食堂は、とっくに昼時を過ぎているというのに、混んでいた。
少ないメニューから、リゾットを選び、隅の方の空いたテーブルに座る。
実験で徹夜をした後の食事は、消化が良くて、少ないくらいがちょうど良い。
そう思って選んだというのに、食べてみると、やたらとこってりしているクリーム味で、しかも、冷めて油が浮いていた。
「大失敗だわ・・・。」
ピンクの頬を膨らませ、ハロルドはひとりごとを言った。
それでも、なんとか半分ほどを食べた頃、カシャン、とトレーを置く音がした。
見れば、ジューダスが何も言わずに、ハロルドの前の席に座るところだった。
「・・・何か用?」
「食事を取ろうと思っている。」
「見れば分かるわよ。私に、何か用なのか、って聞いてるの。」
「・・・いや。別に。」
勝手に座っておきながら、自分とは目も合わせない態度のジューダスにムッとして、ハロルドは言った。
「じゃあ、当然のように私の前に座らないで。」
「当然だからな。」
「・・・・・え?」
「・・・・・冗談だ。」
ジューダスは相変わらずの無表情だ。
軽く伏せた顔で、ほとんど機械的にスープを口に運んでいる。
すくったスプーンの中味さえ見ない。
食事を楽しむ気はないらしい。
「おいしいの?それ。」
ハロルドが言うと、ジューダスは少しだけ、視線をあげた。
「いや。」
「じゃあ、それを選んだことを後悔してる?」
ジューダスは、ハロルドを見た。
「言っている意味が分からない。」
「自然な感情の流れの話をしてるの。まずいものを食べれば、美味しいものが食べたかったのに、と思う。当然でしょ?」
「食事など。」
ジューダスは再び、機械的にスープをすくいだした。
「体を機能させる為の、最低限の栄養素さえ取れれば、それで良い。」
「・・・面白くない人生ねぇ。」
ハロルドは言った。
ジューダスは一瞬、手を止めたが、それでも何も言わず食事を続ける。
「ところで、あんた忘れてるみたいだけど。」
「・・・何だ。」
ジューダスはスープを飲み終わり、固いパンを手に取った。
せめて、スープと一緒に食べれば良いのに、とハロルドはそれを見て思った。
「私は、怒ってるんだけど?」
「・・・殴られたのは、僕の方だ。」
「なんで、私が怒っているのか分かってるんだったら、今の言葉は出ないはず。」
ジューダスはハロルドを見た。
表情だけでなく、アメシスト色の瞳には、何の感情も表れていなかった。
「・・・そんなに大事な相手なら、檻の中にでもいれて、外部と接触させない事だ。それならば、傷をつけられなくて済む。」
「・・・・・そうじゃないんだけどね。まあ、いいわ。傷をつけたのは、あんたでしょうが。」
「言っておくが。」
ジューダスは、完全に食事の手を止め、白い指を組んだ。
「僕は僕の思ったままを言うだけだ。それで、相手がどう傷つこうが、それは相手の捕らえ方次第だろう。相手の顔色を伺って言葉を選ばなかったからといって、責めるのは勝手だが、そこまでは僕の責任の範疇にない。」
「責任。」
「そうだ。」
まるで、なにかを宣言したかのような、ジューダスの物言いに、ハロルドは眉を寄せる。
そっけない口調、冷たい言葉。
誰が見ても、冷酷な態度だが、ハロルドには、それが本心とは思えない。
全身をトゲだらけにして、冷徹な仮面をかぶり、何かを押し殺しているようにみえる。何かを。
『ひょっとして、それは自分自身?』
そう思った時、一瞬、あれ?とハロルドは思った。
それをよく考えようと、思考の波の奥へと触手を伸ばしかけた時、
「ハロルド。」
「え?何?」
いきなりジューダスが、ナプキンを手に取ると、すばやく乱暴な仕草でハロルドの口をぬぐった。
「食べかすがついてる。」
「・・・・・!」
ジューダスは来た時と同じように、挨拶もなしに席をたった。
結局、パンは半分も食べなかった。
去っていく後姿を見ながら、すでにハロルドは気がついていた。
自分が、今まで重大なミスをしていた事に。
それに、やっと自分は気がついたのだという事に。
そこに、ひとりで来たのは始めてだった。
暗闇で足元もおぼつかない室内を照らそうと、照明のスイッチを探したが結局見つからず、ジューダスは、一旦諦めた。
そのうち、目が暗闇になれてくるだろう。
室内の奥で、ジューダスを誘うように、何かがチカチカと点灯した。
「ああ。」
その正体に気がついて、ジューダスは声を出す。
「お前、こんな所にいるのか?」
それに答えるように、朗らかな笑い声がした。
それは肉声ではない。
頭に直接、響く声だった。
『うん、そうよ。』
「ひとりか?」
『そう。皆、それぞれの所に散ってるわ。』
「そうか。」
『ねえ?いつまでそこにつったってる気?傍に来てよ。』
動けぬ相手に自分から来い、と言う訳にもいかず、ジューダスの方から近づいていった。
『ハロルドには会ったの?』
「・・・ああ。」
『あの子、変な事になってるでしょう?』
「変な事?」
『そう・・・。』
"
声"は笑いを含んで答え、意味深に言葉を切った。
「あいつが変なのは、いつもの事だ。」
『まあね。』
ジューダスは、一旦言葉を切った。
それから口を開く。
「・・・ラミュエ、という男に会ったぞ。」
『ああ、そう?』
"
声"は面白くもなさそうに答えた。
『興味ないわ。』
「そう言うな。ハロルドの事を本気で大事にしてそうだった。貴重じゃないか。」
『いいやつだ、とでも言うつもり?』
「いや。」
ジューダスは否定してから、一瞬考え、前言を撤回するように言った。
「だが少なくとも、これで僕も満足できそうだ。」
『ジューダス。』
"
声"はあきらかに不機嫌そうだった。
『それは、なんの為の満足?』
ジューダスは笑った。
相手には見えているのか、分からない。
「安心して消滅できる。その満足だ。」
1度目は裏切った事への罪悪感を伴った。
2度目は、悲しませてしまった事が、逆に悲しかった。
笑って別れたかったのに、それができなかった。だが、今度は。
「僕を望む者は、もうひとりもいない。僕が消えてしまっても、それをひき止めようとする者は誰も、だ。今度こそ、何の未練もなく完全なる無に帰る事ができる。」
『私がいるわ。』
"
声"は言った。
『誰が望まなくっても私が望みます。あんたがいなくなったら、私は死ぬほど悲しいわ。』
「あきらめろ。」
『ジューダス。』
あきらかに、動揺をおさえたような声が、ジューダスの頭の中を震わせた。
『あんたはどうなの?あんた自身は。何も望まないの?なにもないまま、ただ消えてしまって、それで本当に満足できるの?』
「望みなど、ない。」
ジューダスはきっぱりと言った。
「僕には選ぶ権利など、始めからない。僕には未来などないし、欲しいとも思わない。」
『ジューダス。』
「僕はただの人形のようなものだ。自分の意思ではどうにもできず、存在自体が他の存在に追従している。僕は僕のするべき事をまっとうする。それだけだ。」
"声"は黙り、ため息をひとつついて、ジューダスは身を翻した。
「探し物はここにはないようだ。邪魔したな。」
『うん、またね。』
たぶんもう、また、はない。
そう思いながらも、ジューダスは言った。
自分を知る、唯一の存在に向かって。
「ああ、またな。」
これが満点の星というやつね?とハロルドは、横に並んだ影に話しかけた。
そうだ、と面白くもなさそうに影は答えた。
「初めて見たわ。」
「星をか?それとも夜空をか?」
「星の方よ。いくらなんでも夜空くらいは、私の時代でもあるわよ!」
そういうハロルドの瞳の中に、星が映っていた。
首をほとんど、真上に向けたまま、じっとじっと星を見つめ続ける姿は、子供のようだった。
「ねえ。」
「なんだ。」
「キスしましょ。」
突然のハロルドの言葉にも、影は別に驚いた風でもない。
「・・・何故だ?」
「別にー?理由なんてないわよ。」
理由がないのにするのか?と言うか、黙殺するだろうというハロルドの予想に反して、影が答えた。
「・・・それなら、良い。」
その穏やかな声を聞いた時。
彼がその時、何を考え、何を恐れたのか分かってしまった。
胸が苦しくなって、でも、ハロルドは何も言わず、背伸びをし、手を伸ばして、彼がいつもかぶっている仮面を外した。
めったに見ない彼の素顔が、暗闇の中に現れる。
闇になれたと言っても、肉眼でつぶさに見てとれるほどではない。
それでも、ぼんやりと浮かぶ彼の美貌には、いつも通り、何の表情も表れてない。
「ジューダス。」
ハロルドが言った。
「消えないでね?」
一瞬、彼が息を呑んだ気配がした。
「それが不可能だという事は、お前が一番・・・。」
分かりきった答えなど、聞きたくなかった。
だから、最後まで言い終わる前に、少しだけ背伸びして唇をふさいだ。
重ねるだけで終わらせず、舌を絡めた。
すがりつくように、背に手を回した。
「大好きよ。」
そして、ハロルドは、彼が最も恐れている言葉を、告げた。
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