「綺麗。」
そう言って、ハロルドは足を止めた。
その視線の先を追い、全員が理解不能の表情を浮かべる。
そこにあったのは廃墟だった。
少なくとも、決して美しいと形容されるものではない。
だが、ハロルドはその小さいまま終わってしまった、ひとつの世界の残骸を、愛しそうに眺めていた。
ファンダリア領土の、ある街に入ったその時の事だ。
宿を探していた一向が、街のほぼ中心に、見慣れぬ建物郡を発見したのは。
それは廃墟には違いなかったが、ところどころが荒んでしまった建物の壁は、色とりどりの着色で、色々な模様が描き込まれている。その間にはサビの浮いた太い鉄のパイプや、すでに分解され、残骸と化した何かのカタマリ。
「・・・プレイグランドか?」
目を凝らし、遥か昔の記憶を探るようにして、ロニが言った。
「え?これが?」
それを聞き返すカイルの声は、心なしか弾んでいる。
「ああ、たぶん、な。」
「こんなところにあったんだ〜。」
「見たところ大分古いみたいだし・・もう動いてないみたいだがな。」
ふたりは言い、それぞれ納得したように頷きあった。
「プレイグランド?」
ナナリーが言い、ふたりに習うようにして、残骸に目を凝らす。
「へ〜・・・。あたしは初めて見るよ。」
そして一同はこの街が、ファンダリアの端に位置し、港が近い訳でもないのに、やけに大きい理由に思い当たった。
ここには遊園地があって、そこを目的とした行楽客から収入を得ていた為に、街が栄えたのだろう。
そこに通りかかったおばあさんに、カイルが話しかける。
無邪気なカイルの態度に微笑んだ後、街に古くから住むおばあさんは、18年前の騒乱の後、レンズを使わなくなった事により、レンズを原料として動いていた機械が全ての動きを止めたのだ、と教えてくれた。
それはここだけの話ではない。
元々、プレイグランドは各地にあり、その頃人々に親しまれていたが、騒乱以降は衰退の一途を辿っている
。
騒乱時に5歳だったロニは、何度か遊んだ記憶も曖昧ながら持っているようだが、カイルなどにはプレイグランドは本当に僅かに残る、幻の王国のようなものだ。
聞いた事はあっても、実際に見るのは残骸とはいえ、初めてのことだ。
「へ〜?私の時代にはあったのに?」
話を聞き、首を傾げて言ったのはハロルドだった。
遥か昔にあったものが、今ない、という事、そしてつい最近まではそれがあり続けたという事の両方に、興味をそそられた、という顔をしている。
「戦争をしていたのと言うのに・・・。」
ジューダスは言う。
必要以上に、踏み込まないように。ただの、時代の違いに対する興味による質問、で終わらせられるように。
「遊んでいる時間などあったのか?」
「ん?そりゃあね。いくらドンパチやってても、人間には楽しみも必要だわ。生きていく為にね。」
「・・・・・そうか。」
ジューダスは言い、その後、ふつりと黙った。
ハロルドは別段気にもせず、私の時代のはこれこれこういうのがあったけど、ここにもあるのかしら〜などと言いながら、立ち入り禁止の札の下がった鉄の門の向こうを、背伸びをしながら覗き込んでいる。
その姿に、ジューダスはひっそりと溜息をついた。
時々、こうやって意識して距離を置こうとしてしまう。
そういう自分の態度に気がつくと、少なからず、ジューダスは嫌な気分になる。
それはそうと思わないままの敗北を意味する。
相手の次の手も読めないうちから、白旗を掲げているのと一緒だ。
少し前、王都ハイデルブルグで、ジューダスは致命的な傷をハロルドに負わされた。
「ね?」
ハロルドは言い、ジューダスを振り返る。
過去の事を思い出していたジューダスは、それで我に返って現実に立ち戻った。
「・・・なんだって?」
聞いてなかったわね〜とハロルドは頬を膨らませ、
「木馬とかある?って聞いたの。」
と目を輝かせて言った。
まるで、お気に入りのおもちゃをおねだりする子供のようだ。
「・・それは僕に対する質問か?」
それに対して、そっけなく、ジューダスは答える。
ジューダスはプレイグランドになど、生まれてこの方、行った事はない。
「うん。もしもあったら、乗って欲しかったのに。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕が、か?」
「思いっきり否定形の質問で返してくれて、どうもありがとう。」
これ以上ないというほど凶悪なジューダスの表情も、ハロルドには効果はない。
にっこり笑い答える顔は、ジューダスが一方的に距離を感じる特殊な状況も何もなかった、出会ったばかりの時のものとひとつも変わっておらず、何も気にする事はない、とジューダスは思う。
だが、こういう風に考えることは、あの後、何度もあった。何度も言い聞かせるようにして。
まるでその考えに縋っているかのように。
それはとても寒い日だった。
エルレインを追ってこの時代に舞い戻ってきたばかりのハイデルベルグで、しばらく滞在していた時の事だ。
理由は忘れたが、その日、ジューダスはハロルドを迎えに、街へと出ていた。
雪は降ってこそいなかったが、一面を白く染めた国では、空気が冷たかった。
これで、春が近いというのだから、呆れるを通り越し、むしろ感心する。
では、冬の時期はさぞかし、寒さが堪えるだろう。
石畳を足音を鳴らしながら進み、その音に耳を傾ける。
石さえ芯から冷えて、凍りついているかのような固い音だ。
視界は、屋根といわず、樹木といわず、白い綿のような雪を被り、ほんの少し差し込んでいる光を吸い込んで光っていた。大きく太陽が顔を出せば、もっと大きく反射の光を放つだろう。あるいはそれが、この地方の春の景色なのかもしれない。
そう思いながら、吐き出した息は、やはり白い。
以前、任務の為に、今の国王に伴われてこの地を訪れた時は、今ほど寒さを感じなかった気がする。あの時、季節はいつ頃だっただろうか。
・・・もう忘れた、とジューダスは思った。
たぶん、ここだろうと目指していた、博物館に着く頃には、またちらほらと雪が降り出してきていた。
ジューダスは入り口で1度、肩から黒いマントを外し、雪を落とす。
それは、全てをはらう前に溶けて、マントの上で、小さな水玉を作った。
しみになるほど濡れている訳でもないので、それを気にしない事にした。
ここにいるだろう、と思った2階に向かいながら、階段からジューダスは呼びかけた。
「ハロルド。」
以前、ここに来た時、不用意に名前を呼んで、入り浸っている学者に、ぎょっとしたように見られた事を思い出す。
まさか、それが自分が尊敬している、ハロルド・ベルセリオス博士その人だと気がついた訳でもないだろうが、なんとなく面倒な気がして、呼びかける声が小さくなった。
だが、いるなら、それでも彼女は気がつくだろう。
すぐに答えてくるかと予想していた声は、聞こえなかった。
ジューダスは2階から3階への階段を上る。
木製の床は、コツ、コツと今度は、乾いた音をたてた。
「ハロルド。」
灯りが落とされているからか、薄暗い室内に、ぼんやりと浮かぶような小さな姿を見つけて、ジューダスは声をかける。
ハロルドはこちらに背を向けていた。
床に時下にぺたんと座り、ハイデルベルグで買った、お気に入りとやらの長い赤いコートの裾が、足を覆い隠すように広がっている。
「・・・ハロルド?」
一瞬、声をかけるのをためらったのは、ハロルドがいつもと違って見えたからだ。
ぼんやりと、存在感は薄く。
その背中が、考え事に没頭しているいつもよりも更に、無防備に小さく見える。
「ハロルド。」
もう1度、今度は前よりも大きな声で呼びかけると、ハロルドはゆっくりとした動作で、振り返った。
その表情がどこかピントがずれている。
自分の方を見ていながら、自分の姿を透かせて、後ろの壁を見ているような。
「どうした?」
少しだけ嫌な感じを覚えて、ジューダスはいつもよりも早口に問いただす。
纏わり着く空気をそれで追い払うかのように。
「ああ、ジューダス。」
どこかに意識を彷徨わせたままのような口調で、ハロルドが、今ジューダスが来た事に気がついたという感じで言った。
「・・・いたのね・・・。」
いて悪いか?といつもなら叩くであろう、憎まれ口が、口をついて出なかったのは何故だろう。
そう思いながら、ジューダスは近づく。
それを目で追うハロルドの表情には、いつもの活発な動きがない。
ぼんやりとこちらを見ている。
「・・・・・どうした?」
思わず、ジューダスが聞くと、ハロルドはゆるゆると視線を壁に向けた。
その視線を追った先には、かつての自分の仲間たちが、ある者は微笑み、ある者はきりりと引き締めた精悍な表情をつくっている。
それを懐かしく思うほど、ジューダスにとっては遠い過去ではない。
そして、心になんのわだかわりもなく、その額縁の中の顔を見返せる訳もない。
ジューダスは、直視するのを避けた。
「それで、どうした?」
「うん・・・。」
「なんだか、変だぞ?おまえ。」
やがて、ハロルドは、その視線をジューダスに向けた。
その紫色の瞳は、泉のように神秘的で、瞳を保護する水をたっぷりと湛えて、潤んでいた。
その時、今までのぼんやりとしていた態度とは打って変わったようなすばやさでハロルドは立ち上がった。
「・・・・・!?」
いきなりジューダスの視界は暗くなる。
「あんたが・・・。」
顔を覆うやわらかい感触に、ジューダスは、ハロルドが、自分の目を塞いだのだと、気がついた。
細く華奢な指が頬にかかるのを感じ、戸惑っている間に、ハロルドは言った。
「あんたが悲しい・・・。」
「・・・・・・・・。」
『あんたが悲しいの・・・。』
そう言ったまま、しばらくハロルドは黙った。
あの時、自分の目を閉じさせ、一体何を隠したかったのだろう。
それは今でもわからない。
ハロルド自身の表情だろうか。
それとも。
自分にとって、参加する事すら拒否をし続ける灰色の世界、だろうか。
その後、なにがあった訳でもない。
話し合うこともなければ、その件に触れることも、2度となかった。
けれど、あの時の、言葉と目を覆った手の感触。それは確実ななにかだった。
音もなく、風に揺らされることもなかった湖面への投石だった。
過去の事をとやかく言われれば、舌打ちのひとつでもして返しただろう。
だが、あの時のハロルドの一言は、あまりに適切で、胸を抉って、痛くて、言葉もでなかった。
痛いのは自分の事ではなかった。
目を覆われるまでの一瞬の間に見た、ハロルドの表情は、明らかに動揺と憂いを含んでいた。
それが脳裏から離れない。
あの時、自分の過去の過ちと、それに対する世間の対応とが、後になり、関係ないはずのハロルドをこんなにも打ちのめすとは思ってもみなかった。
全てを見通して、いつだって自信に溢れている女が。
あっけなく風で、糸の切れる風船のように。
そして、それに対して。
こんなにも、恐ろしいほどの罪悪感を自分が抱くのだ、と。
思い知った。
それは果たして、カイルや他の誰にでもそうなのだろうか。
そう思い、さらにジューダスは・・・自分が踏み込んではいけない、領域に、踏み込んだ、と思った。
空は今にも雨雲のカーテンで覆われそうだ。
図書館の窓から見える景色に、ジューダスはふと本に落としていた目線をあげた。
見えるのは灰色一色の空だけで、風に流される雲の動きさえ見えない。
ジューダスは、ひとつ溜息をつき、右手で頬杖をついた。
手元に引き寄せた本は、没頭するほどのものではなかった。もうすでに1度読んだものだ。
それを選んだのは、読み直したかった訳ではなく、ここは図書館にも関わらず、並べられている本があまりにも少なかった為だ。
寒冷地帯のこの国には、ほとんど太陽が顔を出さない。それでも、ファンダリアの中でも南に位置する為、春と言われる季節が、一応はあるらしい。今がその季節だが、そのため、この時期はめったに雪が降らない。
なのに、この街は、王都はハイデルブルグに比べ、覇気が感じられなかった。
長い間眠れる姫を守っている森のように、何かが足りなく、それを補うことを知らない、そんな気がする。
そのうち歴史から忘れ去られ、それを良しとするような。
そんな後ろ向きで、流されやすい空気を感じる。
ジューダスはもう1度溜息をついた。
そして再び、1度読んだ本を読み直そうとした時、トントン、という軽いがしっかりした足音が階段を上ってきた。
その音には聞き覚えがある。
意志が強く、野生の雌鹿のような彼女の足音だ。
「・・・ナナリー。」
思ったとおり、揺れる赤い長い髪が階段から現れて、ジューダスは声をかける。
きょろきょろと狭い図書館の室内を覗いていたナナリーは、ああ、ジューダス、とほっとしたような声を出して近づいてきた。
どうしてだか、ナナリーは図書館が嫌いだった。
ここに来ると場違いな気がして、心もとなくなる、と言う。本に獲って喰われる訳でもないのに。
「・・・どうした?」
そのナナリーがひとりで、図書館に来るなど、なにか用事があるに決まっている。
そう思い、ジューダスが言った。
うん、それが、とナナリーは返す。
「ハロルド、いないかと思って。」
「ハロルド?」
確かにハロルド=図書館だろう。
「・・いや、いないが。あいつを探してるのか?」
「うん。別にたいした用じゃないんだけどね・・・。お昼、結局食べに戻ってこなかったから。」
宿で、しばらく待っていたが、一向に戻ってくる気配のないハロルドを抜いたまま、全員が先に食事をとったのは、今日の昼の事だ。
今、時刻は、夕方に近くなっている。
「・・・部屋には?」
真っ先に探したに決まっていると思いながらも、ジューダスは一応聞く。
案外盲点かもしれない。ハロルドは何かに夢中になると回りが見えなくなる。
外でなにかを見つけ、そのまま部屋に篭ってしまったという事も、ありえないことではない。
「いなかった。それで図書館かと思って来たんだけど・・・。」
「残念ながらここにはいないな。昼を取った後、すぐに僕もここに来たが、ハロルドの顔は1度も見てない。」
「そうか。」
う〜ん、とナナリーは唸る。
「どうした?」
ハロルドがどこかに出かけて、帰ってこないことなど、めずらしくもない。
ジューダスがそう言うとナナリーは、ますます眉を寄せて、ジューダスを見返してくる。
「そうなんだけど・・・。」
言いながら、ジューダスの横の椅子を手前に引き、そこにナナリーは腰を下ろした。
「実は・・・朝も食べてないみたいなんだよね。」
ジューダスは肩眉を上げる。
「朝食も、か?」
「うん。」
朝食の席に、ハロルドはいた。
8人掛けのテーブルの、一番端に座り、目の前には食事が用意されていたはずだ。
だが、そういえば。
「・・・コーヒーを飲んでいる姿しか、見てないな。」
「だろ?」
それに対して、ナナリーも頷く。
「宿屋のおかみさんに確認したら、まるっきり手をつけてない食事がひとつ、余ったらしい。人数分しか用意してないのに、変だな、って思ったって。それがどうやら、ハロルドみたいなんだ。」
「・・・用意されてたのに、食事に手をつけなかった・・・。」
「そう。だから、もしかしたら具合でも悪いのかな、って。」
「・・・・・。」
たぶん、それは違うだろう、とジューダスは思った。
「とりあえずさ、もしもハロルドが来たら・・・。」
ナナリーが最後まで言わなくても、伝わった。
ジューダスは軽く頷く。
「そうだな・・・。僕はしばらくここにいる予定だしな。もしもハロルドを見かけたら宿に帰るように言っておこう。」
「頼むよ。」
じゃあ、と言ってナナリーが背を向け、階段を下りていく。
ツインテールが階下に消えるのを見届け、しばらく待つ。
そしてジューダスは読んでいた本を閉じ、おもむろに立ち上がった。
サビの浮いた扉はキシキシと音をたてながら、内側に開いた。
もともと、立ち入り禁止の札を下げているとはいえ、脆く細い鉄で組まれた扉だ。
蹴っ飛ばせば、簡単に開くだろうと考えていたが、そこまでするまでもなかった。
実にあっけない。
耳を澄ませ、ジューダスは停止した園内で、立ち止まる。
かつて人が大勢出入りしていた場所というのは、廃墟になってしまうと墓場のように感じられる。
それが楽しみと喜びを吸い込んでいた分、同じ位の負のエネルギーを持って、悲しさと虚しさを吐き出しもする。
ジューダスの目の前は、かつてミラーハウスだったと思われる建物だった。
その向こうから、カンカンと金属を叩く音がする。
居場所を見つけ、そこへと、ぐるりと回り込んで向かう。
「・・・ハロルド。」
姿は見えないが、ここだ、と確信してジューダスは呼びかけた。
「いるんだろう?ハロルド。」
やがて、ん〜?という緊張感のない声がして、大きなコーヒーカップの向こうから薔薇色の髪がひょっこりと現れた。
「はら?ジューダス。どしたの?」
その頬に黒い油をつけた顔で、ハロルドは不思議そうに言った。
手には大きめなねじを留めるためのスパナを握ったままだ。
「どうした、ではない。ナナリーが探していたぞ。」
「ナナリーが?なんで?」
ジューダスが言うと、本気で不思議そうな顔でハロルドは言った。
痒いのか、ごしごしと手の甲で、鼻の下あたりを擦っている。
それに対して、ジューダスは少しだけ眉をあげて、言った。
「・・・食事をしていないそうだな?」
「あ。」
「具合でも悪いのかと心配していた。」
「あらら。」
ジューダスはゆっくりとハロルドに近づく。
手前で足を止め、大きなカップの上に手を置く。
「これを、修理していたのか?」
「・・うん。」
「それで食事も取らなかった、と?」
「だって・・あんまり欲しくなかったから・・・。」
何かを始める時、ハロルドは大概、食事をしなくなる。
それが熱中できるものであればあるほど、上の空になり、比例するかのように食欲もなくす。
どういうメカニズムかは知らないが、合理的とも思えない。
だが、それをこの天才に言ったところで、納得をして言う事を聞くとは思えない。
ジューダスはそのまま話題を移した。
「何故だ?」
「うん?何?」
「どうしていきなり、ここを修理しようなどと・・・。」
「ああ、その事。」
よいしょ、と声を出しながらハロルドは修理中のコーヒーカップの向こうから抜け出してきた。
「皆で遊ぼうと思って。」
「・・・・・ここで、か?」
「そう。」
ハロルドは大きく伸びをして、それから、ぱっと笑った。
「行った事ないでしょ?あんた。」
「・・・・・。」
「まあ、小さい頃を取り戻そうっていうんでもないけどさ。1度くらい、良いと思わない?そういう思い出を作っても。・・・折角自由になったんだし。」
“自由”の言葉の意味を、ジューダスは重く感じた。
幼い頃、憧れたことがあったか、と言われれば、実は1度もない。
ありのままを受け入れる能力は幼い者の方が優れている。
だから、自分に子供時代の幸福な時間が欠けていると知ったのは、最近になってからだ。
けれどハロルドには、それでは悲しく思えるのだろうか。
誰にも理解されず、孤独だった自分が。
一瞬、またしても博物館でのハロルドの姿が浮かんだ。
たったそれだけの事の為に・・・。
「どうして、だ?」
「今度は何?」
「どうして、お前は・・・。」
「・・言っておくけど、あんたに同情して、とか可哀想って思って、とかそんなんじゃないからね?」
心の中を見透かしたように、ハロルドがぴしゃりと言った。
「確かに幸福とは言えないかもだけど。そんなもの、他人が勝手な価値観で決めるものでもないわよ。違う?」
「・・・・・。」
「私だって、幸福な時間ってやらが人よりも少ないらしいしね。まあ、変わり者って言われて友達もいなかったし。プレイグランドなんて、私だって行ったことないもの。お互い様なのに、同情もなにもないでしょう。」
「・・・・・だからか?」
「そう。だから、よ。悪い?折角友達と一緒にいて、楽しそうなものが目の前にあったら、やってみたいじゃない!」
・・・本当はそれだけじゃないんだろう?
そう思った言葉をジューダスは呑む込む。
そうやって表面上の理由だけを並べられても自分には分かる、という事を。
言えば、そこに、どうしてという疑問に対する、答えが必要になる。
「回転木馬に乗ってみたかったのよね〜小さい頃!」
鼻歌まじりにハロルドは言う。
ジューダスは、思わず苦笑し、そうか、と短く答えた。
「雨が降りそうだ・・・。」
「ん〜?」
早々と作業に戻ろうとする背中に話しかけたが、ハロルドは振り向きもしない。
「降る前に、帰って来い。それくらいの自制心はあるんだろうな?」
それに対しては、カップの向こうから、抗議をするためにハロルドは顔を覗かせる。
ぷ〜と頬を膨らせていた。
「しっつれいね〜!ちゃんと帰るわよ!誰に向かって言ってんの!?」
想像通りの反応に、ジューダスは笑った。
「・・だったら、良い。」
「誰が誰にものを言ってる、だ?」
ジューダスの声には怒りが含まれている。
それを感じ取って、ハロルドはふとんの中に顔を埋める。
隠れようにも、そこしかないのだから、仕方がない。
「あれほど言ったのに、子供か?お前は。」
結局、あの後。
本格的に雨が降り出したにも関わらず、もうちょっともうちょっとと帰るのを先延ばしにして作業を続けたハロルドは、帰ってきた後、盛大に熱を出した。
折角、全ての修理が終わったというのに、そのおかげで「プレイグランドで、皆と遊ぼう」どころではない。
「ジューダスのいじわる・・・。」
ふとんの中から、目だけを出し、ハロルドが情けない声で言った。
「何か言ったか?」
それに答えるジューダスの声は不機嫌そのものだ。
「私は病人なんだから・・・もう少し優しくしてくれたって、バチは当たらないと思わないの?」
「思わない。」
「速攻、否定!?」
もごもごと小声で言うハロルドの文句はふとんの端に吸い込まれて、はっきりとは聞こえない。
ジューダスはそんなハロルドに一旦背を向け、ナナリーがパンでつくったかゆを手に戻ってくる。
「ほら。」
「・・欲しくな〜い。」
「・・・これ以上の皮肉を受けたいのか。いい度胸だ。」
「う〜・・・。」
ハロルドはしぶしぶといった感じに、かゆの器を受け取る。
持ち合わせている毛布で包み、ハロルドが起きたら食べさせてやっておくれ、と言いながらナナリーが置いていたかゆは、まだ湯気がたっていた。
ハロルドは、ふ〜ふ〜と息を吹きかけながら、それを口に運んでいる。
ジューダスはハロルドの部屋から窓の外を見る。
この間とうって変わって、晴れあがった青空だ。
太陽の光は穏やかで、少し薄い。
これがファンダリアの春だ。
「ごちそうさま・・・。」
カラン、と音をたててスプーンをおき、ハロルドはのそのそとベッドの中に潜り込む。
その仕草に覇気がない。やはり具合の悪い者の仕草だ。
「大丈夫か?」
ジューダスは言い、ハロルドの額に手を当てる。
子供のように丸くて広いおでこは、やはり熱を放っている。
「カイルたちは?」
ぼんやりと天井を眺めたまま、ハロルドが言った。
「プレイグランドに行ってる。」
「早速、行ったの?」
「違う。「綺麗にしておくから、ハロルドが治ったら一緒に遊ぼう」という伝言を預かった。サビを落としにいくそうだ。」
ハロルドは、最期の仕上げにサビ落としを計画していた。
熱を出したハロルドの代わりに、カイルたちがそれを引き受けた、という訳だ。
「少し、寝ろ。」
「ん。」
ハロルドが目をつぶる。
そのすぐ後に、寝息が聞こえてきた。
具合が悪いと人間は、目をつぶったと同時に眠りに入れる。
その表情はまるで、子供だ。
もともとの童顔というのもあるが、無邪気で、なにものをも恐れない大胆さと力強さが、そこにはある。
それを人は無敵という。
ジューダスはその顔を見守りながら、思う。
確かに、こいつは無敵だ。
けれど、今は少しの風で割れる風船と同じ。
儚く、無防備で、脆い。
「・・・なにが、お前をそんなに疲れさせるんだ。」
この世界の、なにが。
ハロルドがプレイグランドの修理に夢中になったのは、なにも、自分に子供時代を取り戻させようとした訳でない。
それも多少は理由としてあったかもしれないが、本当の理由は、そんな事では。
ジューダスにはそれが、本当は、分かる。
その胸中に渦巻いている、矛盾と、葛藤の、その原因も・・・予想できる。
馬鹿げている、と自分でジューダスは思った。
自分には分かる、などと。
それでは、惚気ているのと同じではないか。
ハロルドのあどけない寝顔を見ながら。
そう、思った。
喉の渇きを覚えて、ハロルドは目を覚ました。
窓を見れば、もう外は暗い。
ゆっくりと床に、裸足の足をつけるとひんやりとした床の感触が伝わってきて、思わず身震いし、ハロルドは急いでスリッパの上に足をつっこむ。
立ち上がって、ナイトデスクの上のコップに、水差しから水を注いだ。
それを飲みながら、体がだいぶ軽くなった事を感じる。
もう、3日も臥せっていたのだ。
そろそろ病魔も退散したのだろう。
具合が良くなってくると、それまで億劫で出来なかったことが、無性にしたくなる。
スリッパをぺたぺたいわせながら、ハロルドはバスルームへ行く。
バスタブに暖かい湯を注ぎ、溜まるまでの間に上がった時の為の着替えなどを用意した。
ジューダスに見つかりでもしたら、まだ早いと怒られるだろうが、もう3日もおフロに入ってないのは、却って衛生上良くないに決まっているし、なによりも、我慢も限界だ。
髪の毛も肌もべとべとしているように感じる。
たっぷり暖まって、湯冷めしないように気をつければ、きっと平気だろう。
そう思いながら、鼻歌を歌いながら、ハロルドはお湯のなかにお気に入りのバスボムを入れる。途端、立ち上る香りと共に、シャワシャワと軽い音をたて泡も立ち上ってくる。
「あ〜、ヒサシブリv」
わくわくしながら、ハロルドは今まで着ていたパジャマを脱いだ。
全身を思う存分洗い流し、バスタブに身を沈ませていた時だ。
バスルームの外から、物音が聞こえてきた。
耳を澄ませば、よく知る足音が、なにやら、部屋の中を行き来している。
「ハロルド?」
声の主は、バスルームの向こうから話しかけてくる。
「・・・なに〜?」
あちゃー見つかった、と思いつつ、観念して返事をすると、
「・・・なにをしている?」
予想通りの不機嫌そうな声。
「なにって、おフロ入ってるの。」
「・・・もう具合は良いのか?」
「うん。」
だからと言っていきなり風呂に入るな、と怒るだろうと思っていた予想は、外れた。
「なら、フロからあがったら暖かい格好をしろ。」
「うん。」
「・・待っている。」
うん?とハロルドは首を傾げる。
ジューダスが、自分を待つ?
確かにそう言った。
ジューダスが?自分がおフロからあがるのを?部屋で?それとも自分の部屋で?どういう事だろう。
なんだか分からない事で、落ち着かない気分になり、ハロルドは早々にバスタブから出た。
幸い、じっくりと暖まった後だ。
もう少し暖まっていようと思ったが、ジューダスの事が気に掛かる。
慌てるようにして、用意していた服を着てバスルームから出ると、ジューダスは優雅にもハロルドの紅茶を勝手に入れて、飲んでいた。
宿の部屋に備え付けられている丸いテーブルには、もう一客、カップが用意されていた。
紅茶は湯気がたっている。
そろそろハロルドが出る頃だと見越して、あらかじめ入れておいたものらしい。
まるで、お茶会だ。
「どうしたのよ?あんたが待ってるなんて。」
ハロルドが言うと、ジューダスは、目の前の席を示した。
そこに座れ、という事らしい。
なんだか犬のようだわ、と不満に思いつつ、渋々とハロルドはそれに従う。
「なに?何かあったの?」
身を乗り出すようにして問いただすハロルドと対照的な落ち着いた仕草で、紅茶を一口飲み、ジューダスが言った。
「出かけるぞ。」
「・・出かける!?」
ハロルドは驚いて声をあげる。
「ああ、もう少し体を温めてからな。湯冷めでもしたら洒落にならん。」
「出かけるって、どこ行くのよ?」
それには答えず、ジューダスは紅茶を飲む。
ムッとしながらもハロルドは、目の前の紅茶を手に取った。
湯上りには冷たいもののが良いのだが。
暖かい飲み物もなかなか美味しい、と思いながら。
ジューダスは夜の中を縫うように歩いた。
颯爽とした歩き方はいつもの事だが、その歩調は普段よりも遅い。
後ろからついていくハロルドを気づかっての事だろう。
冴え渡るような夜空に、無数の星が煌いていた。
自分の時代では見た事がない風景はいつでも心を奪ってくる。
何度も見ているのに、星空を見ると、ハロルドはつい口を開いて、見入ってしまう。
少しだけ立ち止まると、ジューダスも立ち止まった。
だから少しだけ立ち止まると歩き、また立ち止まると歩く、を繰り返した。
ジューダスは別にイラついたりせず、ハロルドが星に見惚れるのにも、辛抱強くつきあってくれていた。
湯冷めしないまで体を十分に乾かし、何重にも暖かい服を着こんでいるのに、春とはいえ、やはりファンダリアの夜は冷える。
赤いコートの襟元を掴んで歩いていたハロルドの前で、いきなりジューダスは立ち止まった。
「・・・?」
なに?とハロルドが、ジューダスの顔を覗き込もうとした。
その瞬間。
「・・・な、なに?」
思わず驚いて声をあげてしまった。
まぶたの上に、ジューダスの指の感触。
暖かい手のひらが、顔の半分を覆っている。
いきなり視界を奪われても、怖くはなかった。
ジューダスと一緒なら、不安に駆られることもない。
それよりもその行動の意外性が、気にかかる。
「なんで、目隠し?」
「いいから、こっちだ。」
ハロルドの抗議の声にも耳を貸さず、ジューダスの目をふさいでいるのと違う手が、柔らかくハロルドの肩を引き寄せた。
そうして、視界を奪ったままでハロルドの肩を抱き、エスコートするかのように、再び、歩き出す。
目の見えないハロルドは、その分、耳の感覚が研ぎ澄まされる。
段々と近づいてくる、がやがやと騒がしい声。
浮かれている空気が感じられ、アコーディオンの懐かしいような素朴な音が音楽を奏でている。
やがて、ジューダスは目隠しをしていた手を離した。
「ほら。」
言われて、目を開け、そこで目の当たりにしたもの。
その光景に、ハロルドは息を呑む。
そこは、さながら光の洪水だった。
とても太陽が沈んだ後とは思えないほどの、光の渦が夜を照らし、まるでどこか別の世界に迷い込んだかのようだった。
色とりどりのペンキで描かれた絵は、下手でも温かみを感じるものばかり。
それが古い機械たちを、誇らしげに飾っている。
サビもすっかり落とされたプレイグランドは、息を吹き返していた。
「あ!あのお姉ちゃんだよ!!」
と、子供の声がした。
え?とハロルドが振り向くと、ひとりの子供がハロルド目掛けて駆けてくる。
子供は一歩の距離を置いて立ち止まり、ハロルドを嬉しそうに見上げた。
それを合図にしたように、ハロルドの周りに次々と、町の住人たちが集まってくる。
その顔を誰も彼もが、笑みで輝やかせ、眠っていたかのように覇気が感じられなかったこの町の人のものとは、まるで別人のようだった。
「ありがとう。」
皆は口々に言った。
「あんたが直してくれたんだってね。」
「またここが動いているのを見られるなんて、夢のようだよ・・・。」
「ずっとこの子に、話して聞かせていたの。ここは昔、おとぎの国みたいに綺麗だったんだよって。これでやっと、本物をこの子に見せてあげられる・・・。」
ひとりひとりが礼を言い、幸せそうに微笑むと、彼らは時間がもったいないとばかりにいそいそと、またプレイグランドに戻っていく。
「・・・どういう事?」
やっと我に返ったようにして、ハロルドが言葉を紡いだのは、町の人たちが全員、いなくなった後だった。
「昨日の事だ。」
ジューダスは言った。
「カイルたちがサビを落としているのを見て、ここの機械が本当に直っていると、町中の人が気がついたらしい。その前からお前が、ここで作業しているのを、子供たちが見ている。」
「・・・・・。」
「それで、願いが叶えられた事を、町の人たちは知った。・・・ここが再び動く事を、長い間、町中が望んでいたそうだ。何度も直そうとしていたらしいが・・・レンズの力に頼っていたからな、以前は。レンズが使えないなら動かないものと諦めていたのだそうだ。」
「・・・・。」
「安心したか?」
「・・なにが?」
ハロルドは聞いた。
顔はプレイグランドの方を向いて、ジューダスを見ない。
賑やかで楽しそうな雰囲気に、気をとられているようなフリをしているが、そうではない、とジューダスには分かっていた。
こちらを見ていなくても。
ハロルドは、耳の感覚を研ぎ澄まし、ジューダスの存在も、言わんとする事も受け止めようとしている。
ジューダスは続けた。
「確かに・・人々はレンズを捨てた。それを使わないで生きる術を選んだ。だが、科学を・・・お前とお前の成してきた事までを無駄にした訳ではない。人はいずれ、お前の築いた道を選らび、それによって幸せになっていくだろう・・・。否定したのはレンズの力を未知のままで使用する、という事だ。お前じゃない。」
「・・・・・。」
くるくるとブランコが回転する乗り物に乗った人たちが、わあ、と歓声をあげる。
その楽しそうな顔を見ながら、ハロルドは頭の中で、ジューダスの言葉を何度も反芻していた。
「・・なんだ。」
そうして、しばらくふたりして黙ってプレイグランドを眺めた後、ようやくジューダスの方を振り返り、ハロルドは言った。
「気がついてたの?」
「ああ。」
「・・・誰も気がつかないと思ってたのに。」
「・・・僕も、か?」
ジューダスは聞く。
「そうね・・・。」
ハロルドは言う。
なにも考えてなかった、というように、わずかな失態の悔しさを、その面に現わして。
「あんたは・・・違うわよね。」
1000年後。
この世界が、自分たちよりも科学力を持っていない事を知って、ハロルドは少なからず動揺した。
科学とは日進月歩だ。
その方程式は崩れないと思っていた。
だから、遥か未来の科学者を羨望したことすらあった。
きっと今の時代の自分では、100歳生きても見れないものが、彼らには見れるから。
だが・・・。
目の当たりにしたのは、進歩を捨てたような人類の姿だった。
未知のエネルギー源であるレンズを捨て、人々は自分たちの手だけでできる範囲の生活の中、幸福に暮らしている。
ならば・・ハロルドの志していた、心血を注いできた科学も、いらない、という事だ。
悲しかった。
それが、喜ぶだろうと思って勝手に用意したプレゼントが、気に入らないと言われたようなものだと思いながらも・・・心が彷徨ってしまった。
自分の居場所、生きた意味が、この世界のどこにもない、と知って。
その時、思った。
ジューダスは・・・世界に捨てられたリオン・マグナスは、まるで自分に生き写しだと。
悲しいのは・・・なにも彼ひとりの事だけではない。
そう思うと、涙が出た。
悲しくって悲しくって、彼の為に、自分の為に、逆恨みでも世界を呪いそうで。
自分がこの世界には必要なのだと、証明したくなった。
ほんの少しで良い。
たとえば、壊れたプレイグランドを直す程度の事でも。
なのに、ジューダスは、それは違うという。
世界は、人間は、少し立ち止まって考えているだけだ、と。
また、再び、その歩みを進めるのだと。
ハロルドは・・・何も間違ってはいない、と。
じわり、とまるで氷が解けていくように、焦燥感がなくなっていく。
そう、人類は・・・まだまだ幼稚な生き物なのだ。
自分という殻の中で持て余し、戸惑いながら、明日を紡いでいるのだ。
ハロルドはジューダスを見た。
にっこり笑う。
その笑みの意味が、ジューダスには伝わるだろう。
ふっきれた、という事が。
何も焦ることも、がっかりする事も、ないのだ。
「あ、ハロルド〜!」
お〜い、と呼ぶ声がして、ハロルドはそちらに向き直る。
「カイル。」
「もう起きて良いの?」
息を切らせて、全力で駆け寄ってきながら、カイルが言った。
お前は、走るかしゃべるかどっちかにしろよ!と言いながら、ロニと、その後ろからリアラとナナリーもついてくる。
「ダイジョブ。それより、どう?私の直したプレイグランドは?」
良い、と言うに決まっていると思い、胸を張りながらハロルドは言った。
「もう、最高!!」
子供のように頬を赤く高潮させ、目を輝かせてカイルは答えた。
「オレ、こんなに賑やかで楽しくって、夜なのに明るくって・・・!え〜と、とにかく!こんなの見たことないよ!」
「なんか、夢ん中みたいだね。」
目を潤ませ、ナナリーも言う。
「おう。めっちゃくちゃ楽しんでるぜ!」
「うん。私も。」
ロニとリアラが言い、それを聞いて、満足そうにハロルドはにっこり笑う。
それでこそ、風邪を引いてまで直した甲斐があるというものだ。
「ね?ハロルドは?もう何か乗ったの?」
カイルのその一言で、ハロルドは我に返る。
「あ、そうだ!」
ぱちん、と手を打ち、ハロルドは横に立っている人物の方を振り向いた。
「嫌だぞ?僕は。」
なにかを言うよりも早く、ジューダスは拒否の言葉を口にする。
「どうしてもダメ?」
「嫌だ。」
ぶ〜、とハロルドは頬を膨らます。
「折角直したのに、自分で何も乗れないのでは、意味がないじゃない!」
ハロルドがそう言うと、ジューダスは心底、呆れた顔をした。
「お前が、ここを直したのは違う理由でだろう。」
「どっちだって同じよ〜。私はね、自分で楽しめないものは作らない主義なの!」
人類の進歩を願っての科学・・などとどの口で言っていたのだ。
だが、とジューダスは思った。
科学とは案外、そういうものなのかもしれない。
人類の為などと、そんな綺麗事を並べるよりも、たったひとりの面白いか面白くないか、の方が世界に必要な何かを落とすのかもしれなかった。
「仕方ないな・・・。」
ジューダスは言った。
「一緒に行ってくれるの?」
それを聞き、ぱっと顔を輝かせ、ハロルドが笑う。
「ああ・・・だが乗らないぞ?横で付き添ってやる。」
子供じゃあるまいし、と言って拗ねるかと思ったが、ハロルドは、
「やった〜〜〜!」
と嬉しそうに両手を万歳している。
そのままくるくると回ってダンス(のつもり)を始めたハロルドに、ジューダスは苦笑をするしかない。
人が大勢詰め掛けているにも関わらず、ハロルドが近づくと、回転木馬を動かしていた青年はにこにこしながら通してくれた。
それが当然のように。
順番を守らなくって悪いみたいだな〜で小声で言うと、さらに小声でジューダスが言った。
「お前が直したんだ。それ位して貰っても良いだろう?」
それは、誰もが思っているらしく、一緒に回転木馬に乗ろうとする人たちが、あれに乗りなよ、とハロルドに言った。あれが一番綺麗な馬だよ、と。
頭を揺らし、たてがみを波打たせた姿を象ったその木馬は、確かに、とても綺麗だった。
黒くて、手綱は赤く、ガラスの宝石で飾られ、今にも動き出しそうだ。
「ん。」
ハロルドはジューダスに向かって右手を差し出す。
「・・・なんだ?」
胸の辺りまで挙げられた手を嫌そうに見て、ジューダスは言った。
「乗せて。」
「・・・・・。」
顰め面で、ジューダスはハロルドの手を取った。
それを自分の肩にかけさせ、ハロルドの細い腰に手を回す。
少しの力だけしか使わなかったかのように軽々と、ジューダスはハロルドを抱き上げた。
そのまま、窓辺に人形を置くように、ハロルドを木馬の上に座らせる。
慎重ではなかったが、大事なものを扱うような仕草だった。
ゆっくりと木馬は動き出す。
まだ冷たい風が頬にあたり、気持ち良い、とハロルドは目をつぶる。
髪がなびく感触を楽しんでいると、落ちるぞ、と木馬の横に付き添っているジューダスが言った。
目を開ければ、同じ場所を回っているのに、色々な風景が目の前を通り過ぎる。
その中には、大事な人の顔も、見知らぬ人の顔も混じっている。
だが、皆、笑顔だった。
人生は目を閉じて、回転木馬に乗っているようなものだ。
遠くに行こうと思っても、自分である事からは逃げ出せず、だけど向かっている先はよく見えない。
そう言うとジューダスは、いつもの口の端をあげる皮肉気な笑みを浮かべた。
だが、それに同意しているのは、確かだった。
「これが終わったら、もう一周、乗りたい。」
ハロルドは言った。
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