『ルーク』というのは、とても可愛げのない子供だった。
愛想がない。気に入った者としか口も利かない。
気に入らなければ食事も碌に取らなかったし、自室に篭ったまま、出ても来なかった。
屋敷の皆は、気難しい坊っちゃんと思っていたようだが・・・自分にだけは違った態度を取っていたとガイは記憶している。
うぬぼれでもなんでもなく、確かにガイはルークのお気に入りの使用人だったし、同じ年頃の子供がいなかったからか、幼馴染と言っても良い間柄だった。
あれは、可愛がっていた猫が死んだ時のことだった。
泣きもせず、怒ったように壁を睨みつけていたルークに、慰めの言葉をかけると、うるさいと怒鳴られた。
近づくと、めずらしいことにクッションが飛んできて、それが見事にガイの左目にあたり・・・ガイの呻き声を聞いて振り向いた顔は、驚愕に染まった後・・・ほどなくして、くしゃくしゃっと真っ赤になっていった。
ああ、泣くのか、とそれを見て、ガイは思った。
猫が死んでも泣かないくせに。
お前の命を狙っている俺が傷つくと、おまえは泣くのか、と。
あの時、手を離さなければ良かった
その朝、ガイが早朝稽古を終えて、宿の自室に戻ろうと階段を上っていると・・・驚愕に値するようなことが起こった。
なんと、ルークが起きていた。
もちろん、それは朝食が始まろうという時間だったし、普通の人が起きているのになんら不思議はなかったのだが・・・相手がルークであったが故にガイは、なにかの兆候だろうか、と見えもしない空を仰ごうと宿の天井を仰いでしまったくらいだった。
「よう、ルーク!今日は早いじゃないか!」
おはよう!とガイが、階段を上る後ろ姿に声をかけると、ルークは一瞬、びくり!と驚いたように体を縮ませて、振り向いた。
「・・・ガイ。」
「なんだ、どうした?お前が早起きなんて、今日は豪雨になるんじゃないか。」
にこにこ笑いながら近づくと、天気の預言では今日は1日晴れだよ!と言い返してくる。
ルークは確かに、めずらしく早く起きていたが、非常に眠そうだった。
とろんとした目をしていて、反論してくる言葉にも覇気がない。
きっと日頃から皆に寝汚さを指摘され、悔しくて起きてきたは良いが体がついてきてないのだな、とガイは勝手に解釈し、なんなら朝食の後、一眠りしたらどうだ?と勧めた。
宿に泊まるとルークは、起こされるまでけっして起きなかった。いつも朝食だと起こしにいくのはガイかティアの役目で、皆は仕方がない、とぶつぶつ言っていたものだ。
折角だから、朝食の場にひとりで現れて、皆をびっくりさせてやれよ、とガイが言うと、うん、とルークは頷いて、
「ティアみなかったか?」
とガイに聞いてきた。
「ティア?」
きょとんとしてガイが聞き返す。
「まだ、会ってないが。どうしてだ?」
「いや・・・昨日、髪を切って貰う約束してたんだよ。」
ルークはそう言いながら、自分の襟足を撫でた。
「朝食まで時間がありそうだったから・・・頼もうかと思ってさ。」
「ああ、そういうことか。」
ガイはルークが撫でている襟足を見た。
確かに、少しだけ長くなっていて白い襟の部分を越して肩まで届きそうだ。
昔はあれだけ長くしていたくせに、短くしてからというもの、ルークは髪が少しでも伸びると気にするようになった。曰く、なんだかうっとうしい気がする・・・だそうだ。
「それなら、俺が切ってやろうか?」
「ガイが?」
「ああ。元使用人に任せとけ。」
女性というのは、支度に時間がかかるものだ。
ティアは軍人経験があるからか、手間をかけないほうだが(ナタリアは当然のように長い)、それでも起き抜けの、自分の髪だって梳かし終わってないかもしれない女の子に、髪の毛を切って、と頼むのはどうだろう?
ガイがそういうと、ルークは少しだけ頬を染め(ティアの身支度している姿を想像したのだろう)、
「じゃあ・・・ガイ、頼めるか?」
と聞いてきた。
「おう。お安い御用さ。」
昔のように、命令ではなく、人の都合を考えながら頼むということができるようになったルークに、ガイは微笑ましさを感じる。
シャキ、シャキっと耳元でハサミがなる度、ルークがびくびくと肩を震わせるのがおかしくって、ガイは笑いを堪える。
ルークの髪は、猫の毛のように柔らかく、床に落ちる間にもふわふわと舞ってしまいそうだった。
「よし、こんなもんか。」
いつも通りのカタチに治まったクセのある髪型に満足し、ガイがルークの髪をくしゃくしゃとかき混ぜると、ルークは、ぐちゃぐちゃにすんなよ!と拗ねたように唇を尖らせた。
「でも、サンキューな。ガイ。」
「ああ・・・。」
答えるガイの手が止まる。
「・・・ルーク?」
「ん、なに?」
ふわりとたちあがった香りに、違和感を覚える。
「昨日の、おまえの部屋って・・・特別室かなんかだったっけ?」
「へ?」
きょとん、とした表情でルークがガイを振り返った。
「なに言ってんだよ?皆と変わんないひとり部屋だぜ?簡素なベッドと丸イスしか置いてない。」
いっそ気持ちよいくらいのシンプルさを、ガイも笑ったのでよく覚えている。
だよな?と首を傾げるガイを、ルークが不思議そうに見つめているのに気がついて、いや、別になんでもないんだ、と言葉をかけて、背中に落ちている数本の赤い髪をぱんぱんと叩き落とす。
ルークの髪からは、昨日、自分が使ったものとは違うシャンプーの香りがしたようだったのだが、やはり気のせいなのかもしれない。
「いよー。アッシュじゃねーか?」
ルークが起きていたことに一同が、案の定、仰天をした朝食の後、備品の買出しに出たガイは、目の前をゆっくりと歩いていくよく知る後姿に気がついた。
その、目の前にちらつく赤い髪に向けて声をかけたのは、アニスだった。
どうもルークのマネらしい。
昨日、この街を訪れた時点で黒いアルビオールが停まっていたのを見ていたから、そのうち遭遇するだろうと思っていたが、アッシュに会えたのは意外にも昼をとっくに過ぎたところだった。
ルークのことだから、アッシュからの回線がなければ、街中を探すくらいすると思っていたのに、昨日今日と珍しくルークは大人しかった。
つい先日ばったりと遭遇した時(何でも良いが彼らとアッシュとの遭遇率は、偶然にしてはあまりにも多い)、いつになく激しい言い争いになったから、ルークも少しばかり懲りていたのかもしれない。
『あの喧嘩は・・・結構、ひどかったもんな。』
その時を思い出して、ガイは眉を顰める。
売り言葉に買い言葉が横行した挙句、とうとうアッシュがルークに手を挙げた。
・・とはいえ見ていたところ、アッシュが振りほどこうとした手が、偶然ルークの頬に当たったのかもしれなかったが、しかし、ルークは殴られたことに違いなく、その後ルークの頬は盛大に腫れもした。
あの時は、ガイも激昂し、かなり強い口調でアッシュに詰め寄ったのだ。
アニスの声に、いったん足を止めたアッシュだったが、ふたりをちらりと一瞥すると、なんの答えもなく、踵を返してしまう。
あー無視ー?ナタリアがいないからって、感じ悪い!とアニスが大声で叫ぶと、うるさい、街中でナタリアの名前を叫ぶんじゃねぇ!とアッシュは足を止める。
相変わらずだなぁ、とガイは苦笑し、目の前で睨みあっている、アッシュとアニスに近づいた。
「おまえも買い出しか?」
とガイが聞けば、アッシュはちらりとガイを見やり、
「・・・ああ。」
と短く答える。
元より会話の弾む相手でもなかったが・・・ルークのことで怒鳴ったことを、今でも怒ってるようにも見えた。
そう思うのは・・・ガイに多少なりとも罪悪感があるからなのだが、ガイ自身はまだそれに気がつかなかった。
ガイたちを目の前にしているアッシュは、別段彼らに興味もなさそうだった。なぜなら、ちらりとガイたちの後ろを気にすると、お前たちだけか、といつもよりも低い声で訊ねてきたからだ。
なんだ、ナタリアのことが気になるのか?と聞こうとしたガイは、そう思ったのは自分だけであることを、すぐに知った。
「ルークなら、宿で寝てるよん。」
アニスが答える。
「・・寝てる、のか?」
「そうそう。めずらしく早起きしてきたは良いけど、結局、二度寝?今日は、アルビオールの点検日だから許してやってるけどさ。」
「・・・そうか。」
そっけないアッシュだったが・・・アニスはあれれ?と目を丸くした。
「なんだか、アッシュ優しくない?」
「なんのことだ。」
「だっていつもなら、だらしない、とか脳まで劣化してやがるのか、ってすぐ怒るのに。」
「いちいち、あいつのことなんざ知らねぇんだよ。面倒くせぇ。」
ふい、と顔を背けるアッシュの仕草も、なんだかわざとらしく感じられる。
怪しい・・とからかいの言葉をわざわざ聞かせて、怒らせるアニスの横で、ガイは眉を顰めた。
なんだか変だ。
「そういやアッシュ。昨日は、ルークに会わなかったのか?」
「・・・・・。」
アッシュが、ゆっくりとガイが見る。
その顔には、なんの表情も浮かんでおらず、ガイにはそれが、意識してそうしているように見えた。
「何故、そんなことを聞く?」
「なんでって・・・ルークのやつ、昨日ひとりで出かけてたみたいだからさ。」
夕食後、ルークはひとりで、散歩とかなんとかめずらしいことを言って出て行った。
昨日は、各自ひとり部屋だったから、その後のことはガイは知らない。
「いや。」
「ん?」
「会ってねぇ!」
「そ・・・そうか?」
アッシュの返答は、やけにきっぱりと力強かった。
アッシュがルークを嫌っているのはいつものことだが、今回はまるで拒絶反応のようだ。
ふぅん、と黙ってしまったガイの様子を確かめた後、アッシュは、用がそれだけなら、俺は行く、と言った。
「あ・・ああ。」
引き止めて悪かったな、とガイが言うと(実際ひきとめたのはアニスだが)、アッシュは答えもせずに、踵を返した。
アッシュの仕草はすべて、よく切れるナイフのように無駄がなく、その時も勢いに乗った髪が、さらり、とガイの鼻先をくすぐった。
「・・・・・!」
途端に、舞い上がる香りに、ガイは息を飲む。
ガイの鼻先を掠めた香り。
それは、朝、ルークの髪からたちあがったものと、同じ香りだった。
数日前、アッシュに殴られた頬を冷やしてやりながら、ガイは言った。
「だから、日頃から言っているだろう?あいつには近づくなって。」
「・・・・・。」
ルークはそれに対して、なにも答えず、ただ睨むようにしてガイを見つめ返してきた。
「あいつは・・・お前に八つ当たりしているようなもんじゃないか。さっきだって。」
「・・・でも、アッシュだって別に俺を殴る気はなかったと思う。」
「それはそうかもしれない。だが、きっかけになった言い争いだって、元はといえばアッシュの言いがかりだろう?」
ガイはそこまで一気に言って、ほらよ、と新しく氷水で冷やしたタオルを、ルークに差し出した。
だが、いつまでたってもルークの手が伸びてこない。
「・・・ルーク?」
「ガイってさ。」
ガイを見つめるルークの目は不満気だった。
それは、お気に入りのおもちゃをくだらないと評された時の子供の目に似ている。
「・・・アッシュに、必要以上に冷たくね?」
「そうかな?」
とぼけてガイは答えた。
もちろん、ガイは、日頃の自分の言動に自覚があった。
ルークには、アッシュがどれほどルークを疎ましく思っているか、どれほど嫌っているかと語ってきかせ、それというのもルークに、アッシュを諦めさせたかったからだ。
ルークが、異常に被験者であるアッシュに、固執していることには、とっくに気がついていた。
このまま、ルークが暴走することを恐れたガイは、それとなく釘を刺していたのだ。
お前が傷つくから、と本当の理由を裏に隠して、ルークがこれ以上アッシュに近づかないように。
・・・何故なら。
「アッシュ!」
ガイがその肩を掴み、アッシュは驚いて振り返った。
そういう顔をしていれば、まるで子供の時と変わらない。
「・・・昨日、ルークに会わなかったって言ってたが・・・あれは、嘘か?」
「なぜ、そう思う?」
「嘘なんだな?」
詰問するような口調になったのを、ガイは自分で気がつかなかった。
それに対して、アッシュは沈黙する。
答えにくいことがある時、ルークは誤魔化そうとするが・・・アッシュは黙殺しようとすることで、嘘がばれる。
ああ、いつかこんなことになるんじゃないか、と心の中で恐れていたのに。
「・・・離せ!」
ガイが掴んでいる肩を、アッシュは振りほどいた。
ガイの手が外れ、一瞬ふたりは見詰め合った。
アッシュはガイを睨んだが・・・ガイは、その時、全然別のことを考えていた。
遠い、昔のことだ。
『ルーク』は、とても可愛げのないこどもだった。
しかし、けっして心まで冷めたこどもではなかった。
昔、可愛がっていた猫が死んだ時、綺麗に体を洗い、櫛で毛を丁寧に梳かし、そして自ら手厚く葬っていた。
気に入ったものには、惜しまない愛情を注ぐこどもだった。
それは、たとえ自分の命を狙っている相手でも変わらなかった・・・きっと憎まれていると、聡い彼は、気がついていただろうに。
ガイにとって、後からきた『ルーク』は雛鳥だった。
だから、彼を困らせるようなことを言って、自分が嫌われたくなかった。
アッシュがルークを嫌っているうちは、雛鳥のルークに牽制をかけるだけで、ふたりがどうにかなることはないと高を括っていた。
だが・・・結局、それは失敗した。
『ルーク』は、とても可愛げのないこどもだった。
けれど、聡くて、妙に、慈愛に満ちたこどもでもあった。
自分の命を狙う相手でも気にしなかったくらいだ。憎んでいたはずのレプリカに、近くで何度も乞われたら、心を許してしまうことくらい、簡単に想像できただろうに。
ふいに湧き上がった胸の痛みに、自分でも驚いてガイはアッシュを掴んでいた手を離す。
まるで、するりと逃げる魚影のようにその肩は離れ、怪訝そうな顔でアッシュが、ガイを見ていた。
ガイからの言葉を待っているようなその仕草に、別になにもないよ、と首を振り・・・そのまま無言で去っていく後ろ姿を眺める。
ああ、あの時と同じだ。
とガイは思った。
しかし、それは今とは反対に、ガイが、アッシュをベルケンドの街中に、置き去りにしたのだけれど。
あの時、あのままアッシュの手を離さなければ良かった。
もしくは、あとで合流したいと告げることも、アッシュの手を引いて強引にルークを迎えにいくことも、もしかしたらできたかもしれない。
昔から『ルーク』は復讐者の目から見ても、美しいこどもだった。
7年ぶりに、ふいに自分の前に現れた時も、それは変わらなかった。
誰にも媚びず、可愛げがなく、人を頼らず、己のみを信じ、前へ前へとなにかに急かされるように進んでいく姿は、近くで見るにはあまりにも苦々しい。
復讐に生きたガイにとって、それは大変忌々しく・・・そして、眩しいものにも違いなかった。
誤った道を修正できたとしたら、どこだろう。
クッションをぶつけられた子供時代に、抱き寄せてやれば良かったのか?
ベルケンドか?
それとも、小細工などせず、ルークに直接話してしまっていたなら?
そうすれば、ルークは自分に遠慮して、アッシュに近づこうとはしなかった筈だ。
たとえ、ルークを傷つけても?
・・いや、それで自分が良しと思ったかどうかは、わからない。
ガイ?と怪訝そうに呼ぶ声に、アニスがそこにいたことを思い出し、ガイは、なんでもないよ、と答えた。
別に、アッシュとルークの関係に変化があったことを知られても良かったかもしれないし、アニスは聡いから、なにかの弾みで、あとから自分で気がつくかもしれない。
しかし、そのきっかけになるのが自分なのは、ガイはどうしても我慢できそうになかった。
見上げる空は青い。
瘴気の影はすでにそこになく、どこまでも突き抜けるような空だ。
ふたりの命をかけた行いによって齎されたそれは、あのふたりの切れない絆をまざまざと見せ付けられているようでもあり、ガイは美しい白い雲の陰影から目を逸らす。
そして、なにかが終わったことを知り、自分がそれまで、どれほど子供だったかを思い知った。
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