体のラインがわからなくなるような、たっぷりとしたドレスに仮面をかぶると、誰が誰やら分からない。
これで本当に、相手を見つけられるもんかしら。皆、ずるして何か相手に分かるような目印でも教えあったりしてるんじゃないの?とハロルドが言うと、まあ、そうだろうね、とナナリーは言った。
「祭りなんだし、楽しけりゃ良いって人がほとんどだろ?別に真剣に言い伝えを信じてるって訳じゃないんだろうし。」
それはそれで身もフタもない。
とハロルドは頬を膨らます。
せっかく付き合わされたのに、それもないだろう。
しかも着ているドレスは重い。
後で、肩か腰かが痛くなりそうだった。
『でも、まあ・・・綺麗だから悪い気はしないけどね。』
そのハロルドのドレスは深い緑と黒を基調に、金糸のレースがふんだんに使われていた。
スカート部分はバルーンのように広がり、コルセットで締めたウェストはさらに細く見え、鎖骨が見えるほど大きく開いた胸元から、豊かな胸の谷間が覗いていて、可愛いながらも、色っぽく見える。
ところで、相手が決まってない場合、仮面は手に持ったまま、つけないしきたりになっている。
それによってフリーな男女は、祭りで出会ってカップルとなる事もできる訳である。
故に、ハロルドもナナリーも仮面は持っているが、していない。
ふたりの傍で、大人しく佇んでいるリアラはしている。
「ところでナナリーこそ。」
「なんだい?」
「待ち合わせしてるの?」
「?なんの事だい?」
「ロニと後で合流しないの?」
ハロルドはにこりと笑う。
良いように踊らされてしまったさっきのお返しだ。
踊った自分が悪い、と言えば悪いのだが、やはり悔しいものは悔しい。
「な・・・なにバカ言って・・・。」
ナナリーは心底、慌てたように顔を一気に紅潮させた。
「なんで、あたしがあんなヤツと!?あたしはもっと別の・・・素敵な人がいないかと思って・・・。」
「あ、鐘鳴りそう。」
その時、本当に鐘が鳴った。
南の門にいた女性たちは、一斉に広場を目指して歩き出す。
その人の波にもまれているうち、いつしかハロルドは、ナナリーたちとはぐれ、ひとりになっていった。
「言い伝えなんて、非科学的なもの、本当に信じている訳もないか。なるほど。」
はぐれてひとり歩くハロルドは、先ほどのナナリーの言葉を思い出していた。
イベントが楽しい、それだけなのだろう。
そんなものに本気で頼るほど、女は実はロマンチストではない。
「そうよね〜。実にくだらないわ。」
てくてく、と目的のないハロルドの歩調はマイペースだ。
待つ人がいるのであろう女の子達は、そんなハロルドを足早に追い越していく。
「くだらない・・・・。」
『くだらん。』
いつも間近に聞く口調を思い出し、ハロルドの胸はちくり、と痛む。
「くだらん。」
祭りが行なわれる事を聞いた、その朝。
初めて、あの店に訪れた時の事だ。
妙に浮き足立っている町を見て、ハロルドが感想を求めると、ジューダスはひと言の元に言い捨てた。
予想通りの結果だったが、なかなか興味深いけどな、とそれに対してハロルドが答えると、ジューダスは口の端をあげて、笑った。
「まさか、お前もまじないの類に憧れるというのではあるまいな?」
「憧れはしないけどさ。私が興味を惹かれるのは、祭りの起源になった話の方よ。単なるおとぎ話とはいえ、全部が作り話でもないでしょう・・・。鳴く魚?それって何かしら。」
「鳴くではなく、歌うんだろう。」
「どっちでも一緒よ。」
「一緒ではない。鳴く、なら、ヒレをこすり合せて音を出す魚もいる。そいつのことかもしれん。だが、歌うなら、それではない。」
「うん?」
ハロルドは、首を傾げてジューダスを見る。
ジューダスは澄ました顔でスープを飲んでいるが、仮面の奥の瞳が笑っていた。
「なに?答え、分かるの?」
「ああ。たぶんな。」
ジューダスは分かったのに、自分には分かってない。
その状態が悔しくって、ハロルドはむっとする。
思わず唇を尖らすと、ジューダスはますます笑った。
「魚、という言葉に紛らわされるな。海にいるのは、魚類だけではない。」
「も〜〜〜黙っててよ!私は自分の力で解くんだから!」
ヒントを貰ったというのに、怒るハロルドを見て、ジューダスは肩をすくめる。
そういうポーズをするという事を、最近になってハロルドは知った。
いつも澄まして、不機嫌な顔をしている、面白くないヤツだと思っていた。
けれど、その冷めた態度の裏に、ちゃんと血の通った人間の感情を隠してる。
そしてそれは、リラックスしている時、心を許している人間といる時にのみ、顔をだす。
海にいるのは魚類だけではない。
その言葉に、ハロルドは考える。
海にいるもの。
貝、海老などの甲殻類・・・・いや、それではない。
それだと、魚という形容はされない。
魚ではなく、魚に近いもの・・・・・・・・・・。
「あ・・・。」
ハロルドはジューダスを見る。
ジューダスは何も言わず、口の端をあげて笑った。
ハロルドの辿り着いた答えを、確かめないでも正解だ、と告げていた。
「・・・いるの?」
「ああ。ここらへんは温暖な地域だ。えさになる小魚も多い。沖の方にでれば、船の廻りに集まってくるそうだ。」
そして、ふと、思い出したようで、ジューダスは、ハロルドの顔を見て言った。
「お前、見たことないんだな?」
「うん。」
「イルカを。」
「うん、だって・・・・。」
そう、ハロルドの育った世界では、イルカなど望めない。
太陽を遮断された、氷の世界だ。
イルカなど・・・・絶滅したという見解さえあった。
暖かい海がない今、生き延びることはできなかったであろう、と。
だが、千年後のこの時代にいる、という事は、絶滅していなかった、という事だ。
その証拠を、見つけて、ハロルドの目は子供のように輝いた。
どん!と人にぶつかり、ハロルドはよろけた。
そもそも乗せられて参加しただけで、行く気などないものだから、歩みは遅いのだ。
人波をよけ、ハロルドは路地裏へと入り込む。
祭りのせいで人通りは多かったものの、さすがに広場への大通りよりは歩きやすい。
「あ〜あ・・・。」
ハロルドは溜息をつく。
本当は・・・・・この祭りに参加するはずではなかった。
ナナリーの乗せられていやいや参加したことではない。
本当は、今日は・・・。
「海の上にいる約束だったのに・・・。」
図鑑でしか見たことのないハロルドにとって、イルカはおとぎ話の中の生き物だ。
それが現実にいる、という。
海の中に生息する哺乳類。
果たしてどんな色なのだろう。手触りは?
歌う、というからには、声を出すはずだ。
どういう声だろう。まさか、牛のような低い声だとは思えない。
図鑑の姿の通りなら、細く高い声を出すだろう。
「ねえ、あんたは?見たこと、あるの?」
子供のように頬を高潮させ、ハロルドは言う。
その声も興奮の為にうわずっている。
もうイルカの事しか頭にない様子のハロルドに、ジューダスは微笑む。
「ある。前にカイルたちと船で旅をした事があった。その時、通りかかった小島で生息していた。」
「あ〜〜〜〜〜〜う〜〜〜〜ん!」
我慢できない、そういう感じでハロルドは両手でテーブルをぽかぽか叩く。
本気でジューダスを羨ましがっている。
「・・・見たいか?」
「見たいわ!!」
ジューダスの問いに、ハロルドは即答する。
なんといっても幻の生き物だ。
それが、この海のすぐ近くにいる。
泳げたら、そこまでだって今すぐ行きたい。
ちなみに、ハロルドは、泳げない。
生まれ育った状況のせいだ。
凍てつく海に入る必要はないし、さすがに温水プールをつくって遊ぶ余裕など、地上にはなかった。
そのせいで、泳いでみようと思ったことすらない。
「祭りとどっちが良い?」
「イルカ!!」
予想通りに即答するハロルドに、ジューダスは目を細める。
ハロルドのそれは、子供の反応そのものだ。
それを見て、口元を綻ばせ、ジューダスは言った。
「この港では、週に一度、小さな帆船が数キロ先の小島に、渡る。」
「なんの為に?」
「その小島に、もともとこの町に住んでいた数人が、移り住んでいるんだそうだ。新たな住居地を求めた、町の住人たちの先遣隊の役割で。そこに、物資を届ける為だ。」
ハロルドは、ぱちぱちと瞬きをした。
その船は当然、沖まで出る。
「乗せてくれるように頼んでこよう。」
「本当に?」
「ああ。だが今度、船が出るのは、祭りの日だ。それでも良いか?」
「良いわ!イルカが見れるなら、お祭りなんてどうでも良い!」
ジューダスは笑った。
「見れると決まった訳でもないぞ?それに、海が時化れば、船は出ない。」
「意地悪言わないでよ!当然、晴れるわ!決まってるじゃない!」
「根拠もないのに、言い切るな。」
「だって、私がイルカに遭遇するんですもの!」
なんの理屈にもならない。
そういいながら、ジューダスは目を細めて、ハロルドを見た。
ハロルドは立ち止まった。
仮面をつけて、壁に寄りかかる。
通りすがりに、ハロルドに声をかけてくる男たちが鬱陶しくなった、というのもある。
だが、今は世界を遮断してしまいたい気分だった。
世界を失くすなら、視界を遮ってしまえば良い。
そうして、少しだけ不自由になった視界から臨む世界が、今のハロルドの心境を物語っていた。
そこにあるのに、現実感がない。
もう広場に行く気になどなれなかった。
あの浮かれ騒いでいる中に入って、楽しんでいるフリをするくらいなら、このままここに佇んで、日が暮れるのを待つほうが、何倍もマシだ。
本当ならイルカを見に行く予定だった。
あの時・・・ジューダスが花束を貰ったのを見て、動揺した。
冷静に考えれば、なんでもないことだった。
そのまま、何事もなかったように振舞っていれば、今頃は、ふたりで船に乗っていただろう。
ジューダスが、娘から花束を貰ったからといって、祭りを優先させるなど、ありえない。
現に、祭りには参加せずに、この町を離れている。
あの後・・・ジューダスを宿の中まで、追いかけて、なじる必要などなかった。
なのに、言ってしまった。
何故、あんな事を言ったのか。
言ったのは自分なのに、それが分からなかった。
ジューダスは、意外そうな目でハロルドを見た。
何を言い出すんだ、お前は、と言って呆れ、その顔を見ていると、腹がたった。
いつもの表情なのに、冷静に対応されると、無性に腹がたったのだ。
カイルが店で、ふたりを仲直りさせようと、訳の分からない画策をしたのは、その後のことだ。
嘘だわ。
とハロルドは思う。
何故、あんな事を言ったのかわからないなどと。
この後に及んで、まだ、そんな言い訳をするなんて。
焦っていた。
ジューダスを、好きだという女の子を、実際に見て、間近に感じて、どこか遠くの違う世界が、自分達の現実に割って入ってくるのが嫌だった。
ハロルドは広場の方角を見る。
あの子は、今頃、ジューダスを探しているのだろうか。
本当はこんなところになどいたくない。
イルカが見たい。
一緒に船に乗りたい。
船の上なら、あの町娘も、ジューダスを追えない。
・・・会いたい。
いつの間にかハロルドと離れてしまい、そのうえ、リアラは宣言通り、さっさとカイルと合流してしまって、ひとり残されたナナリーは、なんとなく手持ち無沙汰な気分を味わっていた。
これからどうしよう、と考えて、脳裏に浮かんだ銀髪に、慌ててそれを打ち消している時、背後から声がした。
「ナナリー。」
よく知っているが、今考えていたのとは違う声だ。
容姿からイメージするよりも、低い男の声。
「ジューダス。」
この祭りの中にあっては、その姿も目立たない。
逆にしっくりきている。しっくり来すぎて笑えるほどだ。
そのジューダスに向かって、ナナリーは向き直る。
「帰ってきたのかい?買い出し、ご苦労さん。」
「ああ。」
そう短く答えた後、ジューダスはそのまま、ナナリーを見る。
「?」
そのまま何も言わないジューダスに、ナナリーは首を傾げる。
ナナリーを見ている、というよりもジューダスは、他の反応を待っているようだ。
「あいつも・・・参加しているのか?」
「あいつ?」
「・・・・・。」
「ああ、ハロルドか!」
わざとらしく大げさな仕草で、ナナリーはぽん、と手を打った。
「参加してるよー。とびっきりのドレス着て。今頃どこかでナンパされてたりしてー。」
「・・・その手には乗らん。」
ナナリーの言葉に、ジューダスは口の端をあげて笑う。
「あら、嘘だと思ってるね?」
「・・・・・。」
「まあ、ナンパされてるかどうかは知らないけどね。参加してるのは本当。それに当たらないとも限らないよ?何しろ、これはカップルの為の祭りだしね。」
伺い見ても、やはりジューダスの表情に変化はない。
この意地っ張りと、心の中で毒づきながらも、ナナリーはにっこりと笑って見せた。
目指した訳でもないのに、ぐるぐると彷徨っているうちに、結局、ハロルドは広場へと出てきてしまった。
こうなったら広場の端の方で、祭りのクライマックスを見学しよう、と思い、そこに陣取った。
そのハロルドの目の端に、よく知る赤い髪が映った。
あ、ナナリーだ、そう思い、声をかけようとしたハロルドは、ナナリーの目の前に立つ、黒いマントを見つけた。自分でも驚くほど大きく、どきり、と胸が鳴った。
まったく、あっちもこっちも意地っ張りで、世話が焼けるったらない。
ナナリーは溜息をついた。
こうして盛り上がっている中に、ひとりでいると、逆に妙な寂しさを感じる。
いっその事、ジューダスを無理やりひっぱって、ハロルドを探しに行けば良かっただろうか。
だがそれで、ハロルドを見つける前に、鐘が鳴りでもしたら、なんとなく申し訳がたたない、と思ったのだ。
本人達は、そうと意識してなかったとしても、あのふたりが好きあってるというのは、全員が思っていたことだ。
ハタから見れば、何をぐずぐずして・・・と思わないでもないが、そのじれったさが、あのふたりらしいと言えば、らしい。微笑ましくもある。
そんな事を考えてたナナリーに声がかかったのは、その時だ。
「おい、ナナリー。」
「わ!」
驚いてナナリーは飛び上がる。
「な・・・何だよ!そんなに驚くこた、ねぇだろ?」
「ロニ・・・。」
人の悪そうなにやにやした笑いを貼り付けて、ロニが立っていた。
その姿を見て、ほっとした自分を慌てて隠し、ナナリーはわざと鼻で笑う。
「どうしたんだい、ひとりで?やっぱり誰にも彼にも振られたのかい?」
「け。お前に言われたかねぇよ!」
「まあ、そりゃそうか!」
ひとりでいる事を指摘されても気にせず、可笑しそうに笑うナナリーの嫌味のない姿を、ロニは目を細めて見つめる。
「そういや、今、ジューダスのヤツと一緒じゃなかったか?」
「ん?見えたのかい?帰ってきたよ。」
「やっぱりな。けど、妙にしっくりくるなあいつ。」
「ここだと逆に目立たないよね。」
「いっそ、永住しちまったら、どうだろうな?」
ロニの言葉に、ぶぶっとナナリーはふきだす。
さっきまで妙に寂しかったのは、もう消えうせていた。
ナナリーの前から、黒いマントが去って行くのを見て、ハロルドは反射的に追いかける。
視界は、つけている仮面のせいで極端に悪い。
あいつ、よくいつも、こんなものつけていられるわね!と心の中で毒づき、広場の人ごみの中に、焦って、足を踏み入れようとした時、ぐいっと腕を引かれ、後ろに引き戻された。
「ちょ・・・何を!」
「お前まで、何をしている。」
振り向いた先で、自分の腕を掴んでいたのは。
「・・・・え?」
ジューダスは面白くなさそうな顔をしていた。
いつもよりも、さらに。怒っている感じに近い。
仮面をつけていても、その表情の微妙な動きは、ハロルドには分かる。
けれど、ジューダスの方は。
「・・・・よく、私だって分かったわね・・・。」
そう言いながら、ハロルドは顔を隠している仮面を取った。
「なんだって?」
「ううん・・・いいの。」
そして、なにか言わないと、と思い顔を上げたハロルドが、口を開く間もなく。
「行くぞ。」
ジューダスが、強引なほど強くハロルドの腕をひっぱって、広場を抜け出そうとする。
「え?どこへ?」
思わずハロルドが聞くと、大きくジューダスは舌打ちをした。
「何を言っている。船だ。出てしまうだろう。」
「あ。」
そのひと言は、まるでなにかの衝撃でも受けたかのように、ハロルドの胸を突き上げた。
「先に港で待っているだろうと思って、急いで帰ってきてみれば。」
「・・・・・。」
「なんで、祭りになんか出ているんだ、お前は!」
「・・・ごめん。」
「走るぞ!」
「うん!」
人波を潜り抜け、広場から港へと続く、細い路地を。
ふたりは手を取って、走りだした。
水面を照り返し、太陽の光は強く輝く。
陽に焼けるぞ姉ちゃん、と言われながらも、ハロルドは船の先から離れない。
こんな晴れた空の下で、船に乗る事、事態、始めての経験だった。
潮風が強く頬を撫で、独特の香りを纏った空気が、熱く肺に入り込む。
空を見ると、海鳥が飛んでいた。
どこに向かうとも知れないが、もしかしたら、行き先は同じかもしれない。
もう来ないかと思ってたぜ、と言いながら、船員たちが、ふたりを出迎えてくれたのは、船の出港時間を予定よりも少し、過ぎた時間だった。
気の良い海の男達は、来るかどうかも分からないふたりを、一応は待っていてくれたらしい。
これで、本当に行かなかったとしたら、申し訳が立たなかった。
と、ハロルドは少し反省した。
人の親切心からくる、行動に仇を返してはいけない。
「ねえ、イルカ、まだかしら?」
船の先端から振り返って、風に負けないようにと叫ぶハロルドに、船員のひとりが笑った。
まだまだだ、港が見えなくなるほど沖じゃないとイルカは住んでいない、と教えてくれる。
見ると、その後ろでジューダスが、風に煽られたマントが船員たちの仕事の邪魔をしないように、肩から外しているところだった。
風を受け、船の帆のように膨らんでいる様が気に入っていたのに、と少し残念だったが、他の人の作業の邪魔をするのは、良い事ではない。
ハロルドは、船の先端から、ジューダスの元へと移る。
「どうした?」
ジューダスが、マントをたたんで腕にかけながら、傍まで近寄ってきたハロルドを見る。
「うん・・・。」
「・・・?」
そっと手を伸ばし。
ハロルドはジューダスの仮面を取る。
怒るかと思ったが、ジューダスは何も言わなかった。
それよりもいきなりのハロルドの行動が何を意味するのか、その方が気になるようで、不思議そうにハロルドを見返している。
「なんだかね・・・。」
「ああ。」
「仮面ばっかり見てたから、味気ない気になっちゃって。久しぶりにあんたの素顔を見たくなったの。」
最近のジューダスは、それほど仮面で顔を隠すことに固執しなくなってきた。
もともと、歴史に自分が登場したという記録が残らないように、顔を隠しているのだ。
顔を見られるのが嫌だ、とか言うのではないと知った時、ハロルド自らが、通りすがりの程度の人間が、他人の顔をおぼえている確立と、覚えていたとしても他人の空似で片付ける確立をパーセンテージで示した時も、面白そうに聞いていた。
ここにきて、ジューダスは、過去に来た事がなく、すぐに立ち去る町などで、他人に顔を見られても、さほど気にしなくなってきている。
だから、仮面を取られても、なんの抗議もなく、
「そうか・・・。」
とひと言答えると、ジューダスはハロルドのさせたいようにさせていた。
素顔をさらしたジューダスの髪を、風が煽る。
四方に散りながらも顔を縁取るようになびく、細く黒い髪が、羨ましい、と思った。
自分の癖髪は、猫の毛のように柔らかいが、強風の中、こんがらがるように、まとまって揺れる。
きっとくしゃくしゃになっているだろう。
そう思いハロルドは、ジューダスの目を避けるように、そっと髪を手櫛で直した。
「なぜ、あんな事を言った?」
「え?」
ジューダスの突然の質問の意味が分からず、ハロルドがその顔を見上げる。
ジューダスは、怒っているとまではいかないものの、決して機嫌が良い訳ではない、と一目で分かる厳しい表情でハロルドを見返してくる。
「・・・どの事?」
「祭りの前の話だ。」
ジューダスが町娘から花束を、受け取った後の宿屋での会話の事だ。
直接、告白された時と言わないところが、ジューダスらしい。
「ごめん・・・。気が動転してたの。」
「なぜだ?」
「それは・・・。」
「たかが、祭りなのに、僕がお前との約束を反古にするとでも思ったのか?」
「そうじゃなくって・・・。」
「それなら。」
言いにくそうに言葉を濁すハロルドに、ジューダスは言った。
「どうして、お前も花束を持ってこない?」
「・・・・・え?」
思わず顔を上げた時、ハロルドは、ジューダスが口の端を上げて笑うのを見た。
「自分では何も言わないくせに、やきもちは焼くとはな。八つ当たりされるこっちの身になってみろ。」
「な・・・。」
意表をつかれて動揺し、うろたえて、真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
「う・・うぬぼれないでよ!わ・・私はただ・・・。」
「ただ、なんだ?」
ジューダスの瞳が笑っている。
意義は認めるつもりは、始めからないのだと、その目を見て思う。
やられた・・と思った。
その時。
船が海面を蹴って出来る、白い波よりも少し遠いところに、同じような白い波が足跡のように点々と浮かんでいるのが見えた。
「・・・?」
なんだろう、と思うハロルドの肩を軽く叩き、ジューダスが言う。
「いたぞ。」
「あ!!」
その言葉と同時に、船の角度に平行して、時々、海面の上に飛び上がるイルカの姿が見えた。
群れを成している。
それがまるで、遊びを誘うかのように、船に並んで泳いでいる。
「すごい!!すごい!!」
子供のようにはしゃいだ声を出し、ハロルドが、叫ぶ。
図鑑で見たのと同じ姿だ。
だが、実際に見ると、想像していたのよりも大きく、その動きは滑らかで、美しい。
「なんて綺麗な生き物なの!」
水の抵抗を感じないように、精巧に計算されたかのような表面に隆起のない体。
無駄のない完璧な姿に、自然の創り上げた芸術品だ、と感嘆の息が漏れる。
船から落ちそうなほど身を乗り出した、ハロルドの体が、それ以上前にいかないように、並んだジューダスが右手で支えながら言った。
「イルカは遊び好きな生き物だそうだ。」
「うん。」
「好奇心旺盛で、人が近寄っても逃げない。愛嬌もある。」
海の中から、ちらりと覗く顔は、あどけなく、可愛らしい。くりくりとした丸い目で、何にでも興味を示す頃の、赤ん坊を思い出させる。
ジューダスは、ハロルドの顔を見る。
その視線にも、気がつかないほど、ハロルドはイルカに夢中になっていた。
興奮で目の端を赤くしている。
それを見て、ジューダスの口元が綻ぶ。
そして、泳ぐイルカを見た。
イルカは未だに、船の周りを離れない。
向こうもこっちが気になるのだろう。
船のたてる波しぶきが面白いのかもしれない。
好奇心旺盛で、遊び好きで、頭がよく、可愛らしい顔をしている。
「そっくりだな・・・。」
「え?なに?」
ハロルドは、耳元のつぶやきに聞き返す。
振り返って見た時、ジューダスの端正な素顔が、すぐ近くにあって、思わず息を呑む。
光が入り込んで、いつもよりも薄く見える紫の瞳に、自分が映っているのを確認して、少しの間だけ、ジューダスと見つめあっていた事に気がついた。
さりげなく自分の肩に添えられている右手を、意識する。
ジューダスはそれに、答えず、少しだけ笑うと、
「ホラ、行ってしまうぞ。」
と言った。
慌てて見るハロルドの視線の先で、イルカの群れは、段々と船から離れていく。
「あ〜・・・。」
あからさまにがっかりと肩を落とすハロルドの、寂しそうな表情を見て、ジューダスは少しだけ、複雑な気分になった。
「また、会えると思う?」
ハロルドは、ジューダスを見上げて、切なそうに言う。
その頭の中にはイルカの事しか、ないだろう。
「どうだろうな・・。」
復路にイルカに会える確立は低い。
昼間にしか姿を現わさない、そう聞いていたからだ。
だが、人間には断言はできない。意思は向こうが持っている。
「会えると良いな・・・。」
そう、ぽつりと答えたジューダスに、ハロルドは笑った。
嬉しそうに、ぱっと顔を輝かせて。
それを見て、ジューダスは思う。
やつあたりされた、などと人の事は言えない。
なんだか、自分の方が、イルカに嫉妬しそうだった。
「なんなんだよ〜ふたり共、もう!」
港へと船が帰ってきた時、夜になっていた。
宿へと戻ると、膨れたカイルが待っていた。
「なんだとはなんだ?」
「そうよ〜、一体、なんの事?」
カイルの怒りなど、このふたりには通じない。
「オレ、ふたりの喧嘩のこと、心配したのにさ!勝手に仲直りして・・・。ふたりしてどこ行ってたのさ!!」
心配してたの?余計にこじらせたクセに、とハロルドは思ったが、口に出してカイルをいじめるのはやめた。今のハロルドは機嫌が良い。
「いいところ〜♪」
代わりに、ふふん♪と鼻で笑い、カイルに見せ付ける。
「え?どこ行ってたの!?」
想像通り、食いついてくるカイルにハロルドは笑う。
「ひ・み・つv」
「え〜〜〜?なんだよそれ!!」
なんだよ〜と叫ぶカイルを尻目に、着替えようと部屋への階段を登る途中、一緒についてきたナナリーとリアラが、やはりこっそりと聞いてきた。
「実際、どこに行ってたのさ?ふたりで。」
「うん、実はね・・・。」
ナナリー達には、ハロルドも打ち明ける。
女同士は、秘密を分け合うのが好きだ。
「へえ。」
全部を聞き、ナナリーは笑う。
「良かったじゃん。楽しかったかい?」
「うん。」
そして、ハロルドも事の顛末をふたりに聞く。
「ふたりは?祭りで相手に会えたの?」
「うん、バッチリ♪」
「あ・・あたしは、ロニと一緒になっちまって・・・。本当は嫌だったんだけど仕方なく・・・。」
それを聞き、にんまりとハロルドが笑っていると
「じゃあ、鐘がなる頃、ハロルドはジューダスを一緒だったのね?」
とリアラが言った。
「え?鐘、聞いてないけど・・・・?」
「でも、その時刻には、一緒だったんでしょ?」
船に乗る前、ハロルドは鐘の音を聞いてない。
きっと港を出港した後、鐘がなったはずだ。
だったら、ジューダスと一緒にいた、は間違いではない。
ハロルドがそう言うと、リアラはにっこりと笑った。
「良かったね。」
「別に、良くないわよ?私はイルカが見れた事の方が嬉しい・・・。」
「アンジェさん、さっきジューダスを訪ねて来てたみたいなの。」
「・・・え?」
リアラが言った名前に、ハロルドはどきり、とする。
「あんまり意地張ってると、誰かに取られちゃうわよ?」
ハロルドの顔を見て、リアラは、はっきりと忠告する。
誰かに取られる。
あの絹のような黒い髪も、アメシストの瞳も、自分以外の人のものになる。
そうしたら、イルカを見に行こうなどと、誘ってはくれなくなるだろう。
もっと他の、違う相手を思いやって、決してこちらを見なくなるだろう。
思わず、胸の痛みに立ち止まったハロルドに、声をかけようとしたふたりだったが、そのまま、後ろを見ると、気を利かせて立ち去った。
「なにをしてるんだ?」
ジューダスは、あがってきた廊下の真ん中で、ハロルドがドレスのまま佇んでいるのを見て、声をかける。
「ねえ・・・。」
「なんだ?」
振り向き、ジューダスを見上げるハロルドの顔には、昼間、イルカと別れた時と同じような切ない表情が浮かんでいた。
それを、不思議そうにジューダスは見る。
「もしも、誰かに誘われたら、その人とでも、イルカを見に行く?」
「なんだ、いきなり?」
「行く?」
ハロルドは、つめ寄るようにして、ジューダスに聞く。
真剣に、答えを求めているのを知って、ジューダスは少し、考えた。
「相手による。」
「それは、どういう相手?」
「やっかいな相手とはいかないが、行く相手を具体的にあげろと言われても、逆に難しい。」
「じゃあ・・・。」
「僕もひとつ、聞くが。」
ハロルドの言い掛けた言葉をさえぎり、ジューダスが言う。
「もしも、今度、この祭りの最中に立ち寄る事があったとして。」
「うん。」
「僕が、花束を貰ったら、どうする?」
それは、船の上で行なわれた会話と同じだ。
あの時は、イルカの出現で、途切れていた。
「お前は、どうする?そのまま見ているか?それとも、自分も花束を持ってくるか?」
聞けなかった答えを、ジューダスに求められ、ハロルドは。
「冗談でしょう!」
笑い、今度は即答した。
「なんで、私が持ってくのよ?」
そして、胸を張り、威張るかのように言い放つ。
「申し込みの花束だったら、あんたから持ってきなさいよね!あんた、男でしょ?」
青い空のように晴れ晴れと、ハロルドは言う。
この場面にふさわしいのかどうか知らないが、勝負に勝ったかのように、得意げな顔だ。
「男かどうかが、関係あるのか?」
「あるわよ!こういう事は男から言うもんでしょうが!」
そう言い、ハロルドは、さあ、早く。どうするのか答えなさいよ。とジューダスをせきたてる。
ジューダスはそれを見て、それを聞くと、口の端をあげるいつもの笑い方をした。
「お前には、花束なんか似合わんだろう。」
「なによ〜。」
ぶ〜っと、膨れるハロルドは未だにドレスを着たままだ。
だが、とても貴婦人には見えない。
彼女には、花よりも、もっと違うものが似合う。ドレスそのものは似合っているが。
「だから、花束なら、贈らないが。」
ジューダスは、ハロルドの右手を、貴婦人に対してそうするように、恭しく取り、その手を開かせる。
「これを、やる。」
そう言って、ジューダスがハロルドの手に落としたもの、それは、
「これ・・イルカ?」
それは、つるりしたピンク色の石でできている、イルカのペンダントだった。
弧を描いて、水の外へとジャンプした時の姿を模したようで、その体は前の方に曲がっている。
「綺麗・・・。」
「ローズ・クォーツというそうだ・・・。」
「知ってるわ・・・。」
ローズ・クォーツ、といえば、女の子にとっては特別な石だ。
それは本当に綺麗で、薄いピンクの下が透き通り、うっすらとオレンジ色も浮かんでいる。
「後ろを向け。」
言われて、ハロルドは後ろを向く。
ハロルドの手から、イルカのペンダントを受け取ったジューダスが、それをハロルドの首にかける。
「また、一緒にイルカを見に行こう。」
鎖をつなげながら、ジューダスがつぶやいた。
それは、決して大きくはなく、ぼそり、とした口調だったが、ハロルドには聞こえた。
後ろを向いているので、表情は見えない。
けれど、きっと殊更、無表情に、不機嫌を装っているだろう。
そして、感情を隠そうとする目の端を、うっすらと赤くしている事だろう。
ハロルドはそれを聞くと、こらえきれなかったように、嬉しそうに笑い、
「しょうがないわね、行ってあげるわよ!」
勢いをつけて振り向くと、ジューダスの首に、抱きついた。
fin
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