|
「あっ・・・つっ!」
小さく、思わず漏らしてしまったかのような悲鳴を聞いて、ジューダスは立ち止まる。
旅の途中で、心もとなくなった備品を調達しに、ふたりだけで別行動を取っていた。
幸い、近くの町で必要な物が揃い、遅れを取り戻そうと、森の中を急いでいた時だった。
「・・・どうした?」
少しだけ顔をそちらに向け、ジューダスは後ろに声をかける。
答えはない。
いつもなら気が強い彼女の、負けず嫌いな声が、なんでもないわよ、と返ってくるのに、緑が濃い木立の中、空気は静まり返ったままだ。
「・・・?」
不審に思い、ジューダスは体ごと振り返った。
濃い緑と、負けないくらいに濃い色の土の上に、あざやかなピンク色の姿が沈んでいる。
そうしていると、まるで、咲き誇る一輪の薔薇のようだ。
「・・どうした?」
土の上に蹲るようにして座りこんでいる姿を見下ろして、ふたたびジューダスが問いかけると、ハロルドはゆるゆると顔を上げた。
その表情が、いつになく頼りなげだ。
なす術を見失って、呆然としているようにも見える。
「・・・?」
そして、数歩、近寄ったジューダスの目に、ハロルドが、小さな棒のようなものを持っているのが見えた。
色はピンク色で、先は細く、反対側は逆に太いが、引きちぎったかのようなぎざぎざとした断面。
「お前・・・。」
それがなんだか分かり、ジューダスは言葉を失う。
「ごめん。」
ハロルドが言った。
「ドジっちゃった・・・。ヒール、取れちゃったの・・・。」
まったく、面倒なことになった。
そうは思ったものの、ジューダスはそれを口にはしなかった。
ハロルドは十分に落ち込んでいて、目に見えて元気がない。
それを更に追い詰めるのは酷というものだ。
そのうえ。
「痛むか?」
「うん、ちょっと・・・。」
細い足首をさすりながら、ハロルドは顔をしかめている。
ヒールが取れるほどの衝撃で、足を滑らしたのだ。
その時に、足首を捻っていても不思議ではない。
そして、こいつの「ちょっと」は信用できない。
ジューダスは思い、ちっと短く、舌打ちをした。
「そんな怒らなくっても良いでしょ。反省してるってば。」
それを聞きとがめ、ハロルドは悔しそうに言う。
「そうじゃない。」
ジューダスは言い、ハロルドと同じ視線の高さまでかがむと、さすっている足首を掴んだ。
「な・・なによ・・・いたっ!!」
訝しげに思う暇もなく、足首を回すように動かされ、ハロルドは悲鳴を上げた。
「やはりな。酷く挫いているぞ。」
「う・・・ひどい。痛いのに・・・。」
涙目でハロルドは、ジューダスの乱暴な仕草に抗議する。
だが、ハロルドの声など聞いていないかのように、ジューダスはその時、森の木々の間から見える空を睨んでいた。
もう、陽の力が弱い。
時期に暮れる。
ジューダスは、ハロルドを見た。
不機嫌そうに、ぶすっとしたまま、ハロルドは自分の足にキュアをかけていた。
だが、その程度で治るほどの怪我ではない。
どうしたものか。
「ね、行こう?」
その時、考えていたジューダスの耳に、小さく言葉が聞こえてきて、ジューダスはその意味に、めぐらしていた思考を止めた。
ハロルドを見下ろす。
「なんか言ったか?」
「急がないと日が暮れちゃう。先を行きましょうって言ったのよ。」
「・・・どうやってだ?」
「どうやってもなにも、歩いて。当たり前でしょ?」
「誰が、歩くんだ?」
「私が。」
「歩けると思ってるのか?」
「歩くわよ!」
「やれるものならやってみろ。」
言いあっていても埒が明かない。
本格的に、打開策を講じなければならない。そう思いながら、ジューダスが周囲に視線をめぐらしていると、ふわり、と近くで空気が動いた。
「おい!無茶をするな!」
反射的にジューダスが振り向くと、負けず嫌いのハロルドが、ふらりと揺れながらも立ち上がっていた。
だが、やはりかなり痛むのか、挫いた右足は地面につけたところから、震えている。
いまにも膝からくず折れそうなその体勢を、歯を食いしばって、だがそれすら見せないように無表情を装い、必死に立て直そうと、ハロルドはしていた。
とっさに、ジューダスが手を伸ばすのと、力尽きたハロルドの体がその中に倒れこんできたのは、ほぼ、一緒だった。
「無理だ。歩くな。」
言いながら、ジューダスは、まずい、と今度は心の中で舌打ちをした。
抱きとめたハロルドの体は熱い。
痛めた箇所が、熱を発散させ始めている。
このままだと、今夜は、本格的に発熱するような予感がする。
「でも・・・。」
未だに納得できないように、ハロルドが言う。
まるで、聞き分けなくむずかる子供だ。
ジューダスは思い、今日は森の中で一夜を過ごすことに、腹を決めた。
危険なことに変わりないが、この足のハロルドを歩かせる事はできない。
無茶をして先に進み、とんでもないところに出て、休むことすらできなくなりでもしたら、それこそ命に関わる。
だがそれには、今いる場所は、条件が悪かった。せめて、近くに水があるところまで移動しなければ。
ハロルドの体を支えたまま、ジューダスは身を低くする。
それから素早く、身を翻して、ハロルドの方に背を向けた。
「おぶされ。」
短時間なら、この足場の悪い道でも、ハロルドを背負いながら進む事ができる。
その間に、水場を探す。
そう判断しての行動だった。
ハロルドは、それを見ただけで、ジューダスの考えが理解できたのだろう。
自分で歩く、と駄々をこねることもなく、今度は素直にジューダスの背中に体を預けてきた。
不幸中の幸いとはこの事ね、とハロルドが口笛を軽く吹いて言った。
背負っていた時は、力なく、くったりとしていた彼女は、水を飲んで息をふき返したようだった。
明るいいつもの口調で、まるで人事のように、この窮地を楽しんでいる。
もっとも、窮地は脱していた。
30分もハロルドをおぶったまま森を歩き、その間モンスターに襲われることもなく、水の流れる音を聞きとがめたジューダスがその方向に足を進めると、そこにあったのは、新鮮な湧き水と、森番の小屋だった。
たぶん、この森の中には、いくつもこういう小屋があるのだろう。
持ち主の森番は、そういう他の小屋に行っていて留守のようだった。
だが、山であれ、森であれ、小屋を留守をする時は、迷った旅人の為に少しの備品を置いたままにするのが、守人のしきたりだ。
その中には、薄いが寒さをしのぐ為の毛布もあった。
木々の間の水気のある空気は、夜は驚くほど周囲を冷やす。
毛布は一枚しかなかったが、それで十分だ。
ハロルドの為に、ありがたく使わせてもらう事にする。
ジューダスが小屋の中に残されている他の備品をチェックしている間、動くなよ、と命令して、寄りかからせた壁際でハロルドは自分で、自分の足にキュアを施していた。
癒しの晶術としては、上級に位置するその術は、本来なら効果が高い。
だが・・・ある落とし穴的な法則があるのだ。
晶術は、術者の体力、精神力が大きく影響する。
特に癒し系の晶術は、術者が弱っていれば、十分な効力を発揮しない。
ただ、疲れただけ、眠いだけ、でもそれは顕著に現れる。自分が傷を負っているなら、それは絶望的なくらいに威力を失くす。
自分で自分の傷を治そうにも、思い通りには治らないのだ。
それでも、ないよりはマシだと思っているのか、ハロルドは、2回、3回とキュアを詠唱した。
溜息をついて、立ち上がり、それを辞めさせる為に、ジューダスはハロルドに近づいていった。
「もう、それくらいにしておけ。体力までなくすぞ。」
「だって〜。」
「まだ痛いのか?」
ハロルドは、ぶ〜っと、頬を膨らます。
「痛いわよ!イタイに決まってるでしょ〜?挫いたのよ?」
「威張るな。」
具合を見る為に、ジューダスがハロルドの足に、折れたヒールのブーツの上から触る。
一瞬、びくりと体を震わせ、眉をよせたものの、ハロルドは声を上げなかった。
だが、その表情から、堪えてはいるものの、相当に痛むことが伺える。
「腫れているようだな。」
「ん。」
「靴を脱いで見せてみろ。」
「ん〜?」
ハロルドは、YesともNoとも、はっきりしない返事を返しながらも、素直にジューダスの言葉に従った。
ぽいっと足を前に投げ出し、そのまま屈伸運動でもするように前かがみになり、つま先からブーツを引き抜こうとしているようだ。
「脱げるのか?そんな体勢で。」
半ば呆れながらジューダスが言った。
「だって、動かすと痛いんだもの。」
「その方がよっぽど動かすだろう。」
「じゃあ、あんた脱がしてよ!」
きーっと癇癪を起こし、ハロルドが吠えた。今にも毛を逆立てそうだ。
猫かお前は、とその様子を見て、ジューダスが言う。
「すこし我慢しろ。」
ジューダスは、なるべくハロルドの足首に触らないよう、注意しながら、ブーツを脱がせにかかる。
太ももまである長めのブーツは、ぴっちりと足にフィットして、ハロルドの細く形の良い足を際立たせている。
ハロルドのブーツを下ろそうとしたジューダスの指が、その位置に気がつき、遠慮がちになった。
ひるんだと言っても良い。
「おい。」
「なに〜?」
「少し自分で下ろせ。」
「ほいほい。」
にやり、とハロルドは一瞬笑ったが、ジューダスは何事もなかったかのように、無視した。
それが、装った冷静だとハロルドも知っているだろう。
鼻歌交じりに(とても痛いと騒いでいたとは思えない)太ももから膝の下までブーツの位置をずらして行く。
すぐに真っ白な膝が現れて、ふたりはそれに注目した。
「・・・・・。」
「擦りむいてる・・・。」
「人事みたいに言うな。痛くなかったのか?」
「うん、今までは。これ見たら、痛くなってきた。」
ハロルドの膝は、滑った時にやったらしく、浅いが広い範囲で擦りむけていた。
血もわずかににじんでいる。
ジューダスは、動かさないように注意して、そっとハロルドの足からブーツを抜いた。
足首を見ると、やはり腫れている。
ただでさえ白い肌は、青ざめ、そこだけ血色を失くしていた。
痛々しい事このうえない。
「あ〜・・・。」
がっくし、という感じで大きくうなだれ、当のハロルドが言った。
「わたくしの玉の肌にキズが・・・・。もったいない・・・。」
「そういう冗談を言えるという事は、大した事がないと判断しても良いという事だな?」
さらりとジューダスは聞き流してみせる。
真剣に痛みを訴えても仕方のないことだと、茶化すハロルドの、その心根に乗ってやることにする。
大したことがないはずはない。
ここまで青く腫れあがっているなら、間違いなく、今夜、発熱する。
少しでも、今は冷やした方が良い。
「ちょ・・・っ!」
痛みが一瞬でふっとぶほど、心底驚きましたというように、いきなり抱き上げられたハロルドは、小さく悲鳴をあげた。
「掴まっていろ。揺れると、痛むぞ。」
ジューダスは言い、両腕にハロルドを抱えたまま、小屋の外へと向かう。
「どこ、行くの?」
言われたとおりに、ジューダスの首にしがみつき、ハロルドが言う。
「外の湧き水だ。あれだけ冷たいのだから、活用しない手はない。今のうちに冷やすぞ。」
「あ・・・うん。」
「なんだ?」
「やっぱり・・・夜、痛むと思う?」
ジューダスは、言葉につまった。
普段のジューダスなら「なるな。」と簡単に答えただろう。「自分の不注意からきたことだ。」と更に憎まれ口を叩いただろう。
だが、ハロルドの声を聞いたとたん、ジューダスはそれを口にするのに、ためらいを覚えてしまった。
子供が夜出るおばけを怖がるように、ちらりとその口調に恐怖がにじみ出ている。
これから更けてくる夜は、確実に、ハロルドに痛みを運んでくるだろう。
そして、おそらくは発熱の苦しさも。
「・・・痛み止めの薬はないのか?」
「あるわ。」
「ある、のか?」
その答えに、拍子抜けしたように、ジューダスはハロルドの顔を見た。
その瞬間、顔をあげたハロルドの、思いもかけなかったその近さに、一瞬、息を飲む。
だが、ハロルドは別段、何も感じなかったようで、髪と同じピンク色の眉をハの字にさげて、ジューダスの顔を見返してくる。
「でも、一錠しか持ってないの。」
「弱い薬、なのか?」
一錠では効かないかもしれない、という事を言っているのかとジューダスは思った。
「ううん。効き目は強いわ。でも・・・明日、皆に追いつけなかったら、また野宿でしょ?明日も痛んだらどうしよう、って思って。」
「・・・そんなに痛むのか?」
明日の夜のことまで心配してしまう位に。
「あ〜・・・。」
口を滑らしたと思ったのだろう。
ハロルドはそれで、ふつりと黙ってしまった。
明日。
小屋の階段を慎重に下りながら、ジューダスは考える。
実は、ジューダスは、しばらくはこの小屋から動けないだろうと踏んでいた。
しばらく、というのは、ハロルドの足がある程度まで回復するまでの事だ。
ハロルドの足の具合をひとめみれば、今日だの明日だのに、簡単に治るほど、軽い怪我でないことが分かる。幸いにも、野宿も避けられ、調達してきた物資も、食料も沢山手元に残っている。無茶をしなければいけない事態でもない。明日は大事を取って、出立しない方が懸命だ。
だが、ハロルドは明日には発つ気でいるらしい。
この負けず嫌いを説き伏せるにはどうしたら良いものか。
お前のためだ、などと言おうものなら、恩を着せられたと怒るだろう。
まったく・・・とジューダスは思う。
やっかいな性格をしてくれている。
だが、ふ、と。
それは自分も同じではないのか?と思った。
やっかいな性格が、ではなく、なにがなんでも明日、遅れを取り戻す為に出発しようと。
自分がハロルドの立場でも、そう言うだろう、と。
・・・・理解できる。
そう、ジューダスは思った。
何よりも相手の足手まといになる。それが自分自身で許せないのだ。
Next
|