赤ワインを見ると、時々眩暈に似たフラッシュバックに襲われる。
アッシュは夕食の席で、ワイングラスに伸ばした手をそのままの状態で止めた。
父は公務の話をアッシュに振り、母は夕食の席でそんな話はおやめになって、と父を窘めていて、ふたりともアッシュの手が止まったことには気が付かなかった。
ふいに、かつて極秘の・・表には出せない任務で・・・人を斬った時、こと切れた人物の体から、まだ温かい血がどくどくと流れだして床を這い、一面を鮮やかに赤く染めた様を思い出し・・・アッシュは一瞬、目をつぶった後、ワイングラスを手に取った。
父母のやりとりに、適当な相槌をうちながら、グラスを口元に持っていく。
こくん、と味わうこともせずにワインを嚥下した後、舌の上に残ったざらりとした感触が、とても不快感だった。
だが、アッシュはそれを表情に出すようなことはしなかった。
そして、まるで自虐のように、もう一口を口に入れようとした時、ぱっと横から、藪から飛び出してきたくちなわのように、アッシュの手首を掴んだ手があった。
アッシュは無言で、隣に座る人物を見る。
まるで罪悪を感じさせない大きな緑色の瞳が、無垢な信頼とアッシュを気遣う不安さとで揺れていた。
その視線にいらだつ感情が胃のあたりから這い上がってきたが、両親の前であることを思い出して、出かかった舌打ちを抑える。
代わりに、大きな動作にならないように気をつけながら、ルークに掴まれていた手を、素早く取り返した。
アッシュはそのまま、ルークなどいなかったかのように前を向き、食事の続きを再開し・・・ルークは、そんなすましたアッシュの横顔を見つめていた。
ルークの視線は不躾なほどで、無視を決めていながらもアッシュは、言いたいことがあるならはっきり言え!と怒鳴りたい衝動にかられた。
それを言わないのは、両親の手前だからではない。
ルークにその術がないからだ。
一緒に、このオールドラントに戻ってきた時。
どこにも欠如も不具合もなかったアッシュと違い、
ルークは、言葉を話せなくなっていた。
かつては、自分の家ではないとかなんとか、色々と遠慮をしていたが、そのことで自ら、家族や屋敷の人間たちとの間に壁を作っていたことを、ルークは最後まで気が付かなかった。
その卑屈さは本当は、治ってはいないのだろうと思う。
だが、元からなかったそんな壁が、ルークが声を失ったことで、さらに跡形もなく崩れたのは確かだった。
ルークは、屋敷では異常なほど過保護にされていた。
それは昔のように、籠の鳥のように保護されてたのとは違い、本当の意味でちやほやと、大事に大事にされている、そういう扱われ方だ。
今でも体が丈夫とは言えない母は、自分のことよりも常にルークを気遣ったし、父も甘い顔まではしないものの、ルークに無理をさせようとはしない。
メイドたちは元より、白光騎士団の騎士たちや、果てはラムダスまでもが、ルークの姿が見えないと心配で仕方がないというような顔で探し回り、珍しいお菓子があると聞けばわざわざ取り寄せ、それをルークが気に入らないと知れば肩を落とす。まるで屋敷全体が、集団で子育てをしているかのような、奇妙な熱の入れ方をルークに対してしていた。
ルーク本人は、それに対してかなり不満を持っているようだが、抗議しようにも声がないので、仕方がない。
対して、帰ってきたアッシュにも、周囲は熱を入れていた。
しかしそれは、ルークへの反応とは真逆で、アッシュにはそのブランクがあったことさえ許されないように、ファブレ侯爵家の嫡男としての振る舞いが期待される。
元よりなにもかもが秀でていたアッシュは、それらを卒なくこなしていた。
だから正直な話、ルークとは裏腹に、誰もアッシュの心配などしていなかった。そしてアッシュ自身も構われることを良しとしなかった。
どこか余所余所しい空気が屋敷内にいても漂ってくることはあったが、アッシュがそれを気に留めることはない・・・そう周囲は判断していたのだ。
・・・屋敷の中の、ただひとりを除いては。
ある日、アッシュが、登城の為に公務の間を抜けて、着替えようと自室の扉を開けた途端、慌てふためいているメイドと遭遇した。
それは、確かにアッシュが留守にしている間にファブレ家に入っていた為にアッシュ自身にはなじみはなかったが、本人は若い割には長い間務めているというベテランのメイドだった。その彼女がまるで仕事を覚えられない新人のようにあたふたと動揺している。
「・・・どうした?」
別段に、怒りや嫌悪をいった感情を込めた訳でもないのに、メイドはその声を聞いて、大げさなほどビクリと体を震わせ、
「あ・・アッシュ、さま・・・。」
と真っ青な顔を向けた。
「申し訳ございません・・・!お部屋にお、お花を飾ろうとしたのですが・・・!」
見れば、メイドの足元には、花と花瓶が転がっていて、水が深い色合いの緑の絨毯を濡らしていた。
大方、アッシュの部屋に花を飾りに来て、手を滑らせるという粗相をしたのだろう。
ただ、それだけのことだ。
しかし、メイドの態度は尋常ではないほど、間違いなく、怯えていた。
「・・・・・。」
アッシュは無言で、無事に飾り終わったのだろう、もうひとつの花瓶に近づく。
窓枠と、扉の近くにスツールが置いてあって、いつもその両方に、対になるように花は飾られていた。
そのもう一方の、花瓶を手に取る。
バンッ!という音を立てて、アッシュの投げた花瓶が割れると、背後でメイドが、ひっ!と小さな悲鳴をあげた。
「・・・今後、俺の部屋には、花はいらん。」
アッシュが言った。
「下がって良い。割れた花瓶も片付けろよ。」
「・・は、はいっ!」
メイドは怯えて、声が裏返っていた。
あたふたと花瓶の欠片を拾い集め・・・自分が落とした花瓶も、花も拾って、そそくさとアッシュの部屋を出ていく。
その後姿を確認もせずに(・・・しなくても、どのようなかは想像ができる)、アッシュは、は、と軽く息をつくと、どさり、とそのまま、ベッドの上に仰向けに倒れこんだ。
思えば、いつもどの場所でも、あのような視線に晒されてた。
この赤い髪が、かつての二つ名の通りに血を思わせるのか、それが不吉なイメージを抱かせるのか。
まるで、死神にでもあったかのように、アッシュと目があえば、相手は怯える。
それは、命をやりとりする場所からは遥か頭上の、王城近い貴族の家ででも同じこと。
アッシュは、行儀悪くごろりと服のまま、ベッドで寝返りを打った。
ベッドの上のシーツと服との摩擦でできる大きな皺の、嫌な感触を背中に感じたが、起き上がるのがおっくうだった。
いつの間に意識を手放したのか、覚えていない。
アッシュは、ふと浮上するように目を覚まし、ぼんやりと自室の天井を見た。
転寝をしていたらしい。いまは何時だろう、そんなことを思い、そして、次の瞬間には、着替えに戻ってたことを思い出して、飛び起きた。
その反動で、横にあったものが、ごろりと転がって、アッシュの左手に当たる。
「・・・・・おい・・。」
ころころと転がってきたのは、寝ているルークだった。
アッシュのように公務についている訳ではないルークは、普段着のくつろいだ姿のまま、くぅくぅと平和そうな寝息を立てている。
その姿は、まるで子供のようで、確かに屋敷の連中のルークへの態度もわからないでもない、と柄にもなく思い・・・アッシュはゆり起こそうと、ルークの肩に伸ばしていた手を止めた。
こいつがここで昼寝をしていたとしても、自分はでかけてしまうのだ。別段、困ることはない。
そう思い、そっとベッドから立ち上がる。
その時にわずかにベッドが揺れたが、ルークの眠りを妨げるものではなかったらしく、当のルークはすやすやと気持ちよさそうだ。時折、笑みを浮かべてさえいる。
呑気な奴だ、とアッシュは半分呆れ、それでも、音を立てないようにそっと着替えると、自分の部屋を後にした。
まるで、昨日も10年前も変わらないかのように、いなかったことなどなかったかのような顔で、与えられた義務のすべてを片付けているアッシュを、誰もが完璧だと勘違いしている。
その中には、当然のように強さも含まれているだろう。
かつて、一師団を従えていた手腕だけあって、アッシュの剣はキムラスカ軍の誰にも引けを取らず、それはすでに周知の事実であるが、一概に強さとは、剣筋のことだけを指すのではない。
弱くなったな、とアッシュは、夕刻から降り出した雨を仰ぎ見ながら、思っていた。
かつては、こんな風に心を騒がせることなどなかった。
生きるか死ぬかの鬩ぎあいで、気の休まることなどなかった頃には何も感じなかったくせに、安定してしまった途端に、この体たらく。
城から戻り、ファブレの屋敷の門をくぐった後、屋敷には入らず裏庭まで抜けてきた。
目の前には黒々とした森がそびえ、個人の所有土地がいかに大きいかを物語っている。
この全てが、やがてお前たちのものになる、と父は言う。
おまえと、ルークのものに、と。
果たして、それだけの器が自分にあるのか?とアッシュは自嘲した。
あの程度のことで、心が動くようになってしまった自分。
しゃべることもままならず、まるで子供のようなルークは、レプリカであるが故に、一歩屋敷の外に出れば、どんな危険に晒されるかわからない。
あの純粋で脆い透明な精神が、傷つかないでいられるように守らなければならないというのに、自分がこんなに弱くってどうする。
城内で刺客が捕らえられた。
標的は、国王でも王女でもなく、アッシュ本人だった。
世界の危機を救った英雄と持て囃されているのとは逆に、アッシュたちを「世界から預言を損なった者」として恨む者も多い。
その中のひとり、と言うなれば、ただそれだけだ。
それがかつて・・・特務師団時代の、自分の部下だっただけのこと。
そのことに対しても、動揺はしたが、だがアッシュを更に動揺させたのは、思わずその時に処罰の酌量を申し出ようとした自分にだった。
それまで、自分に刃を向けた者は条件反射的に全て叩き斬ってきた。
アッシュに恨みを持っていた者も、逆になんの恨みもなく、命令された者もいただろう。
どちらだろうと、そんなことはアッシュには興味なかった。
刃を向けられた時点で、殺すべき相手だった。
かつての部下であろうと、それは変わらない筈だ。
なのに、とっさに命乞いをしようとするなど、笑える。今更、善人面もない。
アッシュに向かってきたヤツが、この世界になってから、新たに恨みを抱いたのか、元よりアッシュに殺意を抱いていたのかはわからないが、人に憎まれ慣れているアッシュにとっては、どちらにしろ同じことだった。
人には、好かれない。
メイドであろうと、屋敷内の他の人間であろうと、誰も彼もがアッシュに対して、よそよそしく、どこか怯えた表情を浮かべる。
まるで、触れたなら、毒に侵食されると思っているかのように、必要がなければ近寄ろうとしない。
そんなものは、今更だ。
考えてどうなる訳でもないのに、今日はどうかしている。
だが、溢れ出すのは、アッシュにとって、未知の感情だった。
自分を理解できないという戸惑いは、やがて混乱と不快感を齎した。
まるで、暗い孔を胸の真ん中に穿たれたかのように、重い喪失感を感じ、アッシュはそのまま自室に戻る気分になれなかった。
とん、と軽い衝撃があって、少しだけアッシュはよろめいた。
そのことに舌打ちしながら、雨がベールで覆う空間に久しぶりに、声を発する。
「お前は、」
冷えた喉から出た声は、しわがれていた。
「俺の心が読めるらしいな?」
背中の温もりが増す。
子供のように、ぎゅっとルークが抱きついてきた。
「お前に心配されるほど、今の俺は情けないか?」
背中に、戸惑いの気配がし、やがてふるふると首を振るルークの短い髪が、アッシュの首もとを掠める。
それが、濡れ初めていることに気がついて、アッシュは今までの気分を降り落とすように、ため息をついた。
「行くか。風邪をひく」
だが、ルークは動かなかった。
アッシュが不信に思い、その顔を覗きこむと、ルークは泣き笑いのような笑みを浮かべ、とんとんと自分の左のこめかみをつつく。
「・・・・・?」
その時、おそろしくアッシュは鈍かった。
そういう日常に慣れすぎていたからなのかもしれないが・・・それが、帰還して以来、めったに繋がなくなった回線を繋ごうと、ルークからの合図であることを、アッシュは一瞬、気が付かなかったくらいだ。
「・・・頭、痛むんじゃねぇのかよ・・・。」
まるで、言い訳のようにつぶやいた後、ルークの希望通り、久しぶりに回線を繋ぐ。
キィン、と独特の音がアッシュの耳元で鳴って、ルークを見ると、顔をしかめている。
やっぱ、痛むんじゃねぇか!と怒鳴りつけたくなるのを我慢して、アッシュはそれで?と話を促した。
回線を要求するくらいなのだ。
ルークから、アッシュに話があるに決まっている。
だったら、その話とやらをさっさと終えて、切ってやるほうが、ルークの苦痛は少なくてすむ。
そんな心情を知ってか知らずか、ルークは苦笑して、
『そう急かすなって。』
声にならないルークの声が、呆れたような響きを持って、アッシュに向けられた。
『アッシュって、完璧になにもかもこなせるくせに、肝心なところが駄目だよな。』
「・・・なんの話だ。」
『人を理解してないって話。』
からかうかのような、ルークの笑みが深くなる。
困ったもんだよな、と声にならない唇が形作った。
『人を理解してないのも考えものだけどさ、アッシュの場合、自分も理解してないじゃん?もう、ダメダメっていうか。』
「てめえ、馬鹿にしてんのか?」
『だから、悩むところが、おかしいって言ってんの。』
ルークは人差し指を、アッシュの鼻先に向けた。
『知り合いに殺意を向けられたら、誰でも動揺するし、誰でも悲しくなったりするし、誰でも』
「俺は・・・!」
『誰でも、怒りを覚えるんだよ。』
ルークのアッシュを押し返すような口調に、アッシュは気圧される。
いつも、ほにゃんと和やかな雰囲気を纏っているクセに、いざというとルークは、驚くほどの強靭さをみせる。
『それと、アッシュ本人を苦手なのとは全然別なんだよ。それから、恐れられているのと、憎まれているのも別だ。アッシュは、圧倒的だし、誰もが気後れするかもしれない。だけど、嫌われているかは、違う話だ。』
「・・・・・。」
ここにきてアッシュは、自分が慰められているのだと、気がついた。
「確かに、そうかもしれない。」
アッシュは答えた。
「それとこれとは、話が別なのも分かる。だが・・・逆に、俺が忌み嫌われていないという保証になる訳じゃねぇな。」
自虐的ではなく、長い間の孤独に慣れきってしまった為に、アッシュには、人の好意が自分に向けられることが、理解できない。
それは、頑なにアッシュの中に君臨し、ルークの甘い言葉など聞く耳を持たなく、一蹴してしまうのだ。
繋がっているが故に、それか心の中心にストンと落ちてきて、ルークは悲しくなった。
かつて、完璧な被験者は、自分の前に立ちはだかる壁であり、同時に眩しくも誇らしい、理想でもあった。
だが、実際は、こんなにも不憫で切なく、歪んだ内情を抱えている。
『そんなことねぇよ、アッシュ。』
泣きそうな気分で、ルークは言った。
『俺は、おまえが好きだよ。』
「・・・!?」
『大好きだ。』
アッシュは、返答に困る、という顔になった。
「・・・おまえ・・・。」
そのまま、言葉が見つからないというように、黙る。
ルークは、そんな戸惑いの中にいるアッシュを見て、にこり、と笑ってみせた。
それは、誰もが愛するルークの本質が現れている表情で、それをみてアッシュは、ああ、そういうことか、とひとりで納得した。
誰もかれもが、真っ白で純粋なルークを愛するように、ルークも、誰でも愛する。
慈愛、という言葉がこれほど適切な者はないほど、ルークはこの世の生きとし生ける者、すべてに平等の価値を見出しているし、どんな状況下においても、それは揺らぐことはない。
倒すべき者を、敵とみなして顧みないアッシュと違い、ルークは、敵であってもそれぞれが背負ってきているものに対して、憐れみを覚えることができる。
だからこそ、愛される。
正反対の性質を持った、己のレプリカ。
だから、ルークは自分も愛せるのだろう。たとえ、被験者でなかったとしても、きっとルークだけは、自分を他者と訳隔てなく愛してくれる。他の者にも向ける憐憫と愛情とを、自分にも向けてくれるのだ。
その時だった。
アッシュの目の前に立っているルークの表情が、いままでに見たことがないほど、みるみるうちに険悪なものになった。
一、二度は目にしたことがある、わがまま放題だった頃のルークとて、可愛いものだったと思えるほど、凶悪で、冷え冷えとした視線でアッシュを睨み、今にも舌打ちしそうな態度で、言い放つ。
『アッシュって、馬鹿だろう?』
「・・・なっ・・!」
売られた喧嘩は、反射的に買うアッシュが、もう一度言ってみろ!と凄んでも、ルークの視線の冷たさは変わらない。
それどころか、耳まで真っ赤になって、きりりと目を吊り上げ、本格的な怒りの表情を浮かべている。
『もう一度言えって?馬鹿だって言ったんだ。おまえ、絶対に馬鹿だよな?』
「なんだと!?」
『馬鹿じゃないなら、なんだ?俺の言葉を聞く気ないってことか?』
なにを言いたいんだ、一体?とアッシュは吐き捨てた。
アッシュは、ちゃんとルークの話を聞いていた。言おうとすることを、きちんと受け止めようと、耳を傾けていたというのに、この態度。
腹をたてているのは自分の方だ。
アッシュは、ちっと舌打ちすると、ルークに背を向けようとした。
納得できないが、この話は、もう終わりだと打ち切ってしまおうと思った。
だが、去るよりも早く、繋がっている回線から、ルークの感情が入り込んできて、アッシュの足を止める。
『俺が、好きだって言ったのは・・・。』
アッシュの目の前で、朱色の糸が舞う。
雨に濡れたそれは、見慣れている色よりも一段と濃く、また重さを持って、ルークの肩を濡らしている。
目の前に、同じ色に濡れたまつげ。
怒りの為か、白い頬はほんのりと上気している。
唇に温かくて柔らかい感触を覚えて、アッシュは、ぼんやりとその意味を考えていた。
嫌悪感はまるでなく、そしてどこか温かい。
そう思った瞬間、それは、あれあれという間にアッシュの中に膨らんで、アッシュは首筋に縋りついているルークの腕を外すのを忘れた。
『・・・こういう意味、だって。』
「・・・・・。」
アッシュは無言で、ルークが離れた口元に手を持っていった。
それを、見ていたルークは、なにかを勘違いしたらしく、
『い、言っとくけどな!』
再び目を吊り上げると、アッシュに向かって捲し立てる。
『いくら好きでも、父上にも母上にもジェイドにもガイにもナタリアにもティアにもアニスにもミュウにも!俺は、キスなんてしないからなっ!』
アッシュにだけだ!と、なんだか追い詰められたような顔をして、ルークは叫んだ。
「・・・・・。」
馬鹿なアッシュでも、わかるだろ?と、失礼極まりない言いがかりをつけられたが、まるっきり意味が通じてなかったということがわかった今は、なるほど、自分は確かに馬鹿だった、と認めざる負えない。
そして、それを認めた瞬間・・・アッシュは、唸り声をあげて、自分の手のひらの中に、額を埋めた。
それを見て、不満そうにルークが言う。
『なんだよ、それ。わかったのかよ。』
ああ、とアッシュは答える。
「・・・意味は、理解した。」
『・・・・・。』
ルークは、それを聞くと、にっこりした。
満足した、というように。
『なら、良かった。』
そうして、実際の口でほうっと溜息をついた。
『俺は、多くは望まない。アッシュのことだって、そりゃ少しは好きになって欲しいと思うけど、でもそれは、アッシュの勝手だ。俺は、俺がアッシュを好きだってことを信じて貰えたら、それで良いんだ。アッシュ。これから、長い人生があってアッシュには、色々なことがあると思う。今までと同じような苦労も、もっと酷いことも、逆に全てが報われるほど幸福なことも。でも、心の片隅でも良いから俺には、好かれているってことを忘れないで。なにがあっても、疑わないで欲しい。』
「・・・・・。」
人からの愛情に、縁遠いアッシュはここでも、先のことなどわからないだろう、と言いそうになった。
今は、ルークが自分を好きなのは本当かもしれない。だが、それが未来永劫だという保証はない。
ルークは、アッシュの気持ちを察したらしいが、今度は怒ったりしなかった。
深い愛情を伺わせる表情で、困ったように、にこりと笑い、変わらない、と言った。
『俺の気持ちは、絶対に変わらない。だって俺は・・・。』・・・くしゅん!」
そのタイミングで、大きなクシャミをされ、アッシュは驚いて、目を瞬いた。
いつのまにか、ルークの言葉に聞き入っていたらしく、まるで、夢から醒めたような気分になって、我にかえる。
すっかり頭から消えていたが、雨の中で長時間、なにをしているのだ。
「帰るぞ。」
グイッとルークの腕を引くと、ルークは驚いたような顔になって抵抗した。
『待てよ。俺、話がまだ・・・。』
「部屋に帰ったら、ゆっくりきいてやる。」
ルークは、それを聞くと、ゆっくりと抵抗の力を抜いた。
アッシュの言葉を信じて、手を引かれるままに、ついて来る。
その手は冷え切っていて、これで熱でも出されたら、明日、アッシュは屋敷中を敵にまわすな、と思った。
すぐに、風呂に入れて寝かしつけなければ。
部屋に帰ったら聞いてやる、は嘘になってしまうが・・・正直なところ、アッシュはもう、この話をする必然性を感じなくなっていた。
なぜなら、アッシュはすでに、ルークの言葉を信じようとしている。
ルークが自分のレプリカだからなのかもしれないし、もっと近し者だからなのかもしれないが・・・アッシュには、ルークの考えていることがわかる時がある。
それまでは、そんな気がする、とか気のせいだとか思っていたが・・・。
なるほど、思い返せば、自分に向けられるルークの視線が熱っぽい気がしていたのは、間違いではなかったのだ。
今まで、それを、自分が理解していなかっただけで。
大人しくついてくる、ルークをちらりと見る。
かつてあんなに憎んでいたのが信じられないくらいに、その姿に、他人でなくても保護欲をかきたてられる。
ルークは誰にも愛される。そして誰もがその愛を向けて欲しがる。
人に愛されるということは、きっとそういうことだろう。
(確かに・・・俺は鈍いのかもしれない・・・。)
気がついてみれば、なんと簡単なのだろう。
むしろ、今まで気がつかなかったことが不思議なくらいに、ルークがアッシュを愛していることは、当然のことのように思える。
そうか、とアッシュは思った。
自分は、誰にも愛されないと思っていた。
だが、このルークの愛が本当に、未来永劫自分に向けられるのならば・・・自分は、世界中の人間が切望する愛情を、一身に受けるのだ。
それはきっと、世界中の人間に愛されるよりも、価値があるということなのかもしれなかった。
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