルークが聞き返したのは、聞こえなかったからではなく、それが思いがけなく、そして自分に向けられているとは信じられない言葉だったからだ。
しかし、アッシュが繰り返した時、ルークはその唇を動きを見ていた。
聞き間違いなどではなく、本当に、アッシュの口から発せられるのを、はっきりとルークは確認した。
「お、まえの・・・せい、じゃねぇ・・・。」
アッシュは言った。
「気・・にするな。」
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