「――アッシュ!」
宿につくまでもなく、大通りで特徴のある赤と黒の衣装を見つけ、ルークは地面を蹴った。
アッシュはその声に、無表情ともえいるほどに感情のない顔で振り向いて・・・ふい、と背を向けようとする。
「待てって、アッシュー!」
その背に縋るように、手を伸ばしてマントを掴めば、離せ屑!とすぐ様、布地を奪い返された。
「あ、ごめん・・・。」
凍てつくようなアッシュの視線はいつものことで、それに慣れているつもりなのに・・・今日に限って、いつもよりも堪える気がするのは、何故だろう?
砂のまじった石畳に視線を落としたルークだったが、
「・・・なんの用だ。」
という低いアッシュの声に、顔をあげた。
そうだ、落ち込んでいる場合ではない。
「聞きたいことがあるんだっ・・!」
「だから、なんだ。」
そっけない口調に、不機嫌を露わにした表情。
思わずめげそうになる自分を奮い立たせるように、ルークはアッシュに縋りつく。
「アッシュが、昨日変わったことがなかったか調べてるって、漆黒の翼から聞いた。」
「・・・・・。」
「なぁ、それなんの意味があるんだよ?なにか知ってるのか!?」
「・・・・・なにか知ってる、とはどういうことだ?」
勢い込んで聞いたルークだったが、アッシュに質問で返され、あ、と息を飲む。
「そもそもお前こそ、どういう理由があって、そんなことを知りたい。」
「えっと・・それは・・・。」
ルークは、適切な言葉が見つからずに言いよどんだ。
今朝の出来事を説明すれば良いのだとはわかるのだが、自分ですら自分の身に起きたことを理解できてないというのに、どう話せばアッシュに納得して貰えるのかが分からない。
ふいに、自分はレプリカだからという言葉が浮かぶ。
レプリカである為に起こるなにかが、もし原因であるのなら、まず話すべきはジェイドなのか?
だけど、きっと・・・それは違う。
そうではない、と心のどこかでなにかが叫ぶ。
話すならアッシュだ、と。
「それは・・・。」
「このケセドニアになにかあったとして。」
再び視線を下げたルークに、アッシュの淡々とした声が降りかかる。
「――お前、それに関わっているのか?」
はっとルークは顔をあげた。
アッシュの声の響きになにか・・・探るような、もしくは確信的ななにかを感じ取ったからだ。
「アッシュ・・・!やっぱりなにか知って・・・!」
「俺は、知らん。」
縋る手を、振り払うような返答だった。
先回りしたようにすら感じられるそれに、ルークは愕然とする。
それが意味するものは、拒否、だ。
アッシュは、なにかを隠している。
そして、それはルークに関わることに違いないのに、アッシュはルークに話す気がない。
「そんな!それ、俺のことだろう・・!?」
思わず口にして叫べば、アッシュは目を眇めた。
唐突とも思える言葉だったにも関わらず、アッシュにはルークの言わんとする意図が伝わっている。
しかし、
「・・・なにを言っているのか、さっぱりわからん。」
あくまでも拒絶を示すアッシュに、ルークは苛立ちを覚えた。
「アッシュ!」
知ってるなら、教えてくれ!と怒鳴るルークを、通りがかる人々が遠巻きに見つめ、面倒事に巻き込まれるのを避けるように足早に去って行く。
「知らんと言ったら知らん。」
アッシュの態度は頑なだ。
それだけなら俺は行くぞ、とアッシュは言い、ルークに背を向けようとする。
「アッシュ!」
非難を込めて、強く呼べば、アッシュは迷惑そうに立ち止まると、仕方がないというように、ルークを振り向いた。
そして、食い下がろうとするルークを静かに見つめると、だが、とアッシュは口を開いた。
まるで、ヒントを与えるかのように。
「・・・お前に責任はない。」
それはルークには、理解できない言葉だった。
月は静かで美しい。
その夜を総べる女王の如き姿も、人を狂わせる魔性も比類なき絶対性を持って人々の上に君臨する。
その月を、ケセドニアの街角で眺め、アッシュはゆっくりと歩いていた。
どこに宛がある訳でもなく、ただ歩く。
任務から離れてしまえば、アッシュは意外に風情のある人間で、こういう時間をおくる事は、彼にとっては珍しくもない。
昔・・・もう記憶から消えかかるほどの昔、アッシュのことを誰よりも知る人物にそのことを指摘されたことがある。
だが、いきなり月夜にそんなことを言われて驚いたことは思い出せるのに、褒められたのか皮肉られたのかが、思い出せない。
その時、軽く密やかな足音が聞こえたが、アッシュは振り向かなかった。
相手は誰だか足音を聞いた時点でわかっていたし、実際にアッシュはその相手が現れるのを待っていたのだが、それも伝える必要はない。
「こんばんは、アッシュ。」
同じ筈のだが、明るく聞こえる声。
自分の声は自分では聞けないというが、それでも自分とは明らかに違う。
興味なさげな仕草で、アッシュが斜め後ろを見やれば、目があった途端、嬉しそうににっこりとルークが、笑った。
その笑顔から、ふいっと目をそらし、アッシュが言う。
「昨日、このケセドニアで辻斬り騒ぎがあったようだ。」
「へえ?」
「調べさせたが、被害にあったやつは、神託の盾騎士団所属で、身元を隠して秘密裏の任務にあたっていた。」
アッシュの視線が、冷え冷えとルークを見る。
「お前の仕業だろう?」
「うん、そうだよ。」
誤魔化すでも、否定するでもなく、ルークが頷く。
そのうえ悪びれもせず、あいつ死んだ?と聞くので、死んでない、とアッシュは答えた。
「深手は負ったようだが、命に別状はない、ということだ。・・・良かったな。」
「?なんで良かった?殺そうとしたんだよ?俺。」
「"ルーク"の知らないところで、勝手に人殺しするのはよせ。」
「・・・・・へぇ?」
"ルーク"の瞳が、攻撃的に怪しく光った。
面白くない、というように。
「アッシュがそんなこと言うなんて意外?別に"ルーク"のことなんて、どうでも良いのかと思ってのに。」
「別に、あいつを庇うつもりはない。お前のほうこそ、自分の特性を考えろ、と言ってるんだ。」
"ルーク"はムッとしたようで、口を尖らせて黙った。
「ふーん・・・。」
と面白くなさそうに言う。
「・・・俺はどうでも良いけど?」
当の本人のくせに、事の重要性がわかってないような口ぶりに、アッシュはカッとなる。
「俺にまで、とばっちりがくるだろうが・・・!」
最後まで言い切る前に、胸元に温かい物が入り込んできて、アッシュは思わずその感覚に息を飲んだ。
「・・・そう、なんだ?」
瞬間に入れ替わった反応。
怒られた猫のように、しゅんとなった雰囲気がルークを包んでいる。
「・・・・・。」
ふわりと、甘い香りが鼻孔をくすぐり、アッシュは自分の首に縋りついているその香りの中に、複雑な思いで指を差し入れた。
ルークはアッシュの首に縋りつき、熱い頬を甘えるように押し付けてくる。
思わずため息をついたアッシュの、その態度すら愛しいというように、ルークの腕の力が緩むことはなかった。
「なんで、お前・・・。」
ルークにというよりも、自分自身に戸惑うように、アッシュは口を開いた。
「・・・あの男を、襲撃した?」
秘密裏に動いていた教団兵の任務は、ルーク達一向に危害を加えようとした訳ではない。むしろ、その逆だ。
教団兵の目的は、教団に背いたヴァン・グランツの抹殺だった。
「うーん。ヴァンをアッシュに渡したかったから、かな?」
「・・・なんだと?」
なんと言ったら良いのかわかりません、と言いながら"ルーク"は、答えた。
「だってアッシュ。ヴァンを誰かに討たれるの、嫌だろう?」
「・・・・・。」
「ルークはヴァンを止めたいって言っていて、それは師への思慕なんだろうけど・・・間違いなくそうなんだけど。アッシュがヴァンを討ちたい気持ちってのはもっと・・・違うだろう?」
初めから、自分の生命も存在も引き換えにする気だろう?
それだけが、存在の消えかかったアッシュを支えていると言っても過言ではないほどに。
「アッシュの願いはすべて叶えてあげる。」
"ルーク"は言った。
「泣きたい時は泣けば良いし、眠りたければ眠れば良い。声に出して望む必要はないし、アッシュが困るなら、もうしない。大丈夫。誰にも望みを知られたくないなら、俺も知らないフリをするよ。だけど、アッシュが心に描いたものは、全て叶える権利がアッシュにはある。俺は、それを手伝いたい。」
だから・・・"ルーク"は言った。
今にも泣きそうに顔を歪めながら。
「アッシュは・・・"俺"を否定しないで欲しいんだ。」
俺は、アッシュしか望まないんだから、と言う言葉に・・・アッシュは深く、深呼吸のような溜息をついて、目を閉じた。
ケセドニアは眠らない街だ。
船の男たちは大概、大酒飲みと決まっていたし、さまざまな貿易の拠点となっているだけあって、羽振りが良い連中が多い。
羽振りが良くても、これがケテルブルグのような別荘地だと上品な階級の人間ばかりでつまらないし、バチカルやグランコクマは大国の首都だけあって物流も盛んだが、警備兵も多いから羽目を外すとそれなりに痛い目もみる。
アッシュとルークも、そんな夜を楽しむ者たちに紛れていた。
マルクト側の、裏路地を一本入った店の月の見える窓際に座り、向かい合って静かに杯を傾ける。
店は2階にあり、隣が平屋であった為に窓からは大きな月が覗いていたが、元より月を眺めるような風情のある連中はいなかった。店の中でも、わずかな会話を交わすのみの静かな彼らに絡んでくる者はいない。
アッシュが初めて酒を嗜んだのは、15歳の時だった。
もとより今も成人はしていないが・・・そこは軍隊。敵を陥落させる為の手段に用いることもあれば、油断を誘う方法と取ることもある。だから、アッシュにとって酒というのは、楽しむものではなく・・・知らなくては話にならないものだったのだ。軍人として。
15歳のその日。
それは、アッシュが特務師団を教団から任された日だった。
おめでとう、とヴァンは言った。
今は亡きオリジナルイオンから賜ったとされる詠師剣と共に、ワインを1本、祝いと称して渡された。
その頃のアッシュといえば、すべてを失った絶望から半ば自暴自棄になっていて、特務師団長という肩書も、やさぐれた心には別段喜ばしいものではなかった。
『おめでとう、と言おう。アッシュ。』
見上げたヴァンは、深い慈愛に満ちた笑みを浮かべていて。
『おまえの実力は誰よりも私がわかっていたと思っていたが・・・この教団にもなかなか、見る目がある人間がいる。私も、師として鼻が高い。』
地位も名誉もありがたくなかったくせに、その言葉だけは、アッシュの心に誇らしく響きもしたのだ。
なんと幼かったのだろう、と今は思う。
今、アッシュとルークの間には、その時ヴァンに渡されたものと同じ銘柄のワインが置かれている。
ラクリマ・クリスティという名のそれを、アッシュがぼんやりと眺めていると、ルークの艶のある丸い爪がアッシュの視界に入り、ワインのボトルを手に取った。
「・・・なんか、アッシュっぽいな、これ。」
なんのことだ?とアッシュが問うと、ルークは深い赤色をしたワインのボトルを愛撫しながら、
「アッシュに似合う、って話。」
といたずらっぽく笑った。
「俺っぽい?」
アッシュはルークの言葉を反芻して
「・・・そもそも、お前の中の"俺"は、どんな姿をしているんだ?」
想像するとぞっとするな、とアッシュは自嘲する。
どんな風であれ、実際のアッシュとはかけ離れている。そう思う。
「それは、アッシュに限らないんだよ。」
ルークは言った。
「人には・・・関わった人がそれぞれ見る角度があって、それによって相手の捕らえる姿はまるで違う。そのどれもが本物で、同時に偽物だ。アッシュをアッシュたらしめるものはなんだと自分では思う?」
「・・・俺たらしめるもの、か・・・。」
確かにそんなものは思いつかねぇ、とアッシュは言った。
そして、改めてルークが、『自分っぽい』と言ったワインを見つめる。
アッシュの視線の先で、ボトルに入った血のような赤い液体が、テーブルが揺れた拍子に、くらりと蠢いた。
「ヴァンというのは、なかなかに本質を見抜く力に長けていた人物みたいだな。」
アッシュにこれを選ぶなんてさ、とルークがヴァンを褒めた。
「本当に、アッシュのことを理解していたんだな。」
「・・・俺は。」
「・・・それともアッシュのことだけは、理解に長けていたのかな?どちらにしろ、良いセンスをしている。」
アッシュに慕われるだけのことはある。
少しだけ面白くなさそうに、ルークは言った。
「俺・・は・・・。」
アッシュは、なにかを言いかけたが・・・いきなり自分の中でなにかが暴走しそうな気配に、言葉を途中で切った。
代わりに、てめぇになにがわかる、と心の中で相手を罵る。
「可哀想なアッシュ。」
その代わりにというようにルークが言う。
「唯一の・・・心の拠り所だった師匠まで、"ルーク"に取られそうになってる。」
アッシュの中の、ヴァンへの憎しみと尊敬と、それこそ思慕の念は、とても複雑で絶対で・・・そして、それこそがアッシュの人生そのものを表現していると言って良い。
アッシュが元いた場所を奪ったのもヴァンなら、アッシュを必要としてくれたのもヴァンだ。
利用されているとわかっていても、その甘言に縋っていた時期も確かにアッシュにはあって、ヴァンという人物には、人を魅了し、忠誠を約束させるだけのものがあった。
その師を討とうとする今でも・・・それは変わらない。
「だから・・・アッシュを邪魔するやつは、俺は許さない。」
「"ルーク"でも、か?」
「ルークでも。」
探るようになったアッシュの視線を受けて、ルークは少しだけ泣きそうな顔になった。
「・・・アッシュ。」
「なんだ。」
「・・・泣きたいなら泣いたら良いよ?」
ナタリアやガイを奪われた後のアッシュには、ヴァンしか残っていないのに、誰もアッシュのそれを認めようとはしない。
アッシュの代わりに傷ついたルークのそんな言葉を、アッシュは冗談として受け止めた。
「誰が泣くか!」
と笑って言う。
「だからおまえは・・・いや、まさかな。」
アッシュはひとりごちて、ルークのグラスに、ワインを注ごうとして・・・。
「いや、お前は七歳児だったな。」
と、その手を止め、代わりに自分のグラスにボトルを傾ける。
「なに、それ!ずるい!」
それを見て、不機嫌そうになった声に、ガキかおまえは、とアッシュは笑った。
「俺もひとつ聞きたい。」
「なに?」
ワインを取り上げられて臍を曲げながら、ルークは代わりとばかりに、ステーキにむしゃむしゃ食らいついていた。
そもそもこの店を選んだのは、酒場でありながらも旨いステーキを出すからだ。
夜も遅いというのに、ルークはステーキが食べたいと言い張ってアッシュを呆れさせたのだが・・・。
ふ、とステーキの脂で、唇をてらてら光らせているルークの姿を見て思う。
ルークは自分と同じく、チキンが好きだった筈だ。
ビーフも嫌いではないだろうが・・・目の前の彼は、元々のルークとは少しかけ離れたところがある。
"元"は一緒の筈なのに。
ならば、内面の脆さは、どうなっているのだろう?
己から生まれたレプリカルークの、やっかいな性質を思い出しながら、アッシュが聞いた。
「月に生まれたお前は・・・やはり孤独なのか?」
「・・・それは、」
"ルーク"は一度、言葉を切って。
「そうだよ・・・。」
目を伏せて短く答え、自分を支配する月の光から顔を背けた。
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