シガー・イジリー・エディブル
The cigarette is easily edible

 

 

 

 今夜は月が寒々しいほど青い癖に暑苦しい夜だな、とルークは暗い空を見上げて思う。

 現にねっとりとした夜風がルークの身体にまとわりつき、こめかみから噴き出した汗が頬を伝って顎に滴り落ちるのは、なにも緩い坂を上っているからだけでもないだろう。
 あーあ、面倒くせぇな、と口の中で呟いて、ルークは不快な汗をぬぐった。
 
 振り向けば、すでに街は眠りについている。
 ルークの眼下に広がる景色はほとんどが民家で構成されていて、夜になるとにぎわう店などは、一本道のこの通りからは遠い。
 普通、宿屋といえば商店が立ち並ぶようなメインストリートにあると相場が決まっていたから、指定された場所はかなりの穴場なのかもしれない。
 そこに宿屋がないとは、ルークは思わなかった。
 ベッドがなければ、事は起こせないという訳ではないが・・・一応、人目を忍べる場所であることは必然だ。
 もっとも、あいつに変な性癖がないとは限らないけど、とルークは思い、そうしたらこれきり終わりだな、となんの感慨も抱かずに思った。

 

 

 

 

 教えられたままの道順をそのままなぞって歩いてきたのだから、間違えたりはしなかったが、そこは確かにかなりの穴場と言えた。
 まずルークが今まで泊まってきた宿屋とは大きく雰囲気が違った。
 なにもケテルブルグのような豪華ホテルばかりが世の中にあるのではないと、すでにルークは知っていたし、屋敷から飛ばされ初めてティアと泊まった宿屋などは、その頃のルークには家畜小屋にしか見えなかったが・・・今ではあの宿もそこそこ上等だったのだと思っている。
 しかし、上等でなくとも宿というと、なんとなく同じイメージしか抱かない。
 安い宿泊賃の宿ならば、白いシーツと、薄汚れた天井と・・・それなりの値段ならば、部屋の中にはソファーとテーブルとがある。
 目的地はそのどれとも違っていて、初めルークは、本当にここで良いのかとためらったほどだった。
 外観は貴族の別荘、と言ったところだろうか。間口が広い訳でもなく、入口に看板がかかっている訳でもなく、およそ商売をしているようには見えない。
 しかもレンガで覆われた外壁には明かりひとつなく、通りに面している窓という窓は、重厚なカーテンで覆われているようで中からは一条の光すら漏れていなかった。
 一見では、まるで空家だ。というかお化け屋敷だ。
 しかし、ルークが恐る恐る覗いてみると中は間違いなく宿屋であり、ぎぃ、という音を立てて開いた扉の先には、やる気があるのかないのか仏頂面をした宿の主人が受付のカウンターで、じろり、とルークを睨んだ。
 こっちは客なのに、まるで迷惑だと言わんばかりの態度は、接客する者には適切ではない。

 部屋の番号を教えてくれはしたが、面倒くさそうに答えられたことも腹がたち、ルークは礼も言わずに中へと入っていった。
 ぎしぎしいう禄に手入れもされていないような階段を上っていけば、薄っぺらい感触の赤い絨毯の敷かれた廊下はやけに長く、しかも目的の部屋は一番奥にあった。
 部屋の前に着くころには、すっかりルークは臍を曲げていて、目の前の木製のドアを、ノックをする代わりに足蹴にしてやった。
 照明代をけちっているとしか思えないほど薄暗い廊下にその音が響き、他に聞いている者があったなら、酔っぱらいが因縁をつける為にやっているとしか思わなかっただろう。
 
 やがて、重い音をたてて、扉は内側に開いた。

 そこにあったルークと同じ顔は、これ以上ないくらいに不機嫌丸出しで、いつもと違って下した前髪の奥から翡翠の瞳が強くルークを睨みつけている。
「うるせぇぞ・・・屑。隣に迷惑だろうが。」
「こんな面倒くせぇところに呼び出しておいて、なに言ってやがる。」
 こんなところに来て、隣室の心配とは真面目な奴だな、とルークはおかしくなった。
 こんな風にわざわざ、なにかから隠れるように建っている宿など、間違いなく訳あり者の為の隠れ家に決まっている。ならば当然、お互いに干渉しないのが、宿泊者たちの無言のルールだろう。

 ルークは開かれた扉からさっさと中に入り、途端に眉を顰める。
 部屋には、廊下にも負けない薄っぺらい緑の絨毯が敷かれ、窓はところどころにほつれのある重苦しいカーテンで覆われ、部屋の隅に寄せたあるベッドの上の赤いベッドカバーは埃でもかぶっているように汚れて見える。なにやら悪い菌でも飛んでいそうな雰囲気だったが、ルークが眉を顰めた原因はそれではない。
 部屋の中は、うっすらと煙がかかっていた。

「お前・・・。」
 振り向いて見れば、長い指の間に、細い筒状のものが挟まっている。
「煙草吸ってんのか?」
 ルークは煙草が嫌いだった。ファブレの屋敷では禁煙が当たり前だったし、幸いにもパーティの中に喫煙者はいない。
 個人の嗜好にとやかく言う趣味はないが、少なくとも自分が来ることをわかっているのだから、吸うなら煙は残しておかないのがマナーというものだろう。そうルークが指摘すると、アッシュは、は!と吐き捨てるように笑った。
「お前相手にマナーだと?笑わせるなよ。」
 そう言いながら、ルークの横をすり抜け、ベッドサイドの灰皿に煙草を押しつけて火を消した。
 そのまま、ほらよ、というように灰皿をルークの鼻先に突き出す。
 嫌いだと言っている相手に対して、嫌がらせ以外のなにものでもないのだが・・・おや?と気がつき、ルークはその匂いをくんくんと嗅ぐ。
「あれ?」
 あの独特の指すような嫌な匂いがしない、とアッシュの顔を見れば、
「・・・煙草じゃねぇよ。これは、ハーヴだ。」
 とアッシュは説明した。
「ハーヴ?」
「ああ・・・。煎じて飲むよりも火で焼いた煙の方が効き目があるヤツだ。鎮静効果があるんだよ。」
「鎮静?」
 と、いうことはお前怪我でもしたのか?とルークが聞くと、アッシュは、短く舌打ちをした。
「この街に来る前にちょっとな。デカイやつに出くわしたんだ。」
「だっせーの。」
「治癒師を連れ歩いてるてめぇなんぞに、言われたくねぇな。」
 それもそうか、とルークは納得し、ぼすん、とベッドへと倒れ込んだ。
 ベッドカバーのカビ臭さは気になったものの、意外にもベッドのスプリング具合は悪くない。
 ルークが、ふわぁ、と猫のように伸びをし、ちらりと意味ありげに見ると、目が合った瞬間アッシュの顔つきが変わった。

「あ・・と。ちょっと待った!」
 がばっとルークはベッドの上に起き上がった。
「なんだ?」
 アッシュの低い声をこそばゆいと感じながら、ルークは目的を失う前にと、早口で告げる。
「ここまで来るのに、汗かいちまって。・・その前に、軽くシャワーで流してきてい?」
「・・・ああ。」
 短い承諾を聞くのと同時に、ルークは上着のボタンを外しながら、部屋の中の奥へと急ぐ。
 背中に、視線を感じる。その場所が発火したとしても、もはやルークは不思議と思わない。
 瞳の奥にすでに獰猛な獣のような光を宿しながら、アッシュは自分でそれを制御できるのに対し、ルークは逃げを打たないとどうにも暴走が収まらない性質だ。
 その事にわずかながらの羞恥を覚え、ルークはシャワーを水にして熱さを覚ました。

 

 

 
 

 結局、ベッドは使わなかった。
 シャワーを浴びて裸になったついでだと、ルークは浴室から出てくるなり、床に押し倒されたからだ。
 お互いに満足するまで、まるで噛みつきあう喧嘩のように何度も激しく事に及び、脱力した後、荒い息を整えていた間にいつのまにか少し眠って、起きて。
 ルークは、テーブルの脚やら床やらに、あちこちぶつけた擦りむいたと文句を言いながら床に裸のまま仰向けに寝そべり、隣でアッシュは肘枕をしながら、持ち込んだという安いワインをグラスに注いでいる。
 ベッドの上のシーツだけは使った。それをふたりは共有で体に半分だけ巻きつけている。別に床が汚れているから用意したとかではなく、我を忘れたルークが縋るものを求めて手のひらに握り込んだものが、シーツだっただけのことだ。

 発端は、なんだったろう。
 顔を合わせればいがみ合うばかりだったふたりだったが、今は共通の目的を持って会っている。
 情報交換などで表の顔を見合わせるよりも、今や、その目的で会う事の方が多い。

 初めて事に及んだ後、その関係が継続される事など、ルークはないと思っていた。
 アッシュは相変わらず、ルークを煩わしいがっていたし、それはルークも同じだ。だが、それが逆に、お互いに欲望を満たすだけという後腐れのない状況を生み出すのには好都合だと気がつくのにも時間がかからなかった。
 わざわざその目的の為に待ち合わせることなどはなかったが、ルークと遠くない所にいると、アッシュは調度良いという感じで連絡を寄越す。
 最初はどうして毎回、アッシュが自分たちがどこにいるか把握できるのか不思議だったのだが、アッシュはルークが近くにいるとわかるらしいという事を知って以来、それを利用させて貰っている。
 最近ではなんとなくルークも、アッシュの存在を感じられるようになってきた気がする。

 
「・・・じゃ。」
「・・・ああ。」
 もう一度ベッドを使って抱き合った後、その熱が冷めるのも待たず、ルークはまだ夜も明けきってないうちに、宿を後にした。
 毎回、こんなものだ。
 事が済めば、もうお互いに関心はない。
 次にこれを目的に会う約束はしないし、約束が必要になるのは情報交換の時だけだ。
 
 面倒な長い廊下を歩いて出口へと戻ってくると、あの愛想のない宿主はカウンターにはいなかった。
 重い扉を開け、外に出ると、ひんやりとした朝の空気が全身を包む。
 すっきりした気持ちでルークは、大きく伸びをした。

 

 

 

 

 


 パーティを組むと、なんらしかの役割が日によって当番制で組まれるということをルークが初めて理解したのはいつだったろう。
 初めての時は、なぜおれが?という疑問とそれを理解できない苛立ちからずいぶんと不機嫌な顔をしてしまったものだが、今は役割の持ち回りの合理性は心底納得できるものだ。
 日記に書くまでもなく、その日ルークは買い物当番だったことを忘れていなかった。
 朝から、一緒に当番にあたっているティアと約束をし、皆で街の居酒屋で昼食を取ったあと、そのまま荷物持ちとしての役割を全うすべく、ふたりして連れ立って市場へと繰り出す。

「グミやボトルの類は十分にあるから、まだ買う必要はないわ。今日いるのは・・・主に食材ね。」
 メモを見ながら言うティアに返事をし、ルークは市場を見回す。
 市場の風景はどこでも似たようなものだ。地面に直接テントが張られ、簡易のテーブルが置かれ、その上に商品が並べられる。商品をどこに置くかは店の主人によってたまに特色が出ることもあるが・・・大概は、一番目立つ一番前の、真ん中にその日のお薦め品が置かれるものだ。
「今は、ナスが美味いのかな?」
 八百屋の前で覚えたての子供が喜ぶようにして、ナスを指さすルークに、ティアは今日は必要ないわ、とそっけなく首を振る。そして、その横のまだ半分ほどが緑のトマトを7つください、と注文した。まだ青いことを気にするルークに、アニスがトマトソースに仕上げる為に酸味の強い物を指定していたと言ってティアはにこりと笑った。
 普段は思いつめているような表情が多いティアだが、たまに笑うとゆったりと白く咲く百合の花のようだ、とルークは思う。それが目が合っている時など、まるでほのかな甘い香りさえしそうで、落ち着きをなくし、さりげなく視線を逸らしてしまうのが常だった。
 そんな柔らかい空気の中で、突然、刺すような気配を後ろに感じ、ルークは振り返った。
 いきなりルークが体の向きを変えたことで、ティアにも緊張が走ったようで、なに?と言いながら身構える。しかし、ルークの肩越しに見知った真紅の髪を見て、その緊張を解いたようだった。
 
「アッシュ。」
「・・こんなところで、優雅に買い物か?」
 相変わらず暇な奴らだと、表情は物語っていたが、それを口にしないのは、本人も買い物の途中だからだろう。
 アッシュの手には小さな紙袋が握られていて、それはさきほど、ルークたちも立ち寄った日持ちのするドライフルーツやナッツを扱っている店のものだ。携帯食の補充か、とルークは察して、お前こそ、と短い言葉で返す。
 その時、ふ、と血の匂いを感じた気がして、ルークがアッシュがよくやるように眉を顰めてその顔を見ると、アッシュは察せられたことに気がついたようで、短く舌打ちをする。
 アッシュは、自分のことをルークに知られるのが好きではない。それは過去や考え方身長体重ほくろの位置や怪我に至るまで、およそ個人情報ともいえないような些細なことの全てにおいて、ルークに関わりを持ちたくないと完全な拒否を決めている。
「じゃあな。」
「・・って、待てよ。アッシュ!」
 案の定、アッシュはルークがなにかを言う前に、その場を去ろうとする。
 ルークは、病的なほど頑ななアッシュの態度を煩わしいと思っていたが、しかし怪我を負っているのにほうっておけるほど、アッシュと自分たちの関係が浅いものだとも思っていなかった。だから、当然のように怪我の具合を聞いた。
「てめぇには関係ねぇ!」
「関係あるかないかじゃなくって、普通怪我してると知っていたら気になるだろう!?」
「気にしなければ良いじゃねぇか!」
 まったくもって、ああ言えばこう言うとはこのことだ。
 この押し問答のような不毛な言い合いには慣れていたが、何度やってもうんざりする。
 それでも、その日の気分次第では、どうしても気になってアッシュに縋ったりもするルークだったが、その時は腹がたつだけだった。なんで心配してやって、怒られなきゃなんないんだ!
 アッシュはルークの顔を見て怒ったことを察したようで、どこか満足そうに笑った。それが更に、ルークの怒りの炎に油を注ぐ結果となった。

「じゃあな。」
「待てよ!アッシュ!」
 行かせてしまえば良いものを、すでにルークも意地になっている。
 ルークが去ろうとしたアッシュの服の裾を握ったまま、両者は睨みあい、その険悪な雰囲気に気がついた人々が、巻き込まれまいとそそくさとその場を去っていく。
「気にするなったって、気になるだろ!小さな怪我を甘く見ていると化膿だってするかもだし、第一痛みはあるだろうが!」
「この程度のかすり傷、痛みなんざねぇに等しいんだよ。ああ、治療師を引き連れているお前にはわからないか。」
 アッシュの嘲笑は深くなる。
「ちっちぇ傷如きで、ぴーぴー喚いているお前にはな。」
 そもそも怪我するなんざ、てめぇの腕が悪いからだ、と余計なひと言を付け加える。
 今もって怪我を負っているのはアッシュだというのに、まるでルークの事のように言う様が許せなくて、カッと血が上る。
「お前だって・・・!この間、でっかい傷を負わされただろうが・・・!」
 ヴァン師匠に・・という続きはルークの口から出なかった。
 いきなりアッシュに胸倉を掴まれたからだ。
「てめぇ、どの口でそんな事をほざいてやがる!」
 ヴァンに斬られたことで汚された矜持を思い出したのか、それともルークが未だに師匠と呼んでいるのが気に入らないのか、その両方なのか。
 アッシュは激昂し、今にも街中で剣を抜きそうな勢いだ。
「てめぇらだって、ヤツを討ち損ねただろうが!」
 その言葉に、ルークは言い返せない。
 そもそも・・・一度は終わった旅が再開されたのは、アブソーブゲートで死んだ筈のヴァンが生きていたからだ。もしもあそこで最後の一撃を加えていたなら、こうはならなかった。それはルークも自覚していることで、そこを突かれるのは正直痛い。ルークの胸に未だにくすぶり続けている師への思慕があそこでとどめを刺すことを迷わせたのではないと断言できないからだ。
 ルークの図星を察したのか、アッシュは、は!と鼻で笑った。
「まぁ確かに、てめぇなんぞに任せた俺の落ち度でもある。その事に関してはてめぇを責められたもんじゃねぇがな。」
 それとも、とアッシュは言った。ヤツの身内が命乞いでもしたのか?と。

「・・・っざけんな!!」
 頭の中が真っ白になったと同時に、ルークはアッシュに殴りかかっていた。
 今の発言はさすがに許せない。ティアがこの旅の間、どれほど心を痛め、眠れない夜を何度過ごしてきたか。どれほどの決意とそれに伴う痛みを飲み込んできたのか、それを馬鹿にするようなことは。
 ルークの拳はアッシュの頬を掠めたが、反撃はルークを直撃した。
 ふたりは、街中だというのに取っ組み合いを初め、ティアの制止の声も聞かず、とうとう譜歌によって眠らされるまでそれは続いた。

 

 

 

 

 
 
 


 

 

 弛緩した体をぐったりとベッドの上に横たえ、荒く息をついたままのルークが薄目を開けると、視点の定まらない目に白い天井がぼんやりと映る。
 隣にあった熱が去ったことで左に視線を移すと、真紅の髪を流した背中をこちらに向けアッシュがベッドの上に起き上がっていた。
 横たわっているルークを振り向くことも、なにかの言葉をかけることもなく、そのままシャワールームへと消えるのを、こちらもなにも思う事なく見送った。
「・・・いて。」
 ルークは眉をしかめて、己の口を押えた。あの殴り合いの時に切った口の端の傷がぴりりと痛む。
 さきほど、その傷をアッシュはぺろりと舐めていたが、だからと言って、仲直りとかそういうことではないだろう。
 彼らの関係において、その手の感情は不要のものだ。
 仲が良いとか、お互いを思いやるとかは縁遠く、言うなれば、お互いがお互いを利用している、それが一番近いだろう。
 現にこうして、街中で本気で殴り合った後だというのに、しれっとした顔で会っている。まるでなかったことのようにふるまったというよりも、お互い相手がどう思っているかなど気にならないのだ。逢瀬というほどの甘さもない、冷めた関係。逆にそうでなければ後腐れないこの状況を、それなりに楽しめない。

 


「・・・たりー・・・。」
 宿へ戻ってきた後、だるい体をベッドの上に投げ出して、そんなことを思い出していたら、今日の相部屋になったジェイドから声がかかった。
「ルーク、眠るならきちんと寝間着を着なさい。」
「ほーい・・・。」
 それにしても、ジェイドはさきほどまで出かけていた筈だが。
 聞くと、ええ、外でお酒を楽しんできました、と悪びれもせずに答える。世界の危機に直面していようといまいと、それを非難するほどルークは真面目でもなかったし、第一、緊張を伴う旅だからこそ、息抜きをしないと・・・人間はどこかで壊れる。
 きっと、ルークとアッシュの関係のその延長上にあるのだろう。
 ジェイドに注意されたが、しばらくベッドの上でごろごろとしていたが、それ以上なにも言われない。ジェイドの良いところはこういうところだ。これが面倒を見ることに一種の責任を感じているガイならば、起き上がるまで言い続けるだろうが・・・自分とルークの関係性に保護者の役割がないと割り切っているジェイドは、最終的にはルークに、ルーク自身の判断を委ねるのだ。
 そんな訳で、その時もジェイドは、それ以上はなにも言わずに自分のベッドへと戻ろうとルークの横を通り、そして、ふと足を止める。
「ルーク。これは・・・?」
「あ。」
 さきほどアッシュの部屋からパクってきて、そのままベッドサイドに投げ出したままのものを見つけられ、あちゃ、とルークは自分の失態に舌打ちをした。
「煙草の嫌いな貴方が自ら買ってくる訳もないですし・・・それにこれは、普通の煙草でもないですね?」
「うん。一種のハーヴって聞いた。」
「誰に。」
「え・・・と。」
 ほんの気まぐれをルークは起こした。さきほど訪ねた時も、アッシュはハーヴと称した煙草を吸っていて、それを見たら、ちょっと興味を引かれて手に取り・・・そのままズボンのポケットに入れて来てしまったのだ。
「貰ったっていうか・・・買ってくれって言われた?」
「・・・なんですか、その疑問形の答えは。」
 貴方が持ってきたものでしょうに、とジェイドは明らかにルークが誤魔化そうとしているのを察したが、それ以上は追及しなかった。
「それにしても・・・ハーヴ、ですか。」
 指の先で摘まみ、目の位置まで持ち上げた煙草を、ジェイドはしげしげと見つめる。
 その瞳が意味ありげに光った気がして、ルークはベッドの上に体を起こした。
「もしかして、ヤバイものとかなのか?」
「いえ、どうでしょうね?」
 私には関係のないことです、とジェイドは言って、ベッドサイトに煙草をほうり投げる。
「どこかで見た気がしますが・・・気になるなら調べましょうか?」
「あ、いや・・・。」
 気になるなら、という言われ方は微妙で、ルークは言葉を濁す。
 まるで自分には関係ないとも言えず、しかし、気になるほどの事でもない。ましてや積極的に誰かになにかを頼む程のことではない。
「・・別に良いよ、うん。」
「そうですか。」
 ジェイドは言い、さっさと軍服を脱ぐと、自分のベッドへと入った。
 取り残されたルークは、もう一度ベッドサイドの煙草を手に取ると・・・ジェイドを真似してしげしげと眺めて見たが、それだけでなにも分かる訳もなく。結局は、ぽい、とゴミ箱へ捨てたのだった。

 

 

 

 

 


 


 
 

 元々、アッシュは喧騒よりも静寂が好きだ。
 軍隊に籍を置いている身としては、好き嫌いなど言える立場でも、また状況でもないので、ほとんどの場合を情報が行きかい大勢の中で逆に身を隠せる大衆酒場の類にいるのが常だったが、任務を離れたからには好き好んでそのような店に顔を出す必要はなかった。
 アッシュは、街の外れでひっそりと開いている小さな店のカウンターに腰かけていた。カウンターの席が5席と、三人掛けのテーブル席が2つあるだけの小さな店だった。
 一杯目の酒はまだグラスに半分ほど残っていて、しばらく手をつけていないせいで、溶けてきた氷で薄まってきていたが、酒好きでもない為か気がつかない。 その店を選んだのは、ひとりの客が多いからだった。暗い照明は隣の人間の顔すらはっきりと見えないほどで、わざわざ連れ立って行こうとは思わない加減で寂れた雰囲気が、楽しい酒を好む者には嫌煙される。逆にそれは、ひとりで過ごしたい者にはうってつけで、現に店の中はアッシュの他の3人の客がそれぞれ、離れた場所にぽつんと席を取っている。きっと誰もが訳ありなのだろう。そして、そういう者たちは、お互いにあれこれ干渉しないのがルールであったから、アッシュも当然関心を持たず、ひとりで物思いにふけっていた。
 コツン、とカウンターを叩く小さな音に、アッシュは我に返る。
 それは、隣の客がアッシュのグラスの横に、自分のグラスを置いた音だった。
 対して広くもない店だが、混んでもいないというのに、なぜわざわざ自分の横に座るのか、と隣を睨みつけたアッシュはその顔を見て舌打ちをした。
「おや、アッシュじゃないですか。偶然ですね。」
 まるで今気がつきました、と言わんばかりの口調に、嘘をつけ、と声に出して言う。
「わざとらしい事を言うんじゃねぇよ、死霊使い。俺だとわかってただろう。」
「そう思いますか、やはり。」
「当たり前だろうが!」
 とはいえ、わざわざ探していた訳ではありませんよ、とジェイドは言った。
「貴方を見かけたのは本当に偶然です。それで少し話をしようと思ってお隣にお邪魔したという訳でして。」
「話?」
 なんのことだ?とアッシュが聞く。
 彼らとアッシュの間柄は、けっして友達ではないが・・・まるっきり無関係でもない。よもやヴァンの動向でも掴めたか?と勢い込んで聞くと、ご期待に沿えなくってすみませんと返事が返ってきて、アッシュを落胆させた。
「・・・そういえば、ギンジはどうしました?」
 いつもは一緒にいる長身の飛行機乗りの話をすると、アッシュはそっけなく、別行動だ、と答える。
「元々、あいつはアルビオールの傍を離れたがらないからな。今は、整備をしてる。」
「そうですか。」
「ギンジに用でもあるのか?」
「いえ・・・そういう訳ではないのですが。」
 ジェイドが言うと、アッシュは不思議そうな顔をしたが・・・それ以上は追及してこなかった。ジェイドも、声をかける前、時折アッシュが扉の方を気にしていたように見えたのでそんな事を聞いただけの事で、特別に意味などない質問だった。
「ところで・・・話というのは、貴方が吸っている煙草の事なのですが・・・。」
 アッシュは、じろり、とジェイドを見る。
 なぜお前が知っていると言いたげな顔に、ジェイドはカマをかけたことなどおくびにも出さず、やはりそうだったか、とひとりで納得した。
「・・・貴方はハーヴ、とルークに説明したようですが?」
 情報源はレプリカか、とアッシュは吐き捨てて、
「そうだが。嘘ではあるまい?」
 と言う。
 その開き直りとも言える態度に、ジェイドは嘆息した。
「確かにそうですが・・・。ただのハーヴというのも違います。あれは取扱いに注意が必要なほど麻薬性も強い。常用すれば却って危険な代物だ。ただの嗜好品として貴方があれを好んでいるとは思えないのですが?」
「だから、なんだ?」
「あれの主な特色は、鎮静剤。つまり強い痛み止めです。けれど、今の貴方を見る限り、それほどの痛みを伴うような大きな怪我をしているようには見えない。だとしたら、もしや・・・。」
「だとしたら?」
 まるでその言葉に噛みつくかのように、アッシュは体をジェイドに向け、挑むようにして笑った。先を促すような口調だが、牽制であることはひと目でわかるその態度に、ジェイドは確信した。

 大爆発は、第一段階で被験者の音素を食い散らかす。被験者の身体から音素はだんだんと抜け、抜けた音素は自然界には戻らずレプリカに蓄積していくのだ。 自覚があるのは、音素が乖離していく被験者のみ。そして、その時の痛みは・・・想像を絶する、とも。ただ、それは長く常に続く訳でもない。時折ごそっと音素が抜ける時、いきなり前触れもなくやってくるという。それは時を選ばず、たとえ魔物との戦闘中であってもおかまいなしに、だ。
 アッシュは軍人だ。ジェイドも同じ軍籍であるが故に・・・突然動けなくなる、ということの危険性は十分に理解している。いつ襲ってくるかもしれない強烈な痛みで、動けなくなる訳にはいかないなら・・・ジェイドでも痛みを緩和する方法を探すだろう。

 だが、ジェイドはその先を言うことはできなかった。
 アッシュがどこまで知っていて、どこまで勘付いているかはわからないが、進行を止める術がある訳ではないのに、すべてを白日の下に晒し、その症状の全てに名前をつけることは傲慢以外のなにものでもない。
 ジェイドにできることはただ、素直な瞳の友人と、自分の痛みにある意味で無頓着なその被験者の為に、少しの忠告をすることだけだ。
「・・・その痛みを緩和するなら、ハーヴに頼るよりもよい方法があります。」
 アッシュは別段答えを返さなかったが、ジェイドの言葉を聞いていることを確信し、続ける。
「ルークに・・・貴方のレプリカのルークに、必要以上に接触しないことです。できれば、なるべく回線も繋がない方が良いでしょう。」
 大爆発は被験者とレプリカの接触の多さでも、進行は左右すると思われている。
 ジェイドの説では、大爆発が進んだきっかけがあるとすれば、それはふたりの間でフォンスロットが開いたからだ。

 ジェイドの忠告を聞き、なるほどな、と相槌を打って、
「なにかと思えば、そんなことか。」
 アッシュはジェイドに笑いかけた。それは、ジェイドにとって初めて見せられた笑みではあったが、壮絶とか獰猛なとか、およそ微笑みには似つかわしくない表現がぴったりとくる笑みで、その微笑みを浮かべた顔で、アッシュは言う。
「余計なお世話だ、死霊使い。」
「・・・・・。」
「俺の体だ。どう死のうと、どう痛もうと、俺が自分で選ぶ。」
 余計なお世話という言い方が・・・とてもしっくりくるとジェイドは思った。これほど、その言葉を浴びせられるのに適した人間は他にはいない、と。
 ジェイドは一度目を閉じて、この話はこれまで、と断ち切ることにした。
 ジェイドから始めた話ではあるが、アッシュも望んでいないことだし、知りたかったことはもう知った。本人の口から聞いた訳ではないが、アッシュの態度から推し量れる、それだけで十分だ。
 

 話題を変えようと、ジェイドは、口元を作り笑いのカタチに歪めた。大概の人間はそれを見て、気味悪く思うのだが・・・アッシュはあいにくと見ていなかった。
 扉が開いた時の、風の流れに気がついた店の主人が、いらっしゃいませ、と気持ちの入っていない歓迎の言葉を言う。
 開いた扉の先を確かめるようにして視線を送ったアッシュにつられるように、ジェイドもそちらに顔を向けた。

「あれ?ジェイド?」

 声の主は、訝しる様子もなく、ここでばったりとジェイドに会って驚いた、という風に近づいてくる。
「なんだよ、珍しいな?ふたりで飲んでたのか?」
「・・・ルーク。」
「そんな訳があるか、屑が。」
 こいつに因縁つけられてたんだ、というアッシュに、酷い言いがかりですね、と答えながら、ジェイドはふたりの様子を探るように見た。
 ルークは警戒した風もなく、ごく自然にジェイドの横を通り過ぎ、アッシュを挟んで向こう・・・つまりはアッシュの右隣に座った。それを普通にしていることで、ふたりはふたりでいることが別段特別ではないことを周囲に知らしめている。
 いつの間に、と思う。しかし、それが妙にしっくりくる、とも。
 ルークは店主に注文を聞かれ、同じの・・とアッシュの飲み物を指さしかけたが・・・。
「ジェイド、なに飲んでんだ?俺もそれにしようかな?」
 と、ぱっと笑ってジェイドを覗き込んでくる。
 目の端には、こちらを睨むアッシュと、無邪気に笑うルーク。同じ顔の対比に、ジェイドは苦笑を返す。
「やめておきなさい。私のは・・・お子様には強すぎます。」
 ちぇ、とルークが頬を膨らませるのに笑いかけ、手元のグラスを開けてから、では私は失礼しますよ、とふたりに挨拶をした。
「え?ジェイド帰るのか?」
「じゃあな、死霊使い。」
 返ってくる返事も正反対。しかしそれは、どちらもジェイドを送る為のものだった。
 自分たちはここに留まるという意思表示。
 ルークが、アッシュを目的にここに来たのは明らかだ。

 そうして、扉が閉まる瞬間、振り向いたジェイドの目に、幾分と・・それは意外なほどの・・・穏やかな表情のアッシュが見えた。
 しかしそれでもふたりの間にあるのは、濃密ななにかではけっしてなく、薄情でもあり、残酷でもある。そういう空気が感じられた。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 自棄になっている訳ではないのですが、どうせ死ぬんだし好きにするさと思っているアッシュ。
 依存でもない、べっとりとした恋愛感情でもない関係性がテーマの話です。

('12 6.18)