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夜半過ぎに振り出した雨を、ジューダスは窓辺で確認した。
特に面白い訳ではなかったが、落ちてくる雨が木々を揺らし、土を黒く染めていくのを見つめ、ふと、あいつは濡れて帰ってくるだろうか、と考えた。
リアラが熱で倒れ、最も近いこの小さな町に、駆け込むようにして宿を取った。
たちの悪い流行病だったのか、リアラの熱はその後、4日間下がらず、今も熱こそ下がりはしたが、くすぶっているかのように、リアラの体調はなかなか元に戻らない。
その養生の為の滞在は、今日でちょうど1週間になる。
宿を取った当初、この何もない、名も聞かない町の宿にしては料金が高く、しかも、町中に宿屋だらけな事に疑問を持ったが、その理由もすぐに分かった。
すぐ近くの隣町に大きなカジノがあるのだ。
それが判明して以来、何が面白いのか、ハロルドは毎晩のように出かけていく。
「まったく・・・。」
ジューダスは雨を眺めながらつぶやく。
ひとりの部屋では、それに答える者はいない。
「あんな、くだらない退廃的な遊びの、どこが気に入ったんだか。」
以前、その質問は、ハロルド本人にぶつけられたのだが、その時ハロルドは、ちょっと目を大きくして、その後すぐにからかくような笑顔を浮かべ、
「まったく、子供ねー。」
と、ジューダスの言葉をまるで取り合わなかった。
「僕にいわせれば、子供なのはお前の方だ・・・。」
雨の音は、それに返事をするかのように、大きくなっていく。
ハロルドは今日も、夕食を取った後、立ち去り際に「今日もよろしくね。」とジューダスに耳うちをして出て行った。
そしてジューダスは、その言葉通りに、こうして寝ないで待っている。
キィ・・・と小さな音がして、窓が開いた。
次に窓のふちに小さく白い手がかかり、薔薇色の髪を揺らして、その上半身が現れ、細い左足が窓から部屋の中へと入ってきた。
「よ・・・っと。」
小さなかけ声とともに、床を軽くトンと鳴らして、ハロルドが着地する。
そのままジューダスを振り仰ぐと、にこり、と笑った。
「ただいまー。今日も窓開けてくれて、サンキューね。」
この宿はカジノ目的の客を収益にしているのはめずらしく、門限がある。
従業員が少ない為、いつ帰るとも分からない客を待てず、行くなら行ったまま朝まで帰ってくるな、という事らしい。
閉まった入り口からは帰ってこれない為、どこかの窓からもぐり込まないとなたない。
その役がジューダスだったのは、彼だけが1階のひとり部屋だったからだ。
それ以外の理由はない。
「ところで。」
無言のまま立っているジューダスに、ハロルドが言った。
「私、起きて待っててくれなんて、言ってないわよね?鍵さえ開けといてくれれば良いのに、どうして寝てないの?」
その質問は無視した。
「ハロルド。」
「なあに?」
「その服はなんだ?」
ハロルドの今着ているのは、めずらしく黒いミニのドレスだった。
肩のところに黒い羽根があしらわれていて、その上、ドレスにあわせて、黒いシルクの肘まである手袋と網タイツにハイヒールという、今まで着ているのを見たこともないような服装をしていた。
「あ、これ?」
嬉しそうに瞳を、ぱっと輝かせ
「昨日、勝ちまくったお金で買ったの!」
そう言って、ファッションショーでもやるように、その場でくるりと回ってポーズをつける。
「どう?どう?」
「・・・・・・。」
「似合う?キュート?セクシー?」
期待に目を輝かせているのを見ると、無性に腹が立つのは何故だろう。
「・・・似合わん。」
ぼそりとそう答えると、ハロルドは口を尖らせた。
「ちょっとー、何よ。お世辞のひとつも言えないの?つまらないヤツねー。」
「お前にお世辞を言って、なんの得がある?」
「あー、そういう事言いますか。」
ハロルドは怒ったように眉をつりあげ、ぷいっとドアの方へ向いた。
「じゃ、お邪魔さん!」
「ああ。」
部屋から出て行くハロルドの後姿を見送っていると、いきなり、あ、と言って立ち止まった。
「なんだ?」
「忘れ物。」
ハロルドはそう言うと、すばやくジューダスを振り向いて、その唇にキスを落とした。
「今日のお礼。じゃね。」
にっこりと笑って、今度こそ、ハロルドは部屋を出て行った。
腹がたつ・・・・・。
閉じた扉を睨みつける。
聡い彼女の事だ。きっと、全部見抜いてる。
自分が何故、起きて待っているのかも、何を期待しているのかも。
その目から見たら、さぞかし滑稽だろう。
ジューダスは、窓の外に目を向ける。
あいかわらず外は雨が降っている。
そういえば、彼女はたいして濡れていなかった。
ここまでどうやって帰ってきたのだろう。
その疑問を持ったが、それは深く考える前に黙殺した。
いつも夜半に。
ひっそりとたいして音もたてずに、人目を忍ぶように帰ってくる。
まるで、猫だ。
そのうえ、猫のような甘い声で鳴く。
時折、爪をたてる。
誘ったのはハロルドの方からだった。
4日前。
いつものように、窓の鍵をかけないまま、ジューダスはハロルドが帰ってくるまで起きていた。
別に待つつもりはなかったが、本を読んでいるうちに目が冴えてきてしまったので、そのついでだった。
どうせ起きているなら、とジューダスはそなえつけのポットからコーヒーを入れようと立ち上がった。
そのみち、リアラは明日も動けそうにない。休める時に休んでおこうという状況にもなかった。
席をたち、窓に背を向け、コーヒーをカップに注いでいるうちに、ふと気配を感じて振り向く。
「・・・ハロルド?」
いつの間に入り込んだのか、ハロルドが部屋の中にいて、ジューダスは少しばかり驚いた。
物音に気がつかなかった自分に、舌打ちしたい気分になる。
ハロルドだったから、問題はないが、これが赤の他人だったら、とんでもない失態だ。
それとも。
ハロルドだからこそ、気がつかなかったのだろうか。
一瞬、そんな考えが浮かんだが、ジューダスはそれを自ら否定した。
ふと見ると、ハロルドが座り込んだまま、動かない。
くったりと全身を壁に預け、いつもの戦闘服とは違う白いワンピースの裾から、細い足を床に投げ出している。
その姿はまるで、窓辺に飾られた人形のようだった。
「どうした・・・?」
「んー?」
近づいて声をかけると、彼を見上げたハロルドの瞳が潤んでいた。
表情もどこか、ゆるんでいる。
これは、とジューダスはピンと来た。
「・・・酒を飲んでいるな?」
「うーんとぉ。ちょおっとね。」
いつもよりも舌足らずな口調で返事をする。
「どれくらい飲んだんだ?」
酔いがひどいようなら、部屋まで連れて行かなければならない。
面倒だな、とジューダスは思った。
「カクテルをー。5、6杯?青かったりー、ピンクだったりー、黄色かったりー、色とりどりできれーだったのー。」
「・・・そんなに飲んだのか?」
普段、ハロルドが酒を飲むところを見た事がないので、彼女がどれだけ酒に強いのかはわからない。
だが、この少女のような容姿から想像すると、とても強いとは思えなかった。
人は見かけによらないとよく言うが、今は他に判断基準がないので仕方がない。
ため息をひとつついて、ジューダスは壁に寄りかかるハロルドの視線に合わせる為に、身をかがめた。
「よくそれだけ、ひとりで飲んだな?」
呆れた口調にも気付かず、とろんとした目でハロルドは言った。
「ひとりじゃないのー。ロニ、ばんざーい。」
「・・・ロニ?」
確かにロニも、カジノには遊びに行っていたようだったが、彼の場合は、いつも門限よりも早く帰ってきている。
カイルをひとりにしない為だ。
リアラを心配するあまり、ひとりでいると、カイルはやたらと看病をしたがり、その度にナナリーに部屋から追い出されていた。
「今日はロニも一緒だったのか?」
それでも一応聞くと、ハロルドはちがうちがうと言いながら、首を振った。
「どこにでもー、ロニみたいな、ナンパ野郎がいるってこと。そいつにおごってもらってた・・・。」
「・・・・・。」
それを聞いて、ジューダスは眉を寄せる。
その後、なんと続けたら良いか分からなかった。
何もされなかったろうな?
そういう手合いには近づくな?
もっと用心しろ?
どれも自分が口にしたら、白々しく聞こえるだろう。
それに、そんな事にも気がつかないほど、こいつはバカな女じゃない。
そう思って、結局、ジューダスは、
「そうか。」
と答えた。
「私のことー、かわいーって。」
「・・・まあ、そう言うだろうな。」
「でもって、セクシーだって。」
「・・・・・。」
程度の低い、くどき文句だ。
もっとマシな事を言えないのか?と知りもしない相手に、ジューダスは冷笑をくれる。
このまま、こいつの無駄話につきあってても仕方がないと思い、ジューダスはハロルドの肩に手をかけた。
「おい、ハロルド。部屋に戻るぞ。」
「・・・戻る?」
「ああ。立てるだろうな?」
「んー。」
ハロルドはそう返事をした。
したが、そのまま動こうともしなかった。
やはり、担いでいくしかなさそうだ。
その姿を見て、面倒だな、とジューダスは舌打ちをした。
「あんたはどう?」
「え?」
顔をあげて、ハロルドと目が合った時、しまった、と思ったのを覚えている。
ハロルドの表情は、完全に知性を取り戻していた。
ワナに嵌ったと、その瞬間自覚した。
ハロルドはジューダスの頬に手を添えて、顔を近づける。
息がかかるほど近づき、ささやくように言う。
「あんたはどう?」
もう1度、同じ事を。
「あのナンパ野郎みたいに。」
赤い口紅を引いた唇が、言葉を紡ぐ。
「私に何かしたい?」
その時に、手をはらって、立ち上がって。
酔っ払いの戯言だと、割り切ってしまえば良かったのだ。
「いいわよ・・・。」
ジューダスが動かずにいたうちに、ハロルドは唇の触れあう寸前まで近づいた。
「私を、好きにして良いわよ・・・。」
「・・・!」
その言葉を聞いた瞬間、細い手首を掴んで、引き寄せて、唇をふさいでいた。
部屋の明かりを消すのを忘れていたのに、気がついたのは、ずいぶん後になってからだった。
白いシーツの上に浮かぶ、肌が淡い卵色をしていて、綺麗だった。
つい、と手をすべらすと耳元で甘い声が漏れる。
それがまるで、子猫の鳴き声のようだった。
柔らかい肌に、あますことなく触れ、追うように唇を落としていくと、縋りついてくるように、背に腕をまわしてきた。
細い指が爪をたてる。
細い体、細く長い手足。
助けを求めるかのように見上げてくる、潤んだ大きな瞳、上気した頬。
むさぼるように、それらを自分の物にしようとしている自分に、頭が真っ白になっていくを感じた。
何故、自分を誘ったんだ、とは聞けなかった。
どうしてか言葉にできなかった。
そして、その質問は今でも胸につかえたまま、次に呼び出されるのを待っている。
次の朝、目を覚ました時、すでに彼女は部屋にはいなかった。
朝食の時に顔を合わせると、何もなかったかのように、にっこりと笑い。
「おはよう、ジューダス。」
と言った。
別に驚くことでも、動揺する事でもなかった。
全て、予想の範疇だ。
予想外だったのは・・・自分自身だった。
確かに、あの時誘ったのはハロルドだった。
けれど。
応じたのは、自分の方だ。
イライラする。
昼間、皆と戯れる姿は、夜、出かける時の退廃的なイメージの彼女とは別人のようだ。
そのジューダスの視線の先で、ハロルドは無邪気に笑う。
夜、寝ないで待っているのは、誘いを期待していた訳ではなかった。
それ以上に、ジューダスが欲しているのは、答えだった。
問いを口にできないのは、深い意味がないと答えられた時に、自分の心がどう変化するのか、予想がつかないからだ。
ほっとするのか、失望するか。
だが、たぶん、後者だ。
期待通りの答えが。
彼女の心が、欲しい。
そのくせ、自分はハロルドを好きな訳ではない。
相手を好きでもないくせに、自分は愛して貰いたいなどと。
本気で考えてる自分の汚さと醜さに、吐き気がした。
カシャン、と音がして、カップが床に落ちた。
「すまない・・・。」
一同に振り返られ、その視線を受けて、ジューダスが思わず謝る。
「どうしたの?めずらしいわね。」
ジューダスが袖にひっかけて落としたカップの破片を、床にかがんで拾いながら、ハロルドが面白そうに笑った。
「あんたが、ぼーっとしてこういう失態をするなんて、めずらしい現象ねー。明日は雨かも。」
「・・・・・・・。」
「ええ!?困るよ、それ!」
カイルが叫び声をあげる。
「やっとリアラが良くなってきてるのに!寒くなったりしたら、また悪くなるよ!」
「カイル・・・。」
小さく咳をしながら、リアラはカイルに微笑みを向けた。
あーばかばかしい、とロニは小声で言い、ナナリーは肩をすくめた。
「寒・・・。」
思わず、寒気に身震いし、ハロルドは窓へと急ぐ。
そこなら、風からこの冷えた体を守ってくれる。
部屋はいつものように明かりが灯っていた。
けれど、入ったとたんに違和感を感じた。
妙に温度が低い。
ハロルドは眉を寄せる。
いつもの部屋とは違う。
それはとても、よそよそしく、侵入者の自分を嫌っているかのように、冷たい空気に包まれていた。
「・・・ジューダス?」
柔らかい照明に照らされていても、その部屋には、当然いるはずの主がいない。
「・・・ジューダス?」
誰の為でもない明かりが、空々しく感じられる。
落ち着かなく部屋の隅々まで見回しても、人影はない。
「・・・・・・ジューダス?」
部屋の中には、ハロルドの母猫を呼ぶ子猫のような、不安げな声が響くだけだった。
夜風が冷たく、ジューダスのマントを揺らす。
寒冷地帯のこのあたりでは、それも仕方がない。
だが逆に、夜空は澄み切っていて、星がくっきりと見えた。
夜ともなれば、モンスターは活発になる。
それが分かっていても町の中に戻る気も、まさかカジノに出向く気にもなれず、しばらくアテもなく歩いた後は、適当な来に寄りかかり、空を見上げていた。
それはなんの星座だったろうか、とふと考える。
いつかどこかで、本で見たはずだ。
いつだって、ひとりで本を読む事、それが習慣だった。
幼い頃から人とはつきあわなかった。
つき合わせて貰えなかった、という方が正確だが、それを運命のせいにして、自分の人付き合いの悪さを棚上げにする気はさらさらない。
最も、この人付き合いの悪さを嫌悪してもいないが。
軽く目を閉じ、澄んだ空気を吸い込む。
しん、と冷たいそれは、頭を冷やすのに調度良い。
そうして、ジューダスは、居心地の悪い部屋の代わりに、命をかけるほど危うく脆い、ひとりぼっちの空間に身を置く事を覚えた。
それが逃避と、手に入れてもけっして価値のない場所だと、頭の隅で知りながらも、そこから動こうとは考えなかった。
その夜から、ジューダスはハロルドを待つのをやめた。
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