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雪が降っていた。
ここは常に雪が降っているようなものだから、ハロルドはひとり、空を見上げて雪を見ていた訳ではなかった。 彼女は厚い雲の上にあるであろう、外殻を仰いでいた。
体は地に帰っても。
非科学的な考えではあるけれども。
彼女の兄は空にいる、ハロルドはそう思っていた。
ハロルドの兄、カーレル・ベルセリオスがミクトランと刺し違えたとき、彼女はベルクラントの制御をするチームで、別行動をしていた。
死に目には会えたものの、チームで一緒だった兵士は、後にハロルドに謝ってきた。
彼らだけで行動していたなら。
ハロルドがカーレルと一緒に行動していたなら、あるいは、違う結末があったのではないか、というような事を泣きながら話す、その兵士に、そんな事はない、と言い返した。 ベルクラントの制御はハロルドにしかできないし、
カーレルと一緒にいたからといって、ミクトランを止められたかは分からない。
まして、カーレルの傍に、すでにハロルドはいたのだ。
ソーディアン・ベルセリオスとして。
そんな単純なことではないのだ。
「・・・けれど、ほんのささいな出来事が違う結果をもたらすっていうのも事実よね・・・。」
それが運命をいうものだろうか。
だが、ハロルドは運命という言葉が嫌いだ。
「これが運命だ」などという言葉は、言い訳にしか聞こえない。
初めから決められた運命など、この私が打ちやぶってやる。
そう言うと、カーレルは皮肉気に笑っていたものだ。 「あれ?そうだったかしら?」
いや、そうではない。
カーレルは苦笑して、ハロルドの頭を軽く叩いた。
「お前は、本当に怖いもの知らずだ。」と、まるで褒めているかのような口調で。
こうしていると、兄の存在がすぐ近くに感じられる。
本当に会うか、会えないかではなく。
人は人の気配を自分の中に持っているものだ、と知る。
天地戦争の勝敗は決まったものの、その後の処理に、軍は、日夜追われていた。
戦いが終わったからといって、すぐに生活が良くなるわけではないし、長引いた戦いの傷跡は深く、本当の意味での平和な日常を取り戻すにはまだまだ時間がかかると思われた。
けれど、人々の表情は明るい。
明日とも知れぬ死への恐怖から開放され、生きる希望に輝いていた。
一時期、基地に非難していた一般人も、定住場所を決めて、出て行くことが多くなってきている。
今も、新しく簡素な荷物をまとめ、引越しの準備をしていた家族が、ディムロスの姿を見て、嬉しそうに頭を下げた。
夫婦の間から、幼い男の子が手を振っている。
そういえば、その子供は以前、将来はディムロスのような軍人になるんだ、
と、小さく胸を張って言いにきた事があった。
もうその必要もないのだ、としみじみ思う。
ふと、ディムロスが前方に視線を戻すと、
シャルティエ少佐が、足早に歩いてくるのが見えた。
だが、その姿は、誰かに追われて、必死で逃げているようだった。
焦ったように、時折後ろを振り向いては、また足を速めるというのをくり返していた。
「どうした?シャルティエ?」
「わ!!ディ・・ディムロス中将!!」
声をかけたディムロスの姿を見たとたん、シャルティエは飛び上がる。
「す・・すみません!僕は何も知りません!勘弁してください!!」
「・・・・?何のことだ?」
ディムロスがシャルティエに問いただそうとした時、
「シャルティエ!!見つけたわよ!」
「わっ!!」
その声を聞いた、さらにシャルティエは飛び上がった。
「ハロルド?」
シャルティエの後を追ってきたのは、ハロルドだった。
いつもふざけているような無邪気な彼女らしからぬ、硬い表情をしている。
「どうした?ハロルド。」
不信に思って声をかけたディムロスには、目もくれず、ハロルドは、シャルティエの首ねっこを逃がさぬように掴んだが、シャルティエも逃れようと、必死でその手を振り払う。
「あ・・・・」
ぶない・・・とディムロスが言うよりも早く、ふたりは雪の上に転倒した。
「ふたりして、鼻の頭にすり傷こさえて、どうしたって言うの?」
医務局を訪ねるやいなや、ふたりの顔を見たアトワイトはくすりと笑った。
その笑みはまさしく花がこぼれるようで、それだけで、部屋の中が華やいだ雰囲気に包まれる。
軍一の美貌を誇る彼女にかかれば、シャルティエやハロルドなど子供扱いだ。
そのうえ、並みいる男たちよりも勇敢ときている。
「僕は何も悪くないですよぅ。」
拗ねたようにシャルティエが言って、チラリとハロルドを見た。
「ハロルド博士がいきなり追いかけてきたんです。逃げますよ、普通!」
「なあに?ハロルド。また実験をしようと企んでたの?いいかげんになさいな。」
「違うわよ。」
こちらも子供のように頬をふくらませて、答えるハロルド。
「ちょっと確認したい事があっただけなのに、逃げるのが
悪いんでしょ。」
「ぼ・・・僕は何も知りません!」
ふたりに付き添ってきたディムロスが、その言葉に眉を寄せる。
「そういえば、シャルティエ。私にもそんなことを言っていたな?
一体、何の事なんだ?」
「そ・・それは・・・。」
まさに墓穴を掘り、シャルティエは青くなる。
「シャルティエはね、兄貴の幽霊を見たって、言いふらしてるのよ。」
「ち・・・違いますよ!」
「カーレルの!?」
「幽霊ですって?」
ハロルドの言葉に、ディムロスとアトワイトは、シャルティエの顔を見た。
「ぼ・・僕はただ、黒いコートの人影を見た、というだけでカーレル中将だなんて、一言も・・・・!」
「あ、やっぱり噂の出どころは、あんただったのねー。」
言い終わらぬうちに、割り込んできたハロルドの言葉に気がついて、シャルティエは今度は真っ赤になった。
「ひ・・ひどいですよ!ひっかけたんですね!!」
「語って木の上から落っこちるとは、この事ねー。」
「それは、語るに落ちるだろう。」
ディムロスが冷静な声で訂正して、シャルティエに向き直った。
「それより、シャルティエ。くわしく話せ。」
「くわしい話なんてないですよ。ただ・・・時々、影を見るってだけで。」
「影?」
「ええ・・。時々、なんですけど。ふと人の気配を感じて振り向くと、一瞬だけだったり、黒いコートの裾みたいなものが、角を曲がるのが見えたり。初め、自分の目がおかしいのかと思ったんですけど。」
「そういえば・・・目に異常がないか検査しに来たけど、そのせいだったの?」
アトワイトの言葉に、シャルティエは頷いた。
「それで・・・・他の人間も見てるか、ちょっと確かめてみたんです。」
「それが、噂として広まった。」
「ええ・・・まあ。」
「ふうん。」
ハロルドは、つまらなそうな表情で、その話を聞いていた。
「黒いコート、イコール、兄貴って訳ね。発想が貧弱ねぇ。」
「だから、僕はカーレル中将だなんてひとことも・・!」
「わかってるって。あんたの事を言ってるんじゃないの。でも、あんたの話を聞いて、兄貴に結びつけた人間がいたって事でしょ?誰だか知らないけど、そいつの事を言ってるのよ。」
ハロルドの兄、カーレルはミクトランと刺し違えて死んだ。
言わば、この戦争の勝敗を決めたのは、カーレルだ。
その事が、人々の心に、根付いてる。
だからこそ、シャルティエの話を聞いた人物は、彼を思い浮かべたのだろう。
けれどそれは、けっして悪意からではないのだろう。
皆が心の奥で、慕っていた軍師の死を悼み、悔やんでいる。
「それがナンセンスだって言ってるのよ。
まあ、幽霊だって時点で十分、ナンセンスだけどね。」
「ハロルド?」
「良い?兄貴はね、そりゃ、死にたかった訳ではなかっただろうけど、でも、後悔はしてなかったはずよ。地上軍を勝たせるっていう人生最大の目標に向かって全力を尽くして、どこで手を抜いたわけでも、失敗した訳でもない。
自分自身の手で目的をなしとげたんだもの。化けて出る訳ないじゃないの。」
「化けて出たとは、誰も言ってないだろう。」
ハロルドの言い草に、思わず、ディムロスが言う。
「同じ事よ。自分たちは生きてるのに、死んだ兄貴にすまない、っていう気持ちがどこかにあるから、そういう発想になるのよ。
それが悪意からにしろ善意からにしろ、幽霊になって出るとかでないとか、そんなものは残された者のセンチメンタルに過ぎないわ。
兄貴が死んだのは運が悪かったからじゃない。
本当にもう、皆して」
「初めから決まってた運命だとか、自分は一度死んだ人間だからもう良いんだとか、何言ってるのよ!」
「・・・・・・?」
「・・・ハロルド?」
ディムロスとアトワイトは、そろって彼女の顔を見た。
「何よ?」
当のハロルドは、きょとんとして、ふたりの顔を見返す。
「ハロルド、今のは何を言ってるんだ?」
「何って、何が?」
本気で訳が分からないという表情のハロルドに、ディムロスは間違っているのは、自分の方だろうか?という気分になった。
「初めから決まってた運命とか、なんとか・・・。」
アトワイトが、言いにくそうに、ディムロスの続きを言う。
「え?」
ハロルドは、不機嫌そうに眉をよせ、
「私、そんな事言った?」
大きな目で瞬きを何回かした。
それには、人を騙そうとするいたずら心も、悪意も感じられない。
本気で自分の言った事を忘れてる。
その表情を見て、そう悟ったアトワイトは、言ったわよ、という言葉を、どうしてか言えなかった。
雪が降る。
延々と、延々と降り積もる。
戦いが終わり、外殻を取り除けば太陽が出て、この寒気も少しは和らぐだろうが、それはもう少し先になりそうだ。 「幽霊ねえ。」
シャルティエの言葉を思い出しながら、ハロルドは雪の中を歩いていた。
「まったくもって、非科学的よね。だけど・・・。」
幽霊でも良いから会いたい、と思ってくれる人がいるほどには。
「意外と慕われてたみたいよ?兄貴?」
空に向かって話しかけ、にっこりと誰も見ない所へ笑顔を向ける。
そして、ふと。
自分はどうなのだろう、と考えた。
「バッカみたい。」
考えるまでもなく。
会いたいに決まってる。
幼い時から片時も離れず、誰よりも味方でいてくれた人。
そして、うんと小さい頃、ハロルドにとっては、全てであった事もある人だ。
この雪が、このまま吹雪いて、迷子になってしまったとしても。もう昔の様に、助けにきてくれる人はいない。
そう思いハロルドは、しん、と胸の中心が冷たくなったのを感じた。
今度、その影を見たら知らせるように、といういいつけをシャルティエは、きちんと守った。
知らせを受けた夜、ディムロスの部屋に、こっそりと4人は集まった。
「今度はどこで見たの?」
アトワイトが、まるで子供をあやすかのように、優しく問いかける。
「それが・・・・。」
シャルティエがチラリ、とハロルドの顔を見る。
「ハロルド博士・・・。何か僕たちに隠してません?」
「はん?」
ハロルドは疑わしそうに見ているシャルティエを、見返す。
「何の事よ?私が?」
「ええ。正直に言ってください。本当は全部、ハロルド博士が仕組んでるんじゃないんですか?」
「どういう事よ?」
眉をきりり、と吊り上げて睨み返すと、シャルティエは拗ねたように、口を尖らせた。 人の上に立つには問題のある性格だ、と何かにつけて言われるが、こういう面を見せられると憎めない、というのもシャルティエの持ち味だわ、とハロルドなどは思う。 「僕、思い出したんですよぅ。」
「何を?」
「黒いコートの影です、それが現れるのは、いっつもハロルド博士のラボの近くなんです。」
「ハロルドの?」
「そう。前に角を曲がるの見たって言ったでしょ?あれもハロルド博士のラボへ通じる道なんです。だから・・・。」
「私が兄貴の幽霊を呼び出してるとでもいう訳?」
「そうじゃなくって。全部、ハロルド博士のいたずらなんじゃないかと思って。」
「シャルティエ、それはないだろう。」
ディムロスが言った。
「確かにハロルドはこういう性格だがな。カーレルの・・・大事な兄の死を利用するような真似をするほど、無神経じゃない。いくらいたずらでも、それでは度が過ぎる。」
「そういう事。でも、こういう性格ってのが余計だわ。ディムロス。」
「・・・すまん。」
「ふたりとも、僕の話を最後まで聞いてくださいよ。」
少しだけ和やかな雰囲気になった場に、シャルティエの不満そうな声が響く。 「違ったんですよ。」
その言葉に、全員が振り返って、彼を見た。
「え?」
「違ったって、何が?」
「だから、影が、です。カーレル中将じゃなかったんです。」
どうして、はっきりと断言できるのか?という疑問を全員が抱いた。
それを察したのか、シャルティエが促されるよりも早く、続きを口にした。 「今回、僕、はっきりと影を見たんです。ちょうど、ハロルド博士のラボの前を、通りかかったとき、目の前に、ふわっって、いきなり現れたんで。」
「・・・・・それで?」
「誰っていうのは分からないんです。もしかしたら、モンスターかも。でも、カーレル中将じゃありませんでした。
その影って言うのは、」 「顔に、竜の頭蓋骨みたいなのを、かぶってましたから」
バタン!!!
と大きく椅子の倒れる音がして、気がつくと、ハロルドが外へと飛び出していく後ろ姿が見えた。
「ハロルド!?」
あまり人のいない廊下に、ハロルドの走るブーツの音が響く。
____________あいつだ
『誰の事よ?』
ハロルドは何がなんだか分からないまま、自分が走っている事に気がついた。
____________あいつの仮面だ
『何の事?』
自分で自分の行動が理解できない。
そんな事があるだろうか?
だけど、勝手に体が動いている、としか説明できない。
自分が、どこに行こうとしているのかすらも、分からない。
この私がそんな事を?
分かっているのに、気がついてないだけだろうか?
何かを。
何かを忘れていないだろうか?
全力で走って、角を曲がって。
__________どこにいるのよ?
『この私が、そんな行動取るなんてありえないわ!』
混乱している。
体と頭とが、別々で、それぞれが意思とは関係なく動いていた。
そのうえ、この混乱の理由さえ、分からない。
ハロルドは自分のラボへと、飛び込んだ。
「ハロルド?」
息を切らして、アトワイトが追ってきた。
ハロルドは自分の部屋の中で佇んでいる。
たった、それだけの事なのに。
照明のついていない部屋の、闇の中から白い手が現れて、彼女を連れて行ってしまいそうで、アトワイトは怖くなった。
「ハロルド?」
ハロルドは、近くで、アトワイトの声を聞いた。
混乱はそこまでだった。
「何?」
ハロルドはアトワイトを振り返った。
その顔はいつも通りの、意思の強そうな紫の瞳を輝かせていた。
「どうしたの?いきなり走り出して。」
何事かは知らないが、いつものハロルドと違うものを感じて、慎重に、アトワイトが聞くと、ハロルドの方は、人差し指で自分の額をとん、と指すと、う〜ん、とうなった。
それは普段通りの、彼女の仕草だった。
「シャルティエが。」
暗いラボの中に一瞬、視線を走らせると、ハロルドは、何事もなかったかのように、アトワイトの方に向かった。
「モンスターかも、って言うから。データ取ろうと思って。」
そして、ハロルドは踏み出した。
彼女の、現実の。
光の方へと。
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