うさぎという動物は寂しいと死ぬと言うらしいが、ルークは、それは嘘だと思っている。
そもそも、野生では群れをなさずに生きる筈の生き物が、人の飼われると、とたんに寂しくって死ぬなんてないだろう。
だが、人間はどうだろう?
本来、ひとりで生きる生き物なのか、それとも群れをなす生き物なのか。
群れから離れたら死ぬのだろうか。
それこそ、寂しさのあまり?
食事当番のアニスに水汲みを言い渡され、ルークは小川に近寄った。
木立の向こうからは、なにやら騒いでいる声が聞こえてきたが、なにが起こったかは、気にならない。
むしろ、ひとりの時間にどこか癒されながら、川を覗き込むと、底の白い砂すらも見えるほどの、透き通った水のなかに、青黒い魚が群れをなして泳いでいるのが見えた。
水は問題なさそうだ。
油断をしていて、毒が入り込んでいるとも限らないから、水場では水質をチェックすることを欠かさない。
ジェイドに渡されている音機関で計ってみても、綺麗な水だった。
ルークはその場にかがみ、左手ですくった甘みのある水を飲み込み・・・それから、そっと後ろを振り返った。
まだ、騒いでいる声が聞こえる。
誰もルークに注目してはいないようだ。
ルークはそっと、右手のグローブを外した。
そのまま冷たい水の中へと浸す。
骨までかじかむような、冷たい水に手を浸し、ルークは身震いをした。
熱をもっていた手の甲には心地よかったが、指先は感覚がなくなり、じんじんと冷えてくる。
いっそのこと、切開して膿を出してしまおうかとも何度か思ったが、そんなこと、ルークにはできようもない。
傷が広がれば血だって出る。
痛みだって、今よりも増すだろう。
自分に今できるせめてもの治療は、こうして冷やすことだけで、他にあるとすれば、これ以上酷くならないように祈ることくらいだ。
森は目に染みるような緑だった。
天気も良いから、なおさら青々と葉は輝き、向こうからは皆の笑い声と、時折鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。その音に、ぽつんとした疎外感を感じる。
「なっさけねーな、俺・・・。」
周りに誰もいない寂しさが急に染みてきて、ルークはひとりごとを口にしていた。
立てた自分の左膝に額をあて、そのままうずくまる。
はぁ、と息をつき嚥下した空気には、つんと塩辛いものが混じっていて、ああ、まずいなと自分で思った。
このまま、ナーバスが始まりそうな予感がする。
すべて投げ出してしまいたい。
もう面倒くさくて立ち上がりたくない。
このまま・・・ずっとひとりでいたい。
心の底から、そんな考えが、黒い煙のように立ち上ってきて、ルークはもう一度、本当に情けないな、と自嘲した。
「おーい、ルークー。」
しばらく帰ってこないルークに気がついたらしく、ガイが呼ぶ声が聞こえてくる。
ルークは、
「おう。今、行く!」
と、返事をしながら、紫色に変色した右手を手袋にしまって、立ち上がった。
ズキン、ズキン、とまるで手の甲が脈打っているかのように、熱を放っている。
ルークはベッドの上で、右手を抱えこんで体を丸めていた。
傷は一向に良くならない。それどころか、悪化しているとしか思えない。
手からの熱が浸透しているかのように、ぼうっとしたルークの頭に「壊死」という言葉が浮かんだ。
「冗談じゃね・・ぇ。まさか・・。」
こんなことくらいで、と続けようとした言葉は水気のなくなった喉に張り付いて、出てこない。
脂汗とともに、恐怖が立ち上ってきて、ルークはいてもたってもいられない気分になった。
こっそり宿を抜け出し、医者を探そうか。
けれど、こんな時間に果たして、医者は起きているものだろうか・・・。
「・・・っつ!」
右手の痛みにも、引けを取らない痛みを頭の奥に感じて、ルークの視界はちかちかと赤くなる。
痛いとは思っていたが、いつもこんなに痛かっただろうか。それとも今日は特別?
『なにが特別なんだ、てめぇ。』
頭の奥にそんな言葉が聞こえる。
いつも思うことなんだが、なんでアッシュは人の都合を考えずに好き勝手繋げてくるくせに、自分が不機嫌なんだ。
不条理もここまでくると、いっそ清々しい。
そのうえ、勝手に人の考えていることも読むからプライベートもなにもあったもんじゃない。
『プライベート?は!』
嘲笑が聞こえてきて、あーあそうでしょうとも偉大な被験者様からみたらレプリカなんて人権もないですもんね!と卑屈に思ったが、そうではなかった。
『そんな赤の他人と何人も一緒に行動していて、今更、プライベートなんて関係あんのかよ?』
「・・・・・。」
その通りだ、と思う。
旅をしてほぼ一日中一緒に過ごしている以上、ひとりの自由などある訳もない。
誰とも一緒にいないアッシュ。
孤高であるということは、なんと潔く美しいのだろう。
そんなことを思い、ルークは、それで用件はなに?と聞いた。
こっちから聞かないとアッシュは不機嫌になる。この被験者の機嫌を取るのは本当に大変だ。
アッシュは、別に用はねぇと言った。
「暇つぶしだ。」
なんだよそれ、こっちは頭痛いのに、いやがらせかよ!とルークはキャンキャン吠えて(当然だが、傍から見たら独り言である)、じゃあさぁ、とアッシュに話しかけた。
「今、どこにいるんだ?」
急に変わった話題にアッシュが含み笑いを隠しつつ答えると、
「なんだよ、近いじゃん!」
とルークが、隠しもせずに拗ねた声音で言った。
その反応にアッシュは、笑いをこらえる。
「おい。」
「・・・なんだよ?」
「誘ってほしいなら、素直にそう言え。」
実のところ、近くにいる時など、ふたりは密かに逢瀬を重ねている。
周囲にバレることを嫌がるので大概はルークが、アッシュの部屋に訪ねて行く。
ルークは、アッシュのからかうような声に、半分膨れ、半分は期待しながら、へーへーと憎まれ口をたたいた。
「俺の大事な被験者さま。どうかお部屋にお誘いくださいませんか?・・・これで良いか?」
「ああ。」
アッシュが勝ち誇った気分で返事をすると、ルークはちぇーっと口では言ったが、声は嬉しそうだった。
ルークの心は柔らかく真っ白で、その幼い心では隠し切れないほど、ルークが自分に会いたがっていると知れれば、アッシュも悪い気はしなかった。
アッシュがルークをからかうのをやめて、自分のいる宿を告げると、すぐ行くからなっ!と空でも飛んできそうな勢いだ。
待っているぞ、と通信を切る瞬間、アッシュはあることに気がついた。
「ちょっと、待て。」
「?」
なんだろう、と眉をアッシュは眉を顰める。
通信によっては見える時もあるだろうが、今日は妙にルークとの通信にノイズのような雑音が混じる。
それはどうやら、彼のレプリカの右手から伝わってくる冷たく重い感触が原因のようだった。
「お前・・・怪我でもしてるんじゃねぇのか?」
ルークが訪ねてきたのは、それからしばらくしてからだった。
距離の割には遅かったな、と言いながらアッシュが扉を開けると・・・ルークは、返事もせずに、ぼすん、とアッシュにしがみついてくる。
倒れこむようなその態度は、なんだか、さっきとは打って代わって不機嫌そうな雰囲気が漂っている。
相変わらず変なやつだな、と思いながらアッシュはその背を撫でた。
「どうした?」
ルークは、ぎゅっとしがみついてきて離れない。
辛いことがあった、というよりもなにかに憤りを感じ、それを表に出す前に嚥下しようとしているような態度だ。
このままでは埒が明かないとアッシュはため息をつき、とりあえず、原因はこれだろうと、手繰りでルークの右手を探した。
怪我をしていると分かったさっき、なぜ放っておくんだと叱った。近くにヒーラーがいるのだから、治癒術をかけて貰えば良いだろう、と。
ルークはそこでいきなりだんまりになり、そしてここまで来たのだ。
ルークの右手を握って、アッシュはおや、と思った。反応をみようと少し強く握ったが痛がるそぶりは見えない。
しがみつく体をはがして、右手のグローブを外してみると、つるんとした白い手のひらがでてきた。さきほどは怪我をしていると思ったが、実際に目で確かめた訳ではないし、勘違いだったのかとアッシュは思った。
なんだ、怪我してた訳じゃなかったのかよ、と言うと、ルークは一瞬沈黙した後、ガイが・・・とぼそりと言った。
「あ?」
「行きがけに・・・ガイに見つかって・・。」
「・・・なんのことだ?」
怪我のこと、とルークは言う。
それが押し殺しているような声でぼそぼそと言うものだから、アッシュは訳がわからず、ガイがどうした、と話の先を促した。
「ガイが・・・怪我しているのに気がついて。それで、ティアんところに・・・。」
「良かったじゃねぇか。」
つまりは、ガイが怪我しているルークをヴァンの妹に治して貰ったということなのだろう。
だが、安心したというよりも、不満たらたらなこいつのこの態度はなんなんだ?
しかも、アッシュの言葉は、ルークのさきほどから悪かった機嫌を更に損ねたようだった。
ルークは、ふいっとアッシュから視線をそらすと、あるでひったくるように、自分の右手を奪い返す。
「・・・なんだ?」
本当にこいつはよく分からないとアッシュは舌打ちし、なんなんだ、てめぇは!と声を荒げた。
元よりアッシュは、気の長いほうではない。
「怪我を治して貰ったってのに、なにがそんなに気にいらねぇんだ!そんなもの後生大事にしてんじゃねぇよ!」
ルークはちらっとなにかいいたげにアッシュを見たが、だんまりしたままだ。
それが自分に甘える時の仕草だとわかっていたが、今回はのっかるつもりになれない。
しばらくアッシュが睨みつけていると、ルークは観念したのか、急に怒られた子犬のように、しゅんとなって、だってさ、とぼそりと言い出した。
「男がだってとか言うな。」
「・・・なにを遠慮してるんだって言われたんだ・・・。」
急いで階段を駆け下りていた時に、うっかりとガイにぶちあたったのは、ルークのミスだった。
ガイは、クッション代わりにとタオルでぐるぐる巻きにしていたルークの右手に気がつき、必然的に怪我にも気がついた。
こんなになるまで我慢することないだろうに、とティアと揃って苦笑したガイは、心の中で舌打ちしていたルークには気がつかずに、怪我をしたから治してくれと言い難かったのだろうと勘違いしていた。
だが、それはガイが勝手に作り出したルーク像で、本物のルークはそんなことを、ちっとも思っていなかった。
ガイのなかでは、ルークはそう言う遠慮をするような奥ゆかしい人物なのだろう。
ならば、こうしてイライラした本心を隠しているルークは、一生、ガイの前で日の目をみることはない。
そっちは、誰で。
こっちは本当は、誰なのだろう。
赤の他人のなかにいるルークは、自分自身からみて、あまりにもかけ離れている。
「心配かけたくない訳じゃないんだ。」
心配されるのは、嫌いじゃないし、むしろ逆だ。
けど、それは諸刃の剣のようなもので、喜びと同時に、ルークを猜疑心が苛む。
「・・・いつまで心配してくれるやらって思ってしまうんだ・・。」
彼らがいつ、ルークを放り出すか分かったもんではない。
いつかのように面倒くさくなって、背を向け、もう省みることはなくなる。いつかはそれがくる。
戦闘で役に立たなくなったらか?
彼らのつくりあげたルーク像が、本物とは違うと気がついたらか?
「それなのに、やめてくれって思うんだよ。適当に親切にするなって。自分たちはそれで満足かもしれねぇけど、俺は飼えないのに、一時の親切で拾われた犬みたいな扱い、されたくない・・・。」
アッシュは眉を顰めた。
「やめろ。そういう言い方はするな。ガイを馬鹿にしてるってのがわからないのか?」
アッシュが言うと、ルークは睨みつけてくる。
即答で、怒鳴り返してこなかった理由は、ルークの眦が赤くなったことで物語っている。
自分の言い分を否定されたからではなく、アッシュが自分の肩をもってくれなかったという事実に対して、腹をたてているのだ。
「なに?ムキになって。庇う訳?やっぱり幼馴染は大事って?」
ムキになっているのはお前だ、と思いながらアッシュは言った。
「・・・自虐的だって言ってんだよ。」
「・・・・・。」
本当はこいつだって分かっていない訳ではない。
自分が本心から大事にされていることくらい、気がついている。
だが、それをそうだと認められない理由が、こいつにはあるのだ。
そう思いながらアッシュは、だが、信じられてないガイたちに対して気の毒だという感想は一切持たなかった。
ある意味、自業自得だ、とも思う。
ルークの心の一部は。
瘴気に満ちた、アクゼリュスの底で確かに死んでしまっているのだ。
もうそれを、取り戻す術などありはしない。
「なにを怯えているんだ。」
「・・・・・。」
「良いじゃねぇか、別に。もしも本当に、てめぇを捨てて、やつらがどこかに行っちまったとしても、また追いかけりゃいいだろう。それに・・・お前が、やつらを捨てる可能性だってあるじゃねぇか。」
面倒臭く考えなくたって良いだろうに、とアッシュは思う。
元より、命を預けあう間柄だ。本当に、やつらがルークをいらないというのなら、とっくに捨てている。そして、それはこちらも同じだ。
そう思って、開き直れば良い。
お互いに必要だから、行動している。
それを証拠に、目標に向かえば良い。
それだけのことではないのか?
アッシュが言うと、ルークは黙ったままだった。
根は頑固なルークが(自分に似ていると自覚している)、アッシュの言葉くらいで、急に視界が開ける訳もないが、それでも溜息まじりに、今の気分を鎮火できるくらいの効果はあるだろう。
そうしていると、実際にルークは溜息をつき、
「・・わかってねぇよ、アッシュ・・・。」
と、ぽつんと言った。
「あ?」
「まあ、良いけどよ。」
それより、折角会ったんだから、もうこの話はよそうぜ、などと言う。
「おい、待て。てめぇ、人に話を振っておいて・・・!」
「うん。気は楽になった。本質のところは分かってないみたいだけど、アッシュの言葉はそれなりに俺に影響力があるからさ。」
バカにされているようにしか思えねぇ!とアッシュが怒鳴ると、バカにする訳ないじゃん?とにこっとルークは笑った。どんな悪人すらも、見惚れるような笑顔だった。
しかし、アッシュは誤魔化されたりしなかった。
「俺の、なにが分かってないってんだよ。」
笑顔作戦の失敗に、まだ続けるのか?とルークは目を丸くしたが、アッシュの頑固さはルークの上をいく。流石は被験者。レプリカよりも色々な意味でオリジナルだ。
「・・・だってさ。アッシュだけは、俺をおいていかなかった・・・。」
「え?」
「あの時。」
「・・・・・。」
ルークの言っている意味は、もちろん分かっていたが、アッシュはわざと返事をしなかった。
ルークはそれを気にして、ちらちらとアッシュの反応を気にしていたようだったが、やがてなにかを諦めたのか、開き直ったのか、大きく溜息をついた。
アッシュは密かに、自分のなかに湧き上がった黒い喜びを自覚しながらほくそ笑む。
どんなに一緒にいても、ルークのなかにある聖域のような領域にやつらは足を踏み入れることはできず、そしてそのことに気がつかない。
ルークは頭は悪くない。
要領も、人の心の機微にも敏感だ。
だからこそ、他人が自分に望んでいることを感じ取れば、そう振舞うことだって可能だ。本心は別のところにあったとしても。
それは、ルークとアッシュのふたりだけの秘密であり、その共犯のごとき状況下において、ふたりの絆を一層強める結果を齎した。
図らずもあの時、こいつの手を離さなくって良かった。
もうこいつには、安心して身をゆだねる相手は、自分しかいない。
あの時、ズタボロになった状態のルークを、どんな意図があったにしろ救ったのは、アッシュだけなのだから。
「だからさ・・・。」
ルークは言った。
さきほどと違って、おずおずと先を口にして良いのか迷うような口調だった。
「俺は、アッシュを好きなんだ・・・。」
「嘘をつけ。」
アッシュは、速攻で言い返した。
「そうやって理由をつけている時点で、お前は俺を好きじゃねぇんだよ。」
それを聞き、ルークは不満そうに唇を尖らせる。
だって。
理由をつけないと、俺にはアッシュを好きでいる資格なんてないじゃないか。
アッシュはその言葉を無視した。
元よりルークに、卑屈になられるのは好きではない。
アッシュは笑い、
「それが本当で、俺に少しでも好きになって欲しいなら、その性格を改めるんだな。」
と勝ち誇ったように言った。
ルークは膨れたが・・・知ったら調子に乗るから、もう少し、ルークがとっくにアッシュの心の中に入り込んでいることを、黙っていようと思った。
|