分からないものは嫌いだ。
この世の全てのもので、自分に理解できないものは許せない、と思う。
自分のその強欲さに、密かに嫌気がささないでもないが、こればかりは性分で、自分ではどうにもできない。
だから、分からない、という状況は、やはり嫌いだ。
でも、逆に・・・分からなかった事が分かる、に変わる瞬間を追い求める事を人生最大の目標と定めている以上、分かるようになる為に、分からないという状況は好き、とも言える。
分からない、がなければ、分かる、という瞬間もない。
「あ〜〜〜〜!!もう!この道もダメだわ!!」
三度、道を選びなおしたというのに、どうしても前に進めない。
八方塞り、というこの状態に、ハロルドはイラついて、行く手を阻む、倒れた大木を軽く蹴った。
軽く、だ。
思いっきり蹴れば、自分の足を痛める事が予測できないハロルドではない。
その大木の向こう、道を埋め尽くす土砂を睨みつけていると、すぐ後ろで、声がした。
「ね〜ハロルド〜。無茶をしないで、休もうよ?オレ、腹減っちゃったよ。」
その声を情けない、と思うあたり、本当に自分はイラついているのだと思う。
「休むったって、どこで休むってのよ!?ここらへん、皆、昨日の大雨のせいで道がなくなっちゃってるのよ?このままじゃ先に進めないし、あんた、街まで引き返そうっての!?」
「・・それはやだけど・・・。」
町、というのは今朝発った場所の事だ。
ここまでやってきたというのに、引き返すとなれば、また同じだけの時間がかかる。
それは、ハロルドでなくてもごめんだ、と金色の髪が情けない感じにゆらゆらと揺れる。
今にも膝を屈して座り込んでしまいそうな態度だ。
も〜〜、このおこちゃまは!
とハロルドは、蹴り飛ばしてやりたい気分に駆られる。
そもそも元凶は、カイルの失態だった。
それは町の中に入る寸前の話だ。
いつも猪突猛進型で、バカのひとつ覚えだなどと嫌味も言われる、カイルの回りを見ない戦い方はいつもの事だが、今回は分が悪かった。
相手は、鋼の鎧を持つ、といわれるアルマジロが進化しためずらしい種のモンスターで、ハロルドなどはそれを見て、新しくデータが採れるとうきうきしたものだが・・・。
何も考えないカイルは、そうは思わなかったらしい。
それどころか、相手がアルマジロの進化系だと気がついていたかどうかすら、怪しい。
とにかく、カイルは後先考えずに斬りつけた。
そして、当然のように剣を折った。
予想外だったのは、宿を取った町の中に鍛冶屋がなかった事だ。
武器屋があることはあったが、あまり手入れの行き届いてないらしい武器ばかりがおいてある、お世辞にも品揃えが良いとは言えない店で、旅人には不親切きわまりなかった。
それでとりあえずは、使えそうなものを選んで手に入れたは良いが・・・今度は、強度の点で心配がでてきた。
なにしろ、猪突猛進タイプは当然、前衛だ。
すぐにまた、剣がダメになりました〜では、こちらの身が危ない。
それで急遽、十数キロ離れた街まで戻り、鍛冶屋で鍛え直すか、もしくは武器屋で、もっと強度の良いものを手に入れようという事になった。
そのついで・・・とばかりに、足りなくなりそうな備品も買い足すこととなり、カイルと一緒に行く事になったのが。
「え〜?ハロルド〜?」
「なによ、その、え〜?は。感じ悪いヤツね!」
「いや、だっていっつもこういう時、私は待ってますからね、って素早く言うのにさ。」
「・・・今回は、ちょっとね。私も用事があるし・・・。」
「あ、分かった!前の街でなにか買い損なったんだろう!」
「そう・・・。」
「なに買い忘れたのさ〜?」
「ふっふっふ・・・。次のしびれ薬製造にかかせない、ある物質よ〜んv」
「え!?その為に!?」
「まあね〜。買い物ついでに一緒に実験体もついてくるし、一石二鳥って訳、私には。」
「実験体って・・・オレのこと!?」
だが、ふたりが隣街についた頃、大雨が振り出した。
それは、数年ぶりの記録的豪雨だったらしい。
まる1日、ふたりは隣街の宿の中に閉じ込められ、退屈な時間を過ごし、急いで戻ろうとしてみれば・・・。
途中で越えなければいけない山の中、地盤が緩んでいた箇所が滑りおち、道が土砂で埋まってしまっていた。予定していた道は、行けない。結局、ふたりは、完全に大回りを余儀なくされる羽目になったのである。
声や音にならなくても、その場の空気の流れで、ハロルドはそうと気がついた。
それで、顔をあげると、不機嫌そうに(最も回りには表情が読めないので、不気味にしか見えないだろうが)歩み寄ってくる黒いマントを見つける事になった。
ハロルドにとっては予測の事態。むしろ、この時間になっても現れなければ、そちらの方が、なんらしかのハプニングの可能性を考慮しなければならない。そういう「当たり前」な事態だ。
歩みは一定で、リズムを刻むかのように正確だ。
その顔には、白い仮面。
別になんとはない見慣れた姿でも、回りには異質の光を放つのか、こそこそと遠巻きにしていく連中の姿も、同時に目に入る。
奇妙なやつ、と暢気に思っている人間もいるだろう。
だが、早足で逃げるようにその場を去る、そのほとんどの人間の顔に浮かんでいるのは、恐れだった。
それくらい、彼の姿は目立つ。悪い方に。
白い仮面に黒いマント。嫌でも悪いイメージを描きたてる。
「・・・一度、聞こうと思ってたんだけど?」
目の前で立ち止まった男に今更する挨拶もなく、ハロルドは言う。
その日、朝から図書館に居座り続けているハロルドを迎えにきたのは、これで2度目だ。
1度めは、昼食の時間だ、と呼びにきた。
自分を迎えに来るのは、いつの間にかこいつの役目と決められたらしい。
「・・なんだ?」
大して抑揚もなく、感情も篭ってない声で相手は返す。
どうせ社交辞令だと思っているのだろう。
そこに意味がある会話を始めようという気は微塵もなさそうだ。
「あんたって、死神みたいよね〜。」
「・・・・・。」
「白い仮面に、喪服みたいな黒い服でさ。もうちょっとセンスってものがないのかしら?」
「・・・・・。」
「死ぬ時にあんたみたいなのが迎えにきたら、大爆笑して死ぬ気も失せるってもんだけど?あ、そういう意味では、間逆だわ。むしろ天の使い?」
「・・・・・。」
「ん?天の使いだと、結局、死ぬ時迎えに来るのは一緒か。」
「・・・・・。」
「ちょっと〜?合いの手くらい入れなさいよ?」
「・・・呆れているんだが?」
「この話のどこに?」
「天才の割りに発想が貧弱だ。」
「およ?という事は・・・あんたもそれと同じ発想をしてるって事よね?」
分かる、という事は、それを考えた事がある、という事だ。
「なによ?じゃあ、わざわざ・・・その死神ルックにしてるって事?悪趣味〜。まあ、その仮面に金銀ギラギラのラインストーンつき〜の、ラメで飾り〜の、服着てたんじゃお祭りだけどさ。」
「・・・・・。」
心底、呆れた顔をして、相手はハロルドを見返す。
さらにからかいの言葉を言ってやろうと思っていたハロルドの視界に、こそこそと壁際によってこちらを伺い見ている女の子が4人、入った。
「・・・ま、いいわ。」
「?」
何かを言おうとしてやめるハロルドというのは、めずらしい。
ジューダスは不思議そうな表情でこちらを見返す。
紫紺のその瞳は、長いまつげに縁取られ、その影を頬の上にまで落としている。
・・・今回は、早かったじゃない。
この街に着いたのは、つい昨日の事だ。
なのにもう気づかれている。
それはいつもの事だ。
この男の風体の異質さは、最初のうちは回りの人間を遠ざける。
だが、それは大概、3日も逗留すれば消えうせる空気だ。
見慣れる、というのも理由のひとつにあるにはあるだろうが、最初に消え始めるのは、いつも、若い女性の間からだ。
始めは警戒していても、若い女の子の好奇心は押さえられるものでもない。
だから、やがて気がつく。
まして、この仮面の男の素顔は、あまり隠れているとは言えない。隠しているのはむしろ、顔ではなく正体だからだ。
そして、そんな仮面ごときでは、この完璧なまでの美貌は隠し切れない。
それに誰かひとりでも気がつけば、あっという間に噂が広がる。
いつもそうだった。
「正体の分からない怪しい仮面の男」は、すぐに「謎めいて素敵な美貌の剣士」に姿を変えるのだ。
「・・・なにがそんなに良いのか、さっぱりだわ。」
ハロルドは、首を捻る。
この男のどこが、という意味ではない。
美貌の異性というものが、それだけで魅力的であるというのも理解できる。
ハロルドが、理解できないのは・・・。
その魅力、と感じる、心の仕組みだ。つくり、というべきか。
何故、異性だと魅力を感じるのか、その理由がさっぱり分からない。
ハロルドが読み終わり、机の上にうず高く積み上げていた本を返していたジューダスの手が、一瞬、止まった。
「・・お前・・・。」
「ん?」
「・・・お前が読むようなものがおいてなかったのか?この図書館は。」
そう言いながら、ジューダスが手に取っている本。
それは「恋愛学」という本だった。
「いや、別に?」
ハロルドは答える。
ジューダスにしてみれば、ハロルドがおよそ似つかわしくない本を選んだ事で、ハロルドの興味を引くものが他にないのだ、と考えたのだろう。
だから、暇つぶしに適当にそれを取ったのだろう、と。
だが、ハロルドの方はそうではなく、ちゃんとした目的を持って、それを選んでいた。
「・・・では、なにか研究の対象にでも?」
「まあね。この私に・・・分からないものがあるなんて。ちょっと許せない感じだからね。」
「恋愛学」
・・・・・男女における恋愛感情、というものが、およそ理解できない。
否定する気もバカにする気も毛頭ないが、ハロルドの中には、それはない、としか思えない。
だから、それがどんなものなのか、とりあえずは知っておくべきだと考えた。
それ故の、本の選抜だったのだ。
まあ、つまらないかったけど〜。
そう続けようとしたハロルドの耳に、ぼそり、と独り言のような、小さな囁きが聞こえた。
「なに?」
「・・・そんなものは、本に書かれているのを読んだところで意味がない、と言ったんだ。」
「・・・・・。」
目の前の男をハロルドは見る。
ジューダスは、特別な事を言ったようなそぶりもない。
黙々と、本を、本棚に返すべく、その前の分類分けをしている。
「・・・意味ないって?」
ハロルドは言った。
「そんなものは理屈じゃない、って言いたいわけ?」
ジューダスは本を分ける手を止める。
一見、意地悪なことでも考えていそうないつもの、皮肉気な笑みを浮かべる。
本当に意地悪しようと思っているのかもしれないが。
「そうだ。」
「・・つまり、経験してみなければ分からない、とそう言ってるんだと思って良い訳?」
「・・・そうだ。」
自分で言っておきながら、面白くもなさそうに答えた後、ジューダスは本を分ける作業を再開させる。
ハロルドの方は、少し意外だ、と思っていた。
この男がなにかに意見を用いるのはいつもの事だが、色恋の話にまでそれが適応されるとは。
だが。
ロニの話を思い出す。いや、ナナリーが言ったんだったか。
ジューダスには、命がけで好きな人がいたんだよ、と。
カイルだったかもしれない。興味がないから聞き流していたので、そこらへんは曖昧だ。
「ねえ?」
「まだ、なにか聞きたい事があるのか?」
まるでハロルドから言い出した話題でもあるかのように、迷惑そうな声でジューダスが答えた。
相手の態度には気にも留めず、ハロルドは言う。
「今でも、やっぱり、その人が好きなの?」
それに対するジューダスの答えは、簡単すぎる位だった。
「ああ、そうだ。」
夕刻近くになって、山小屋を発見できたのはラッキーだった。
小屋は土砂崩れにも巻き込まれず、無傷で、しかも薪が残っていた。
今日はここで、一泊した方が良さそうだ。
「じゃあさ!オレが寝ずの番をするから、ハロルドは休んでて良いよ!」
「は?なんか気持ち悪いんですけど?」
「どういう意味さ〜それ!」
ぶ〜と頬を膨らませ、カイルは不満顔だ。
「だって、私に遠慮するなんて・・・。あ!こんな時にまで、寝ているあんたに実験しようなんて目論んでないわよ?私は!」
「違うよ!ハロルドだって女の子じゃんか!こういう時、男のオレが寝てるなんて可笑しいよ!」
「へ〜?それはそれは。」
「あ〜なんだよ、それ!」
別段、バカにした訳でもないのだが、ハロルドの態度にカイルは誤解したようだ。完全に唇を尖らせ、上目遣いにこちらを見る顔は拗ねている。
「ん、じゃあ、お言葉に甘えて、お願いしようかな♪あんたもこういう時は頼りになるのね〜。流石は男の子!」
なにも子供が自分で言い出した事を、大人の理屈で否定する事もあるまい。
そう思ってハロルドは言い返る。
「へへ・・・。」
能天気なカイルは、すぐにそのハロルドの言葉で機嫌を直す。
こういうところが子供だと言われる所以なのだが、それは彼の美点でもある。
照れている態度を好ましく思いながら、ハロルドは彼を見て・・・頭を撫でたくなった手は引っ込めておいた。
「だって、あんた言ったわよね?」
「・・・だからなんだ。」
また何を言いだすんだ、この女は・・・と小声でつぶやき、ジューダスは大げさに溜息をつく。
呆れていますのポーズ。遠まわしの拒否の合図。
だが、そんなものを気にするハロルドではない。
「だったら、実行するっきゃないっしょ〜。」
「・・・・・。」
恋愛は経験しなければ意味がない。
ジューダスがそう言ってのけたのは、つい昨日のことだ。
その時は天才の自分に何を言うのか、と鼻にもかけなかった。
凡人はともかく、自分ならその程度のこと、軽く、想像だけでカバーできる、と。
だが、しかし。
確かに、ジューダスの言う事も一理ある。
結局、図書館からわざわざ借り出した「恋愛学」と読み込んでいくうちに、自分では手に余る部分があるのを認めざるおえなかった。
その、最たるもの。
想像だけではなかなか補えない部分は「相手」の反応、というヤツだった。
他人の考えている事はある程度は読めるハロルドだが、他人の気持ち、を理解するというのは・・・。
実はあまり得意と言えない。
自分の気持ちなら、はっきりと分かる。
だが、相手の気持ちが分からない以上、それに対する自分の気持ちというのも、肯定しにくい。
せめて、それに近い状況が過去になかったものか・・・・・。
「あ。」
そこで閃いた。
分からないというなら、過去にも、それがないと言うならば。
ならば、そういう状況になってみれば良い。
「だから、ね?『私はあんたを好き』になってみることにしました。」
「・・・・・。」
非常に言い回しが変だ。
つまりはこういう事だ。
ハロルドは、自分がジューダスを『好きになった』と仮定して、色々な状況に対する自分の感情の動きを試してみる事にした、と。
そう言ったのだ。
「ま、だからさ。あんたもそう思っておいて。」
「・・・迷惑だ。」
憮然とした表情でジューダスが言い捨てる。
まったくもって、とんでもない発想をする女だ。
そもそも、自分が言ったのはそういう意味ではない。
だが、言い出したら聞かない(というよりも彼女の中には却下される、という状況がすでにない)ハロルドの事だ。
「別にあんたにまで、私を好きなフリしてくれって言ってる訳じゃなし、良いじゃない?『片思い』って状況のデータも欲しいしさ♪」
「・・・・・。」
そう、これはとても良いアイディアだ。
ハロルドは思う。
「誰か」を好きになったと仮定して、恋する女の行動パターンに沿う事によって、そこに生まれるべき感情の変化をデータとして取る事は思いついたが・・・。
当然、相手は誰でも良かった。
始めはロニを考えたが、偽物の自分であるとしてもナナリーの手前、そういう女が現れるというのは、できれば避けたいところだ。
そういう意味ではカイルもダメだ。
しかも・・・カイルだと自分の品性が疑われる。
そして当然のようにたどり着いたのが、昨日、自分にこの計画を思いつかせた本人である、ジューダスだった。
趣味の悪い仮面を被っている相手だし、この場合も自分の品性は問われるが、町娘たちにきゃーきゃー言われている事を考えれば、それはまあ、他人でも目をつぶれる範囲でもあるだろう。
それに確かに、カイルやロニよりも、自分とは話が合う。
自分の講釈についてこれるのは、メンバーの中ではこいつだけだ。
そして、最も安心なのは。
ジューダスには好きな女性がいる、という事だ。
決して、自分にはなびかない相手。
万が一にも、好きになられでもしたら、困る。こちらはデータが欲しいだけなのだし。
ある程度のデータが集まれば、この擬似恋愛もさっさと終了させるつもりだ。
その点が、ジューダスならば安心だった。
「じゃあ、そういう訳でv」
「なにが、そういう訳で、だ。つきあわんぞ、僕は!」
「だ・か・ら。つきあってくれ、なんて言ってないでしょ〜。ジュ〜ダス〜♪」
「・・な、なんだ!?」
自分の腕にいきなり抱きついてきたハロルドに、ジューダスはぎょっとなる。
条件反射の警戒心で、つい、強い態度でその腕を振り払ったジューダスが見ると・・・。
「・・おい?」
うるる、という瞳でハロルドが自分を見上げていた。
そして、そのまま顔の角度を俯き加減に変えると、
「・・・ジューダス、私の事、嫌い?」
上目遣いにおずおずと聞いてくる。
ジューダスは呆れた。
ハロルドの「仮定の恋愛ごっこ」というやつは、もうすでに始まっている。
「・・・・これだもんね〜。」
新しい薪をくべながら、ハロルドは溜息をつく。
それが静かな夜のしじまに、染みるように響いていく。
火にあぶられ乾いた枝からは、パチッとはぜる音がした。
それ以外の音は、していない。
英雄と言えど、カイルはリアラにとっての英雄なだけで、他者の英雄ではない。
寝ずの番をする!と宣言しておきながら、夜までの間、少し休むね、と言ったカイルは、結局、夜更けになっても起きなかった。
結果的に、寝ずの番はハロルドがする事になる。
「なにが、“男のオレが寝てるのは可笑しいよ!”よ!一瞬でも、感心したなんて、大失態だわ!」
まあ、いっけど〜。
と、ハロルドは思う。
ハロルドは、カイルよりも徹夜に慣れている。
そういう意味では、自分が起きている方が、利に叶っているとも言える。
そして、ふ、と、最近、日課になっている相手の事を考える。
いくら「擬似恋愛」であっても、本物に近くなければ意味がない。
だから、この実験を始めたその日の夜、お風呂に入りながら、ハロルドは自分にそれを課した。
『1日に1回はジューダスの事を考えること』。
恋する乙女なら、当然の行為だ。
本来は朝起きてから、夜寝るまででも良いくらいだが、流石のハロルドも、それほど暇ではない。
考えるべき事は、他にも山ほどある。
始めのうちこそ、夜まで忘れていたりもしたが、最近では、心がけなくても、自然とジューダスの事を考える事ができるようになっている。
気をつけて見ていれば、実際ジューダスは、町娘がぽーっとなるだけの要素はふんだんに持っていた。
完璧な美貌は言うに及ばす。
薄い筋肉で覆われている体躯。
見かけで想像するよりも低い声。・・・あれはなかなかお気に入りだ。耳元で囁かれたら、結構、気持ち良いのではないかと思う。
仕草の美しさ。特に剣技は芸術的さえある。
そして、理知的な思考能力。あれは、価値がある。あそこまでモノを知っていて尚且つ、冷静に意見を持てる男など、めったにいない・・・・・。
「うっ、う〜〜〜ん!」
寝言ともつかない唸り声をあげ、バタリと大きく、カイルが寝返りを打った。
山小屋の床は板張りだ。
カイルは備え付けの寝具も引かずに寝てしまった。後で体が痛くなったりしないのだろうか。
ハロルドは、そう思いながら耳たぶを摩る。
いつもつけている、お気に入りの大きなロケット型のピアスは、外してある。
ナナリーたちとアクセサリー屋に行ったのは、ついこの間の事だった。
実を言えば、ハロルド自身は、ナナリーたちと連れ立って買い物をするようになるまで、そういう機会をまったく持たなかったと言っても良い。
幼い頃は、そこまで仲の良かった女友達がいなかった、というのもあるが・・・実際、ベルクラントで吹っ飛ばされて何もない凍てつく大地の中、気軽に買い物だ、おしゃれだ、と遊びにいけるところなど皆無だった、というのが一番の理由だ。
時々、ハロルドは楽しみに思う。
戦争が終わった1000年前の自分の世界に帰れば、これから先もこういう生活が日常として送れるのだろう。
その時はきっと、ナナリーたちではなく、アトワイトとだろうが。
店の品揃えは幅広く、レディースものからメンズものまで所狭しとおいてあり、値段も高値のものから、手軽に買えるものまでと色々だ。
あれやこれやと手にとっては、試していくリアラたちと一緒にはしゃいでいたハロルドの目に、ふ、とシルバーのピアスのコーナーが目に入る。
メンバーの中で、ピアスをあけているのはハロルドだけだ。
ふたりをおいて、ハロルドはそのショーケースに寄っていく。
シルバーの輝きがよく見えるように、黒い布が張られたショーケースの中では、シンプルなもの、なにかのエンブレムや、百合や、クロスをモチーフにしたものが、センス良く陳列されていて、覗き込む者の目も輝かせる。
ハロルドは、小さい王冠をモチーフにしたものが気に入って、ケースから出して貰った。
手に取ると思っていたよりも軽く、穴には通さず、耳にあててみるとかなり可愛い。しかもハロルドが大好きなデザインだ。
他にも薔薇や、小さい鳥かごのカタチのものなど、色々と出して貰っては、自分に合うかどうかと試していたハロルドに、店員がにっこり笑って話しかけた。
「こちらなんていかがですか?」
「え?」
店員がケースから新しく出してきたのは、今までのものとは、違ったイメージのものだった。
これ以上シンプルなものはないというほどシンプルで、けれど、存在感がある。
「・・・これ、パール?」
「はい。小ぶりなものでも、お客様に大層お似合いだと思うのですが、お嫌いですか?」
「・・嫌いじゃないけど・・・。」
ハロルドは言いよどむ。
これは、私のカラーじゃないな、と思う。
パールは色々な角度から光があたると、その度に違う色に輝いた。下地の白の上に展開されるその様は、雪国でも外殻のおかげで見ることが叶わなかったオーロラのようだ。
だが、真珠は正直、上品過ぎる。
ひとつくらい持ってみたい気もするが、自分には合わない・・・・・。
「あ。」
ハロルドの脳裏に、その時、あるものが浮かび上がった。
「うん、そうね。・・・小さいのが良いわvくださいv」
「ありがとうございます。」
にっこり笑って店員が、パールのピアスを選び直しているところに、ハロルドは声をかける。
「それは、プレゼント用に包んで貰えるかしら?」
「あら、お客さまのではないんですね。」
「うん、私のは・・・また、今度ねv」
ピアスの穴があるのは、もうひとりいる。
唐突にハロルドはその事を思い出した。
いつもは仮面の下に隠れている耳だが、時折、仮面を外すその時に、しっかりとチェックしておいたのだ。
「はい、これ。」
店から宿に帰り、その足で彼の部屋に向かった。
にっこり笑って手渡せば、訝しげな、その表情。
「・・・なんだ?」
「開けてみて?あなたに似合うと思って、選んでみたの・・・。」
ハロルドの「恋愛ごっこ」は今だ、続行中だ。
その相手のジューダスは、すでに諦めたのか、それとも所詮ごっこだと開き直ったのか、未だ嫌そうな顔をするものの、以前のように完全にハロルドを無視する事などなくなった。
それをハロルドは、ちょこっとだけ嬉しく思う。
やはり自分の思惑通りに事が運んでいるというのは、なんともいえない幸福感がある・・・・・。
「・・・・・。」
箱を開け、中を見たジューダスは怪訝そうだ。
「まあ、パールのピアスって女物ってイメージだけどさ。あんたにも似合うと思うのよね。むしろ、男なのに似合うっていうのが、良いなって思って、それにしてみたの。」
その表情から、心情を先読みしてハロルドが得意気に説明をする。
他の男にならば、選んだりしない。
ジューダスにだからこそ、選んだのだ。
だが、ジューダスの怪訝そうな表情の理由は、それが原因ではなかったらしい。
「・・・僕は、片方しか開いてないぞ?」
「・・・え?」
ほら、という感じでジューダスは左耳にかぶさる髪をかきあげる。そこには確かにピアスホールがある。だが、右の耳があらわになると・・・。
「あ〜・・・・。」
がっくし、とハロルドは肩を落とす。
ジューダスの右耳には、穴はなかった。つるんとしてふくよかなカタチのよい耳たぶだ。
「ごめん〜。」
ハロルドは言った。
ジューダスは、びっくりしたようにハロルドを見返す。
私としたことが。
長めの黒髪の間から、耳元のピアスホールを発見して、嬉しかったのを覚えている。
これでまたひとつ、本人が口にしない、秘密の部分を知った、と思った。
それで舞い上がっていて、見落としていたのだ。
ピアスホールは、両耳空けるとは限らない、という事を。
「でもさ〜折角あげたんだから。」
ハロルドは気を取り直し、ジューダスにぱっと明るい笑顔を向ける。
まるで天気のようだ。
そのくるくる変わる表情に、ジューダスはそう思う。
「片方だけでも、してみてよ?似合うと思うの。それは、本気で選んだのよ?」
「いや、良い。」
「・・・・・良い?」
ドキン、とハロルドの心臓が鳴った。
いや、ドキン、ではない、どちらかというとズキン、だ。
「・・良いって・・・。」
突っ返される事を想像して、ハロルドが言葉を呑む。
それに気がついたのか、ついていないのか、ジューダスは部屋の奥へと移動すると、持ち歩いている荷物の中から、なにかを取り出した。
ジューダスの持っているそれは、小さなもので、よく見えない。
だか、窓から差し込む日の光に反射して、それはキラリ、と光った。
「こうする。」
あ!とハロルドは声をあげた。
ぶすり、という小さな音が聞こえたと思ったが、ハロルドの幻聴だったのかもしれない。
鋭く光る針が、ジューダスの耳を貫いていた。
あわわ、とめずらしく慌てるハロルドに対し、ジューダスは平然と右耳から針を抜く。
それを追うようにして、みるみるうちに血が噴出し、右の耳から頬へと伝った。
「あ、あんた!」
急いでハロルドは駆け寄る。
ポケットの中からハンカチを出して、ジューダスの右耳を押さえつける。
「・・・痛くないの!?」
「・・・いや。」
ジューダスはいつも通りの冷静な声で、それに答える。
「・・・少しは痛むが。僕は痛みには慣れている・・・。」
「そんなもの、偉くもなんともないわよ!」
怒鳴るハロルドに、肩をすくめるという小憎たらしい態度を見せ、ジューダスは言った。
「消毒薬かなにか、持ってるか?」
「持ってるわ!今、取ってくる!」
急いで自分の部屋へと引き返すと、慌てた様子のハロルドに、ナナリーたちが驚いて、声をかけてきた。
それに答える時間も惜しくて、悪いと思いながらも返事もせずに、自分の荷物を漁りながら、ハロルドはなんだが、胸が苦しい、と思った。
先ほどのジューダスの行為は、予想の範疇になかった。
それがこんなに苦しいのだろうか。
あんな風にいきなり自分で耳を傷めるなど。
思い切りが良いのにも、ほどがある。
「あった。」
消毒薬を掴み、ハロルドはジューダスの部屋へと引き返す。
先ほどの光景は目に焼きついて離れそうにない。
いつもの無表情で耳を刺した彼の姿も。
それに飛び上がるほど驚いた自分の姿も。
だが。
ジューダスの白い面の上を滑る赤い血が。
綺麗だ、と思った。
傷を負ってなおも、いつも涼しげな態度を崩さないその姿勢が。
とても綺麗だ、と思った。
ハロルドはかがり火を少し弱くする。
炎で火照った顔が熱い。
特に話し相手もいないので、明日の事を考える。
比較的に暖かい地方なので、朝の冷え込みもそれほど酷くないはずだ。
問題はここが山の中だということだ。
きっと日中の気温差が激しいだろう。霧も出るかもしれない。
やはり里まで一旦、降りるしかないか、とハロルドは思った。
ふ〜と溜息をつき、板張りの床にひっくり返ると、こつん、とそこら辺にほうっておいた自分の荷物に当たった。
「あ、そうだ。」
起き上がり、ごそごそと、ハロルドは荷物の中から、おととい、買ったものを取り出す。
プレゼントではないので、今度はリボンをつけて貰わなかった。
小さな箱から取り出し、持ってきた消毒薬でポストを軽く拭くと、自分の耳に、手探りでつける。
そしてその姿を、手鏡で確認する。
「・・・思ってたより似合うじゃないv」
ハロルドは、パールのピアスをつけた自分の耳を、軽く指で弾いた。
どうしてこれが無償に欲しくなったのかは分からなかった。
パールなどどこででも売っているし、もっと品質の良いものだってあったかもしれない。
だけど、カイルが武器の為に、あの町に戻ると聞いた時、あの店でもうひとつ、自分用にパールのピアスを買いたくなった。小ぶりのシンプルなもの。
あの時から、ジューダスが密かに耳に飾っているものと、同じものを。
ハロルドは耳たぶを軽く摩る。
そこには、小さく、確かな存在感。
「カイル!!」
「え・・!?な・・・なに?」
いつもは寝汚いカイルだったが、ハロルドの声に、飛び起きた。
それほど怖かったのかもしれないが、こちらにとっては好都合だ。
「あ!ご・・ごめん!オレ、すっかり寝ちゃって・・・!」
「行くわよ!」
「・・・え?」
寝ずの番をしなかった事を怒っているのかと思っていたカイルは、その言葉に、きょとん、とハロルドを見返す。
「行くって?」
「出発するわよ!一旦、峠を降りましょ。遠回りになるけど、こちらを突っ切るよりは早いわよ。」
「え〜〜〜〜〜〜!!??」
それでようやくハロルドが何を言いだしたのかに気がついたカイルは、驚いて、その場で立ち上がってしまった。
それを、出立の合意と取ったのか、ハロルドは早くも自分の荷物を持って、扉の方へと向かいだす。
「ハ・・ハロルド!本気!?」
「なによ〜?あんた、休養なら十分取ったでしょ?」
「ち・・違うよ!本気で行く気なの!?まだ夜だよ!?」
「夜は夜よ!なによ、今までだって、徹夜で山を越えた事の一度や二度、あったでしょ?」
「そ・・そうだけど!」
カイルは訳が分からない、というような態度で、そのクセ、しっかりと自分の荷物を手繰り寄せる。
条件反射というやつか、それとも、本気でこのままだとハロルドに置いていかれると察したのか。
「あ〜良い夜!」
ハロルドは外に出て、思いっきり伸びをし、空気を肺に送り込む。
山の中だから、回りは木だらけだ。
だが、小川の近くに建てられていた山小屋の周りは、ちょうど視界良く、ぽっかりと穴が開いたように、空が見えた。そこには月も浮かんでいる。銀色に輝く、綺麗な月だ。
「お待たせ!じゃ、行こうか!」
一旦、そうと腹を決めるとカイルは迷わない。
しっかりと火の後始末をしてきたらしいカイルは、もう先に進むことを考えている顔をしていた。
よしよし、とハロルドは思う。
この単純だが、常にすばやく前を向く性格。これは愛すべき点だ。
カイルが歩き出す。
その後について行きながら、ハロルドは思う。
なにがなんでも今夜中に辿りついてみせる。
そう難しくもないはずだ。
確かにつっきった方が早かったが、回り道でロスする時間は・・・ざっと3時間というところだろう。
夜が明けるまでには、目的の、皆が待っている町へは着けるはずだ。
聞かなければならない、と思った。
今、聞いておかないと。
それは明日まで、待てそうにない。
“ごっこ”だと割り切っていたはずだ。
なのに、どうしてあの時、血を流してまで、自分が贈ったピアスの為に穴を開けたのか。
ただのきまぐれなのか、それとも別に理由があったのか。
そして、どうしてそれを、今では肌身離さず、つけてくれているのか。その理由も。
そう、これも。
聞かないとならない。
どうして私は。
どうして「つけてくれている」等と考えてしまうのか。
「聞いたところで経験してみなければ分からない、とは言ってくれるわね。」
ハロルドは思わず、笑ってしまった。
逆に、これが本当にそうなのかどうか分からない場合は、誰かに聞かなければ確かめようもないじゃないの。
「え?なにか言った?」
先を歩くカイルが振り返り、ハロルドを見る。
「ううん。なんでもない。」
さ、行きましょ♪と声に出して、気持ちを切り替え、ハロルドは前を向く。
これから先は強行軍だ。
なにがなんでも。
今夜中に、必ず。
必ず、あなたに辿り着く。
そして、町に、宿に着いたら一番初めにその扉を叩き、眠っているなら揺り起こしてでも、その答えを聞かなければならない。
ハロルドは、頭上の月を見上げた。
それは、白く光り輝き、まるで空に浮かぶ真珠のようだった。
「 I am your baby どうにでもして 迷うことなき嵐の使者
ぷわぷわの愛が欲しくて まっしぐらに進もう
I am your baby なにがなんでも辿り着きたいと願う心
今夜はそれを愛と呼ばせてください」
fin
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