本の虫と音楽の住人

 

 

「これで、最後っと。」

 ルークは書類にサインをしてから羽ペンを置き、ふわーと大きく伸びをした。
 父にでも見つかったら、集中力が足りないと怒られるだろうが・・・ルークは、全て目を通し終えた書類の山を満足気に眺め、そろそろお茶の時間だな、と時計を確認する。
 今日は黒スグリのジャムのサンドイッチと、ルークの好きな紅茶のスコーンと、チョコレートケーキを用意すると料理長が言っていたのを、ルーク付のメイドであるアーニャがこっそりと教えてくれていた。
 たまには、呼ばれる前に出て行って、早く仕事を片付けたことを、アッシュに自慢してやりたい。

 そう思って、意気揚揚と執務室の扉を開けば・・・なにやら廊下が騒がしい。
 めずらしく慌てたように、彼らの秘書官が右往左往と屋敷内をうろついている。

「?なんだ?なにかあったのか?」
 賊が入ったというような剣呑な雰囲気ではないから、ルークの質問は少し呑気なものだった。
 メイドのひとりがそれに気がついて足を止めると、なんだかすがるような視線でルークを見上げる。
 その目には、そうだルークに聞けばなにかわかるかも、という期待が浮かんでいた。
「その、アッシュ様が・・・。」
「アッシュ?」
「はい。いつのまにかご自分の執務室から、お姿が見えなくなって・・・。」
「お茶じゃないのか?」
 アッシュも一足先に仕事を終えたのかもしれない、とルークが言うと、いいえ、とメイドは首を振る。
 聞けば、書類が机の上に出しっぱなしになっているらしい。
 珍しいな、とルークは思った。
 アッシュはルークと違い・・・きちんとスケジュール通りに仕事を終える。
 今日のお茶の時間までの仕事は、ふたりとも書類に目を通してサインをすることで、その後、ルークは自室で勉強をする予定になっていた。
 彼らが揃って帰還して、そろそろ半年。
 アッシュが予定通りに仕事を終えてないことなど、めったにあるものではない。
 そもそも、己を律することを忘れないアッシュだ。
 なにか別の用事ができたのだとしても、それを誰にも告げずにいなくなるなど・・・。

『あっと・・・もしかしたら?』
 ルークは、ピンときて、メイドに告げた。
「じゃあ、俺も心当たり探してみるよ。大丈夫だって。アッシュに限っていきなりいなくなったりしないからさ。」
 メイドは、はいと返事をしてルークに頭を下げると、アッシュ捜索に戻って行った。

 その姿を見送り、さて、とルークは廊下の反対の方角を向く。
 その先にはゆるく半円を描く階段があり、それを上ってさらに50メートルほど先に進んだ先に。


「アッシュ。」
 やっぱりいた。
 呼べばアッシュは、驚いたように顔をあげ、なんだ?と聞き返してきたが・・・。
 冷静な声で取り繕ったって、我を忘れていたのバレバレだって、アッシュ。
 
 はぁ、と盛大に溜息をついて、ルークはアッシュの腰かけているソファーにどさり、と腰を下ろす。
 そのはずみで、黒いカーテンで仕切ってある部屋の中に、埃が舞った。
 この部屋のカーテンが黒いのは・・・本を焼かない為だ。
「アッシュってさぁ・・・本当に、本が好きだよな・・・。」
 ルークがそう漏らせば、アッシュは気まずそうに視線を彷徨わせる。

 アッシュが長らく探していた本が、思いがけず屋敷にあった、と聞かされたのは昨夜のことだ。
 ダアトの図書館にもなかったというその本は、続きもののオールドランドの伝記で、ちょうどアッシュの読みたがっていたサザンクロス博士の記述が含まれている部分だけが、紛失されてついに見つからなかったらしい。
 それが、屋敷にあるなんてな、とアッシュに報告されて、あまり本に興味のないルークは、へぇ、とだけ返事をしたのを覚えている。
 そして思ったのだ。
 あのアッシュが・・・こんなことで、こんなに嬉しそうにするんだ、と。
 
「でも、仕事をさぼるのはあんまり感心しないぜ?」
 とルークが言うと、アッシュは取り繕うようにして、違う!と反論をした。
「お・・・俺は、ここに調べ物をしにきたんだ!」
「って言ったって、昨日発見したって話してた本じゃんか、それ。」
「だ・・・だから、調べ物のついでに・・・。」
「つい、手に取ってしまった、と。」
 で、読み始めて没頭して、仕事を忘れた。
 ぷぷっ、とルークは笑った。
 自分が笑われたのがわかったアッシュは、てめぇ・・と唸ったものの、その後の言葉が続かない。
 どう言おうとルークに指摘された通り、仕事をさぼっていたのだ。それは変わらない。
 
 そっぽを向いてルークを見ようとしないアッシュの頬が、ほんのりと赤い。
 それに気がついてルークは、上機嫌になった。
 そして、今思い出しましたというように、あ、そうだ!と声をあげる。
「俺、お茶だって呼びにきたんだ!」
 それを聞いた途端、アッシュの眉間にさらに皺が寄る。
「・・もう、そんな時間なのか・・・。」
「そうだよ。今日は、アッシュの好きなザッハートルテだってさ!」
 ルークは、気づかぬフリで言ったが・・・確実に、アッシュは心ので、自分の失態を罵っているところだろう。
 仕事のスケジュールを崩さないアッシュ。
 完璧と称されるその性質は、潔癖ともいえる。
 そして、潔癖でいることは・・・絶望的なまでに、息の詰まることでもあるのだ。
「たまにはいいじゃん。」
 とルークは言う。
 帰ってきてからずっと、アッシュには気の休まる時間がなかった。
 仕事のことではない。

 以前、言われたことがある。
 仕事の最中だったか。なにか、打ち合わせをしていたような気がする。
 あまりにも余所余所しくって、この屋敷で懐かしく感じるのは、おまえだけになっている、と。

 長い間、距離を置いていた家族との生活は・・・いきなり取り戻そうとしても、そうできないことをルークは知っている。
 人の心の機微に不器用なアッシュ故に、その穴を埋めようとする潔癖であることも。

 だから。


 なんかまたひとつ、アッシュの意外な一面、発見!と口に出して言えば、うるせぇよ屑!と頭を小突かれる。
 昔のように力のこもったパンチではない。
 アッシュの中の憎しみが、自分に向けられなくなって久しい。
 ふたりのやりとりはすでに、近しく思っている者同士のそれなのだ。

 そして、それらが増えていく度に、確実にルークの中の飢えが満たされていくのを、ルークは感じていた。

 

 

 

 

 その日は、夕食の後にルークの相談に乗る約束があったが、城での公務が長引き、夜遅くになってアッシュは戻ってきた。
 
 かつては、屑だ劣化だと事あるごとに罵倒したものだが、一緒に仕事を初めてみると、ルークは意外に勤勉家でもあり、わからないところはわからないままにしない努力家でもある。
 このことに関しては、もちろんアッシュも自身の勝手なる誤解を反省しないでもないが・・・そもそも、その誤解の原因が、ルークの仲間内からの発言であったことを思い出すと、少しばかり納得できない気持ちになる。
 だが、それもマルクト皇帝の懐刀と呼ばれるあの男の顔を思い出せば、まぁ、ルークが普段からいかに酷い目にあっていたかが伺えるので、最近はアッシュも強くは言えなくなった。
 少しも自分の頭で考えることなく口にして、何度も何度も嫌味の視線に晒されたのだろう。
 だからルークは・・・あまり、ぽんぽんとわからないわからないと口にしなかった。じっくりと自分で考え、調べ・・・それでもわからないことはアッシュに聞いてくるようになった。
 ・・・これが、アッシュが絆されたはっきりとした原因だ。
 昔、ルークは卑屈な面だけが目立つこどもで、アッシュにしてみればそれを言い訳にして、なにもかも初めから諦めている、そういう印象しかなかった。
 しかし、一連の旅を終え、一緒にバチカルに戻り、同じ仕事を受け持つようになってきて・・・初めて、ルークの本質にアッシュは触れた。そして、改めて自分の誤解を知り、ルークをルークとして、ありのまま受け入れることを決めたのだ。


 結果的に約束を反故にしてしまったことを心苦しく感じながら、アッシュは自室へと向かう。
 ルークの部屋を訪ねようかとも思ったが、時間が時間だけに寝ているだろうから、逆に迷惑だ。明日の朝・・・盛大にルークは拗ねているだろうが・・・素直に詫びを入れたほうがよっぽど良い。
 そう思いながら、自分に与えられている部屋の扉を勢いよく開け・・・アッシュは、目を丸くした。

「あ、おかえりー。」
 
 ルークが寝ていた。
 ・・・というより、アッシュのベッドで、勝手に腹這いに寝転がっている。
 アッシュは驚いて、時計を見た。 
 ルークは、そんなアッシュに気づかず、今日は遅かったんだな、と呑気に言った。

「・・・めずらしいな。」
「ん?」
「お前がこんな時間まで起きているなんて。」
 アッシュが驚いた理由は、自室にルークがいたからではなく、この時間にルークが起きていたことにだ。
 アッシュの記憶の中で、ルークが日付が変わるまで起きていたことなど一度もない。
 
 アッシュにそう言われ、え!?と体を起こしたルークが、時計を見る。
 そして、うわっ本当だ!と小さく叫び声をあげた。

「うっわーすげぇ、遅いじゃん!アッシュ、こんな時間まで仕事とかひどくねぇ?今度、ナタリアに文句言ってやる!」
「いや、それはやめろ。・・それよりも、時間にも気がつかずにここで待ってたのか?」
 暗に寝てたのか?という問いかけだったが、ルークは、うん気がつかなかった・・・と素直に頷いた。
「?なにをしてたんだ?ここで。」
「これ。」
 ルークは今の今まで、ベッドの上で寝転がりながら見ていた本を手に取る。
「アッシュがまさかここまで遅くなると思ってなかったから・・・ちょっと待たせて貰おうと思ってさ。暇つぶしに本棚物色させて貰ったんだけど・・・面白いな、これ!」
「あ・・・ああ・・・。」
 それは、大衆向けの娯楽小説で、手に取ってパラパラ捲っただけでも冒頭から惹かれるものがあって買ったのだが・・・予感は外れず、相当楽しめるものだった。
 頷くアッシュを見て、でも意外だな、とルークは言った。
「アッシュもこういうの、読むんだ?」
「俺は、面白ければなんでも読むんだよ。」
 ルークの表情に、からかいの色が浮かんでいるのを見て、少しだけ不機嫌になったアッシュはぶっきらぼうに答える。
 しかし、それはルークには通じなかったらしく、へーそうなんだ!と嬉しそうに驚いて見せるのだった。

「それで?まさか、今までそれを読んでて時間を忘れました、とか言うんじゃないだろうな?」
 アッシュと違って、ルークは活字嫌いだ。だから、本に夢中になるルークなるものは、絶対に存在しないとアッシュは思っていた。
 だが、アッシュの言葉に、ルークの視線が彷徨いだす。
「・・・まさか、おまえ?」
「ちょっとだけ。ちょっとだけしか読んでないよ、うん。」
 いたずらを見つかった子供のような誤魔化し方に、アッシュはつかつかとベッドに近づくと、ルークの読んでいた書物の開いていた箇所に指を挟んで取り上げた。
「あ!」
「・・・253P・・・。」
 アッシュは、視線をルークに戻した。
 ルークは膨れて、かえしてくれよー!と本に向かって手を伸ばしている。
 この本の総ページ数は、320Pほどだ。
 物語はもうすでに終盤。
「・・・・・。」

 その時、アッシュが感じたのは、むしろ感動に近かった。

「ア、アッシュ?」

 アッシュが柔らかい笑みを浮かべたのを見て、ルークはどぎまぎと声をあげる。
 アッシュは今でこそルークに優しいが・・・昔は、屑だ劣化だと罵倒するだけ罵倒して、眉間に皺を寄せて睨む顔しか見せなかった。
 そのアッシュが、ふわり、と笑うなんて!

「面白かったか?」
 アッシュは言い、ルークにほれ、と本を返す。
「う・・・うん、すげー面白い、これ・・。」
 って、俺さっきも言ったよな?と思いながらも素直に返事をするルークに、アッシュは満足を覚えた。
 
 そして、アッシュは悟ったのだ。
 自分が面白いと思ったものを、ルークが面白いと思うと嬉しいのだということ。
 つまりは、自分はルークを気に入っているのだ、ということを。

「良かったな。」
 アッシュは、ふっと笑い、右手を伸ばしてルークの、ふんわりとした前髪をくしゃりと撫でた。
 ルークは目を丸くしていたが、アッシュは別段、気に留めた様子はない。

 以前のアッシュにとって・・・自分自身は遠く、怒りと憎しみという感情だけが友だった。
 こんな風にプラスの感情を己が持っているとは知る由もなかった。
 ましてやそれが、憎んでいた筈のレプリカに対して。
 しかも・・・一抹も、悪い気分のするものでははい。

 新しい己の発見に満足をしていたアッシュはだから、ルークが必要以上に顔を赤くし、心臓をばくばくいわせて自分を見ていたことなど、気づきもしなかったのだ。

 

 

 

 

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