なにを言ってるんだろう、この人。

「何か言いましたか?大佐?」
 厳密に言えば、もう彼は大佐ではなかったし、アニスもすでに導師守護役ではなかったが、昔から呼んでいる呼び名はそう簡単には改めてられない。
 ええ言いましたよ、と飄々とジェイドは言って、アニスに向かって、にっこりと笑った。
「私と結婚しませんか?アニス」


 かつて預言を憎んだ男との戦いの為に、一緒に行動をした人だった。
 その性格には色々と思うところはあるものの、尊敬はしていたし、自分よりもうんと大人であったこともあって、一目置いていた存在でもあった。
 しかし。
 現実というものはある意味、残酷で、戦いが終焉を迎えたと同時に、それまで毎日顔をつきあわせていたという事実さえ消えてしまったかのように、パーティは全員、全国へと散り散りになった。
 そして、時々思い出したように手紙がくるか、なにかの折に顔をあわせることがないでもなかったが・・・最後の連絡からどれくらいたっているだろう。
 もはや数ヶ月どころではない。もう何年にもなる。
 そうして段々とアニスの日常から、かつての旅の仲間の面影が薄くなり、思い出すことも稀になったある日、いきなりこの男はやってきた。
 ものすごく怪しい言葉とともに。
 

「…なにを企んでるんですか?」
 笑えない冗談は言わない人なので、なにか裏があるに違いない!と問い詰めるアニスに、傷つきますねぇ、とジェイドは笑い顔で言った。
「いえ、なに。流石にこの年になると、ひとりでいるのに将来の不安を覚えまして。まわりもうるさいですし、そろそろ身を固めようかと。」
「…それで、なんで私なんですか。」
「私に釣り合う年齢のご婦人より、若くてぴちぴちの女の子の方が良いじゃないですか〜。」
「嘘をおつきなさいっ!」
 思わず口調がナタリアになった。

 たしかにアニスは若い。
 そして結婚できない年でもなくなった。
 しかし、若いとかそういう理由で結婚を申し込まれて溜まるか!
 というと、おや今なら玉の輿だと思うのですが?と、マルクトの将軍になった男は言った。
 散々嫌がって拒否をしてきたのに、あの旅が終わった後、なにかを諦めたかのようにジェイドはその任を受けていた。


「大佐!ほんとにほんとに何を考えてるんですか!?何か困っているなら、話してください!協力しますからっ!」
 ジェイドは、本当に信用されてないんですねぇと眉を下げて見せると、(しかしこの人にとって人からの信用が大事とは思えない)今、一番困ってるのは妻を娶れるかどうかですよ、と言った。
 つまりはアニスの返事ということだ。
「協力してくれると言うなら、私のプロポーズを受けてください。アニス。」
「大佐、変です。」
「どこが?」
「私のこと好きなんですか?」
「ええ。」
 ジェイドはにっこり笑った。
「そうですよ?」
「嘘です。」
「おや、断言しましたね〜?」
「大佐は他の人を好きになったりしません。」
「ええ、そうですよ。」
 やっぱり私の目に狂いはなかったようですね、とジェイドは笑った。
「あなたなら分かってくれると思ってましたよ。アニス?」
 その笑みに、飄々とした口調に、アニスは言った。
 その言葉には、大量虐殺の後の勝利宣言のような、苦さと安堵が含まれている。
「お断りします。」
「これはまた・・・少しは考えていただいでも良いのでは?」
「私は・・・。」
 プロポーズを断られた男とは思えない笑み。
 それはジェイドが本気でないという証明だ。
 もっとも、本気でも受ける気など毛頭ないが。

「ルークの代わりにされるのは、ごめんです!」

 

 

 

 


「お前の王は俺じゃねぇだろ。」

 幼馴染みの皇帝が言ったことが分からず、ジェイドは無言のまま眉をひそめた。
 そもそも、この方の言うことはいつも突飛なのだ。
 公の場といえばそうだった。皇帝は玉座に座っていたし、ジェイドも軍の連絡を兼ねて訪れていたのだ。
 しかし、報告が終わったジェイドを呼び止め、人ばらいをすると、皇帝はいきなりなんだか分からないことを言い出した。
 マルクトの皇帝は未だにピオニー九世その人であるというのに。

「では私は誰に仕えていると?」
「ん?そりゃ俺だろう。」
 まったくもって分からない。
「立場や役割ってのを考えるなら、そりゃお前は俺の部下だ。だが、人の気持ちってのは規則じゃねぇからな。」
「おっしゃっている意味が良く?」
 段々と不機嫌になるジェイドに、皇帝は鈍いやつだなぁと呆れ顔で言った。(呆れられる筋合いはないと思うが)
「立場関係なく、そいつの頭の中で支配してるのが、そいつの王ってことだ。」

 その瞬間、ジェイドは込み上げてきた苦いものを飲み込み、いつものポーカーフェイスになって、なにかの比喩だったんですか、と皇帝に相づちを打った。
「だからいつまでたっても結婚もしない。」
「今度はなんですか?」
「お前、伯爵令嬢との縁談断っただろう。」
「…。」
「それについて正式に問い合わせがきた。あちらさんは貴族で、カーチェス家は名門とはいえ、お前は養子だ。本来なら目下の者が格上からの申し出を断るなんざ許されん。」
「・・・・・。」
 ピオニーがこういう性格だから、他国からはそうは思われていない節があるが・・・マルクトは形式に拘る国だ。
「たしかにお前は俺の幼馴染だがなぁ。お前の不始末をいちいち報告しに来るヤツがいるのは気に入らん。お前、俺がなんて言ってあちらさんを説き伏せたか知ってるか?」
「なんと・・・?」
 知ってるもなにも、その話自体を今聞いているのだから、知りようもない。
 大変だったんだぜ、と皇帝は胸を張った。
「"お前には、もう意中の人間がいる"」
「・・・は?」
「"これは非公式だから、まだ内密にして欲しいが、すでにジェイドには許婚がいて、立場上、その人を俺の養女にしてから結婚ということになっている"。そう言っておいたぜ。」
 感謝しろよな、と言われ、それのどこか感謝する内容ですか!とジェイドは頭を抱えたくなった。
 話が余計複雑になってきているではないか。
「だから、お前。」
 皇帝はなにごともなかったかのように、ジェイドを指差し。
「近日中に、婚約してこい。俺の顔に泥を塗る真似をしたら、ただじゃおかん。」
「陛下・・・。」
「どうせお前のことだ、引く手数多だろうしな。なんだったら、昔の旅の仲間のなかからひっぱってきたらどうだ?全員地位や立場もそれなりのやつらばっかりだからな。おっと、キムラスカの王女はやめてくれよ。余計にややこしくなる。」
「・・・・・。」
 どうしてそうなるんですか、とジェイドは言えなかった。
 呆れたというのもあるが、この皇帝に対して諦めているというのもある。
 しかし、ピオニーはそんなジェイドの心の声が聞こえていたようだった。
「幽霊を追うのはやめにしろ。」
「・・・・・。」
「お前が誰を求めようと構わん。しかし、"死んだものはどうやったって生き返らない"そうだろ?」
 お前はいつまでたっても成長しないのな、と皇帝は苦笑した。

 

 

 

 

「・・イオン・・消えたな・・。」

 悲しい命の結末だった。
 誰一人救われることはなく、しかし確かに、強く光るなにかを銘々にしっかりと刻んでいった、ひとつの死。
「・・・ええ・・・。」
「あれが、レプリカの、死。」
 
 息絶えたその体は、まだ体温すら残っているというのに、光輝きながら大気に消えていった。
 まるで泡に溶けた人魚のようだ。
 だが、それは人とはまるで違うものだという最後の証明。

「美しいと思いませんでしたか?」
 
 まるでその死をを賞賛しているかのようなジェイドの言葉にルークは眉を顰め、しかし非難もなく黙って眼下の街を見下ろす。

 そろそろ街は暗闇へと落ちる前の最後の太陽の光に別れを告げる頃だ。
 ローレイライ教団本部の前の長い階段に腰掛けたルークの朱い髪は、さらに赤さを増し、まるで彼の半身の彼のものとみがもうばかりの色に染まっていた。
 その傍らに立ち、まばらな周辺の人間に聞こえないような小さな声で、ジェイドは言った。

「生きている人間とレプリカは区別がつきません。」
「うん・・・。」
「人間とレプリカの違いは・・・死んだ後にしかわからない。」
 本当はそれなりの計測器があれば、感知はできるのだが、ジェイドはあえてそれを言わない。
 人は、と続けた。
「人は死ぬと・・・冷たい骸となる。」
「・・・・・。」
「骸はほうっておけば、醜く朽ち果てる。土に還るなどと表現しますが・・そうですね。最後は崩れて、土のかけらと見分けがつかなくなります。」
「・・・・・。」
「人が死を恐れるのは、そこが未知の領域だからです。命あるものは必ず最後は辿りつくが、しかし、その先を知るものは誰もいない。それが恐れを抱かせる。そして、人が死を厭うのは、朽ち果てた末の骸をイメージするからではないでしょうかね。」
「・・・かもな。」
「それに比べて・・・レプリカの死は潔い。」
 ルークは、返事をせず、階段の上に投げ出していた両膝を引き寄せた。
 ジェイドがその姿になにを思ったのか、もしくはなにも思わなかったのかはわからない。
「どちらが良いとか、そういう比較は意味を成しませんが・・・それでも、レプリカの死は少なくとも"醜く"はない。・・・そう思いませんか?」
 ルークに、同意を求めるのは、あまりにも無神経だと思うのだが、初めから人の気持ちなどどうでも良い男だ。 
 どんなに的外れでも、案外と本気で、ルークを慰めるつもりなのかもしれない。
「・・・俺も。」
「ええ・・・。」
「俺も、ああなるんだな。」
 死んだら、とルークがつぶやくと、ええとジェイドは答えた。
「なら、俺は。」
 膝をかかえ、自分の右手を開いたり閉じたりしながら、ルークは言った。
「・・・誰にも、なにひとつ残せないんだな。」

 死んだら、そこで終わり。
 そう悟ったような口調で言った彼のうなじを見下ろし、ジェイドはなにも返せなかった。
 咄嗟に人に返事ができなかったのは・・・意識したうえでは、はじめてのことだった。

「ごめん。」
「・・・え?」

 赤く燃える大気は、ひとの頬のうえをかすめるものすら、染め上げる。
 彼の目に涙があったのかなかったのかは、ジェイドにはわからなかった。

 

 

 

 

「私には人の死というものが理解できないのですよ。」

 ジェイドが言った。
「人が死ねば、その人を慕っていた人間は悲しむ。その仕組みは理解できても、それがどうして悲しいのかが理解できない。・・・私は今でも理解していないのでしょうね。」
 陛下に言われるまでもなく、とジェイドはアニスを見た。
「だから人の死を受け入れられない。どうしても諦めるということができない。人が死んでいなくなるということを頭で理解しても、納得していないのです。」
「・・・・・。」
「成長していません。陛下の言うとおりだ。私は私の失態を取り戻そうとしたあの頃と少しも変わらず、嫌だダメだと繰り返している・・・。」
「大佐。」

 

 あの朱い色を失って、だが、その意味が未だに理解できない。

 

「だから、なんですか?」
 しかし、ジェイドの感傷をたたき落とすように、アニスは言った。
 それは文字通り、それがどうしたという口調だった。
「・・・。」
 ジェイドは少しだけ面食らって(しかも本当にめずらしいことにそれはわずかながらに顔に出た)、アニスを見た。
 アニスは、腰に手をあて、胸を張っておよそ見上げることしかできないジェイドの顔を、見下すようにして睨んでいる。バカにしたような顔、と言ってよい。
「どうも、変だと思ってたんですけどぉ。」
 はぁ、とわざとらしく大きな溜息をついて、アニスは言った。
「なにかと思えば、グダぐだグダぐだと、本当、男って情けなぁい!大佐が普通の男だったなんて超がっかり!ルークが死んだなんて誰も断言できないに決まってるじゃないですか!死体がある訳じゃあるまいし。だから生きてるんだって、なんで希望持たないんですか?私には大佐がルークが死んだって事を証明できないことに苛立っているようにしか見えませんけど?でも、証明できたら諦めるんですか?ああ死んだんだって、なかった事にできるとでも思っているんですか?認めたくない。その思いにすがるのだって人の死なんですよ。」
 それでも分かりませんか?と言われ、(いきなりの捲くし立てに面食らったというのもあるが)ジェイドは答えられなかった。

 

 

 かつて憎悪を向けられても当然だと思ったことがある。
 実験の為に、人事に悖る行いを確かにしてきたし、それでも構わないと思っていた。
 どうせ、自分には生き物の死が理解できないのと同じに、その生も理解できはしない。
 欠落した感情を盾にして、ジェイドは自分がそれに応えることはないと、信じていた。
 批難されるのは、当然だと。
 だから、生まれ出でた全てのレプリカがすべてジェイドを憎むだろうと。
 そう、思っていたのだ。

 なのに。

 


 ごめん、と謝られた。

 皆にも。ジェイドにも。

 なにも残せない、ごめん、と。

 あなたが謝る必要などなにもない。
 憎まれて恨まれて当然の私に、なぜそんな言葉を?

 あの赤く染まった空の下で、ついに口にしなかった言葉はもう届かない。

 

 

 

 

 アニスと別れ、ダアトの街をぶらぶらと歩きながら、ジェイドは溜息をついた。
 情けないことこのうえない。
 思えば・・・人生初の黒星だった。
 こういう時、本来は自棄酒など飲むものだろうか。
 まあ、飲んでもおかしくない。
 うんと年下のキュートな(見目は)女の子に、おもいっきり振られた後なのだ。
 そして、アニスの言ったことは、的を得ていた。
 いつのまに、大人にかなっていて、昔の少女の面影が薄れているのを、寂しくも思うなど・・・人並みの感情があったのかと思う以前に、ジェイドは自分が年をとったのだ、と思った。
 
 ジェイドには贖罪というものがなかった。
 罪の意識ならかつて、ネビリムを殺してしまった時に感じたことがある。しかし、その後にジェイドがとった行動は、それを帳消しにしようとしたものだった。 
 彼女が恋しくて取り戻そうとしたのなら、まだマシだったが・・・ジェイドのそれは己の失敗をなかったものにすることだった。
 
 花嫁を、とピオニーに言われた時、アニスを選んだのは、元を正せばそれが原因だった。
 彼女はルークと同類だった。
 どうしようもない罪を背負って、それでも生きていく、という人種。
 他人の命を奪った罰を自分の残りの人生で賄い、自分自身の名の刻まれた墓石を胸に抱えたまま生きていくなど、ジェイドにはきっと理解できない。
 しかし、彼らはその道を当然のようにとった。
 きっと、ルークにはアニスが理解でき、アニスにもルークが理解できるのだろう。
 

 だがアニスは、そんなのはごめんだ、と言う。
 ルークを手元に置きたいという願望を、自分で補おうとされているのが分からないほど、私はバカではない、と。
 ルークはルーク、アニスはアニスだ、と。


 ふと気がつけば、そろそろ日が落ちてきていた。
 家路に急ぐ子供が2、3人はしゃぎながら、ジェイドの前を横切っていく。
 彼らの声が高く、長く街の壁に反響し、それが染み入るようにして消え去った後、あたりは、しん、と静まりかえった。

 人は疲れを覚えると、心に緩みが生じる。
 この時間は、逢魔が時、と呼ばれている。
 

 ジェイドは自分の手を太陽に向けてさらしてみた。
 陰影をきざむ輪郭を囲み、手は赤く透けてみえる、
 それは、まるでレプリカが消滅する時に放つ光にも似ていた。

 

 
「私を許しなさい。」

 ひとりごとを言う趣味はないが、ジェイドは口を開く。
 まるでそこに誰かがいるかのように。

「ここに来て、私を許すと言いなさい。」

 手を伸ばすその先には、いつかと同じ、燃えるような、赤。


「・・・・私を許してください。」

 ルーク、と口の中で呟き、ジェイドは、臣下が王にそうするかのように、頭を垂れた。

 

 

 


 

 
君を埋めて花の降る

 

 

 

('09 9.11)