Little Miss Muffet
Sat on a tuffet,
Eating her curds and whey;
There came a big spider,
Who sat down beside her
And frightened Miss Muffet away.
突然、それに出会った。
なんの前触れもなく、ぱったりと出会い頭に行き会ったかのような流れ星を見つけてしまったのと良く似たシチュエーションだった。
もうそろそろ日が暮れてあたりは闇に包まれようという時。
まるでそこらの子供のように、迷子になるという醜態を自分でなんとか回避しようと、暗くなっていく森の中を出口を探して彷徨っていた時の事だ。
本当の名前は確か、リッヒーヴァルトエルンストというのだったと思う。
だが、そんな長ったらしい名前では誰も呼ばす、そこを皆、親しみたくなどないくせに、親しみを感じさせる渾名でもって、黒い森、と呼んでいた。
黒い森、と呼ばれるのは、大きく高い木が生い茂り、昼でも暗いことと、森のほとんどを埋める木が黒い幹のモミだったから、だろう。
そこで、出会ってしまった。
ロマンチストな子供だったからと言い訳をしよう。
ウンメイ、だと思った。
夜の中であっても、大きな菫色の瞳が、闇に紛れることなく好奇心旺盛に輝いていた。
まるで宝石箱の中のダイヤモンドのように、それはそれだけで、自分の価値を主張をしている。
「変なの。」
自分よりもずっと上にある相手の顔を見上げ、小さな少女は言った。
「・・・なにがだ。」
「あなたのことよ?もちろん。そ・れ。」
小さくて白いその手を精一杯上にあげ、相手の顔のあたりを指差す。
「それ、あなたの趣味?変な目で人に見られるでしょう?自分でも思わない?」
鈴の音のような声で、手厳しい事を言う。
声を出さずに笑い、言い返した。
「変な目で見られるのは慣れている。」
「気にしないってこと?」
「そうだ、気にしない。別に誰に迷惑をかけているわけでもないし、ほっとくさ。」
「・・・うん。」
その答えがお気に召したのか、少女は瞳をますます輝かせた。
「私も、同じ意見。」
幼い子供にも関わらず、あたし、ではなく、わたし、と発音する姿に知性が見て取れる。
「誰に迷惑をかけているわけじゃないもの。堂々とするわ。」
「・・・誰かに、避けられてでもいるのか?」
「・・・・・ヒ・ミ・ツ。それより、ね?」
少女は笑い、くるり、と身を翻した。
この話は終わり、とそれで幕を引く。
「あなた、お名前は?聞いてなかったわ。」
「人に名前を聞くときは、自分から名乗るものだ。」
「なにそれ。おじいさんみたいなこというのね。」
「礼儀というのは、いつの時代も変わらないものさ。」
肩を竦めて見せると、思い通りにならないのがつまらないのか、少女は唇を尖らせた。
リップも紅も塗っていない、健康的な唇だ。
「私は、アリス。」
「嘘だな。」
名乗った名前が適当すぎて、笑えた。
少女はますます気に入らないようで、唇を尖らせ、さらに上目遣いに睨みつけてくる。
「ガーネット。」
無言のまま、首を振る。
嘘をつくな、というサインだ。
「カトリーヌ。サンドレイユ。エスト。さくら。ヴィクトリア。さ、好きなの選んで。」
「僕が選んでどうする。」
「だって、なんでも良いもの。名前なんて記号でしょ?その人を区別する為の。」
相手は、おそらく可笑しくて笑っていたのだろう笑いをひっこめ、代わりに皮肉気な笑みを浮かべた。
「その通りだ。」
「じゃあ、なんでも良いじゃない?私、あまり自分の名前好きじゃないのよ。」
一旦、会話はそこで切れる。
小枝を集めて一箇所においておいたものに、いよいよ火をつける。
すっかりあたりは暮れてしまった。
親が心配するから、送っていこうと言うのを聞かず、少女は話をしたがった。
いいかげん、大丈夫よ、という台詞も聞き飽きて、しつこく帰ることを勧めると、怒り出した。
それにも構わず、細く小さい体を右腕で担ぐと、降ろせ降ろせとわーわー騒ぎ、最後には、降ろさないとあんたに誘拐されましたって皆に言う、と脅し文句まででる始末。
それに負けて、とうとうここで夜明かしするのを承諾してしまった。
今頃、彼女の家では大騒ぎだろう。
少女が言いつけなくても、まかり間違えば誘拐犯だ。
「それで、あなたのお名前は?」
「・・・ジューダスだ。」
皮肉気な笑みを貼り付けたまま相手が名乗る。
「嘘ね。」
少女は負けないくらいに皮肉気な笑みを浮かべる。
子供のくせに、妙に大人ぶった仕草をするものだ。
「それって裏切り者って意味よ?知ってる?」
「ああ。」
「あら、知ってるの?それでその名前使ってるなんて、捻くれてるわね。」
「本名だとは思わないわけだな?」
「思わない。いくらなんでもそんな名前をつける親なんていないわ。」
「・・・親にも色々あると思うが。」
「たとえそうでも・・・裏切り者ってのはね。相手がいてこそ意味のある名前でしょ?望まれないで生まれた子だとして、悪意があっての事だとしたら、尚更、人との関わりが前提にある名前はつけないでしょう。」
「なるほどな。」
くすくすと相手が笑うので、少女も笑う。
してやったり、というよりも、純粋に楽しいと思っての笑いだった。
「おい、チビ。」
「誰がチビよ?」
それが自分の事だと分かり、むっとして少女は言った。
「そこの小枝を取ってくれ。」
「だから誰がチビなのよ?」
ぶ〜と膨れてみせても、ジューダスはびくともしない。
「名前など、単なる記号なのだろう?」
むむっ、と少女は黙る。
さきほどの言葉の揚げ足を取られるとは思わなかった。
「チビで気に入らないなら、ガキ、と呼ぶが?」
「もうちょっと可愛い呼び方ないの?」
センス皆無ね!と勢い込んで言うと、相手は薄く笑った。
「・・・おチビちゃん。」
「そういう意味の可愛いじゃな〜い!」
くつくつ、と相手が笑うのが気にいらない。
「ふん、良いわよ、好きになさいな。」
少女は肩までかかった、くるくるの巻き毛を大人ぶった仕草でかきあげ、そっぽを向いた。
いっぱしのレディのマネのようだ。
だが、その仕草そのものは、不慣れなものではない。
いつもどこかしらで、やってみせているもの、と思われた。
「お前・・・いやに、ませているが、いくつだ?」
「女性に歳を聞くなんて、無粋じゃなくって?」
「お前に対して、粋でも意味がない。それに、まだ女性じゃないだろう。」
「私は女です〜!」
「だが、子供だ。」
ぷ〜っと膨れる顔は子供特有のもので、ジューダスはくつくつと笑う。
ただのませたガキではなく、人よりも頭が良いが故に、普段から大人と対等に接している者の雰囲気を漂わせているが、こうしているとやはり子供だ。
「で、本当にいくつなんだ?」
「8歳よ!」
少女がやけになったような感じで答える。少しだけ頬を朱に染めている。
8つ、という年齢を、恥ずかしいと思っているようだ。
「本当に、まだ子供だな。」
小柄な容姿は、それよりもさらに幾分か子供に見えるが、口調はその年齢のものよりもかなり大人だ。
子供は子供でも、8つという歳相応な子供ではないのは確かだ。
少女はますます膨れ顔になり、それでも言いつけられた通り、小枝を取ってジューダスへと渡す。
ちょこちょことやってきて、拗ねたままの態度で、ちょこんと隣に座る様子を見ていると、知らずに笑みが浮かぶ。
子供と接した事はあまりないが、他の子供と違い、確かに、退屈しない相手ではあった。
ぱふんとスカートの裾を広がせ、足を伸ばして座っているその格好を見て、ジューダスは不思議に思った。
黒いスカートはバルーンのように広がり、中から何枚もの重ねた白いレースが覗いている。靴こそブーツだが、それは紐を編み上げていて、履くのにいちいち面倒そうだ。頭には黒リボンがカチューシャのように結わえられている。
まるで、人形のようだ。
「お前、その格好で、森に何をしに来たんだ?」
とても、森まで来る服とは思えず、散歩に来たには場所が不適切だ。
スカートの裾にも、ブーツのかかとにも、落ち葉と跳ね上げた泥がべっとりとくっついてしまっている。
「なにしにって、虫を取りに。」
少女は逆に、そんな質問をされたのが不思議そうに答えた。
「・・虫取り?」
「うん。」
「・・・虫が怖くないのか?」
まさかな、と思いつつも、ジューダスは聞いてみる。
大人になって虫が好きでも、子供時代から好きだったとは限らない。ましてや、服装をみる限り、裕福な家庭の娘だ。普通なら、ぬいぐるみや絵本の世界の中で育つだろう。
「だって、虫って、素晴らしい研究対象だと思わない?」
怖いわけないじゃない、なに言ってるのよ、と少女は言った。
「研究、か・・・。」
「そうよ〜。彼らは行動こそ単純に思えるけど・・・生命の営みにとって、シンプルで精巧な行動しか取らないわ。観察してると、得るものも多いの。」
「そうか・・・。」
「特に蜘蛛なんか、とても素敵な幾何学模様の巣を作るわ!」
ぱっとと瞳を輝かせ、少女は嬉しそうに言う。
「とても精巧で・・・光を反射する様なんて、薄いレースみたい!」
「・・そうだな。」
ジューダスも蜘蛛は嫌いではない。
気味が悪いと言われることが多いが、8本の長い足をつけた造形はなかなか美しいと思う。
「あ、でも爬虫類も好きよ?」
少女はジューダスを見上げて言った。
お世辞のつもりなのだろう、とジューダスは思った。現に少女の目は、自分というよりも、自分のつけている仮面に注がれている。
「マフェット嬢ちゃんは、蜘蛛が嫌いと決まっているが・・・。」
ジューダスは言った。それは相手に聞こえても良い、独り言のようなものだ。
「そういう訳でもないらしい・・・。」
「・・・なあに?それ。」
「知らないのか?」
「うん。」
様々な物事を知っているらしいが、意外にも童謡の類には疎いらしい。
無敵の王女の欠点をみつけたような気分になって、ジューダスは苦笑する。
「・・・・・お前みたいなものだ。」
お気に入りのねこにんのぬいぐるみを手に家を出たところで、ハロルドは1度足を止める。
階段の下から数人の、いじめっこが家の様子を伺っているのが目に留まった。
あいつらは大嫌いだ。
なんやかやとちょっかいを出してきては、嫌がらせのように絡んでくる。そもそも自分が嫌いなら、関わらないようにすれば良いのだ。気に入らないものを力づくで屈服させようとする行為の野蛮と、それに気がつかない愚かさを、ハロルドは笑う。
そんなものに負けはしない。
今日はなにがなんでも彼に、この宝物を見せてあげる、と決めているのだから。
いつものように、ふん、と髪をかきあげ、階段を駆け下りると、そのまま、屯っている子供の脇を通り過ぎる。
「あ・・・。」
あまりにも、迷わずに通り過ぎられたからか、誰もハロルドに声をかけてこなかった。
よし、突破!と思わずにやりとする。
足に力を込め、走り出そうとしたその時。
「ハロルド、待てよ!」
「・・・あちゃ〜・・・。」
第一関門は突破したというのに、第二関門。
しかも今度は、もっと強敵だ。
後ろから呼ばれ、渋々とハロルドは足を止める。
「なによ、兄貴・・・。」
「なによ、じゃない。お前このところ、ひとりでどこに行くんだよ?」
ブラウンの髪を肩でざっくりと切り揃え、理知を感じさせる額と、好奇心に輝く瞳でハロルドを覗き込んでくるのは、カーレル、という。
ハロルドの双子の兄だ。
「ええとね・・・。」
なんと説明しようか、ハロルドは返答に困る。
だが、そんな妹の様子にぴん、ときたのか、いつもよりも眉を吊り上げ、ハロルドが答えるよりも早く、カーレルは言った。
「お前まさか、森に行こうっていうんじゃないだろうな?」
兄妹が森に行くのは、母から禁止されていた。
モンスターも出る確率が高く、また、人気のないところになど、子供がひとりで行くものではない、というのは、大人の共通の見解だ。
この兄は、それをしっかり分かっているし、ハロルドにそんな無茶をさせないように、彼女を止めるのが自分の務めだと思っているようで、普段から気を配ってみているから、ハロルドがなにか秘密を持って行動をすると、いち早くそれを察してしまう。
「ち・・違うもん!」
「・・・そうなんだな・・・。」
森には昆虫が沢山いて、それを収拾するのがハロルドの楽しみだ、とカーレルは前から見抜いている。
そして、妹のばつの悪そうな顔を見るなり、その目的にも気がついた。
どんなにダメだといわれてもこの妹は、理解しようとしない。それがハロルド自身の為だというのに、それは分かってもいるのに、辞めようとしない。いつだって自分のやりたいようにし、なにがなんでもその意志を貫こうとする。妥協がない。諦めを知らない。まるで小さな暴君だ。
だから、カーレルは妹の腕を乱暴に掴み、離されないように強く握って、家へと引き返す。
「帰ろう。」
「ちょっと、離してよ、兄貴!」
いきなり強引にひっぱられ、ハロルドはたたらを踏んだ。
「森に行くなんてダメだ。絶対に許さないからな!」
「嫌!絶対に行く!」
「絶対にダメだ!」
ずるずると腕を捕まれたままカーレルに引きずられ、ハロルドはじたばたと暴れる。
今日は絶対に森に行くんだもの!
「兄さんのバカ!!離してよ!」
「ダメだ、絶対に行かせないからな!」
「今日は絶対に行きたいの!」
「ダメだ。母さんの言いつけを守れないようなやつは・・・。」
「兄さんなんて、だいっ嫌い!!」
ぱっとカーレルの腕がハロルドから離れた。
「な・・・。」
見ればカーレルはショックを受けたようにぼーぜんと妹を見下ろしている。
「なんだって・・・・・?」
ハロルドは、強引に捕まれていた腕が痛いのか、それとも力で敵わなかったのが悔しいのか、目に薄っすらと涙を溜めて、声の限りに叫んだ。
「兄さんのバカ!あっちいっちゃえ!!」
「ハロルド、嫌いってだって・・・。」
おろおろとカーレルはハロルドを見る。
その顔は本気で泣きそうだ。
「兄さんなんて、だいっ嫌い!!」
「いや・・だってお前・・・お兄ちゃんのお嫁さんになるんだろう?昔そう言って・・・。」
「なに訳わかんない事言ってんのよ、バカ兄貴!!」
なんだか知らないが、兄が怯んでいるこの時がチャンスだ。
容赦なく力を込めて突き飛ばすと、カーレルはあっさりと尻餅をついた。
カーレルから距離が取れると、くるりと背を向け、すばやくハロルドは走り去っていく。
捨てゼリフを残して。
「兄さんのお嫁になるわけないでしょ!兄貴の変態!」
「へ・・変態・・・!?」
ぼーぜんとその場に座り込んだまま、カーレルはショックから立ち直れない。
いつの間にか、先ほど横をすり抜けた筈の、いじめっこ達がやってきて、カーレルを見下ろしていた。
「やーい、妹にふられてやんの!バカカーレル!」
「ざま〜みろ!」
ハロルドを間に挟んでしまうと、彼らは仲が良いとは言えない。
そもそも、喧嘩となればカーレルが飛びぬけて強いのも、事態をややこしく、もしくはバランスの取れた関係にしている理由のひとつだ。
いつでもカーレルに、このいじめっこたちは頭を殴られ、おなかを蹴られ、怪我こそしないものの、痛い目に合わされている。
が・・・。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・カーレル・・・。」
「・・・・・・・。」
からかってもカーレルからはなにも返ってこない。
いつもなら、なにかしらのリアクションがあるのに、今日に限っては魂が抜けたようになっている。
何を言ってもまるで手ごたえがないのでは、拍子抜けしてしまう。
その抜け殻化してしまった姿に、いじめっ子達も、少しばかり同情を覚えるのだった。
「なんだ、お前また来たのか。」
いつものお決まりの文句に出迎えられ、ハロルドはにっこりと笑った。
彼は必ず、そう言う。
だが、彼のそれは、聞こえは悪いが、その言葉のもつ嫌味は含まず、それだけのただの挨拶なのだ、と知っている。
当たり前のようにやってくる小さな客人に、白い仮面の奥から覗く瞳は、いつでも少しだけ優しい。
自分の来訪を心から嫌がっていない証拠だ、と勝手にハロルドは分析する。
黒い森の中に、彼はひとりで住んでいる。
厳密に言うと、住んでいる、は正しくない。
森の中に、いる。
それが1番ぴったりくる。
どこかの森番の家に入り込んでいるのか、それとも森の外に家を構えているのかは知らないが、あの迷子のなって一緒に夜明かしをして以来、いつでも、会いにくれば森の中にいた。
「それで?上手く逃げてこれたのか?そのお前の、苦手なやつらは。」
そんな表現では一言も、いじめっこ達の事を説明していないのに、ジューダスの言い方は確信的だ。
一瞬、うっ、とたじろいだものの、別に悪いのはこっちじゃない、と思いなおし、ハロルドはジューダスに、つんと胸を張って見せた。
「無事、突破しました。」
「ご苦労さん。」
「もう!」
ぱすん、と隣に腰掛け、お気に入りのねこにんを膝の上に抱え込む。
折角、見せてあげたというのに、ジューダスは全然、興味を示さなかった。
それにも、がっかりしながら、ハロルドは言う。
「あいつら馬鹿なんだもん、やんなっちゃう。そもそも「その人」って人格は、他人から見た印象の、圧倒的な多数決構成されちゃうじゃない?本人は実は、内部はこんな人だったんだよ〜なんて・・・。誰にも理解しきれないもの。誰も他人の内面まではわからない・・・。自分の考えているとがわかるのは自分自身、だけだもの。だから、わかりやすいくらいに、自分よりも優れている他人が、いても気が付かないのね。自分自身に対して、盲目になってて。」
あいつら本当にバカだし〜ともう1度言うと、ジューダスは横で苦笑した。
だが、と諭すようにハロルドに言う。
まるで言い聞かすような口調だ。子供扱いされているようで、ハロルドはそれが、気に入らない。
「だが、他人の評価も、そいつ自身の一部だ。人間はそいつの内面だけで構成されている訳じゃない。他人から見た自分というのも、そいつ自身に違いない。」
「・・・・・そうだけど。」
子ども扱いする一方で、話の内容は、大人に対するものと変わらない。
ジューダスのそういうところが好きだ。
「でも、その「他人の目」っていうフィルターが、とんでもなく曇ってたら、真実なんか見えてこないじゃない。」
「お前にとっての真実という事だろう?それは。」
「真実はひとつじゃない。」
「確かに、ひとつではあるが・・・。ひとつだから価値がある、というものでもない。相手にとって、必要であるとは限らないからな。」
「なに、それ。」
「つまり・・・。」
「待って。自分で考える。」
う〜ん、とハロルドは首を傾げる。
それはほんのわずかに時間だ。一瞬、全ての神経を思考にのみ傾けている気配がして、指の先がねこにんのぬいぐるみの耳を、ちょいちょいとつついた、それしかかからなかった。
「つまり・・・。適材適所だという事?真実は、根底はひとつでも、その人、その場においては、偽物である方が都合が良いこともある、って事?」
「そうだ。」
「う〜ん・・・。なんか、それって、ずるい考えよね?要するに、自分の都合の良い部分だけを重視したいって事でしょ?」
「ずるい、か。」
ジューダスは笑う。
なによ〜とハロルドは口を尖らせて言った。
「そう、「ずるい」な。だが、真実を知る、というのはそんなに賢いことか?」
「それは・・・。」
「第一、真実を教える相手が、それほどの価値のない者だった場合、どうする?言っても理解できない、
もしくは、告げたところで生かせない、そういう人物だった場合は?」
「・・・無駄になるわ。」
「そうだ。だから・・・選ぶことだ。全員に、お前の真実を教える必要はない。いらない、理解できない者に心血を注いでも無駄になる。教えを請う者にのみ、与えてやれば良い。」
ちょっとだけそれは、大人の冷血、というものだ、とハロルドは思った。
子供の社会では、それは輪になっていて、なるべくなら平等であるのが望ましい。足の引っ張り合いや人を蹴落とす事も当たり前の大人の世界とは、少しばかり事情が違う。
でも、それでも・・・。
「うん、わかった。」
ハロルドは頷く。
それが大人の事情だというなら、早くからそれを飲み込んでしまおうと思った。
ジューダスは、ハロルドが本当に分かってるとは思ってないようだった。
適当に自分の話に相槌を打ったものと思い、それでもそれ以上は関心がないように、火にかけた小さな鍋の中の、ココアをかき回している。
鍋の底でだまにならないようにと、銀のスプーンでくるくると円を描く指先は、長くてかっこいい。
早く、大人になりたい、とハロルドは思った。
今日は早めに帰らないと、兄貴が心配するし、とまるで自分の方が姉のような事を言い、ハロルドが立ち上がったのは、夕方になる前だった。
いつも、なんやかやと言っては、帰りたがらないハロルドにしてはめずらしい。
さては、罪悪感を覚えるようななにかをしたな、とジューダスは思ったが、それには触れず、そうか、とだけ言って送り出した。
それでも、また明日来るから良いよね?と、まるで残念がっているのがこちらであるかのように、恩を売るのも忘れない。
その生意気な口調に、ジューダスは苦笑する。
そして、自分も根城にしている森番の小屋へと帰ろうと立ち上がった時だった。
ジューダスの行く手を阻むようにして、数人の子供・・全員男の子・・が立ちはだかったのだ。
「・・・・・?」
子供に知り合いのいないジューダスは、初め、自分に用があるのではないのだろう、と思った。
だが、小生意気な子供の敵愾心をむきだしてにして彼らが睨みつけているのは、どう見ても自分の顔だ。
彼らは、少しだけジューダスを遠巻きにするようにして、距離を取りながら、全員で回りを囲むようにして立っている。
5人、とジューダスは数を数える。1番小さな子供は、鼻を垂らしている顔が、まだ赤ん坊のようにあどけない。
その中で、最も背の高い赤毛の男の子が、一歩前に出て、ジューダスを睨みつけてきた。
「おい、おまえ〜。」
「なんだ?ガキ。」
むぅっと子供が腹を立てた。
「あいつと、どんな関係なんだよ〜。」
「あいつ?」
ジューダスは考える。
子供たちは全員、敵意のある目でこちらを見上げているが、こちらに対して、それ以上なにをする気もないらしい。
最も、相手は数が多くても子供だ。いっせいに飛び掛られたところで、かわしてしまえば良い事だ。
「ハロルドのことか。」
これが件のハロルドと仲の悪い、あいつらとやらか、とジューダスは気がついた。
子供達は、ジューダスを睨んだまま答えない。
だが、雰囲気で、ますます自分に対し敵意を抱いたのが分かった。
その理由は、ハロルドの名前を、自分が口にしたからだ。
ジューダスは、仮面を脱いだ。
素顔を露にすると、子供達が一瞬だけ、躊躇いを見せる。
警戒心を解く為の行為であったが、それはまずまずの効果を得られたわけだ。
「お前達。」
ジューダスは言った。
「な・・・なんだよ!」
なにをされるのかと身構えて、赤毛の子供が、それでも威勢だけは良く答える。
「あいつと仲良くしたいなら、いじめたりするな。」
「・・・・・!!」
「女の子は、お前達と別の生き物だ。それじゃ伝わらん。」
子供達は、ぽかん、とジューダスの顔を見上げ・・・そして、全員が揃って、真っ赤になった。
「本当はハロルドと仲良くしたいんだろう?」
「う・・・。」
もじもじと恥ずかしそうに体を動かし、なんだか言い訳めいた事をもごもご言う姿は、大人でも子供でも、男は同じだ。
「だって・・・あいつ、めちゃくちゃ可愛いし・・・。」
「頭も良いしさ。」
「かっこいいよな〜。」
「そうだ、知ってるか?なんかすっごい偉い人が、この間、あいつに会いにわざわざ山の向こうから来たんだって!」
「ホントか?すっげー。」
「ホントホント!かあちゃんが、さすがだって、言ってたし!」
図星をさされても取り繕うどころか、盛り上がっている。
その姿は、無邪気というかなんというか、微笑ましい。
思わず笑みをこぼすジューダスに気がつき、子供たちは、ちぇっ、と言ってジューダスに対して、そっぽを向いた。
馬鹿にされたのかと、子供なりにプライドが傷ついたらしい。
「とりあえず、だ。」
ジューダスは言う。
「意地悪するのはやめるんだぞ?このままじゃ嫌われたままだ。それでも良いのか?」
「う・・・・。」
「それは・・・いやだ・・・けど。」
ガキは嫌いな僕がなんでこんな役、と思いながらも、ここは子供を諭す大人になるしかない。
なにしろ、間違いなく、この中では一番の大人は自分だ。
「第一、お前達は男なんだから、女の子は守ってやらなきゃいけない立場だろう。」
「だって・・カーレルが・・・。」
「カーレル?」
いきなり出てきた名前に、ジューダスは首を傾げる。
言い出した子供は、な?と隣の子供に確認し、その子も、うん、と頷いた。
「・・・ハロルドの事は自分が守るから良いんだ、とか言うし。」
「・・・・・。」
「でしゃばりなんだよな〜。」
「オレたちだって、ハロルドと遊びたいけど・・・。」
「いっつもカーレルがくっついてて、話させてもくれないし!」
ぷ〜っと膨れたのは、1番小さい子供だ。
「カーレル、いじわる。」
なるほど。
とジューダスは思った。
結局は彼らは・・・ハロルドを、カーレルに独り占めされて、面白くないのだ。
そもそもは、彼らがハロルドとなんらしかの摩擦を生じさせたのが発端なのだろうが、そんな事は子供の理屈では遥か彼方にある話だ。
男の子たちにしてみれば、ハロルドに近づきたいが、カーレルが間にいて敵わず、隙をついてハロルド本人にちょっかいを出してみれば、気になる女の子に多くがそうしてしまうように、ついつい意地悪してしまい、それがますますハロルドとの間に溝をつくってしまうという訳だ。
こじれにこじれて、嫌われてしまうという最悪なパターン。
よくある微笑ましいエピソードではあるが、本人たちはいたって真面目なのだろう。
カーレルのせいにしているものの、その顔はしょげている。
「それはしかたないだろう。」
ジューダスは言った。
「ふたりは兄妹なんだぞ?カーレルがハロルドを守るのは、男のお前達が女のハロルドを守るのよりも、ずっと当たり前の事だ。そもそも、お前達がハロルドをいじめるから、カーレルは、お前達からハロルドを守ろうとするんだ。自業自得だろう。」
「う・・・そうだ、けど・・・。」
「だから、ハロルドと仲良くしたいなら、まずカーレルから信用されなきゃならない。」
「あ、そうか。」
「オレたち疑われてるのか。」
「カーレルは、初めからオレたちがハロルドいじめると思ってるんだな〜。」
実際にそうなのに、本人たちはその気がないというのは、ややこしい。
まるで自分達が被害者のような口ぶりだ。
「カーレルとは仲が悪いのか?」
「ううん。」
子供達は即答した。
「あいつとも、時々遊ぶよ〜。」
「カーレルも頭良いもんな!」
「なんだっけ、こないだの!カーレルが考えたやつ!」
「トック船長と、アンダー船長!」
「面白かったよな!またやろうって言って、やってないじゃん!」
つまりは、ハロルドをめぐらなければ、仲の良い遊び相手ということか。
ひとりの女の子を挟むとこうまでややこしくなるとは、子供の世界もなかなか複雑だ。
「だったら、まずカーレルと遊ぶ時に、ハロルドも一緒にどうだ、と誘ってみろ。」
「一緒に?」
それは思いもつかなかったというように、子供達は顔を見合わせる。
「そうだ。自分も一緒なら、カーレルもハロルドを誘っても文句は言わないだろう。ふたりを引き離そうとするから、警戒されるんだ。」
自分の見えないところだと、なにをされるか分からない、というカーレルの心配があるなら、逆に目の届く範囲にいれば、大丈夫だ、ということになる。ハロルドの方も、今まで散々意地悪されているのに、いきなり一緒に遊ぼうなどと言われても、警戒しない訳がない。だが、カーレルと一緒なら、行くだろう。
そこまでは分かっているかどうかは知らないが、子供達は、うん、うんと頷きあっている。
名案だ!と思っているようだ。
「さあ、そろそろ帰れ。」
頃合だと思い、ジューダスは帰宅を促した。
まだ陽は高いが、ぐずぐずしていると暮れてしまう。
そもそも、森の中は子供だけでくる場所ではない。
「あ、うん・・・。」
「オレたちも帰ろうと思ってるんだけど・・・。」
「なんだ?まだあるのか?」
歯切れの悪いその物言いに、ジューダスは子供達を見下ろす。
「・・・オレたち、ハロルドの後つけてきたから・・・。」
「道、わかんなくって・・・。」
ジューダスは呆れて、子供の顔を見下ろす。
後先考えないというか、なんというか。
「ここ、どこ?」
1番小さな子が、べそをかきながら、言った。
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