ギンジが自慢するだけあって、確かに美味しいクレープだった。
ルークは食後のデザートを堪能して、満足気に宿にひとりで帰ってきた。
今アッシュは、キムラスカにいた時から楽しみにしていた通り、ギンジと酒を飲みに行っている。
本当はルークもついて行きたかったのだが・・・アッシュはルークがお酒を飲みたいというと、いつも良い顔をしない。
それに。
『やっぱ、俺・・・邪魔かも、だし・・・。』
かつてのルークが仲間たちとそうあったように、生死の係る旅を共にするということは・・・相手と特別な関係をいやがおうでも築くものだ。
共同戦線を張ることによって得られる信頼関係と、お互いを良く知っていると自覚する、その感覚。
それには、一緒にいなかった者は交わることができない。
改めて、どうしてアッシュがルークの仲間と、一線引いてつきあうのか、その理由がわかった。
「あ〜あ・・・。」
とはいえ、ひとりは暇だ。
元より長い間、屋敷に捕らわれていた身だから、退屈には慣れていた。
・・・筈なのに、仲間たちと旅に出て、アッシュと公務に明け暮れているうちに、ルークの生活には暇というものがなくなった。
そんなに昔な訳ではないのに、決定的にルークの中ではなにかが変わり、かつてどのように暇をつぶしていたのか、もう思い出せない。
一日中寝ていただけなんて珍しくもないのに、今のルークからしてみれば、なにもせずに寝るという行為が、無駄以外のなにものでもない気がしてならない。
「人って・・・変わるよなぁ・・・。」
かつて、変わります!と宣言して断髪していたような決意など必要なく。
人は変わる時は変わり、変わらぬ時は変わらないのかもしれない。
そんなことを考えて・・・期待を込めて時計を見たが、先ほどよりもたった1メモリ分、針が動いていただけだった。
「ルークさん、ひとりで平気ですかねー。」
もう何度目かわからない言葉を口にしながら、ギンジが眉を下げる。
その度に、平気だろ、と答えていたアッシュだが、そろそろ同じ返答を繰り返すことに飽きてきた。
どうやらギンジの中では、ルークは構いたくなるような子供らしく、さきほども、お土産に飴でも(たぶんロリポップというやつだ)買いましょうか、と本気で言っていたくらいだ。
確かにルークは本来の年齢は子供で間違いないが・・・曲がりなりにもみかけは自分と同じであるから、アッシュはどうも自分が子供扱いされるようで、なんとも気まずい。
「そういえば、アッシュさんの読書好きは未だ健在ですか?」
とアッシュのグラスに、琥珀色の液体を注ぎながらギンジが言った。
「ん?」
「だって、ホラ。さっきルークさんが・・・。」
書庫から戻らなかったって、とギンジは、くすりと笑った。
「なんだ?」
「いやー。アッシュさんが、変わってなくて嬉しいなって。」
ギンジも実は読書をするが・・・実のところ、アッシュをアルビオールに乗せる前は、本など読まなかった。
ギンジはアッシュの色々な要望に応えて、あちこちとアルビオールを飛ばしたが、ある日、一度着陸すると自分の用事が済むまで、点検が以外にすることがないのだと察したアッシュから、暇なら読んでろ、とぶっきらぼうに本を投げられたのがきっかけだった。
以来、ギンジも、アッシュほどではないが、本を読むようになった。
「思えば・・・あの時に借りた本が、とても面白かったおかげで、オイラも本読むようになったんですよね。キムラスカの要人を乗せることが多くなって、待機している時間も増えましたから・・・本当に、あの時教えて貰って良かったなーって。」
にこにこ言うギンジに、そんなこともあったっけか、とアッシュは首を傾げかけたのだが・・・次の瞬間には思い出した。
そうだった。
あの時、ギンジに薦めた本は、確か。
「・・・アレは最近、ルークが俺の部屋で読んでいたな。」
「あれ?ルークさんも本が好きなんですか?」
「いや?それは違うと思うが・・・。」
やはり完全同位体といえど、趣向までは似ないらしい。
そういうアッシュに、そういうものなんですか、と話を合わせつつ、ギンジは内心、うーん・・・と悩んでいた。
「あの、ルークさんって・・・。」
「あいつが、なんだ?」
やっぱいいです、と言いかけた言葉をひっこめようとして、ギンジは思い直してそのまま続ける。
「ルークさんは、なにが好きなんですか?」
「なにって言うのは?」
「たとえば、趣味ですけど。」
「趣味、か。」
アッシュは、首を傾げる。
そのまま、うーんと真剣に考え始める姿を見て、ギンジは、今日、何度目かのセリフを口にした。
「ルークさん・・・ひとりで平気ですかねー。」
そもそも。
アッシュは自分では絶対に気がついてないだろうが、ギンジがそう言わざる負えないのは、本日の話題が8割方、いつの間にかルークのことになってしまうからなのだ。
「やっぱり一緒に誘った方が良くないですか?」
いつの間にか、うたたねをしていたらしい。
細く開けてある窓から、柔らかくも涼しい風が部屋に入り込んできて、ルークは心地よく、さわさわと自分の髪を揺らす感触に目を覚ました。
「うー・・・。」
目を擦りながら、部屋を見回したが、淡い音素灯が照らす室内にはルークしかおらず、眠る前に見た光景と一向に変わりがない。
アッシュはまだ帰ってきてないらしい。
ベッドに寝転んだまま、無精して時計に手を伸ばせば、もう真夜中近い。
アッシュたちと別れて4時間はたっている。
ルークは、あーあ、と口にしてから、ベッドの上で仰向きに体制を変えた。
小奇麗に掃除された天井に向かって、ぶーと口を尖らせる。
「・・早く帰ってこいよ、アッシュ・・・。」
久しぶりの友人に会いに行ったのだ。
そんな簡単に戻ってはこないだろうというのは予想の範疇だったというのに、現実になったら面白くないと思う気持ちも止められない。
「・・・暇だし。」
ひとりで部屋にいると、ひとりごとが多くなる。
誰に聞かせたくてのひとりごとかと思うと少し切なくなって、ルークはふてくされたように、ごろんと体を回転させると、ふかふかの枕に顔を埋めて、そのまま抱きしめる。
風呂にもまだ入ってないが・・・このまま寝ちゃおうかな、と思っていると・・そんなルークの耳に、かすかな音が聞こえてきた。
あれ?とルークは顔をあげる。
窓の外から、風が運んできたらしいその音は、とても懐かしいものだった。
どうして忘れていたんだろう。
そう思いながらルークは、坂道を上っていた。
そこはルークのお気に入りだった。
何度も頻繁に訪れた訳ではなかったけど、旅の中で、ルークの見つけた宝物に分類されても良いくらい好きな場所で、いつか・・・本当にいつか、アッシュにも教えてあげられたらな、と思っていたことを思い出した。
空は晴れていて、瞬く無数の星が夜空を彩っていた。
ルークは目的地につくと、軽く息を弾ませてその夜空を背景に切り取って立つ大きな屋敷を見上げる。
周囲には誰の気配もなかった。
こうして静かな空気の中で佇むその姿は、まるで教会のように見える。
ルークは、すぐ近くまで寄ると大きな木製の扉を撫でる。
さすがに真夜中だ。中に誰もいる訳はない。
しかし・・・ルークには、真夜中であろうと中に入る術があった。
以前、世界の各地を飛び回り、昼といわず夜といわず訪れるルークたちとすれ違いが続いた後、自分がもしもいない時には、勝手に中に入って音盤を置いていって欲しいと、イシターが自鳴琴屋敷の鍵の隠し場所を教えてくれていた。
『変わってなかったら・・・ここ、にある筈なんだけど・・・。』
裏に回り、屋敷の壁に設えられている花壇に近づく。
その中のレンガのひとつを手に取り、裏返してみると・・・昔と同じく、削られた部分に鍵が隠されていた。
ルークは鍵を手に持って、ドアに差し込む。
音盤を持ってきた訳じゃないのにごめん!と心の中でイシターに謝りながら、鍵を回した。
中に入ると、どこからか新鮮な風の匂いを感じ、ルークがふと上を向くと天井近くの天窓が少しだけ開いていた。
シミターは毎日、屋敷を手入れしていることがそれだけでわかる。
ルークは、長年会っていない少女のような顔を思い出して、ふと目を綻ばせた。
明日になったら、きちんと挨拶をしに来よう。アッシュも連れて。
灯りをつけることは、やめた。
人がいない筈の屋敷に明かりが灯っていたら気味が悪いし、今日は幸い月も明るく、目が慣れてしまえば、なにがどこにあるかくらいはわかる。
とはいえ、音が漏れていたら気味が悪いには違いないが・・・ルークは自鳴琴に近づいた。
大きく、美しいその姿を見上げ、少しその側面を撫でてから、ルークはスイッチを入れる。
どの音盤が設置されているかはわからなかったので、なにが聞けるか楽しみでもあったのだが・・・流れてきたのは、ルークが最後に聞いた曲と同じものだった。
それはシミターがそのまま音盤を変えなかったことを意味していた。まるで自鳴琴の本当の主がルークであるとでもいうように、自鳴琴も本来の持ち主であるシミターもずっとルークの帰りを待っていた。
だが、この時ルークは、それを知る由もなかった。
自鳴琴から流れてくる煌びやかで脆いその音に、ルークは懐かしさと共に、最後に聞いた時の切なさを思い出していた。
あの時は確かもう死ぬことがわかっていて、二度と聞けないかもしれないと思ってこの自鳴琴の前に立っていたのだ。
ひとつの種類の音が奏でる旋律は、どこか物悲しくもあり・・・その分このうえなく美しい。
ルークは冷えた床に足を投げ出して座り、そのままコトン、と自鳴琴に頭を預けた。
カランコロンと響く音は、単調のようでいながら、多彩な色をはなっていて、まるでルークの鼓動とコラボレーションをしているかのように心地よかった。
うっとりと目を閉じ・・・少しだけ耳が拾う音が意識から遠くなる。
ふっと。
風が動かなかったら、ルークはそのまま寝てしまっていたかもしれない。
「・・・誰だ!?」
ルークの声に、人が息を飲む気配がした。
いきなりの誰かが入ってきたことに驚いて声をあげたが、次の瞬間、今の状況では不審者は自分だと気がついた。
シミター本人だったら謝れば済むかもしれないが、他の人だったらどうしよう・・・。
そう内心焦っていたルークに、ゆっくりと人が近づいてくる。
ルークが・・・人がいるのがわかっているのに、歩いてくる。
その違和感にルークは眉を顰めた。
これが泥棒の類だったら逃げるだろうし、逆にこの自鳴琴屋敷の関係者なら、逆に誰だと聞き返してくるだろう。
果たして。
月明かりが漏れる窓の下に現れた顔は。
「・・・アッシュ!?」
なんでここに!?とルークがあたふたと身を起こすと、それはこっちのセリフだ、とアッシュは言った。
暗闇に浮かぶ赤い髪も、剣術を極めた者の持つ引き締まった細い体躯もアッシュのもので、ルークは今更見間違える訳もないそれに、ほぅ、と息をついた。
それは、ルークの無意識のうちにでる安堵の溜息だ。
ルークの視界にアッシュが入る。
それだけで、ルークの中にはなにかが、すとん、と落ちるように安堵が生まれる。
「・・・ギンジにここの話を聞いたから、来てみたんだが・・・。」
お前、ここの事を知っていたのか、とアッシュは・・・なんだか複雑そうな顔でルークの質問に答える。
「う・・・うん。前、皆と。」
その表情に、なにか都合の悪いこともであるのかな?と思いながらも、正直にルークが白状すれば、
「そうか・・・。」
と返事をしたきり、アッシュは黙ってしまう。
意味のわからない沈黙がふたりの間に下りて、それは結構長い間にルークには感じられた。
そもそも旅をしている時に、誰かしらが一緒にいることに慣れてしまったルークだ。沈黙、というものになじみがない。
ジェイドですら、ふたりになった時に、黙ったままでいることなどないのだ。いやジェイドは、確信がないと話さない性格ではあったが軍人にしては多弁な方だったかもしれない。
「ア、アッシュは・・・。」
だから、沈黙に耐えられず、いきなり話し出したルークだったが、口を開いたは良いが、なにを聞こうと思った訳でもなかったので、一瞬、続きをどうしたら良いか迷う。
あ、そうだとルークは思いついたことを口にした。
「どうして、ここのことが、ギンジと話題になったんだ?」
「・・・別に、ここの話をしていた訳じゃねぇ。」
アッシュは言った。
「・・・俺は、お前の話をしてたんだ。」
「え?」
ルークは、きょとん、となって、俺の話?と反芻した。
「ああ・・・。お前が好きなものは・・・たとえば、趣味はなんだ、とギンジが聞くから。」
「・・・で?」
「・・・そんな事を話しているうちに、ギンジがここの事を言い出した。もしもお前が知らないようなら、教えてやれとな。」
「そ・・そうなんだ。」
どうも話の内容が見えてこないのだが・・・アッシュは意外に天然なので、時々ルークと会話をしていても、話が妙にずれることがある。
気にはなるが掘り下げて話を聞くのは無理そうなので、ルークは仕方なしにそれで納得した。
するとまた、沈黙が下りてきてしまう。
「・・・良い、音だな・・。」
今度の沈黙は長くはならず、アッシュは、まるでこぼれるように自鳴琴を見上げて、感想を口にする。
その目は夜目にもわかるほど柔らかくなり、アッシュはなにかを気に入ると、こういう顔をするのだ、と改めてルークは思った。
優しい顔。
綺麗で、だけど女とはまるで違う、精悍で、そのくせどこか慈愛に満ちた顔。
「うん。良い音だろ。俺・・・この自鳴琴が大好きなんだ。」
自分も好きなものが、アッシュにそんな顔をさせることができて、ルークはまるで自分の手柄のように誇らしげに言う。
アッシュの横で目を細め、自鳴琴を見上げていると、
「・・・も、だろ?」
とアッシュのつぶやくような声が聞こえてきた。
「え?なにか言ったか?」
「この自鳴琴『も』だろ、と言ったんだ。」
聞き返すルークに、アッシュは言った。
「?」
ルークは首を傾げていたが・・・その時、音盤が一周し終わったらしく、自鳴琴が音を止める。
「あ。終わった・・・。」
「もっと違う曲はないのか?」
「待って。ここらへんに・・・。」
ルークはアッシュから離れ、ごそごそと棚を探りだす。
その姿はとても熱心で、本当にルークが、この自鳴琴を好きなのだと物語っていた。
『屋敷に帰ったら・・・。』
アッシュは思った。
『・・こいつになにか、楽器を習わせてやってくれ、と母上に頼むか。』
それは、ギンジとの会話で発見したことだ。
アッシュがこのうえなく読書が・・・本が好きなように。
ルークのそれは、きっと『音楽』だ。
ルークの部屋に蓄音機があることには、アッシュも気がついていた。
ルークがひとりで部屋にいる時、大抵それで、曲をかけていることも。
そして、なにかに夢中になっている時、ルークが無意識に歌を歌っていることも。
ルークが、次の音盤を嬉しそうに自鳴琴にセットしているところを見ながら、アッシュは大抵それがティアが歌っていた譜歌のマネであることを、少し面白くないと思った。
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