Little Miss Muffet
Sat on a tuffet,
Eating her curds and whey;
There came a big spider,
Who sat down beside her
And frightened Miss Muffet away
but…
Did she run away when a beautiful butterfly came?
日差しが木々の間を縫ってこぼれ、葉がつくる揺れる影を、ハロルドは蝶が飛んでいるみたいだ、と思う。
虫は好きだが、実のところハロルドは、他の女の子のように、蝶々に興味がなかった。
ひらひらと揺れる様は可愛らしいが、美しいと言われる造形には興味がなかったからかもしれない。
それよりもむしろ、カブトムシの黒い体の中に潜む玉虫色や、とんぼの透ける透明な翅の糸で縫ったかのような精密さを好んでいた。だが、最近は蝶も良いな、と思う。
その理由は間違いなく、お気に入りの蝶を見つけたからだ。それも黒い翅を持ち、風を含んで広がる様が、あきらかに異質のようで他者とは違い、傍にいるだけで満足だった。
「髪、くくって。」
ハロルドが、肩に垂らしていた薔薇色の髪を縛ってくれるように頼むと、ジューダスは無言のままで、小さなブラシを左手に持ち、右手でハロルドの髪をひと房、持ち上げた。そのまま、一言も発せずに子供の柔らかい髪の毛にブラシを押し当てる。
こうやって髪を梳かれるのが、ハロルドは好きだ。
誰にやってもらっても心地良いが、最近では、こうしてジューダスにやってもらうのが1番良い。
「ねえ?」
ハロルドは心持顎をあげて、ジューダスに言った。
「なんだ?」
持ち上がった顎の分、後ろに下がった頭の位置を元に戻させながら、ジューダスは答える。
「髪の毛長い女の子と、ショートカットの女の子、どっちのが良い?」
「・・どっち、と言われてもな。」
「どっちのが、あなたの好み?」
そう言われてジューダスが思い浮かべたのは、黒い髪の女性の事だ。
彼女のつややかな長い髪を、美しい、とずっと思っていた。
「・・・・・。似合えば、どちらでも。」
もう2度と会うことはないその影を頭の中から振り払い、ジューダスは目の前の子供に意識を戻す。
「じゃあ、私は?わたしはどっちのが良い?」
「お前なら・・・。」
ジューダスは言った。
「・・・短い方、だな。」
間ができた。
「ハロルド?」
「私は・・・長い髪のが気に入ってるのに。」
女の子っぽくみえるし。
なによりも、こうして髪をくくってもらえるし。
「だったら、聞くことはないだろう?」
笑いを含んだ声で、ジューダスが言った。
その答えに、ハロルドが不満を持ったことには、興味はないらしい。
ジューダスの言葉はそこで、ぷつり、と終わり、梳いている髪の毛の方に意識が向いているのが気配でわかる。
「・・・・・ねえ、あなた。」
「今度はなんだ?チビ。」
「さっき・・・ハロルド、って呼ばなかった?」
ジューダスは一瞬、言葉につまったかのような感じがした。
「・・・そう、だったかな?」
「わたし・・・あなたに名前、教えたっけ?」
「・・・いや?」
ジューダスは髪を梳き終わり、ひとつに束ねた根元にゴムを巻きつける。
「・・・呼んだか?名前なんて。」
それで誤魔化せる訳もないのは、百も承知だろう。
子供は得てして、自分が納得するまではしつこく食い下がる性質をしているが、ハロルドは逆に、大人の狡猾さを見抜く性質が長けている。
無理矢理にジューダスがなかった事にしようと計ったことは、すでに理解されている。
だが、ハロルドはそのまま何も言わなかった。
そして、何秒かが過ぎた後。
「ねえ、図書館連れてって。」
と、おもむろに言った。
「図書館?」
それ以上つっこまれるのはありがたくないが、いきなりの話題転換にもついていけない。
何故だ?と首を傾げると、ハロルドは宙にくるくると円を描きながら、説明をする。
可愛らしいが、それは彼女なりの、まどろっこしさを現わす仕草らしい。
「私がひとりでも行けるような図書館は飽きちゃった。隣街に、この地方で最も大きな図書館があるの。そこは子供だけの立ち入りは禁止されてるから、付き添って?」
「・・・・・。」
「ねえ、ダメ?」
「ひとつ、条件がある。」
「なに?」
髪をひと束、頭の上に結んだで垂らしたあと、もう片方の髪を束ね始めるジューダスに、ハロルドは聞き返す。
ハロルドの髪をツインテールにするつもりらしい。
ジューダスはなぜかこの髪型が気に入っていて、ハロルドが自分で特別頼まない限り、必ずといって良いほどうさぎの耳のように、頭の両側にふたつにくくる。
「街中で、僕に話しかけるな。」
「・・・・・?」
「図書館で誰かに説明をしなければならないような時は、呼んでも良いが・・・それ以外は誰もいないようにふるまえ。お前は、僕とは無関係を装うんだ。」
「なんで?」
「いいから、言うとおりにしろ。できないなら、図書館はなしだ。」
いくらなんでも、それはハロルドの予想外だった。
まるで、自分と知り合いだと周囲にバレるとまずいと思っているかのようだ。だが、たぶん、本当の理由は反対だ。ハロルドがジューダスと連れ立っていくとなにか災いでも降りかかるとでも言うのだろうか?
「うん・・・わかった。」
それがどういう状況を齎すのか興味もあったが、ハロルドは頷いた。
まずは、図書館だ。
その問題については後になってみえてくるものもあるだろう。
「できたぞ・・・。」
ちょうどその時、髪を束ね終わったと声がする。
すばやくポーチに入れて、持ってきた手鏡でチェックをすると、髪はふたつにきちんとまとまっていて、綺麗にリボンも結んである。
なかなかジューダスは器用だ。何度かやって貰ったが、カーレルだとすぐに結び目のところで、髪をこんがらかせてしまい、ほどく時いつも、ハロルドは痛い思いをする事になる。
「ん。ありがと。」
出来上がりに満足し、ジューダスに短く礼を言うと、ハロルドは図書館へと行く為に、お尻を叩きながら立ち上がった。
小走りにすり抜けるカーレルに、時々、反応の遅くなった大人たちは、驚いて道をあける。
ごめんなさ〜い、と心の中で思いながらも、カーレルの足は止まらない。
たぶん、あそこらへんに、1番のチビが隠れているはずだ。
以前からハロルドを挟んで微妙な関係にあったやつらと一緒にいるところだった。
最近、彼らと遊ぶ機会がやたらと増えた。というのも、毎日のように向うから誘いにくるからだ。
しかも・・・今まで、いじめていたハロルドも一緒に、だ。
こいつら、ハロルドが嫌いじゃなかったのか?と始めは訝しいだが、それも、今となっては勘違いだったと分かった。
ついさっきも誘いにきて、ハロルドがいないとわかると、悪がきどもは一気に不満そうな顔をした。
「なんだよ?オレひとりじゃ嫌なのかよ〜。」
そうカーレルが言うと、別にそんなんじゃない、と真っ赤になりながらもごもご言う。あからさまに目的がハロルド、とわかるような行動をされると、流石に、面白くない。
まあ、でも良いか、とカーレルは寛大に思うことにしている。たとえ、自分の方がおまけであったとしても、だ。ハロルドがいじめられるよりはよっぽど良い。もっとも、それならそれで違う心配もでてきたのだが。
初めは警戒していたハロルドも、次第に彼らと一緒にいるのに、慣れてきた感がある。
そうなったらそうなったで、結局ハロルドからは目が離せない。やつらに、取られないように用心しなければならないからだ。
「あれ?」
その悪がきどもと、カーレルの考えたかくれんぼの一種をしていた。
敵味方に分かれ、各チームがひとりづつ鬼を決め、見つかってしまった者は、かくれている相手チームの人間を探しに出ても良いのだが、見つけても鬼しか捕まえてはいけないし、逃走を邪魔してもいけない。つまりせっかく見つけても鬼を呼びに行っている間に相手は逃げてしまうかもしれず、お互いどれだけ相手に気がつかれずに行動するかがカギになる、頭脳ゲームだ。
発案者にもかかわらず、早々に見つかってしまったカーレルが、相手チームの人間を探していると、ハロルドがひとりで歩いているのが見えた。
最近、ハロルドが森の中でひとりで遊んでいる、との目撃情報が寄せられている。
本人に問いただしても、笑ってはぐらかされるだけだったが、カーレルはそれは本当に違いない、とにらんでいる。
今日もまた、森へ行くのかと思ったが、どうも反対方向へと向かっているようだ。
とりあえず、カーレルは黙ってついていって、様子を見ることにした。
この後、森へとひとりで向かうようなら、決定的な証拠だ。次からきつく叱ってやめさせるつもりだった。どれだけ森が危険か、妹はいくら言い聞かせても理解してくれない。
ハロルドは、なんだか、嬉しそうに歩いていく。
カーレルがつけてきているのにも、気づいてない。
「おっと・・・。」
いきなり振り返ったハロルドに見つからないように、カーレルはすばやく街路樹の陰に隠れる。
そうして、時々振り返るハロルドから隠れているうちに・・
「・・・・?」
カーレルは、ちょこっとだけ不思議な気持ちになった。
ハロルドはひとりにもかかわらず、何度も後ろを振り返った。
そのうえ、なにかをぽそりと口にしては、くすくす笑いながら、また前を向いて歩き出す。
そんなことを繰り返している。
その態度だけ見ると、ひとりで歩いているようには見えない。まわりの人間も、後ろから親がついて来ているように思うだろう。
だが、ハロルドは完全にひとりだ。
ちょっとだけカーレルはぞっとした。
まるで。
誰かが後ろにいるみたいじゃないか。
「お〜い、カーレル!」
「どこ行くんだよ、おまえ〜。」
「あ。」
一緒に遊んでいた事を思い出し、カーレルは足を止めて振り返った。
彼らはカーレルが、遊びをほっぽり出して、どこかに行くように見えたのだろう。口を尖らせ、少しだけ怒った顔で、全員が駆け寄ってくる。
「悪い、悪い。」
カーレルが言い訳がましく言った。
「今、ハロルドが見えたんだ。なにしてるのか、って思ってさ。」
「え?ハロルドが?」
そう言ってぱっと顔を輝かせたのは、グループで1番幼い子だった。
「そう・・・あそこに歩いてるだろう?」
「あ、本当だ。」
そう言って、いまにも皆、ハロルドを呼び止めそうになったというのに・・・。
「あ、ダメじゃん。ハロルド、あいつと一緒だ。」
「・・・え?」
「あ、ホントだ。」
「なんであいつ、仮面なんかつけてんだ〜。変なやつだよな。」
そう口々に言い、悪がきどもは口を尖らす。
「・・・ハロルド、独占しやがってさ。」
「ちぇ。」
あいつって?
思わず、カーレルがそう聞き返そうとした時だった。
ぱちぱち、と瞬きをしたその瞬間、黒いマントを翻す影が、ハロルドの後ろに見えた。
ゆったりとした歩き方をしているが、親ほどの大人には見えない。
むしろ、そのぴんとした背筋や、滑らかな動作は、若い男のもの、と思えた。
ハロルドは、時折振り返り、彼に向かって笑いかけている。
なるほど、ハロルドは彼と一緒だったのか、そう思う。
だが。
それで思い違いだったか、と納得するほど、カーレルは素直な性格をしていなかった。
自分は間違ってない。
つい数秒、自分が瞬きをする前は。
あの男は、どこにもいなかったはずだ。
図書館の入り口で、ハロルドが顔を覗かせると、それを見たふとっちょでメガネをかけた係員は、嫌そうな顔をした。
別にハロルドが来たからではない。
心の優しい彼は、子供に、ひとりで入館できないよ、と断るのが苦手だった。
規則だから仕方がないと言っても、言われた子供は少なからず傷つくものだ。そのがっかりした表情を見るのに、慣れることはできない。
だからこの時も、その女の子に対し、なんと言って断れば、泣かれることもなく納得して貰えるか、その事に頭を悩ましながら、入り口へと向かっていた。
「ごめんね〜。」
相手が有名な天才であることなど知る由もなく、彼は子供用に、なるべく優しい声で話しかけた。
「ここは、ひとりでは入れないんだよ〜。」
すると女の子は、きょとん、と彼を見上げる。
「ひとりじゃないわ。」
「ん?」
彼は顔をあげる。
どこかに親がいるのかと思ったのだが、周囲を見渡しても誰もいない。
再び身をかがめ、女の子の顔を覗き込む。
「お父さんかお母さんと来たのかな?」
いまどこにいるの?そう続けて訊ねようとすると、女の子は勢いよく後ろを振り返った。
「ジューダス!」
「・・・なんだ?」
係員はぱちぱちと瞬きをした。
低いが若い男の声がして、顔をあげると、そこには白い仮面を被った少年くらいの歳の人物が立っている。
あれ?と係員は思う。
確か、今まで誰もいなかったと思ったのに。
「ね?入って良い?」
女の子が聞く声に我に返り、
「ああ・・大人が一緒なら、いいよ。」
と答えた後、他の規則を思い出した。
「だけど・・・そっちの人には、仮面を脱いで貰わないと。顔を隠した人の入室はダメなんだ。」
女の子がなにかを言うより早く、連れ添ってきた少年は溜息をつき、仮面を脱ぐ。
その下から現れたのは、素晴らしい美貌。
仮面など被っているから、見られたくないような顔かと思いきや、とんでもない。
誰が見ても、見惚れ、羨ましがるような容貌をしている。
その例に漏れず、見惚れていた係員に呆れたように、もう!と言い、女の子は右手を高く差し出した。
「入館証。」
「あ、なになに?ごめん。」
「入館証明、頂戴よ。」
「あ、そうだね。」
人形のようにあどけない顔をしているのに、なかなかしっかりした子供のようだ、と係員は苦笑する。
「じゃあ、今書くね。ふたり、だね?」
「もちろん。」
ご機嫌そうににっこり笑って女の子は答える。
ふたり分のカードに日付を書き、それを渡してやる。
年上の少年の方に差し出したのだが、受け取ったのは、横から手を出した女の子の方だった。
「ありがとう。」
「どういたしまして。ごゆっくり。」
係員が言うと、女の子はにっこりと笑い、大人びた口調で答えた。
「ええ。思う存分、堪能させて貰うわね。」
「・・・だけど、物質の質量を計算にしてみると・・・危険は危険、よね?」
「ああ。」
ハロルドの問いに、ジューダスはそっけなく答える。
図書館の中の窓際の席に、ふたりは陣取っている。
そこは2階と3階の間にあるほんのわずかなスペースで、まるでロフトのようになっているそこにおかれた机と椅子は、ほんの2組。その一方に彼らは本の山を広げ、もう一方の机には、好都合な事に誰も寄り付いてこなかった。おかげで、ゆっくりと読書ができる。誰に邪魔をされたという過去がある訳でもないが、普段、ハロルドが図書館で読書をしていると、大人の好奇心に溢れた目で見られることが多い。
「有名人は大変だな。」
完全に人事だ、とジューダスは笑って言った。
世間には、ハロルドが生まれついての天才だ、と広く知られてはいたが、顔までを知れ渡っている訳ではなかった。大人たちは、ハロルドが読んでいる本の種類で、そのスピードで、彼女が誰だか気がついてしまうのだ。それに関してはもう諦めていたが、できれば静かに自分のしたい事をしたい、というのが、子供の本音だ。悪い事をしているわけでもないし関係ないと割り切れるのは、もう少し大人になってからの理屈だった。
周りに人がいないことで、好きな本を大量に手元に置き、次から次へと読み漁っているハロルドの横で、ジューダスも興味のある本を持ってきては、読書に耽っていた。もっとも、ジューダスは、読み終えた本をいちいち本棚まで返していたから、ハロルドのように崩れ落ちそうなほどに、積み上げてはいなかったが。
「だけど、スーパーコンピューター並の許容量があれば、その点もクリアできると思うんだけど・・・。」
「物質量と容量は別だろう。」
「そうだけど、たとえば、の話をしているんでしょう?」
話の腰を折られたと感じたのか、ぷーっと膨れ、ハロルドは目を通していた本をぱたん、と閉じる。
それはなにかの辞書で、ハロルドの肩から腰までくらいの大きさがある。
「・・・・・?」
ふいに途切れた声に、ジューダスは機嫌を本気で損ねたのか、とハロルドを見た
小さな体には重いだろうそれを閉じた後、ハロルドは表紙に金の箔押しをされたタイトルを指でたどっていた。
その目はそれを読んでいる、という訳ではない。
なにごとかを考えている。
「・・・昔話をしようか。」
ジューダスの方に顔もあげず、ぽつり、とハロルドは言った。
「昔話?」
その唐突な話題の変換に、ジューダスが返事をする間もなく、ひとりごとのようにハロルドは話し出す。
「まだ、私が・・・そうね、赤ちゃんって呼ばれるくらいの時のこと。」
「・・・・・。」
そんな頃のこと覚えているのか?とは今更、聞けなかった。
それはバカにした訳でも、呆れたからでもない。
そんな事、覚えているに決まっている。
決まりきった事を反芻することで、逆に彼女の能力の特異さを、わざわざ確認するようなマネをしたくなかった。それこそ、今更だとしても、だ。
顔を見てもいないのに、そんなジューダスの心の中が読めたのか、一瞬だけ、くふん、とハロルドは笑った。そして続きを話し出す。
「私が、まだ自分が他とは違うという事を知らなかった頃。自分と世界にこんなに隔たりがあるなんて、思いもしなかった頃の話よ?自分の名前がなんであるか、もうその頃には私はわかってた。名前というのが、他人との区別をする役目を持っているという事も、それが誰にでもあるのだろう、という事も想像できた。好き嫌いはその頃はなかったわ。自分の意志に関係なく与えられた名前に対して、特別、感想もなかった。ああ、私はこういう響きの記号で、呼ばれるのね、ってことくらいしか。」
「・・・・・。」
「そんな時・・・。たぶん、月夜の晩だったと思うけど。ベビーベッドで寝ていたら、誰かが私の顔を覗き込んでいる気配がしたの。それはお父さんでも、お母さんでもない。いつもとは違う気配。違うけど、危険な感じはしない。むしろ、もっと良く見ようと身を乗り出して、私の眠りを妨げないように気を使ってくれている優しい感じだった。」
「・・・・・。」
「その気配の主は言ったわ。“ハロルドか?”って。」
その時、透明な、鐘の音が響き渡った。
図書館の目の前は教会だ。
ハロルドは、話をそこでやめ、足の届かなかった椅子から飛び降りて、窓へと駆け寄る。
ドレスを身に纏った女性が、教会の扉を開けて出てくるのが、遠目に見えた。顔はよく見えないが、それでも、ドレスの白さだけはそこだけがくっきりと鮮やかに浮き出て見える。
「綺麗・・・。」
どこにでもいる女の子のように、ハロルドはうっとりと言った。
「見て見て!ジューダス、綺麗よ!」
そうして、今ここにある風景は誰もが見るべきだ、と決め付けているような口調でジューダスを手招きする。
ジューダスは苦笑し、窓に近づく。
うきうきとしたハロルドは、窓のガラスの広く丸いおでこをくっつけながら、外を見ている。
「ね。私もあんな風になれる?」
こんな面もあるのか、とちょっと意外に思いながら、ジューダスは言った。
花嫁になることなど、興味がないのかと思っていた。
「そうだな・・・。なれる、かもしれないな。」
「なれるよ、って言うの、こういう時は!男って気が利かないんだから!」
「・・・なれる・・・。」
どうしても、かもな、とつけそうになり、ジューダスは語尾を濁す。
それでも良いのか、ハロルドは満足そうににっこりと笑った。
「ジューダス。」
「なんだ?」
「キスして。」
「・・・・・。」
あまりにも突然、なにを言い出すのか、とジューダスは咄嗟に返答できなかった。
「ね?して?」
無邪気な笑顔のまま、ハロルドは言う。
こういう時、女は子供も大人も関係ない。
小さくても立派な女の顔で、なにかを求めて見上げてくるその瞳に、ジューダスは思わず眩暈を感じた。
「・・・どうしてだ。」
まるで逃げ腰で、口にした言葉が動揺しているのが、自分で分かった。
「だって今、なれるって言ったじゃない。お嫁さんに。」
「言ったが・・・。」
「私、ジューダスと結婚する。」
ジューダスは空を仰いだ。
世も末だ、というポーズは、意味は知っていたとしても、それでハロルドに通じたとは思えない。
「あのな・・・。」
「だって。」
こぼれそうな大きな瞳を、まっすぐにジューダスに向けて、
「待ってたんだもん。」
ハロルドは言った。
「・・・待って?」
一瞬、意味がわからなかった。
「・・・僕を、か?」
「うん。」
「どうして、そうなる・・・。」
「言ったでしょ。」
ハロルドは言った。その声は、まだわからないの、と笑いを含んでいた。
「覚えているって。」
「月の夜。私に“ハロルド”と呼んだのは、あなたでしょ?」
月明りの中、そっと自分を見つめる優しい気配。
ハロルドか?とそれは言った。
やっとわかった、と自分自身に満足しているような声で。
ハロルド、なのか?と。
その確信的な声を聞いたとき、感じた。
きっと、それが自分の本当の名前なのだ。
両親は、自分に呼びかける名前を、間違っているに違いない。
「ジューダス。」
そして、ハロルドは言った。
「あなた、普通の存在じゃないのね?」
「・・・・・。」
普通の存在、というその区別は、言葉の意味よりも重い。
森の中、彷徨って、出会って、一目見たときに、すでにハロルドには分かっていた。
彼は「彼」だ。
あの時の「彼」だ、と。
なのに、ジューダスからはなにも言われなかった。
ハロルドはいつ話してくれるかを待っていたのに。
「まあ、理由は・・・聞いても、きっと普通の人なら、とても納得できないようなことでしょう。でもあなたが、私がうんと小さい時に、今のままの姿で現れたのは事実。証人が、この私なんだから間違いはない。なら、必然的に、私はあなたの話を信じるしかない。」
「・・・・・。」
「話してくれないの?」
「・・・・・。」
「それは私には関係のない話だから?」
「・・・違う。」
それだけは違う、とジューダスは思う。
ハロルドは子供で、他人だが、ジューダスにとっての存在価値は、決してそうではない。
天才だからとか、物分りが良いからではなく、自分を理解してくれるであろう唯一の存在だからでもない。
ハロルドという人間は、そういうものを全て越えて、ただ、特別なのだ。
自分の影を彼女の人生に差し込みたくない。
それと同じ位に彼女の人生に影響を与えたい。
その人生に対し、なんらかの責任を追いたいと思っている。
あどけない赤ん坊が眠るベビーベッドの横に立ち、その薔薇色の髪を見た時、錯覚した。
この今は小さな生き物が、今の自分の全てであるように。
子供を持ちたいと望んだことは一度もなかったが、それでも、彼女の成長を身近で見られるのなら、それはこの上ない喜びに違いなかった。
まるで自分の娘のように、大事に見守っていけたら良い、と密かな望みを抱いていたのを否定できない。
ジューダスは、頭をひとつ振り、決心したように、言った。
「僕は時間軸を彷徨っている・・・。」
「うん・・・。」
ジューダスが、ベビーベッドで見上げた時と同じ姿で現れた時から、ある程度の予想はついている。
それでも小さな胸を切なくさせて、ハロルドは頷く。
それが、どういう仕組みかは、ジューダス自身、分からなかった。
フォルトゥナ戦を終え、あらゆる世界から爪弾きにされた存在であった自分は、意外にも消えることはなく、時間の中を彷徨っていた。
だが、現実には生きているはずがない者は、それ以外に、存在そのものに齟齬があった。
「それと・・・お前の事だから・・・気がついたと思うが。僕を、見える人間と見えない人間がいるようだ。」
「うん・・・。」
彷徨った時間軸の中、カイルに会ったこともある。
だが・・カイルは自分に気がつかなかった。記憶がないからではなく、それ以前に、彼には自分が見えなかった。
自分の姿が、見えるものと見えないものの差は・・・。
たとえば。
見る人間が、誰かがそこにいると認識している時には見えるらしい。だが、なにも気づかず、意識をされる事がなければ、けっして見えない。
カイルには気づかれなかったくせに、ナナリーの今度は生き残った弟と会話した事が、あった。
どうやら、子供の方が自分が見える能力が、大人よりも長けているらしい。それは大人のような思い込みの認識を世界に対して持っていないからだろうか。
どうしてそうなったのか、もともとの原因はなんなのか。
その事に、ジューダスは、複雑なため息を漏らす。
神との戦いは、この少女が大人になった時に、あったかもしれなかった未来だ。
それを知らせてしまうことは、良いことかどうかの判断がつかない。
彼女の性格からして、なにを聞いてもその後に、影響を受けたりはしないだろう、と思うが・・・。
それには知らなくても良い未来まで含まれているかもしれない。
その理由を説明しないと、自分が中途半端な存在になってしまうことは承知のうえで、ジューダスはハロルドが聞かない事を良い事に、その部分の説明を省いた。
そこで、沈黙が気になり、床に落としていた視線をあげると、ハロルドは机の上に、つっぷしている。
先ほど結わいた髪の毛が、子供の細い腕の上に広がっている。
「・・・ハロルド?」
「・・続けて。」
なんでもないの、と言う。
その声は涙声だった。
それを聞き、ジューダスは、ハロルドが、気が付いたのだ、と気が付いた。
「・・・時間は、選ぶことはできない。いつどこに放り出されるか、まったくパターンが読めない。留まれる時間もまちまちで、移動はいつ起こるかわからない。だが、何年もひとつのところに居た事はない。長い場所に留まり続けることで、僕がどこかに存在していた、と人の記憶に残るとまずいからだろう。」
「それは誰が決めたの?」
「・・わからない。だが、たぶん、世界の法則なんだろう。そういう世界を構成するものの中に、予想外の存在が現れた時の為の修正案が、我々の知らぬところにあるんだ、きっと。」
「・・それじゃ・・。」
「そうだ。明日にはお前の前から消えるかもしれない。」
「・・・・・。」
大きな瞳で、ハロルドはジューダスの姿を見つめる。
透けてないかを確認でもしているような、その目には、うっすらと涙が溜まったままだ。
「・・・すまない。」
ジューダスは言った。
「なんで、謝ってんのよ?」
すん、とひとつ鼻をすすって、ハロルドが言った。
「・・僕は・・・お前に会うべきじゃなかった。」
あくまで、ただいるだけの存在だ。いや、それすらも危うい。自分は世界に干渉できない。それなのに、現実に地に足をつけ、そこで生きる者に関わるべきではなかった。
情に流された自分を、弱い、とジューダスは思う。
「勝手に決めないでよ。」
そんな気持ちを見透かしたように、ハロルドが言った。
「世界があんたと私を出会わないようにさせたって、わたしは絶対にあんたに辿り着くわよ!」
小気味良いほどの啖呵を切り、ハロルドはふん、と世界に宣戦布告する。
そして、口調を変え、ジューダスに向き直った。
彼女はすでに、自分の気持ちを切り替えている。
「質問して良い?」
「ああ。」
「その時間軸の中で・・・あんた自身は膠着してるの?」
「・・・?」
一瞬意味が分からなかったジューダスに対し、鈍いとイラついたようだ。
ハロルドは片眉を吊り上げると、もう1度言った。
「あんた自身は?全然、そのまんまなの?時間軸を彷徨っていたって、生きている、なら成長とかあるはずでしょ?」
「・・・・・ああ。」
「どっちのああ、よ?」
「成長は、している。食べ物もちゃんと摂取しないと生きていけないようだ。」
その時代時代で、稼いだ分を使い、ちゃんとジューダスは食事も取っていた。そういう時は、自分を意識してない相手にも見えるようだから、不思議だ。ジューダスは店先で無視されたことは1度もない。不思議なものだ。
「そう・・・。」
ハロルドは、その瞬間、ぱっと晴れやかな表情を浮かべた。
「なら、手はあるわ!」
そんな事を言う。
「なにが、だ?」
「あんたが、その時間軸の連鎖から抜け出せる方法。」
ぱちぱち、とジューダスは瞬きをする。
「ある、のか?そんなものが。」
「うん、たぶん。」
ハロルドは言い、持ってきたノートを広げる。
それに色鉛筆でなにやら、円をいくつか書いて、説明を始めた。その姿は得意気だ。
こいつはこんな頃からこうなのか、とジューダスは思った。
「あんたは時間を移動しているけど・・・時間はあんな自身には干渉できてない。向こうからの一方通行に見えるけど、実は違うのよ。時間軸を背負っているのは、あんた自身なの。あんたという存在に、時間がついてまわっている・・・。あんたが時間に支配されているんじゃなくってね。」
「・・・だが、僕は、勝手に移動させられるんだぞ?」
「だからそれは・・・。あなたが時間を使いこなせてないからじゃないかしら。」
「おい。」
「だって、あなた。自分で行きたい場所に移動しようと思ったこと、ある?初めから諦めて、試してみたりはしてないんじゃない?」
「ない、が・・・それにしたって。」
それは都合の良い解釈というものではないか。
「訓練が必要なのよ。」
「・・・訓練。」
それで済むなら話は早い、とジューダスは自嘲したが、ハロルドの真剣な瞳を見て、笑いをひっこめる。
「バカにしてる?」
「・・・いや。」
「なら、聞いて。」
ハロルドは言い、再び、ノートの中の円になにかを書き加えていく。
「あなたは今は・・時間に流されるだけだけど、そこに意志を介入させるの。それによって、好きな時代を選べるようになる。」
そうなったら、これ以上便利な存在はないな、と思った。
今は流されるだけの存在だからこそ、生存を許されてるのではないか?もしも、自分自身の意志で、世界のありようのなにかを支配をしようとしたら・・・今度こそ、生存の権利も剥奪されるかもしれない。そもそも、自分は・・・世界の構成図には書き込まれていない存在なのだろうから。
だが、ジューダスはそれをハロルドに言わなかった。
「座標を定めてみて。」
真剣な瞳で、ハロルドは言った。
必死、といっても良い。
それほどまでに、自分に対し、なにかを求めてくる。
その姿に戸惑いを感じる。どう受け止めたら良いか、判らなくなる。
ジューダスは、目をつぶって、一旦、その視線から逃れ、考える。
これからのこと、彼女の望み。
希望を持つにはあまりにも厳しすぎる現実だ。
だが、ただの逃げの姿勢で、この瞳を裏切る事はできない。
「ハロルド・・・。」
ぼくは・・・そう続けようと、ジューダスが言葉を口にしかけた。
「あ・・!」
「・・・!」
ハロルドは驚きで息を飲み、ジューダスは舌打ちをした。
ジューダスの体を取り巻く空気が歪んできている。
「タイミングが悪いな・・・。」
それとも、とジューダスはそこに悪意があるのか、疑う。
現実の人間と心を通わせると、引き離そうとする法則でもあるのか?
だが、そんなものは疑っても同じこと。
今、自分は、再び、時間軸の中に放り出されようとしている。
「ジューダス!」
焦ったように、ハロルドが叫んだ。
椅子を立ち、足に抱きついてくる。
空気が歪んでいても、まだ物体を留めている体は、それを受け止める事ができた。
「移動の時間だ・・・。」
小さな薔薇色の髪をなで、ジューダスは言った。
それが短い別れの言葉だ。
それ以外に適切な言葉がでてこなかった。
「約束して!」
しがみついたまま、ハロルドが叫ぶ。
「座標よ!座標を定めるの!時間を自分のものにして、そうして、絶対に帰って来るって約束して!」
「ハロルド・・・。」
顔をあげ、見あげるハロルドの目から、ダイヤモンドのように大きな涙が零れ落ちる。
その中に、ジューダスの姿が歪んで映っていた。
「・・絶対、約束よ?」
そうしてハロルドは、目を閉じて、生意気な仕草で顎をあげた。
「・・・約束の、キス。」
「・・・・・。」
ジューダスは身をかがめる。
そして、その丸く、広いおでこに、軽く唇をつけた。
「ケチ。」
額に落ちてきた唇の感覚に目を開け、不満そうに唇を尖らせハロルドは言う。
そうしている間にも、どんどんとジューダスの姿は薄くなる。
ジューダス自身も、もはやハロルドの手のぬくもりが感じられないから、きっとハロルドも、ジューダスの体に触れている感覚がないだろう。
ジューダスは笑った。
「本当のキスは・・・お前が大人になったら、な・・・。」
「あれ?ハロルド・・・。」
悪ガキ共と遊んでいたカーレルは、いつの間にか来たのか、ハロルドがこちらを見つめ、じっと立っているのに、気がついた。
「おまえも、一緒に遊ぶか?」
先ほど、誰だか知らないが、黒い服を着た年上の男と一緒にいたのではなかったか?
声をかけたにも関わらず、黙ったままのハロルドの態度を不思議に思い、首を傾げながら、カーレルは立ったままで動かないハロルドに近づいていく。
「どうした?」
「・・・・・。」
よく見ると、ハロルドの目の端が赤くなっている。
それに気がつき、は!とカーレルは声を荒らげる。
「まさか、あいつにいじめられたんじゃ・・・!」
だとしたら、絶対に許さない!!
いきりたつカーレルに、突然、勢い良くハロルドが抱きついてきた。
「わ!どうした、いきなり・・・。」
「ふえ・・・。」
「ハロルド?」
「うわぁぁぁん!!」
いきなり泣き出したハロルドに、カーレルは驚く。
「ど・・・どうしたんだよ?」
「わぁぁぁん・・・。」
泣きじゃくるハロルドからは、返事はない。
代わりにひきりなしに続く嗚咽に、カーレルの胸も痛くなる。
「ハロルド・・・。」
胸に鼻先を押し付けてくるハロルドの、薔薇色の髪をカーレルは撫でる。
その時、少しだけ、ハロルドの全身の力がゆるくなった気がした。
「・・・よしよし。」
理由は、きっと聞かない方が良いのだろう。
漠然とそう察して、カーレルは何も訊ねないことに決める。
少しでも、ハロルドの胸の痛みが軽くなりますように。
そう祈りながら、カーレルは、ゆっくりとハロルドの髪を撫で続けた。
空がこんなに高いのを、すっかり忘れていた、とハロルドは思った。
見上げる先には、綺麗な青色が視界いっぱいに広がり、その中に、ぽっかりと白い雲が綿菓子のように浮かんでいる。
春の暖かい日差しを頬に浴びながら、ハロルドは丘を越えていく。
長い冬を終え、今、世界はやっと太陽を取り戻した。
おかげで日焼けをしてしまったわ、とアトワイトが嘆いていた。
しばらく見られなかったうちに、人々は日差しの事を、すっかり忘れていたようだ。
日の光には紫外線が含まれていたのよね、と言いながらも嬉しそうに、焼けた腕を袖をめくって見せる姿が、とても良かった。
やっと訪れた平和な時。穏やかな季節。
「ふぅ・・・。」
そのハロルドとて例外ではない。
日の光の下で丘に登ると、予想以上に体が熱くなる。
慣れていないせいか、雪の中を歩くよりも体力の消耗が激しい。
ぱたぱたと手のひらで風を仰ぎ、ハロルドは上ってきた道のりを振り返った。
遠くに、ラディスロウが見える。
この丘を下った先にある森には、ハロルドの秘密の薬草が生えている。それを取りに行く途中だった。
「さて。」
それじゃ、と気合を入れなおし、森へと下ろうとしていた時だった。
森の中から、ゆっくりとこちらに上ってきている黒い影に、気がついた。
思わず、走り寄ろうとした足を止め、ハロルドは彼の方からこちらに来るのを待つ。
今までの時間の長さを考えれば、今更、それぐらいの時間、待ったところで同じだ。
「なんだ、お前、また来たのか。」
口の端に笑みを浮かべて、彼が言う。
その笑い方、変わってない。
「あら?」
ハロルドは首を傾げた。
あの頃、確かにハロルドは、小さい子供だったが、それにしてもこんなに彼は背が高かっただろうか?
見上げた感覚が、違うような気がする。
「・・・あれから何年たったと思っている。」
面白くなさそうに、彼が言った。
「すぐに、座標を定められるようになった訳じゃない。」
「それは失礼。・・・何年かかったの?」
「・・・5年だ。」
現実の時間の観念が、彼には意味をなさなかった為、時間軸から放り出されるその先々で、彼だけの為の暦をつくり、ちゃんと日数を勘定していた、という。
少しは狂いがあるだろうが、それは大きくは違っていない筈だ、と。
「へぇ?」
ハロルドは感心して声をあげる。
あの頃は、まだまだ子供で、思い付きを口にしていたところがあった。無論、可能不可能の結論は今でも違わないが・・・。それでもテキストも手掛かりもなにもない状態でのそれが、ハロルドが思っていたよりも、遥かに難しいものであった事が、今では分かる。
それを、5年という短期間で成しおおせたと言う彼を、素直に、すごい、と思った。
「じゃあ、あんたさ・・・。」
素早く計算して、ハロルドは言った。
「何歳になったの?」
「・・・21だ・・。」
少しだけ顎の線が細くなった。まだまだふくよかだった頬も引き締まっている。
切れ長の綺麗なアメシストの瞳は相変わらずだが、その光り方に、大人の視線ともいうべき色が加わっている。
「なによ〜。私より、年下になっちゃったじゃないのよ!」
あの時は16歳か、と思いながらハロルドは言う。
遥か年上と思っていた存在が、自分よりも2つも若くなっているなんて、面白くない。
「僕はもともと、お前よりも年下だったんだ。」
不機嫌そうに彼は言った。
言い捨てるような言い方が、その事実が気に入らなかった事を告げている。
「へぇ・・そうだったんだ。」
そういえば、あの時、彼がこういう存在になった理由を聞かなかった。
本人が言いたくなさそうだったのを感じていたのもあるが・・・自分が聞いたらいけない話だ、と直感したのを覚えている。
だが、今度は聞いても大丈夫だろう。
なにもかも終わった。そんな気がする。
「とりあえず・・・。」
ハロルドは笑った。
自分の唇に、人差し指をそっと押し付ける。
「約束は?」
彼は笑う。
その笑みは、ハロルドが子供の時に見た、そのままの顔だ。
ハロルドは目を閉じて、顎をあげた。
決して忘れないように持ち続けた、子供時代を取り戻す為に。
「ハロルド・・・。」
そっと約束が守られる瞬間、彼の声が聞こえた。
「好い女になったな・・・。」
当然よ、とハロルドは、目を閉じたままで笑った。
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